第八章 序曲終幕 4.反徒降誕
災害と呼べるほどではないものの、人間を殺すには十分過ぎる攻撃が友介を襲う。
のたうつ業炎が多方向から友介目掛けて殺到した。それを躱し迎撃するも、全て捌き切ることなど無論不可能。身を焼かれ膝を屈しかける。
「友介ッ!」
「――ッ、うる……っせえッ! こっちは大丈夫だッ! お前はさっさと自分の仕事をしやがれッ!」
一喝し、返事も聞かずに立ち上がり狩真へ挑む。
「はっはァッ! いいね、いいねェッ! そうだよ、これだ……こういうのを求めてたんだよォッ!」
楼門の二階で哄笑を上げる狩真を怒りのこもった視線で一瞥すると、再度目の前の脅威へ意識を向けた。
だが……
「がッ! ぐぅぁああああああああああああああああッ!」
突如、左腕に鋭い痛みが走り、たまらず絶叫を上げた。見れば、まるで猛獣に噛みつかれたように等間隔で穴が空いており、そこから血がボタボタと滴り落ちていた。
「ぎ、くそっがァああ!」
頭があるであろう場所に拳銃を突きつけ立て続けに引き金を引くことでようやく激痛から逃れるが、左腕が痺れて感覚が薄れ始めた。辛うじて力を入れることはできているが、精密な射撃はおろか、その反動で激痛が走るだろう。
射程距離から外れた位置にいる狩真に弾丸を放ったところで弾かれるのは目に見えている。対抗手段すら現時点では存在しない。
友介は何一つ逆襲できないまま一方的になぶり殺しにされていく。
裂傷が増える。熱傷の範囲が広くなった。呼吸がままならなくなり、足元には血だまりが出来始めた。
「あ、がぁあああああああああああああああああッ!」
しかし、そうして打ち据えられ、吹き飛ばされながらも、彼はしっかりと地を踏みしめ前へ進みながら、努めて冷静にこの世界の分析を始めた。
染色という力が何かは分からないが、この世界が何らかの矛盾をはらんでいることは確実だろう。
これらの攻撃全てが奴の願いであるはずがないのだから。
愛したいと言った。
好きな奴が欲しいと言っていた。
ならば、彼の願いとは。
そこから導き出される矛盾、あるいは諦観とは……。
「なる、ほど……」
死因や殺し方というのはつまり、鬼のことだ。彼が使役していた鬼とはつまり、そうした現象の比喩あるいは記号に他ならなかったのだろう。茨木童子が何を司っていたのかは不明だが、あれもそれらの内に一種に過ぎない。
「この世界の……じゃくてん、は…………がはッ、ぁああああああああッっ!」
告げようとしたところで、鉄塊で殴られたかのような衝撃が腹を襲い、真横へ吹っ飛ばされた。地面を転がり停止したその場所で――。
地面から生え出た五本の剣が、安堵友介を串刺しにした。
それでも少年は思っている。
(痛く、ねえ……ッ!)
ここで倒れて負けたくない。
全て奪われて、大切なモノもそうでないモノも。
理不尽や不条理、不幸などというクソ下らない塵屑のようなものに壊させてたまるか。世界だとか運命だなんていう陳腐で卑賎な汚らしい概念に好き勝手させるわけにはいかないのだ。
腹に空いた孔から、大量の血が零れていく。
叫び声すら上げることが出来ず、友介の意識は霧のかかった彼方へと向かおうとしていた。
その中で、友介はぼんやりとこれまであった出来事を思い浮かべていた。
走馬灯、というやつなのだろうか。一瞬にして駆け巡っていく思い出は、どれも失ったものばかりであった。
六年前に祖父を失い、祖母が倒れた。
杏里と出会っても幸せになるという意味が分からず、迷い続けた。
そうしている内に、復讐鬼がやって来て、何もかもを壊していった。
その中で出会った大切な少女も、謎の魔術師に奪われた。
そして、今日。
友介の日常の――幸せの象徴であった杏里までも奪われようとしている。
目の前では罪のない少女がその人生を壊される危機に遭っていて。
(クソが……ふざけんなよ……ッ!)
いつだって安堵友介の周りには理不尽が付き纏っていた。
不条理は突然襲ってきて友介とその大切なモノを簡単に壊していき。
不幸という名の狂気が彼からあらゆる幸せを奪っていく。
いつだって奪われ続けていた。
彼自身も、それ以外の人間も。
悪いことなんてしていない。善行を重ねているつもりなのに。
どうして、神様はそれを分かってくれないのだ?
