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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第四編 戯曲 序
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第六章 科学侵攻 3.重霧

 楽園教会。

 それが『教会』の正式名称。

 噂だけが独り歩きする、魔術圏における都市伝説。オカルト中のオカルト。闇の中の闇。底の底の底の底に位置する絶対的な謎。

 誰も見たことがない。

 存在すら確認されていなかった都市伝説。


 曰く、楽園教会は世界を陰で操っている。

 曰く、楽園教会に属する魔術師たちは世界最強である。

 曰く、楽園教会の魔術師は魔術の秘奥を修めている。

 曰く。



楽園教会の長は〝神〟である。



 そんな荒唐無稽な噂ばかりが世間に出回っている謎の秘密結社。それが〝楽園教会〟だ。


「……――――…………」


 でも、と。そう告げようとした喉がヒクついて動かない。指先を動かせないどころか、喉を震わすことすらままならない少女へ、柔和な笑みを張り付けた貴族然とした魔人は親切に彼女の言葉を代弁した。


「本当は存在しないはず。楽園教会とは、魔術結社群が共謀して作った象徴にすぎない。力を持たない小さな結社が、自衛のために作りだした幻の結社だと……そう言いたいのかね?」


 そう。

 仮にここで楽園教会なる物があると仮定しても、それほどの規模の結社が科学圏と魔術圏、その両方の索敵から逃れ続けることなどありえないはずなのだ。特に科学圏の情報網から逃れ続けることなど、それこそ不可能であろう。


 法則戦争。

 現在でこそ戦闘の数や規模は落ち着いているものの、戦争が終わったわけではない。

 科学と魔術――世界のルールを決める二つの勢力による殺し合いは続いているのだ。

 今日、科学圏の情報収集能力は戦前とは比べるべくもない。兵力で劣る科学圏が今まで善戦してきたのは迅速かつ正確に情報を集め、分析し、利用したからだ。

 つまり科学圏は、魔術圏に関する情報であれば何でも集めようとする。どれだけ小さなものでも、取るに足らない下らない情報であろうと、それらの全てを机上に並べ、吟味し、信じるに足るものであるかを審議する。


 そして、『知識王メーティス』や『アノニマス』を抱える科学圏が、『楽園教会』に関してだけはしっぽすら掴めなかった。それもただの結社ではない。楽園教会は、一説では法則戦争の引き金を引いたと噂されるほどの組織なのだ。

 それはつまり、実在しないということこそが真実であるという証拠になる。

 だが、目の前の男は違うという。


「いや、完全に間違いというわけではない。ただ、事実は少し異なると言うだけの話だよ」


 優しく、小さな子供に言い聞かせるように告げる神父の顔は、やはり穏やかな笑みであった。


「世界の楽園教会に対する認識は、実を言うと一つの真実でもあるのだよ。楽園教会とはかつて小さき者たちが求めた偶像であり免罪符であり、何よりもスケープゴートだった」


 魔術師が穏やかに解説を続ける間にも、唯可は己の四元素の魔術を用いて、果敢にジブリルフォードを攻め立てた。

 しかしそのどれもが、虚空より生み出される大質量の水塊に阻まれる。


「例えば法則戦争の引き金を引いた旧アメリカ……今の総米連邦の首都を襲撃した『教会』は、元はアステカ地域にある、名前も持たない小さな魔術結社でしかなかった。だが、『教会』を名乗り協力者を募り、戦力を集めた結果、彼らの襲撃は成功し、そしてたかが一組織でしかなかった小さなかれらの決断によってこの戦争の戦端が開かれた」


