第八章 序曲終幕 5.決意の代償
世界が色付いて行く。白一色の世界から、安堵友介は現実の世界に帰ってきたのだ。
彼は足元で、仰向けに倒れたまま小さく笑っている土御門狩真を冷たく見下ろした。
「言い残すことはあるか」
先ほど放り捨てた拳銃を拾い、弾倉を装填して狩真へ銃口を向ける。
「お前は生かしておけない。誰かを殺すことしかできないお前は、今ここで俺が引導を渡す」
こいつを野放しにしておけば、次こそは彼の大切な人が殺されるかもしれない。
それでなくとも、この男は人を殺すことでしか生きている実感を得られない、人間の欠陥品なのだ。
ならばここで殺すことが、人類と、そして何よりも狩真の幸せであろう。
そんな性を持って生まれてきたこの男は、幸せも平凡も手に入れることが出来ないのだから。そもそもからして、この世界に適合しない類の人間なのだ。
だから友介は、彼をこの場で殺す。
対して狩真は。
「ない」
友介の問いに、そう言い切った。
「無いに決まっている。俺は俺の願いを叶えた。これ以上ない幸福を得られた。テメエと……安堵友介と出会い、そして負けることが出来た」
友介は彼を忌避している。しかし狩真はそれすらも喜んでいた。
「初めて繋がりが出来た。なら、これ以上の喜びはねえだろうが。心残りがないと言えばまあ、嘘になるが、そっちに関してはあのチビに任せるわ。俺にとっちゃあ、やっぱどうでも良いことだし」
それを聞いた友介の瞳がほんの一瞬揺らいだが、すぐさまその甘さを捨て去り、引き金に手を掛けた。
「そうかよ。なら、ここで死ぬんだな」
「ああ。ありがとよ、俺の我が儘に付き合ってくれて」
そう言って、彼は清々しい笑みを浮かべた。
死が迫っている人間とは思えぬほど澄んだ表情に、またも友介の瞳に迷いが生じてしまう。友介はそれを振り払うように引き金を引き絞ろうとして。
「待ちなさい」
そっと、その手にを包まれた。
隣を見れば、金色の優しい瞳が、友介を真っ直ぐ見つめていた。
赤い髪を持ち、金色の瞳を友介に向ける風代カルラは、そこで一言、こう言った。
「いいの?」
「――――ッ」
その一言が友介の決意を完全に揺さぶった。
彼女は察していたのだ。友介が己の好意に疑問を抱いていることに。
これで良いのだろうか。
間違っていないか。
否、そうではない。
これが、こんな行為が安堵友介がしたかったことなのか――と。
理不尽を恨んだ。
不条理を憎んだ。
降りかかる不幸が許せなくて。
だからそんな運命に翻弄される人たちを、安堵友介は救いたいと思ったのだ。
ならば――。
「こいつも、どうしようもない悩みを持ってたんでしょ?」
土御門狩真には、愛せる人がいなかった。
「こいつだって、こいつの視点から見れば、理不尽や不条理に翻弄されてたんじゃないの?」
「おいおい、勝手に俺を値踏みするんじゃ、」
「黙れ」
口を挟んできた狩真を一言で黙らせると、カルラは続けた。
「それはアンタの憎んだものじゃないの? ここでこいつを殺すのは、アンタの望む世界では肯定されることなのかしら」
「それ、は……ッ」
安堵友介は答えられない。
確かに友介は理不尽が嫌いだ。そして狩真からすれば、自分よりも強い人間がいないことは、何よりの理不尽に映ったはずなのだ。
しかし――。
「それじゃあ、他の人はどうなるんだよッ! こいつに殺された人はッ? 何もしてねえのに……悪いことも恨まれるようなこともしていないのに殺された人たちはどうなるッ? これからこいつに殺される人間はどうなるんだよッ!」
「でも、こいつがこの先、人を殺さないかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、彼の頭が真っ白に染まった。
「ふっざけんなッッ! そんな戯言の為にこいつを野放しにしろってッ? この先こいつに殺されるかもしれない人達を見捨てろって言うのかよッ!」
友介はカルラの正気を疑った。
これが、まともな人間の言うことか? こんな気休めみたいな考え方で……
「話にならねえ……ッ。そもそもあの黒騎士の問題だってあるんだ。俺は、こいつを殺してあの騎士の所へも行く。それが……俺がやらないといけないことだ……ッ!」
「殺すのね」
「そうだよッ!」
「だったら好きにすればいいわ」
そう言って、カルラが包んでいた手を放した。
一歩下がると、最後にこう言い残して。