どうして、俺達から何もかもを奪っていくのだ?
(認められるか……ッ!)
戦況は、圧倒的であった。
敵はたった一人。されど神話級の力は絶大無比にして空前絶後であった。
攻撃は無論通らず、あちらから放たれる刺客が唯可達を追い立てる。草次と悪夢が満身創痍となってようやく討ったクラーケンを、ジブリルフォードは表情一つ動かさず、さらに五体も寄越してきたのだ。
力の差がどうだとかそういう問題ではなかった。
数と質両方の面で劣る唯可達は既に満身創痍。外側から状況を俯瞰していた蜜希も様々な手を打っているが、どれだけ手を尽くしたところで水に攻撃は通らない。
ただこちらの戦力が削られていくだけ。知識王と呼ばれた彼女でさえ、焦りを隠さずにはいられぬほどの圧倒的な格差。
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
草次が雄叫びを上げながら敵に突っ込むが、既に得物は使い物にならない。いくら科学圏の技術によって防水効果が施されているとは言っても、これほどの長い時間水中で戦闘することを想定されているわけではないのだ。
ゆえに徒手空拳で戦うことになるのだが、そもそもからしてサイズが違う。いくら改造手術を受けているとはいえ、体格差などという言葉では言い表せない巨大さの前に、草次は為すすべなくふっ飛ばされた。
飛ばされた先にもまた巨大生物が待っており、巨大な触手でもって彼の体は毬のように四方八方へ飛ばされる。
「ごぼ……っ!」
とうとう呼吸の限界が来たのか、草次が苦しそうに喘ぎ始めた。
千矢も、唯可に与えられた気泡があるものの、肩で息をしておりまともに戦える状況ではなく、あの黒騎士ですら限界が近いようだった。
そして、この場の命綱そのものである唯可は全身から尋常でない量の汗をかいていた。だが、しかし……彼女が真に消耗しているのはその心。誰も死なぬように立ち回り続ける彼女は、自分だけでなく他者にまで気を回しサポートを続けなければならない。
もしも一瞬でも気を抜けばその瞬間誰かが死ぬ。そんな過酷な環境の中、集中を維持し続けることがどれほど困難か、余人には理解できまい。
「草加くんっ!」
水流を生み出して草次の体を捉えると、クラーケンの群れから引き剥がし空気を与えた。
「がっ! あ……、あり、がとう……」
唯可は黒騎士にも同じように空気を与えようとしたのだが、黒騎士はそれを拒むかのように猛スピードで離脱した。
あれは、唯可達とは決定的に異なる思惑の元に動いている。故に足並みをそろえることは不可能と見て良いだろう。
「くそ……いったいどうすれば良いんだよッ!」
「嘆いても仕方がない……と言いたい所だが……しかし奴の弱点が何なのか本当に分からん」
「さっきあなた達に指示を出してた人とは連絡が付かないの……?」
「さすがにインカムがだめになってしまってな。もうヒントを得ることも出来ない」
「蜜希ちゃんが何とかしてくれるってのも無理だろうし……」
『ずいぶん余裕だね』
そこへ聞こえてくる使徒の声。ライアン・イェソド・ジブリルフォードはまるで赤子の抵抗を見ているかのように笑いながら唯可達に言う。
『そこで固まっていれば、私の的になるのだが?』
「散って!」
唯可が叫ぶよりも早く、三人の元へ水の砲弾が飛んできた。衝撃が全身を叩き、激痛が響き渡った。
満身創痍と言っても過言ではない彼らへ、さらなる追撃が加えられたことによりいよいよ詰みが見えてくる。
死。
その言葉が身近に感じられる。
外では無人兵器が爆撃を行っているのか、どこか規則的な間隔で爆音がこの水の世界に届いていた。
流れる景色の中、たったそれだけの音を聞きながら唯可は悔やむ。
自分が死ぬのも嫌だし、何よりも己の非力で草次や千矢が死んでしまうことが何よりも許せなかった。
(なんで……なんで私はこんなに弱いの……なんでいつも誰も守れないの……)
誰かを救いたいと思っていた。手の届く範囲にいる人だけは護りたいと願っていた。
償いもそうだけれど。
あの人にふさわしい女であるために。
だというのに、なぜ……?
救いたいと願った人を、空夜唯可は誰か一人でも救えたことはあるか?
