第六章 科学侵攻 1.乱入
それは、空からやってきた。
戦闘中、病棟から離れるように移動しながら戦っていたことも功を奏した。
結論から言おう。
友介、カルラ、狩真の三人は、彼方から飛翔した東日本国軍の無人戦闘機から爆撃を受けたのだ。
ミサイル一発。
おそらく狩真を狙ったものだったのだろう。カルラは直感により爆炎の薄い地点へ体を滑り込ませることで、友介は崩呪の眼を使用し爆炎爆風を〝壊す〟ことで、狩真は茨木童子を盾にすることで爆撃をやり過ごした。
それならば、――それだけならば良かったのだ。
爆弾如き友介にしてみれば壊し慣れたものだ。病棟から距離があり、かつ爆炎すらも叩き割ったため杏里に直接の被害が及ぶこともなかった。
そうだ。ここまでは順調であった。
爆心地にて、むくりと起き上がる影さえなければ。
「……あん?」
「こいつ……」
友介とカルラがそれぞれ似た感情を――しかしそれでいて根本から異なる怪訝を抱いた。
影が眼前の空気を切るように右手を振るう。それだけで、友介たちを覆っていた粉塵が綺麗に晴れた。
そうして影が姿を現す。
そこにいたのは、騎士。
黒騎士。
漆黒の兜と鎧を身に着け体をくまなく覆い、左右の腰にはこれまた漆黒の直剣が抜き身のままぶら下がっていた。
「…………ぉ……ぅ……っ」
「あん?」
兜の奥から覗く鮮やかな赤の瞳が友介を射抜くと、
「■■■■■■■――――――――――――――――――――――――ッッッ!」
絶叫――否、発狂した。
風を切るような速度で友介の懐へ潜り込み、漆黒の双剣に手を伸ばす。柄をしかと握り、友介を四つに分断せんと刃を胴に走らせる。
滅殺必殺決殺。逃しはしない。お前だけは赦さない。殺し解体し踏みにじり喰い魂の欠片まで蹂躙する。許しを乞う暇さえ与えるものか。この世の苦しみその全てを受けよ。
たった一つの発狂には、それほどの憎悪が詰まっていた。
突然という言葉すら生ぬるいその事態に、この場の誰もが唖然としていた。
カルラの直感すら置き去りにして、刃が友介を捉える。
死ぬ。
風代カルラの相棒は、この場で果てる。
(させる、か――ッ!)
右腕を跳ね上げ黒刃を弾かんとするも間に合うはずがない。そもそも、その速度からして人外の域である。
カルラの長刀は何もない宙を虚しく切るに終わる。
黒騎士の刃が安堵友介の皮膚に触れる――まさにその直前。
銃声が鳴り響き閃光がほんの一瞬友介と黒騎士を照らした。
黒騎士の表情は依然うかがい知れない。対する友介の目には、驚くべきことに焦りの欠片も存在してなかった。
黒騎士は何かを察したのか、友介が引き金を引く前にはすでに刃を引いて後退していた。後退の速度もまた人外の域であり、カルラの目では追うことは敵わない。それは狩真もた同じ。
しかし友介だけは違った。まさしく風の如く動き回る黒騎士を、この場でただ一人、五感拡張計画による『眼』を持つ安堵友介だけは的確に補足していた。
「誰だお前」
常から悪い目つきを眇め悪人のような面構えになりながら短く問う。
「――――」
しかし黒騎士は答えず、再度突進を仕掛けた。
友介は崩呪の眼を発動し黒騎士の鎧に『急所』を生み出すと、右手の引き金を引いた。
だが――、
「あん?」
黒騎士はまるで予見していたかのように一歩横へずれると音速で飛来する鉛玉をやり過ごした。
「ちっ」
苛立たしく舌打ちを打った友介はさらに銃弾をばら撒こうとするが――、
「待ちなさい!」
間に割って入った赤髪の少女により止められた。
「おい! お前じゃアレは無理、」
「うるさい黙れ馬鹿!」
「はぁッ?」
言い返す間もなく黒騎士が刃を振るう。
しかし此度も黒刃が友介に届くことはなかった。
月光を浴びて淡く光る長刀が、黒騎士の二撃を狂いなく捌いたのだ。
兜の向こうで瞠目する気配があった。それを好機とカルラが攻勢に移る。