 それは、表の世界で戦争と死の恐怖におびえる人間は誰も知らないが、唯可のような世界の裏側に少しでも触れた者ならば誰でも知っているような、そんな常識だ。

 法則戦争の始まりはとても下らないものだった。ただの思い付きのような行動の結果に起きたテロこそが全ての始まりだった。

 だが、名もなき結社は自らを『教会』と名乗った。


 教会とは免罪符。

 教会とは存在しない生贄。

 どこかの国で、流れに乗ろうという声が上がった。

 どこかの島で、我らも続こうという声が上がった。

 どこかの海で、覇権を奪おうという声が上がった。

 どこかの空で、科学を潰そうという声が上がった。

 どこかの闇で、戦争をしようという声が上がった。


 それこそが法則戦争の始まり。悲劇の最初。

 あっけなく明かされるその事実は、既に常識と化してしまったもの。

 だからこそ。

 そう言った背景があったからこそ、『教会』が存在しないという説こそが真実であると考えられてきた。


 しかし、事実。

 空夜唯可の目の前には、神話級という枠組みにおいてさえ規格外の強さを誇る魔術師が立っていた。

 強き者が、スケープゴートであるはずの楽園教会を自称している。


「そうだ、『吸福の魔女』。私が……神話級魔術師である私が『教会』を自称することこそが意味のないことなのだよ。それくらいは君も理解しているだろう」

「で、も……そんな、の……」


 それは、つまり。


「そうだよ」


 これまでの優しく慈愛に溢れた声音とは一変し、告げる言葉には微かな憂いが垣間見えたような気がした。


「この世界は、もう袋小路だ」

「…………っ」


 楽園教会は、世界を裏から操っているとされる。確証などないが、しかし『教会』が現実に存在しているのだとすれば、その噂もまた事実である可能性は否定できない。

 世界最強の魔術師たちが集う楽園教会という組織に世界が完全にコントロールされているのだとすれば……


「全部、手のひらの……うえ……?」


 いつからだ?

 いつからこの世界は楽園を求める聖職者たちに支配されていた?

 ある種絶望すら感じさせる唯可の呟きに、しかしジブリルフォードは柔和な笑みと共に告げる。


「安心してくれていい、魔女。いくら教会と言えどもそこまでの影響力を持っているわけではない。最強の魔術師が集まると言っても所詮一組織でしかない。何から何まで手のひらの上などと言うことはないだろう」


 とはいえ教会が存在するということは事実。

 最強の魔術師が、少なくともあと九人も存在することが、今この瞬間に確定した。

 あと、九人。

 この化け物のような力を自儘に振るう魔術師があと九人も存在する。


「いや、だよ……」


 終わる。

 誇張なくそう思う。

 彼らが何を目的に動いているのかなど検討も出来ないが、しかしこんな化け物が十人もいる組織が能動的に動けば世界がどうなるかなど、遠くで逃げ惑う無力な人間ですら容易に量り知ることが出来るだろう。


「怖い、いや……助けて……」

「これまでか。少し手間取ったが……まあ良い。ようやく私の目的が一つ達成されたわけだ」


 空に浮かぶ少女が、まるで空に地面があるかのように一歩下がった。

『異端児』ヴァイス=テンプレートにさえも真っ向から立ち向かった勇敢な少女は、その圧倒的な力の前に心が折れてしまった。

『霧牢の海神』に負けたわけではない。

 楽園教会が存在する、この世界に負けたのだ。

 例えばここに、安堵友介がいれば話が変わったのかもしれない。

 いや。

 もしも。


 この魔術師と遭遇するよりも先に、彼の横顔だけでも見ていれば、まだ戦えたのかもしれない。


 愛しい彼を守るためにと。

 その笑顔を思い浮かべて、思い出して。

 巨大な力に立ち向かえたのかもしれない。

 だが。


「では、少しの間眠ってもらおう」


 空夜唯可は、今、一人だった。

 友達であるナタリーも倒れた今、少女の心を強く保たせるものは何一つとして存在しない。


「『重霧の揺り籠(ララバイ)』」


 瞬間、広がる濃霧。数メートル先さえ見渡せないほどの濃密な霧は、球体上に広がり唯可とジブリルフォードが戦闘を繰り広げていた一帯を覆っていた。空に浮かんだ銀霧は、地上からは怪物の卵のようにも見えた。

 そうして、その只中にいる少女は。怪物の腹の中に囚われた少女は、目まぐるしく変わる状況や、これから起こる現象に対する道から恐慌に陥ってしまう。


「ぅ、ぁ、あぁあ……」

「安心して良い。闇討ちも不意打ちもしない。ただ――」


 恐怖で下の回らなくなった少女に語り掛ける優しい言葉が一度切られ、


「%’(=^\#%)9&$898hklo875$’()’0」


 直後、歪んだ。

 唯可は最初、ジブリルフォードが人間の言語ではない何かを発したのかと思った。理解の外にいる子の化け物ならば、人間と別種の生物でもあってもおかしくない。そんな風に思考し――、そして気付いた。

 指先の感覚が、ない。

 それだけではなかった。脳は靄がかかったかのようで、戦況に対する判断を正確かつ迅速に行うことが不可能になっていたし、当たり前のように行っていた魔力の精製が出来なくなっていた。


(ぁ、え……なん、で……?)