母は?
秋田みなは?
安堵友介は?
ナタリー=サーカスは?
みんな、傷ついて、苦しんで、泣いていた。
守りたいと願った少女は、誰かを救えたことがあったか?
(嫌、だよぉ……っ! また、また私のせいで……ッ!)
どうして私は理不尽から誰も救うことが出来ない。
不条理から何者も守り切れない。
不幸な人間に幸福を教えてあげることが出来ないのだ。
それらはまるで水のように、手を伸ばしても指の隙間からすり抜けていく。
(悔しい、よぉ……ッ!)
少年の全身が悲鳴を上げている。
安堵友介という一人の少年が消えていく。肉体精神問わず、少年の存在が摩耗していく。
それでもただ一つ、譲れぬものを貫きたいと思ったから。
まだ、折れずにいられるのだ。
少女の全身が軋みを上げている。
空夜唯可という一人の少女が壊れていく。肉体精神問わず。少女の存在が摩耗していく。
それでもただ一つ、譲れぬものを貫きたいと思ったから。
まだ、折れずにいられるのだ。
「俺は――」
「私は――」
「理不尽を、不条理を、不幸を――」
「絶対に認めない。許さない」
それで誰かが傷付いていいわけがない。罪を犯していない人間が、謂れのない罰を受けることは間違っている。
それがこの世界のルールだというのなら、それは邪悪以外の何物でもないのだと信じている。
しかしそれでも。
世界がそれを是とするのならば。
運命がそれを正義であると断じるのならば。
俺は、
私は、
悪でいい。
「「傷つく誰かを見たくないから――」」
「「残酷な世界からみんなを救い出すために――」」
今ここに、決意を。
運命に刃向かう宣誓を。
同じ瞬間、違う場所で、
彼らは共に誓い合った。
「俺は――」
「私は――」
反逆の徒が誕生する。
「この世のあらゆる運命を、撃ち砕いてみせるッ!」
「この世のあらゆる運命から、護り通してやるッ!」
「「――『染色』――」」
ここに紡がれるは、共に同じ信念を宿した者達の、異なる挑み方。
運命を呪った彼らの、逆襲の誓い。
男は全てを砕くために。
女は全てを護るために。
世界は残酷だと言う。ならばそれ以上の残虐でもってお前を駆逐しよう。
世界は無慈悲だと言う。ならばそれを上回る慈悲でもって、あなたを否定しよう。
「――――『崩呪の黙示録』――――」
「――――『聖櫃の慈母愛』――――」
安堵友介と空夜唯可の『運命への怒り』――それを源泉とした奇跡がここに成る。
最初に。
彼の視界に亀裂が走った。
左目に映る世界の全てが崩れていく。それすなわち世界の否定であり、染色への亀裂となる。
左目に埋め込まれていた崩呪の眼の色が変化する。ゴミのような深緑から、黒と白の反転した禍々しいモノへと変じていく。
彼の否定した運命世界理不尽不条理不幸が瞬時にして木っ端微塵に砕け散った。
それは、崩壊の呪いを宿した黙示録に他ならない。
俺の視界に映る不条理を、俺は絶対許しはしないと。
猛る想いが、世界崩壊への序曲となる。
最初に。
彼女の許可した全ての人間が癒された。
傷が消え、疲労が去り、心が優しい気持ちで満ちていく。
彼女の四大属性を操る魔術が変化する。
それらは混ざり合い、新たな『盾』という概念そのものとなった。
誰かを守りたいと願った彼女の世界が、彼女の味方その全てに波及していく。
水の中でも呼吸ができた。地上と変わらぬように走ることが出来る。力が漲る。己の持つ全力を――否、それ以上の力を引き出し戦える。
絶対に傷付くことはない。絶対に死ぬことはない。
それは聖母の加護に他ならない。女神の愛と呼べるもの。
私の手の届くところにいるみんなを、私は絶対に守って見せると。
慈しむ想いが、人類救済の序曲となる。
狩真の染色に亀裂が走ったその瞬間。
あらゆる機能が一瞬だけ――瞬きにも満たぬ間だけ停止した。常人であれば見逃すほどの小さな隙。針の穴を通すようなその空隙に、しかし風代カルラは対応していた。
「はぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
理屈など知らない。隣の馬鹿が道を開いた。たったそれだけで十分だ。
世界を、運命を、理不尽を、不条理を、不幸を――そして染色を否定する安堵友介の染色が、罪なき人をそこから救い出す光となる。
全てを置き去りにして風代カルラが駆け抜けた。
あらゆる『死因』がカルラを襲うが、それら全てを一直線に潜り抜けて楼門の二階部へ跳躍する。