双剣を受け流され胴ががら空きにになった黒騎士の鎧と兜の隙間――すなわち首へ長刀を走らせた。紛れもなく殺気を滲ませた一閃。ただし力は込めていない。これは牽制の一手であり、これを躱された次手こそが本命。
黒騎士はこれを、首を横へ振ることで難なく躱すも、それはカルラの想定内。力を入れず放った突き故、続く動作に支障はない。
突きから薙ぎへ即座に型を変えた。
「――――ッ」
あの化け物じみた黒騎士をして瞠目するその技巧。刃ではなく峰の側で打ち据えようという辺り彼女の甘さが滲み出ているが、しかしこればかりはカルラは譲れない。
刀身が鎧と兜の隙間へ吸い込まれていく――側で見ていた友介は驚嘆と共にそれを確信したが、それを阻む一閃が横合いから放たれた。
「キハハはッ、そう簡単にこの状況を終わらせてたまるかっ!」
不快な笑い声を上げてカルラの長刀を弾いたのは、先ほどまで友介が戦っていら土御門狩真が握る野太刀である。
鋼の旋律が大気を震わし、続く茨木童子の咆哮が友介とカルラの動きを一瞬止めた。
「おらよぉッ!」
喜色の声を上げ立ち止まったカルラの脳天目掛け野太刀を打ち下ろす。鬼という上位種の威嚇を受けた友介とカルラを一瞬の硬直の隙を突いた見事な連携だ。
「クソが! どけガキッ!」
刃が髪に触れる寸前、無理やり硬直を解いてカルラを横へ蹴り飛ばすことで凶刃から守ると、大きく空振った狩真の懐へ潜り、その胸板へ愛銃のグリップを叩き込む。
「ご、ぉ……ッ!」
肺の中にあった空気が押し出され息を詰まらせる狩真へ足払いを掛け、盛大に地面に転がした。
地面に叩きつけられ身動きの取れなくなった狩真へ銃口が突き付けられた。
「まずはテメエだ屑野郎ォッッ!」
赫怒の叫びを叩き付け引き金に手を掛ける。急所は狙わない。妹の呪いを解除させる必要もあるため殺すわけにはいかない。
「死ねッ!」
思惑とは裏腹に出た言葉と共に弾丸を叩き付けるべく引き金を引こうとするが――、
「安堵、左に跳べッ!」
カルラの指示に従いなりふり構わず左へ跳んだ。
直後、先ほどまで友介がいた箇所を黒騎士の双刃と茨木童子の大刀が通過した。片や空気を切り裂く鋭い剣閃、片や大気を巻き込む荒々しい剛剣。双方その身に受ければ即死は免れない。よしんば命を繋げたとしても四肢が二つは欠けているだろう。
共に獲物を捉えそこなった狩人達は友介へ向き合う――ことはなく、その場で殺し合った。
凄まじい速度と威力で鉄塊の如き刀を振り回す茨木童子。その斬撃の隙間を縫うように進み懐へ入るや双刃を振るう黒騎士。
茨木童子の皮膚から血が飛ぶが、しかしそれは先ほどカルラが付けた傷には遠く及ばないようなものだった。薄皮を裂いた程度だろうか。致命傷どころか、あの生命体ならば戦闘の最中であっても回復可能であろう。
「■■■■■■――――ッ!」
「■■■■■■■■■■■――――――ッッッ!」
理性の蒸発した二人の凶戦士は本能のまま、しかしそれでいて知略謀略を一合の中に織り交ぜながら苛烈に剣を振るい合う。
茨木童子が鉄塊の如き大刀を大気を巻き込ませながら打ち下ろすが、これを黒騎士は半身になることで難なく回避。背後で地面が割れる気配を感じながら、黒騎士はそれを無視して眼前の鬼へ肉薄する。
「――――」
身の丈の三倍はあろうかという敵の股をすり抜け背後へ回ると膝裏を切り裂いた。その速度は秒間にして五撃という凄まじさ。
友介の右眼でようやく捉えられたその速度に、離れた所で見ていた彼は驚愕を隠しきれずにいた。
「おい!」
「ごふっ!」
半ば呆然としながら戦闘の様子を眺めていた友介は、鳩尾を襲った唐突な激痛により悲鳴ともつかない間抜けな声を上げた。
「お前……ッ!」
「静かに!」
手のひらで口元を抑えられ、抗議の声を止めるカルラに不満そうな目を向けていると、その桜色の唇をゆっくりと友介の耳に近づけてきた。
