第五章 災厄と最悪の襲来 4.共闘開始
ほんの僅かだけ時を遡る。
飛翔する銃弾を、野太刀が狙い違わず一刀両断する。
対象の左右の頬を擦過した鉛玉は、その背後で剣戟を繰り広げる赤髪の少女・風代カルラと黒檀色の鬼・茨木童子目掛け亜音速で直進した。
一方は少女の持つ大太刀の腹に弾かれ、もう一方は鬼の顔面を直撃。
少女は一度大きく刀を振るって鬼との間合いを開けると、銃弾を放ったバカを一つ睨むと、
「死ねノーコン!」
「黙ってろッ!」
「キヒヒヒッ、おいおい狙いが逸れてんぞぉ?」
「――お前は喋んな」
聞く者総ての人間を不快にさせるような声を上げる金髪の少年に、安堵友介は殺意と憎悪を乗せた言葉と共にもう一発銃弾を放つ。
軽薄な笑みを浮かべる陰陽師の少年・土御門狩真へ向け、銃弾は空気を切り裂き超音速で飛翔する。
左へ一歩ズレる小さな動作のみで弾丸を躱した隻腕の陰陽師は、がら空きになった友介の懐に忍び込み、
「ほらよぉッ! ぎゃはは!」
全体重を乗せた跳び蹴りを鳩尾へ叩き込んだ。タイミング、威力共に絶妙かつ最大。数秒後には地に膝を付け、無様に頭を差し出す『異端殺し』の姿があった――はずだった。
「――おっ」
しかしその目論見は見事に外れる。
未来すら見通すことが可能な友介の右眼は、すでに狩真の行動を先読みしていた。友介は一歩だけ後方へステップを踏むと、狩真の渾身の一撃の威力を殺した。派手に吹っ飛び地面を転がるがダメージはない。立ち上がるなり、友介は左右の引き金をそれぞれ二回ずつ引き鉛玉をばら撒いた。
「ぐ、うお……っ」
辛くもそれを回避する狩真だったが、その一瞬に生まれた隙を利用して友介が懐に潜り込んでいた。胸に肘鉄を見舞うや左足を軸に回転、遠心力を乗せた回し蹴りを狩真の横腹へ叩き込んだ。
「おらよォッ!」
「あ、ぐ……っ!」
衝撃が蹴りを放った脚に返ってくるが、それを無視して無理やり振り抜く。狩真の体は抵抗なく吹っ飛び地面を転がって行った。
転がる狩真へ、友介は追い打ちを掛けるように銃弾を叩きこむ――が、横へ思い切り転がったことにより狩真はこれを難なく回避した。
立ち上がり、野太刀を構えて二丁拳銃を構える友介と相対する。その顔に浮かぶ表情は相変わらずの笑みだ。
友介はその笑みに少なくない苛立ちを抱きながらも、努めて冷静でいようと呼吸を落ち着けた。
怒りは静かに燃やせ。逆上するな。怒りと殺意に任せて戦えば負ける。
己に言い聞かせ、友介はちらりと少し離れた場所で戦うカルラを見やった。
結論から言えば、カルラは完全に防戦を強いられていた。
小さな少女が相対する鬼は、その巨躯から想像できるよう凄まじい膂力を惜しげなく振るう。
しかし、問題はそこではない。
カルラが攻めあぐねているのは、ひとえにその俊敏さと判断力ゆえだ。
筋肉が人間などよりも頑強であり、また人を殺し喰うことに特化した種族であるがゆえ、人間などよりも遥かに速く動き、またその攻撃はひどく精密かつこちらの隙を作り出そうという
賢しいものばかりであった。
「ああもう、ほんっと鬱陶しい!」
悪態をつきながら襲い来る剣舞を全て裁き切る風代カルラは、一度距離を取ると相手の出方を伺った。
『直感』はまだ茨木童子が攻める気配はないと伝えてきている。
『直感』――そう、彼女、風代カルラの持つ異能とも呼べるほどの回避能力、情報処理能力の根底にあるものは『直感』あるいは『第六感』と呼ばれる類のものだ。
かつて、科学圏にて『騎士団計画』という実験が進められていた。
現在は凍結されており詳細は闇に葬られているが、その実験は人間の第六感を開花させ、極限まで研ぎ澄ますという科学の範疇を超えた成果を得ることを目的としており、数多の研究者がその実現可能かどうかも分かっていない研究に熱を注いだと言う。
そして、結果的にカルラは生き残り、『第六感』を完璧に己が力として使用するにまで至った。
実験は成功したのだ。
「――ふっ」
小さく呼気を吐き出し茨木童子の懐に入ったカルラは、渾身の力を込めて大太刀を振るう。だが、刃はその剛皮を薄く裂くだけに留まり決定打を与えるには至らない。
「く、そ……っ!」