「――――な、にが……ッッ?」
狩真が驚愕の声を上げるよりもなお早く懐へ潜り込んだカルラは、峰で彼の首を叩き一瞬意識を刈り取った後、四宮凛を引ったくり、そのまま楼門の裏手へと離脱する。
着地と共に反転し、あらん限りの力を振り絞って叫んだ。
「後は任せたぞ、友介ェエええええええええええええええええええッッ!」
「任せろカルラァアアアアああああああああああああああああああッッ!」
無窮の白の大地を蹴り抜いて、安堵友介が疾走した。
『なんだこれは……まさか……染色か!』
気付いた時にはもう遅い。
形勢は逆転していた。外的要素による攻撃を受け付けないという反則級の加護を得た空夜唯可、草加草次、川上千也、そして悪夢の四人は、本来ならば出せない潜在能力まで引き出して襲い来る海の化生を叩き潰した。
草次と千矢と唯可はそれぞれ一匹を粉微塵に、悪夢は二匹を切断した。
海の中でも呼吸が続く。降り掛かるあらゆる攻撃が全て弾かれ、先ほどまで彼らを蝕んでいた全身の軋みが嘘のように消えていく。
敵の攻撃は通らない。あらゆる外的要素は彼らを傷付ける要因になりえない。
しかし逆もまた然り。ジブリルフォードの染色は『海と成る』こと。故に、原則あらゆる攻撃は彼を傷付けることはできない。
そう、原則は。
つまりそこには当然例外があるのだ。
それを今、この場にいる誰もが理解していた。
外界からこの海という染色に向けて行われ続けていた爆撃。そこにある法則性があることに、少女の染色により余裕と冷静さを取り戻した彼らはようやく気付いたのだ。
爆撃を行っていた蜜希は、何もヤケクソになって、無為にジブリルフォードの染色へ火器を打ち込んでいたわけでは断じてない。
モールス信号。
とある単語を伝えるためだけに、鋼の意志で己を律しながらサポート役に回っていたのだ。
爆撃と並行して、ジブリルフォードに関するありとあらゆる情報を精査した。それは過去の情報ではない。ジブリルフォードとの戦闘の中で掻き集めた、彼の言動や染色というなけなしの情報から、考察と推測を積み重ねて手に入れた回答であった。
天才である彼女であるからこそ叶った芸当。
そして心優しい彼女は、その場で何もできない歯がゆさを我慢しながら、彼らが気付いてくれるまで爆撃を行い続けた。ただ一つ――使徒と相対する仲間を想うがために。
して、彼女が伝えようとしていた単語とは……
「イオンだ」
やはりと言うべきか。
彼女の真意に真っ先に気付いた者は、草加草次であった。
「イオンだッ! ジブリルフォードは海になったわけじゃないっ! ここはただの媒体。あいつが存在したいと願った世界でしかないんだ!」
つまり。
「あいつが凪いだ海の世界になったわけじゃないッ! あいつはその世界の異物……塩化物イオンとナトリウムイオンとして浮遊しているッッ!」
男はかつて願った。波一つない、当たり前の幸福が転がった――退屈だが優しい大洋のような平凡な世界が欲しいと。誰もが当たり前に幸福を享受できる優しい世界が欲しいと願っていた。
しかし、彼は描画師。魔術師にして使徒。この世界の異物であり、平凡とはかけ離れた邪魔な存在。
故に。
その自覚が、その諦観が。
染色にまで影響された。
私は優しい世界を望む。しかし私はそこにいてはならぬ異物――それが彼の諦観。
確かに太平の海は素晴らしい。だが、彼が望んだ世界はそもそも海ではない。
彼が欲したのは湖。そこに異物はいらない。塩という名のイレギュラーが存在してはならない。
(そうだ、それでいい)
塩となった彼はイオンとなって世界に浮遊する。故にこの世界のどこにでもジブリルフォードはいるし、どこにもいないと言える。
イオンとなったジブリルフォードを下す方法はただ一つ。
二つに分離した彼を、塩という一つの物質へ戻すことで、実体が現れる。
「でも、どうやってッ!」
悲痛な声を上げる唯可。
イオンを塩に戻すなどという魔術、空夜唯可は持っていない。
方法が分かっているのに、ジブリルフォードを下すための手段が手元にないのだ。
つまりこの戦いの行方は、唯可とジブリルフォード、二人の染色と染色の永久的な鬩ぎ合いになる。どちらがより長く染色を展開し続けることが可能かというただ一点に尽きるのだ。
しかし、その土俵に持っていかれれば、天秤はジブリルフォードへ傾くであろう。染色へ至ったばかりの唯可とは異なり、ジブリルフォードは描画師として既に完成しているのだ。
(どうする……どうすればッ!)