 口に出そうとした疑問は、しかし発されることはない。舌が回らずまともに言葉を発することも出来なくなっていた。


(まずい)


 停滞へと近づく思考を無理やりに回転させて、少女は打開策を探し始めた。


(まずいまずいまずいまずい!)


 しかし案らしい案が一つも思い浮かばない。否、何かを考える思考力が時間を追うごとに減っているのだ。


「どうだい、重水の霧に囲まれた気分は」


 科学に疎い唯可は、重水に関する知識を持ち合わせていない。ヒントを与えられておきながら、答えに辿り着くことができないもどかしさ。そして焦燥。


 重水素、というものがある。

 元来、水素の質量数は1である。陽子の数と中性子の数によって決まるこの質量数は、値が異なれば同様の元素であったとしても、物質の物理的性質が異なってしまう。同位体、という言葉くらいは聞いたことがあるだろう。水素の同位体であり、その質量数が2となっている。

 陽子1、中性子1。総じて質量数は2となる重水素。そしてその重水素と酸素の結合によって生み出された物質が重水だ。


 化学式で表せばD2O。


 そして重水は、物理的性質だけでなく科学的性質もまた異なる。

 具体的かつ端的に述べるのならば、重水は毒なのだ。

 人間の体内では止まることなくプロトン――水素陽イオン――の交換が行われているのだが、重水は体内に取り込まれると、その働きを阻害してしまうのだ。その末に待っているのは、人体の死滅。精巧に組み立てられていた人体の神秘のバランスが崩されたことにより、ヒトという一生命体はその活動を停止させてしまう。


 そして唯可は、今。

 その重水がごく少量含まれた濃霧の中に放り込まれたのだ。

 ただの水の比率に加えて、重水の割合は0.1%未満とごく少量だ。

 だが、たったそれだけで。

 ほんの少し気管に紛れ食道を通っただけで事態に悪影響を及ぼしてしまうのだ。


「く、かふ……っ、ぇあ!」


 何も考えられない。思考が純白に染まり、これまでの人生が走馬灯のように蘇った。

 中立の村での地獄。

 安堵友介との出会いと、ヴァイス=テンプレートとの死闘。

 ナタリー=サーカスとの最悪の出会いと、それからの幸せな日常を。

 ナタリーは、ただ総てを削ぎ落とされてきただけの少女だった。

 空夜唯可という少女を西日本帝国の王とするためだけに作られた道具でしかなかった。

 だけど、それでも彼女は人間だったのだ。

 機械のような瞳の中に、花を眩しそうに見る時があった。

 唯可が作った不味い料理に顔を顰めたこともあった。

 バイト先のこれからについてマジメに心配するような抜けたところもあった。


 だから、許せなかったのだ。

 大切な友達の腕を千切った目の前の魔術師も。

 自分を道具だと割り切るナタリー自身も。

 唯可はこの戦いを通じて、ナタリーをほんの少しでいいから救いたかった。君はただの道具じゃないよと。そう言ってあげたかった。


 だが、それは叶わない。

 この先唯可に待つのは完全敗北。遥か高みから見下ろす魔術師に、少女は一矢報いることすらできずに命を散らす。


(く、そぉ……っ!)