「■■■■■■■――――ッッ!」
茨木童子が雄叫びを上げて無骨な刃物を振りかぶる。カルラはそれを直感で感じ取り、すぐさま懐から離脱。バックステップで必要最低限の距離だけ下がり、鼻先数ミリの大気を切り裂く大剣を無表情でやり過ごした。
がら空きになった胴へ再び突進する。切っ先を前方へ固定し刺突の構えを取ると、その矮躯からは想像も出来ぬほどの速度で駆け、茨木童子の水月へと長刀を走らせる。月明りを反射し淡く光るその刀身が、この時ばかりは電光の如き妖しい光を放った。
果たして、刃は急所へと吸い込まれ鮮血を迸らせたが――にもかかわらず決定打足り得ない。
「■■……」
「――ッ」
唸り声のようなものを上げた鬼から何か感じ取ったのか、カルラは冷静かつ迅速に刃を抜き去り再度後方へ跳んだ。しかし、此度の跳躍に先ほどのような余裕はない。技も格好もない、ただ距離を開ける事のみを主眼に置いた回避である。
だが、カルラの大げさな回避行動に反して、茨木童子は攻撃どころか身じろぎ一つ起こさなかった。
(こいつ……)
自分の三倍近い巨躯を持つ鬼を見上げながら、少女は額に浮かんだ小さな汗をぬぐった。
(刺さった刀を自分の筋肉で固定しようとした……ッ)
表情こそ冷静のように見えるが、内心は驚愕で染まっていた。
腹に刀を差されておきながらそのような行動をしたことに驚いているのではない。
眼前の鬼は知能らしきものを持っていることに驚愕を隠せずにいるのだ。
カルラは依然刃を交えた『がしゃどくろ』の事を思い出す。
あの式神は、あくまで術者の命令で動いていたはずだ。安倍涼太が恐慌状態であったことは事実だが、行動そのものは術者の意志によるものであったはずだ。
しかしこいつは違う。この式神は、こと戦闘に関しては己自身で判断し臨機応変に対応しているように感じる。離れた場所で戦う土御門狩真が友介とカルラにバレないよう操作している可能性もあるが、カルラは考える。
「ハハッ、茨木童子の性能に驚いてるって感じだなあ」
思考するカルラの耳に、金属を擦り合わせたかのような不快な声が滑り込んできた。視線だけをそちらへ向けると、友介の放つ弾丸を危なげなく避けながら、軽薄な笑みを浮かべてカルラと同じように視線だけを投げてくる土御門狩真の姿があった。
「涼太との戦闘は上手いこと行ったらしいけどよ、ありゃまだ三流だ。っつーわけで、俺を陰陽師の頂点だと思われちゃぁ遺憾ってもんだぜ」
ケラケラと笑う狩真から視線を外し、黒檀色の鬼を見上げる。
凶悪な双眸の奥に治世は見られない。つまりこれは、狩人なのだろう。人を仕留め喰うことに関する知識のみを持つ賢しいハンター。
その知能を与えているのは、おそらくだが土御門狩真だ。
陰陽師――とりわけ式神使いというのは、扱う妖によってその強さや優秀さが左右されるわけではない。契約した式神をどこまで己好みに改造できるカこそが真髄であるのだ。
例として安倍涼太と土御門狩真を上げれば分かりやすいだろう。
安倍涼太のがしゃどくろは強力な妖であり、その巨大さから考えても茨木童子よりも遥かに強大な妖であると理解できる。しかし彼はがしゃどくろを徒に暴れさせるのみで、そこに知能は存在しなかった。
しかし狩真は違う。彼は長期に渡る茨木童子との対話や修業を経て絆を交わし合い、茨木童子を教育し一人前の狩人にしたのだ。人を狩る鬼に育て上げた。
両者の間に沈黙と停滞が流れた。双方、敵の出方を伺っているのだ。
それはまさしく、思考力を持つ者同士の戦闘であった。
カルラは柄に両手を添え、腰を僅かに落として脚に力を溜める。眦を吊り上げ一つ短くかつ強く呼気を吐き出した後、力の限り地面を蹴りつけた。
再度の突進。しかし此度は先のような速度に物を言わせたそれではない。
すり足を利用した特殊な歩法でもって敵の意識の空白に潜り込むような技巧の極みにある移動であった。
仮に相対する茨木童子が徒に力を振り乱すだけの木偶であればこのような小細工に意味はない。知能を持たず赤子のように暴れ回る相手に技を使うなど無駄な行為だ。