万事休す。
悔しそうに歯を噛む空夜唯可は。
そこで、声を聞いた。
「――大丈夫なんです」
それは、この戦いを勝利へ導くことの出来る少女の到来を意味していた。
褐色の少女がビルからビルへ跳躍し、渋谷の空を駆け抜ける。
凄まじい風圧に耳を叩かれているナタリー=サーカスにも、聞こえてくる爆撃の意味は分かっていた。
イオンという単語を吐き続けるモールス信号。ジブリルフォードという人間の在り方。その願いと諦観を推測して、彼女は即座に己がやるべきことを練り上げた。
どこかで彼女の主であり友である少女が悲嘆しているような気がした。
だから。
「――大丈夫なんです」
彼女の魔術は物質の原子核レベルにおける分解と結合。
宙に浮く澄んだ水の立方体の上面へ両足で着地した破壊神は、右手を中へ突き入れて、友へ繋ぐ勝利の架け橋を造る。
「あなたの友が、ここにいます」
――姫、後は任せましたよ。
そう呟いた後。
「――――『開裂と結合』ァアアアアアアアアアアッッ!」
瞬間。
イオンとなって分離していたジブリルフォードの体が、塩化ナトリウムという一つの物質となり、実体として染色内を浮遊した。
空夜唯可はその機を逃さない。
痛みを押して駆け付けてくれた友の努力を実らせるため、少女は誰よりも速くジブリルフォードの元へと駆け抜けた。
水流を利用して己が射程へ敵を収めると。
「あなたが何かを託そうとしてくれているのは少しだけど分かったよ」
一抹の感謝と。
「だけど、それでも私はあなたがしたことを絶対に許さないっ!」
静かな赫怒を。
『そうか。それでも構わない。――後は任せたよ』
それら彼女の想いの全てを杖の先端へと凝縮した。
利用する属性は火と風。炎の大嵐を、己が敵にして、教師でもあるかもしれない男へとぶつける。
「はぁあああああああああああああああああああああああああッッッ!」
火災旋風は周囲の水の悉くを蒸発させていき、やがて一頭の竜として顕現した。
「『業火旋風・蒼天悪竜』ゥッ!」
この戦乱に幕を引くべく、全霊の魔力をぶつけた。
火竜は海の世界を蒸発させ続けながら、たった一人目掛け飛翔した。
そして。
地を揺るがす爆発の直前。
『――ああ、安心だ。君たちならば……きっと優しい世界を作ってくれる』
――――ありがとう。私の夢は、叶いそうだ。
そうして。
この日最大の閃光が、渋谷の街を昼のように照らした。
疾走と同時、刺さった剣が腹から無理やり引き抜かれ激痛が走るも、友介はそれを無視して駆け抜けた。
死の恐怖も、失血による意識の低下も全て置き去りに。
土御門狩真という男によって、理不尽にも命を落とす人間が生まれることを許せないから。
己が命惜しさにそのような結末を許せるほど、安堵友介の心は甘くはない。
無数の杭が飛来するが、それらの内の五つへ弾丸を打ち込むと、それらはチリのように破壊された。
急所を生み出すための黒点など見えていない。しかしその代わりとして、それら全て、友介が睨むや、杭全体の色合いが黒点と同種の黒へと変じた。
それもそのはず。あの黒点はそもそも、染色に至っていない友介の『崩呪』――その上澄みによる力でしかなかったのだから。
染色へと至った彼は、視界に映る全ての物を破壊するという破格の力を得た。
彼が睨んだ対象は、それだけで物体として脆弱な存在へと成り下がってしまう。
たとえ爆撃を受けても無傷な物体であろうと、彼に睨まれてしまった以上、拳一つでバラバラに砕ける欠陥品となる。
故に。
「ぉおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああッッ!」
土御門狩真が差し向ける死因と言う名のあらゆる障害は。
彼に睨まれ、弾丸を撃ち込まれるだけでチリとなって空気へ溶ける。
加え。
「なんだこの炎……ぬりいな」
炎の中を、安堵友介は苦も無く走り抜けた。
「それにこの氷の大地。冷え込んだ冬の地面って感じで、別に痛くもないし怖くもない」
白の大地に両手を押し付け、滑るように剣の弾幕を潜り抜けながら、呟いた。