 そしてそれを知ればきっと、ナタリーは今度こそ人間として生きる道を見失うかもしれない。新たな道具として使い潰されるかもしれない。

 それだけは赦せない。許せないのに、体は動いてくれなかった。


「では、しばしの眠りを与えよう」


 言葉を最後まで聞き届けることも出来ず、少女は意識を手放す。

 その、直前。

 唯可とジブリルフォードの中間地点で閃光が瞬いた。次いで轟音が鳴り響き、爆炎と轟音が唯可の体を叩いて霧の外へと追いやった。


「きゃっ!」


 可愛らしい悲鳴を上げて隣のビルへ突っ込んだ唯可は、未だ朦朧とする意識を何とか手繰り寄せて、先ほどまで自分がいた場所を見た。


「え……?」


 その光景を見て。

 唯可は言葉を無くしていた。




 その閃光は、何の前触れもなく炸裂した。霧の中は一種の結界と化しており、それはつまりジブリルフォードの触角が張り巡らされているということでもある。

 だというにもかかわらず、人が入ってきた気配はおろか、爆発物が投げ込まれた感覚すらなかったのだ。

 意識の外からの完全な奇襲。それもジブリルフォードを狙ったものではなく、彼の結界たる『重霧の揺り籠』を狙った爆撃。


 つまり、こちらの反撃の機会を先に潰したのだ。

 爆風と衝撃波に流され霧は四散した。既にジブリルフォードの触角は機能を失った。濃霧が消えた後に生まれたのは、粉塵。先ほど倒壊したものとは別のビルが爆撃の煽りを受けて倒壊したがゆえに生まれたものだ。

 これは偶然か、あるいは敵の思惑によるものなのか。

 戦況の変化に置いて行かれないために、魔術師はこの戦況の急変を冷静に受け止めた。突然の闖入者を返り討ちにするために、瓦礫の山の上に立つジブリルフォードは、爆撃の目的を推測しようとして、



 次の瞬間、ジブリルフォードは〝正面〟から飛来する14.7ミリ弾を視認し――、着弾。



 銃弾は確かに魔術師の腹部を貫通し、背後の地面を叩いて爆裂した。粉塵が舞い男の体を隠した。

 次いで五発続けて虚空から『爆』と書かれた札が投げられ――、起爆。男がいる場所を紅蓮の炎で染めあげた。


 パチパチと乾いた音を立て火花を散らす、燃えた地面へ踏み出す影があった。

 何もない空間から融けるように現れたその少年は、動きやすそうなジャージを適当に着用し、背中に大きなギグケースを背負った、茶色い髪の少年だった。


 いつもの人懐こい笑みは鳴りを潜め、今は真剣そのものの表情で今しがた彼らが起こした戦火を見定めた。

 その少年――草加草次は、二丁のアンチマテリアルライフルをそれぞれ片手で、無造作に引っ提げながら口を開いた。


「俺、あーんま女の子をいたぶる男ってのは感心しないんだよね」


 微かな怒気を孕んだその声に、しかし返る言葉には笑いが含まれていた。

 粉塵の向こうで何食わぬ顔のまま立っている男は、その青色の背広に誇り一つ被っていなかった。


「誰だい? まさか一般人ということはないだろうし……新手の魔術師か?」

「ちげーよ」


 どこまでも余裕を隠さないその態度に、草次は若干の危機感を抱いた。

 否、そもそも彼は、魔術師の前に姿を現す前から恐怖で小さくだが震えていたのだ。戦う前から。あるいは、魔女とこの男の戦闘を目撃したほんの数秒前から。


 それでも、チャラけた風貌の少年はそれを表に出すことはない。

 弱気な姿をさらすような真似は絶対にしない。

 理由は単純。

 ここで彼が恐れを出してしまえば、誰があの女の子を安心させるのだ。

 魔女服の少女。どう考えても科学圏の人間ではない不可思議な女の子。そんな子が、何の関係も無いはずの科学圏の人たちを守るために戦ってくれていた。

 ならば、ならば――。


「見て分かんね? 俺が何者なのかって」

「ふむ……皆目見当もつかないね。よろしければ浅学な私に君の正体を告げてもらって構わないだろうか」


 軽蔑も憐憫もない。

 対して草次は、純粋な疑問を投げかける神代の魔術師を見据えた。大口径対物狙撃銃の銃口を真っ直ぐ向け、ちっぽけな人間の力しか振るえない小さな少年は、不敵に笑って答えて見せた。

神話の体現者へ、一歩として退くことなく。



「総ての女の子の味方だよッ!」



 瞬間、喜悦の色を僅かに匂わせた笑みを浮かべたジブリルフォードが両手を大きく掲げ、二十にも及ぶ水の巨人の腕を大地から生み出した。


「いいだろう。ならばこれは試練だ、小さき英雄よ。その信念、矜持、誇り……あらゆる全てを神の体現者たる私に見せてくれ」


 応える声はなかった。

 人の出し得る速度の限界をはるかに超えた速力で駆けた少年が、神の具現者たる神話級魔術師へ真正面から突貫した。

 爆撃にも似た轟音が無数に撒き散らされた。

 ここに新たな戦端が開かれる。


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