しかし眼前でカルラを待ち構えている茨木童子はそうした有象無象とは一線を画す。これは、理性こそ持たぬが紛れもなく己の脳で思考をする論理生物であるのだ。
ならば――思考ができるというのであれば、どれほど稚拙であろうと技や駆け引きに何らかの反応を示してしまうであろう。
そうしたカルラの推察は果たして正しかった。
目測を見誤った鬼は瞠目する間もなくカルラの一太刀を脇腹に受ける。しかしその実、茨木童子は懐に踏み入られたところでさしたる脅威もないと断じていた。理由は一つ、刃が通らないからだ。いくら技に秀でていようとも敵に届く刃がないのならば意味がない。たとえ蟻が知略謀略を駆使して象の首を噛んだところで大局に影響はない。
――主である狩真共々、それを信じて疑わなかった。
だというのに。
「なっ」
驚嘆の声は意外にも友介の口から漏れた。
血飛沫が舞う。地に斑が落ちる。
茨木童子の脇腹から、鮮血が噴き出ていた。
「なんだこりゃァ……」
その事実に、先ほどまで余裕の態度を崩さなかった狩真が動揺の声を上げた。
「――ッ、はァッ!」
裂帛の気合と共に繰り出される十にも及ぶ剣閃。それらが月明りを浴び淡い光と共に軌跡を残す。
月光の銀が閃くたびに赤の飛沫が舞うその様は、剣舞と呼ぶにふさわしいであろう。
上段から振り下ろされる巨大な刃を、カルラは刀を寝かせることで苦も無く受け流すと、刀を持ち替え頭上の腕を斬り刻んだ。切断とまではいかずとも、決して浅くない傷が四つ刻まれる。
通り抜けざまその脇腹に一太刀浴びせ、背後を取ると二閃。クロスに背を裂くと大きく後退。鬱陶しげに振り回された鉄塊を避けるや、ふんと鼻を鳴らした。
「何よ。怖がるほどでのものでもないわね。ちょっと早く動ける木偶の坊ってところかしら」
挑発でもなんでもなくただのつまらない事実として吐き捨てるカルラ。
その様に友介は驚嘆し、狩真は絶句する。
なおも追撃をしかけるカルラを見た狩真は瞬時に思考能力を取り戻すと、舌打ちを打ち一喝した。
「交代だ茨木童子ッ! テメエにそいつは荷が重いッ!」
野太刀を携え駆けだす狩真――そこへ総計十にも及ぶ弾丸が飛来した。
「――ッ、」
狩真は気だるげに振り向き、被弾するであろう弾丸総てを叩き落とした後、右目を眇めて友介を睨んだ。
「おいおいおいおい……あんまイライラさせねェでくれよ。お前はタイマンでやりてえんだよ。余計な邪魔をさせねえためにも、あいつを殺させてくれよ」
相変わらず軽薄な笑みを浮かべる狩真に、優位に立っているはずの友介の心がささくれ立つ。
「まあいいか。時間がねえんだ。もっとも当初の目的はテメエだからな。別に殺すのはやぶさかじゃね、」
しかし言葉は最後まで続くことはなかった。
地盤がめくれ上がるかのような衝撃が渋谷を襲ったからだ。
地震ではない。
例えるならば、そう――隕石。
巨大な物体が地上に叩き落とされたかのような局地的な衝撃が友介を含めた四人を襲った。
「な、あ……?」
間の抜けた声を上げる友介だったが、それも致し方ないだろう。
視線の先。その方角には渋谷の代名詞ともいえるスクランブル交差点がある。二年間の復興の象徴とも言えるその場所に。
氷山が、刺さっていた。
「なんだ、あれ……」
「う、そ……」
カルラも同じく戦いの手を止めてその非現実的な光景に絶句していた。
なんだあれは。ありえない。非常識とか異常とかそういう次元じゃない。
あれは根本的に異なるものだ。友介も、カルラも、狩真も、茨木童子も。あれは、本質の部分で異なっている。あれを引き起こした者は人間ではない。よしんばその心を持っていたとしても、その根底にある深層心理、あるいは渇望は、極大の歪みと絶大な重さを持っているに違いない。
天災という言葉すら足りないその現象に固まっていた友介たちは、そこで更なる異常を目撃することになった。
氷山が、溶けた。
高熱に晒されたようにみるみるうちにその体積を減らしていった。
何もかもが狂っている。
(あんな……)
氷山が消え去りようやく思考能力が戻る。考える気力が沸き上がってくる。しかしだからとて、理解できたのは――、
(あんなモンを起こす化け物が、少なくとも二人、ここにいるのか……?)