「鉄球もさっきより軽くなってるし……なあ?」
「は、はは……おいおいマジか……」
友介の指摘を受けて、狩真が初めて笑顔を引きつらせた。
それはつまり。
「お前、俺にビビってるだろ?」
「は、ははは……カーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ――!」
土御門狩真が、安堵友介に恐怖を抱いているということに他ならない。
「そうだ……そうだよ! 俺は! 俺は今! お前に! 安堵友介に恐怖を抱いているッッ!」
そしてこの男は、それすらも嬉しいと言わんばかりに満面の笑みでそれを認めた。無邪気な笑み。友達と語らう少年のような、年相応の笑みであった。
彼は彼に見合う人間を求めていた。彼は人を殺してしまう。だから殺されないだけの強い人間が欲しかった。
自分に勝てる人間が欲しかった。
土御門狩真は人を殺すことしかできない人間だったから、彼が本気で触れ合っても殺されないような人を求めていたのだ。
攫って欲しかった。この無間の孤独から連れ出してほしかった。
そして無意識下で、彼にとっての強者とは男の事であり、男が連れ去る者は決まって麗しい姫であったから。
彼の姿は染色においては見目麗しい少女のようになる。
それほどまでに。
己の性すらどうでもいいほどに。
彼は、繋がりが欲しかった。
そしてその願いは転じて、この染色の弱点ともなる。
「お前、自分が最強だと思ってんだもんな」
飛来する鉄球を、睨むことなく、拳で殴って破壊した。
染色も崩呪の眼も使っていない。そもそもの強度が脆くなっているのだ。
その証拠に、友介が染色で刻み付けた亀裂は今なお広がり続けている。これが飽和量に達すれば、この染色は崩壊し、友介たちは元の世界へ戻ることが出来るだろう。
「誰も自分に勝てないと思ってるから――」
そして友介は突きつけた。土御門狩真という人間の傲慢を、看破した。
「――その前提が壊れれば、この世界は勝手に自壊するッ! 『俺は最強だ』なんて思い上がったガキの妄想は、自分よりも強い人間が現れれば簡単に壊れるんだよッ!」
友介は狩真の願いや諦観の全てを下らないと斬り捨てた。こいつはただの世間知らずだと、そう断じた。
理不尽も不条理も不幸も何も知らない。
恵まれた環境にいながら、殺人衝動などという妄想に囚われ、自分を律することも出来ないただの夢見がちな痴愚だ。
いたずらに災厄を振りまくこの男に同情の余地などない。
故に彼は、己の怒りを精一杯乗せて、彼を罵倒する。
「お前みたいな自己中野郎に……友達が出来るわけねえだろうがァッ!」
その現実を突きつけられてもなお、土御門狩真は笑っていた。
初めから分かっていたこと。
この男に説得は通じない。安堵友介と土御門狩真は分かり合えない。
交わることのない二つの道。
「堕ちろッ!」
叫ぶと共に羅性門へ弾丸を撃ち込み、狩真の世界の核を倒壊させた。
「キヒッ、キハハッ。キハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! アーッハハハハハハハハハハハハハハ! ヒャハハッ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハッッ!」
瓦礫と共に白い大地へと落ちながら、狩真はこれまで最も大きく狂った声で哄笑を上げていた。
体中に鉛玉を叩き込まれ血を噴き出しながら。
その痛みこそが至高だと言わんばかりに笑っていた。
そして、地面に叩きつけられるその直前。
弾が無くなった銃を放り捨て、拳を振りかぶる安堵友介と目が合った。
交錯は一瞬。
「愛してるぜ」
「死んどけ」
岩のように握りしめられた右の拳が、土御門狩真の顔面にめり込み、吹っ飛んだ。
友介が刻んだ亀裂がとうとう飽和を超え、土御門狩真の染色が崩れ落ちて行った。やがて、無窮の白に色が生まれる。
安堵友介は。
非日常に勝利し、河合杏里のいる日常に帰ってきたのだ。