「出来るのならね」
「やるに決まってんだろうが」
そう言って、彼は再び銃口を狩真へ向けた。
狩真はやっとかと言うようにため息を吐いていた。
その表情がどうしてか気に食わなくて。
引き金を引こうと指に力を入れているのに、いつまでも弾丸は発射されない。
先のカルラの言葉がぐるぐると友介の頭の中で繰り返された。
『でも、こいつがこの先、人を殺さないかもしれない』
「ク、ッソ……がァぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
そして安堵友介は。
その場で大粒の涙を流しながら、握った拳銃を地面に叩きつけた。いつ暴発してもおかしくないその銃を、何度も何度も蹴り付けて、破壊した。
「ふざけんな! ふざけんなふざけんなッ! ふざけんなァアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
駄々をこねる子供みたいに。
この世の理不尽を受け入れられないと憤った少年が、またも世界の理不尽に怒りを示した。
「こんなもん間違ってる……間違ってるだろうがよぉ……っ」
殺すべきだ。これは人類にとっての膿だ。生まれてはいけないモノ。どうしようもない害悪。
全を見渡しても、個を見渡しても。
誰の目にも明らかな事実だ。
土御門狩真は、死んだ方がマシな人間だと。
だというのに。
「もう、殺せない……ッ」
殺すということが。殺されるということが。既に彼の憎んだ不条理に他ならないことに気付いてしまったから。
非情であるべきだった。
機械になるべきだった。
しかし不幸にも、安堵友介には人を想う優しい心が存在していた。誰かを守りたいと思う慈しみが宿ってしまっていたのだ。
うずくまり、嗚咽を漏らしながら涙を流す友介へカルラが優しく、そして悲しい声で言葉を投げた。
「それが、全部を救うってことなの……」
「辛い、よ……ッ」
その真実はどこまでも深く、これから安堵友介という人間を苦しめるだろう。
人を殺さなければ為せない夢の道、その王道において。
安堵友介は、これから先、誰一人としてその手に掛けることが出来なくなってしまったのだから。
火竜に蹂躙されたジブリルフォードは、しかしその爆心地にて影も形もなくしていた。
灰になったのかと思ったが、あの男に限ってそれはないだろう。
おそらくまだ何かやることがあって、唯可に見つからない内に逃げたに違いない。
「大丈夫ですか? 姫」
「うん……」
満身創痍の唯可は、友達であるナタリーに膝枕をされながら小さく微笑んだ。
「あの……敵もいなくなったし安堵友介を探しに行くんですか?」
「あはは……さすがに今日は無理じゃないかなあ。会いたいけど……さすがに片腕なくなっちゃった友達がいるし、そんな不謹慎なこと言えないや」
そういう唯可の心中は、しかし安堵友介のことでいっぱいだった。
――褒めて欲しいよ。
――すぐにここに来て、頭を撫でて抱きしめて欲しいよ。
――私が怪我してるんだから、王子様みたいに迎えに来てよ。
そんな身勝手な欲望ばかりが溢れてくる。
けれどそれを表に出さない。出したくない。ナタリーの目の前でそんな姿は見せない。
強いお姉さんでいたいから。
彼女の憧れでいたいから。
そう、思っているのに。
「う、ぅあ……」
涙は、止まらない。
「会い、たいよぉ……」
溢れる感情を止めることが出来ずに、彼女の口からどうしようもない願いが漏れてしまった。そして、一度たがが外れてしまえば、唯可にはどうすることも出来なかった。
「何で会いに来てくれないのぉ……! こんなに会いたいなのに、好きなのにぃ……っ! 意地悪っ! 友介の意地悪ッ! バカ、嫌いだよぉ……っ」
それを聞きながら。
主であり友である少女の弱音を耳に入れながら、ナタリーは無言で彼女の頭を撫でていた。
ずっと、ずっと。
子供みたいに泣く女の子の頭を優しく押さえて、褐色の少女は小さく口を開いた。
「また、お金を溜めて来ましょう。今度はしっかり、直接連絡を取るんです」
「うん、うん……ありがとぉナタリー……っ」
こうして少年と少女のそれぞれの戦いが終わった。
それぞれ失ったものや得たものはたくさんあった。
だが、何よりも、身近な誰かを失わずにいたことを、感謝するべきだと。
同じ時、違う場所で、二人はそう感じていた。