絶望。
六年前の地獄を彷彿とさせる絶望が、安堵友介の全身を寒気という形で走り抜けた。
そして。
安堵友介という人間の心象――その奥で眠っていた化け物がむくりと起き上がった。
未だその事実に、彼は気付いていない。
☆ ☆ ☆
先ほどの氷山の一撃で人払いの術が破壊されてしまったのか、外は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
いつかの地獄、そして一人の魔術師が引き起こした狂乱を彷彿とさせる光景だ。我先にと逃げる彼らは家も財産も捨て、命を守ることだけを考える。
唯可が現在いるクリニックも、院長を初めとした全員が逃げてもぬけの殻となっていた。空き巣に入っているようでバツの悪い気持ちになるが、緊急時なのだから仕方がない。
唯可の前に置かれたベッドの上では、友人であるナタリー=サーカスが苦しそうにうめき声を上げながら眠っていた。腕を飛ばされた激痛が今になって蘇ったのだろう。小さな少女が失った片腕を抱いて苦しむ様は悲痛の一言であった。
「くそ……っ」
治癒の魔術を施しはしたが、専門としていないため効果は薄いであろう。痛み止めにすらなっていない。
「くそ、くそ……くそっ!」
冷静さを欠いている。そんなことは分かっている。
今すべきことはライアン・イェソド・ジブリルフォードを一刻も早く撃破し、街の人々を脅威から守ること。間違っても何もできなかった自分に腹を立てている場合ではない。
そんなことは分かっている。分かっているのだ。
だけど……、
「無理、だよぉ……」
海のように美しい碧眼から、雫が落ちた。そして一滴落ちたそれがきっかけだったのだろう。
腕の消えたナタリーの姿を見た瞬間からずっと堰き止めていたダムが決壊したことで、滂沱と涙を流しながら子供のように泣き喚いた。
「無理、無理だよこんなの! 勝てないよ! つらいよ……早く、ナタリーを治してあげたい。ここから逃げて、知らんぷりしたいよ……ッ!」
しかしそれは出来ない。
あの日に決めた生き方を今さら変えるなんてできない。許されないし、唯可自身が許さない。
だからこれは、ただの弱音。ストレスの発散で、ひとしきり泣き終わったら『少女』ではなく『魔女』として立ち上がり、外へ出て魔術師と殺し合いを演じなければいけない。
この行動は準備運動みたいなものだ。
規格外の存在である魔女として力を振るうにあたり必要な儀式のようなもの。
だから。
だから今は、何を言ってもいい。
何を言っても許されるし、誰憚ることなく泣いてもいいのだ。
今一番欲しいものを、ねだっても許される。
「助けてよ……」
何度繰り返しただろうか。何度呼んだだろうか。
「助けてよ友介! あの時みたいにカッコよく助けに来てよッ! 会いたいの! 会いたいって思ってるんだからそれを察知して会いに来てよッ! 慰めてよッッ! 抱きしめてよ……ッ!」
膝から崩れ落ちて、ベッドに顔を突っ伏したままわんわんと子供みたいに泣いた。
「う、うぅ……っ、会いたい、よぉ……っ!」
助けてほしい。
だが、少女は知っていた。
助けなんて来ない。
会いに来てくれるわけがない。
こんな慟哭に、意味はない。
だから――、
「――――っ」
立ち上がらなければいけない。
守ってくれる男はいない。
守らなければいけない友がいる。
ならば駄々をこねている場合ではない。
か弱い乙女ではいられない。
絶対的な魔女として戦う。
守るために。救うために。助けるために。
手の届く範囲遍く総てをこの世の不条理から守り抜いて見せる。
かつて誓ったその決意。今なお胸の内で燃やし続ける永遠の願い。
涙をぬぐい、立ち上がる。
近くに立てかけてあった杖を手に取りローブを翻してナタリーに背を向ける。
そうして何かのスイッチを切り替えるように、彼女は静かに呟いた。
「――行ってくる」
その呟きに先ほどまであった少女の弱さはない。
その瞳に宿るは闘志。
その背に負うは友と民草の命。
「守れなかったことを悔やむより、守るために戦うんだ」