突然の奇行に対応できずにいると、カルラが小さな声で、
「――逃げるわよ」
「あん?」
承服できない提案に、友介は声を落として一言で拒否の意を伝えた。
対するカルラもその一言に含まれた意味を汲み取ったのか、神妙な口調で理由を続けた。
「いま土御門は新しく現れた黒騎士って玩具に夢中よ。逃げるなら今しかない」
「待て、じゃあ杏里はどうする?」
「杏里ちゃん……?」
低く怒気の孕んだ声で問われたカルラは訝しげな声を上げると、一転顔を青くした。
「まさか……やっぱり何かあったの……?」
「――――」
察しの悪いカルラを、友介は若干苛立ちを滲ませた表情で一瞥するが、彼女に当たったところで事態が好転しない。
友介は自分を落ち着かせるように一度深呼吸をすると、静かな口調で自分の望みを伝えた。
「俺はすぐにでもあのクソを叩き潰して杏里を救ってやりたい。それにあんな奴をここに残していけるか。何人殺されるか分かったもんじゃねえよ。――あいつは、俺たちが追っていた連続殺人事件の犯人の一人なんだぞ」
「……っ、確かにそうね。思慮に欠けたわ。ごめんなさい」
自らの浅慮さに苛立ちを覚え小さく舌打ちを打つカルラ。
「でも、ここでアタシたち四人が戦い続けるのもどう考えても得策じゃないでしょ。アンタが言った通りここは病院よ。どちらにせよ奴らを連れてここを出る必要があるわ」
「ああそうだな。……一応、策がある、けど……」
「何よハッキリしないわね。優柔不断すぎるわ。死んで」
「急に辛辣になって罵倒すんのやめろ」
「無理。アンタキモイし」
「ただでさえ平坦な胸をへこませてやろうか?」
「別にいいけど子供が作れなくなる覚悟はあるのかしら?」
一触即発。非常時であるにもかかわらず、近くで戦闘を行っている敵のことなど放って殺し合おうとする二人を、音の怒濤が襲った。
「■■■■――――ッ!」
「あん?」
「うるっさいわね」
剣呑な光を帯びた瞳を音源へと向けた友介とカルラは、不機嫌を隠そうともしない声音で凄まじい速度で突進してくる黒騎士を迎え撃つ。
「アンタを斬り捨てるのは後よ」
「そうだな。まずは目の前の敵だ」
「「だから」」
そして、二人の声が重なった。
「「死ぬな」」
その時、カルラの口元には小さな笑みが浮かんでいた。カルラ自身でさえ自覚のない微笑は、しかし誰にも見られることなく、凛とした美貌の裏に隠された。
「風代! 俺の案に乗ってくれるかッ?」
「ええ構わないわ! その代わり、あいつらをここから引き離せなければまたアイスよッ!」
「了解! 成功したらお前アイス五個奢れよッ!」
「は、はあッッ? ちょ、まっ、」
「黙れ禿げ」
「禿げてないわ!」
いっそ黒騎士ごと斬り捨ててやろうかと本気で悩んだが無意味だと断じて敵に集中する。
友介とカルラでは、当然だが男である友介の方が足は速い。戦闘のセンスはカルラに軍配が上がるが、身体能力は友介の圧勝だ。故、黒騎士と先に激突するのは安堵友介である。
ただ、安堵友介は五感拡張計画の被験者であるが、所詮視覚の性能を上げただけの特別。崩呪の眼があろうと、カルラと同じく直感と第六感を、極限まで鋭敏化させた黒騎士の神速の双刃を掻い潜ることは不可能であろう。
しかし。
「とろいんだよクソがッ!」
友介が地面に銃弾を放つと、ガラスが砕けるようなヒビが半径五メートルに渡って広がり二人の足場を崩す。
「――ッ」
黒騎士の瞠目する気配を感じ取った友介とカルラは、入れ替わるように前衛と後衛を交代した。
「援護するっ! 風代は何も気にせず猿みてえにチャンバラしとけッ!」
「アンタはいちいちアタシを煽らなきゃ戦えないの?」
「そうだよっ!」
バランスを崩した黒騎士の懐へカルラが潜り込み、友介は中距離から『眼』の補助を得て精密かつ正確な援護射撃を行う。正確無比なその援護は、黒騎士の行動を制限した。
対するカルラは、曲りなりのもチームメイトを信じていた。信頼した。
だからこそ、彼女の動きに無駄はない。背後からの銃撃に恐怖を感じる様子もなく、ただ己の思うままに長刀を振るう。
上段に構えると黒騎士の鎧を断ち斬らんと袈裟を懸けた。だが黒騎士は、目測にて長刀の間合いを完璧に測り、必要最低限の動きのみでそれを容易く回避する。
大振りの後に出来た隙へ黒騎士の双刃が滑り込む。速度と角度、そしてタイミングが完璧な一振りであった。
しかし刃はカルラに届かない。
彼女の背後から飛来した弾丸が刀身を弾き、一瞬の停滞を生み出したことによりカルラに余裕ができる。彼女は身の丈もある長刀でもって黒騎士の双刃を叩き落とすと、攻撃に転じようとして――そこで横やりが入った。
耳を襲う獣の絶叫、その怒濤。
絶対的捕食者たる茨木童子が巨体に似合わぬ速度で彼我の距離を走り抜き、カルラと黒騎士の戦線に乱入したのだ。
決め手となる一手を放とうとしたカルラへ向け、黒檀色の鬼は武骨な鉄塊のような大刀を振り下ろす。
腰を落とし〝攻〟へと己の意識を傾けていた彼女がそれに対応できるはずもなく、受け身も取れぬままに鉄塊が振り下ろされた。
「――はっ」
されど彼女は一人にあらず。その背中は、信じるに足る男に任せていた。
「風代に見えていなくても、俺には見えてんだよ」
安堵友介は馬鹿にしたように笑うと、黒騎士へ向けていた銃口を、カルラへ振り下ろされた鉄塊へ突きつけた。
崩呪の眼を発動し『急所』を作り出すと、弾丸でもって貫く。
瞬間、ガラスの割れるような音が響き渡り、鉄塊が木っ端微塵に砕け散った。
「ナイス。人生で初めて役に立ったんじゃない?」
悪態を吐くカルラの瞳に驚愕はない。元よりこの展開は読めていた。あの男ならこの程度のことしてのけると、風代カルラは知っていた。
対する黒騎士は、未だ防御も回避行動も出来ていない。むしろ突然の乱入で集中が乱されているようだった。
千載一遇の好機だ。ここで仕留め損ねてしまうと戦闘は長引き消耗戦となる。そうすればこの場――病院――は戦場となり、患者達が無事でいられる保証は限りなくゼロになってしまう。
ほんの一瞬乱れた鼓動を抑え付け、風代カルラは大太刀を振り抜いた。
閃く銀の剣閃。吸い込まれるように鎧と兜の隙間へ刀身が滑り込み、
「はぁっ!」
一閃。
黒騎士の体が横殴りに吹っ飛ばされた。声ならぬ絶叫を上げる黒騎士。
「って峰かよ」
「うるさい、これは譲れないわ!」
友介の文句にカルラが不機嫌そうに返事を返した。若干納得のいかない友介だったが、カルラにも胸の内に秘めた信念が存在することを薄々理解していたゆえそれ以上の不満を漏らすことはなかった。
「走るぞ風代!」
「ええ!」
次いで響く友介の鋭い一喝。カルラもそれに呼応するように走り出した――得物を失った茨木童子へと。
「あぁ?」
その様子を少し離れた所から一部始終を眺めていた狩真は、不快げに眉を顰めた。
「おいおいおいおいおい、逃げんなよぉ」
下卑た声を上げる狩真は、表情を一転、口元に凄惨な笑みを浮かべて茨木童子を呼んだ。彼はその肩に腰を下ろすと、
「キハハハハハハハハハハハッッ! んじゃあお望み通り追いかけっこと行くかァッ! 文字通りの〝鬼ごっこ〟だ」
甲高い、人の精神を直接刺すような不快な笑い声を上げて茨木童子を走らせた。
そして、痛烈な一撃を貰い地に伏していた黒騎士は、何事もなかったかのようにむくりと体を起き上がらせると、友介たちが走り去った方角を向き――絶叫。赫怒と憎悪、そして怨嗟を含む咆哮と共に地を蹴り――小さなつむじ風だけをその場に残して疾走した。その速度たるや時速にして六十キロメートル。それは もう、人体に為せる業ではなかった。
「■■■■――――ッッ!」
絶叫があった。
それはまるで、赤子の癇癪の様にも聞こえる声で。
苦痛に塗れた声であった。




