第五章 災厄と最悪の来襲 1.励起
(私は、あなたを守るために生まれてきました)
声が聞こえる。
敬愛する魔女の声。慕い上げるたった一人の少女。
使命ではなく感情からの行動だ。
大好きだから。守りたいから。だから私はこんな行動を取ったのだ――ナタリー=サーカスは、自信を持ってそう告げることが出来る。
右肩から大量の血液が噴き出ている。己の一部であった右腕は既に蒸発しこの世にない。
『破壊技師』ともあろう己が、とんだ不覚を取ったものだ。
たかが枢機卿一人に片腕をもがれるなど、愚の骨頂と言う他ない。
残りの『禍葬王』が聞けば失笑するだろう。
だがこれでいい。
これでいいのだ。
私は、『教会』を裏切ってでも空夜唯可のために戦いたい。
たとえ死んでも構わない。
生きることに理由などいらないと教えてくれたあなただから。
『魔女』を守るために『教会』に育てられたナタリー=サーカスだが、『教会』の思い通りに動いてたまるものか。
『魔女を守るために生きろ』
そんな呪いを解いてくれた。
(姫……)
彼女に笑顔を取り戻させるために戦う優しくて強い少女。
たった一人のヒーロー。そのために死ねるのであれば本望だ。
与えられた理由ではない。生きるための理由ではない。
これは、生きる過程でどうしても成し遂げたいことだ。
ナタリー=サーカスは立ち上がる。
第九神父。『霧牢の海神』。貴様の相手はこの私だ。
そう告げようとした、その瞬間だった。
「覚悟は良い?」
普段の穏やかな唯可からは想像もできない、赫怒の満ちた声が耳に届いた。
「ひ、め……――っ」
直後、腹に衝撃。ついで睡眠の魔術が施されナタリーの意識は闇の底へ沈んだ。
ナタリーが眠りについたのを見て、唯可は治癒の魔術を施し止血を行った。
空夜唯可は虚空から杖を取り出すと、一閃。風を巻き起こし粉塵を吹き払った。
吹きすさぶ暴風。魔女帽子が落ちないよう、唯可は片手でしっかりと頭を押さえている。
「返事は? 覚悟は良い? ――って聞いたんだけど」
唯可が語り掛けるは、眼前にて優雅な笑みを浮かべる『教会』の幹部・枢機卿の一人『第九神父』ライアン・イェソド・ジブリルフォードだ。
ジブリルフォードの位置からは、唯可の顔が帽子に隠れて見えていない。だがその声色だけで、空夜唯可の胸中に赫怒の嵐が暴れていることは明瞭だ。
「答える気はないんだね。ならそれでも良いよ」
そうして空夜唯可は顔を上げ、叫びでもって己の怒りを叩き付けた。
「私の友達に手を出したことを、絶対に後悔させてやるッッ!」
瞬間、唯可の手に収められた杖から業炎と暴風が吹き荒れた。
それは彼女の戦闘の合図。『魔女』たる少女の覚醒だ。
「――『励起』――」
それは起句。魔術師ならば誰もが至る解放位階。己が妄想を確固たるものとして外界に顕現させる法だ。妄想の具現化。規格級であろうと伝承級であろうと神話級であろうと関係ない。
ヴァイス=テンプレート、安倍涼太、土御門狩真。
みな、起句を告げるまでもなくそこへ至っている。
ではなぜ唯可はあえてその起句を口にしたのか?
問いに対する答えは明確。
それは宣戦布告。
空夜唯可はこう告げているのだ。
「あなたは、今この瞬間から私の敵だッ!」
布告と同時、唯可は杖を力の限り振るう。
地を揺るがすが如き轟音が轟き、炎を纏いし竜巻が一直線にジブリルフォードを襲う。
対する海神の対応はシンプルかつ当然のものであった。
「愚かだ」
微笑を湛えたまま片手を突き出すと、半径五メートル、厚さ十メートルにも及ぶ水の盾を展開。
衝突と同時に轟く水盾の蒸発音。コンマ一秒にも満たぬ間に蒸気が噴き暴れた。
竜巻と盾は拮抗し、しばらくの間膠着状態が続く。が、それも時間の問題であろう。水の盾は徐々にだが確実に削られており、あと十数秒もせぬ内にジブリルフォードを守る盾は蒸発してしまう。
故、これは時間稼ぎであり、かつ目くらましとして利用した。
「感情のまま戦うことがどれほど愚かなことなのか。教えてあげよう、『吸福の魔女』よ」
その呟きは空夜唯可に届いてはいない。
「安堵友介も確保したいところだが、まずは君だ。空夜唯可」
薄い笑みが濃くなる。それは勝利を確信した男の笑み。
「呑み込め――『海神の咢』」
刹那、展開していた水の盾から二つの水柱が横へ伸びた。長さ三十メトルに届くかというほど。水平に伸びたその水柱は、さらにその形態を変化させていく。
それは顎。竜が首を横に傾けたかのように見えた。地に水平に首を傾け、人を喰らう様相を連想させる。水柱から伸びる牙が、空夜唯可とナタリー=サーカスを標準する。
そして――、
閉じた。
大気そのものが爆発したかのような音が渋谷を揺るがす。
これで終わり――――そんな、つまらなくあっけない終わり方は、魔術師と魔術師の戦いには存在しない。
再びの蒸発音がジブリルフォードの耳を撫ぜた。
「ほう」
それは心からの感嘆の声。
「まさかあれを防がれるとはね。……いいや、それどころか――」
空夜唯可が立っていた場所に赤い球体が存在し、海神の咢から唯可とナタリーの二人を守っていた。
「舐めすぎだよ」
「――逆に私を喰うか」
「『岩熱剣・地龍疾走砲』」
赤い球体――その正体はマグマの塊だ。四大元素『火』と『地』を掛け合わせることにより使用できる超高熱のエネルギー体である。
ジブリルフォードが使用する魔術は『水』でなく『海』に属するものであるため、雷の魔術を扱えるものならば簡単に勝てた。
だが、唯可の手持ちに雷の魔術はない。
加え、ジブリルフォードが扱う水量は破格だ。ヴァイス=テンプレートが扱う量とは比較にならぬほどの体積を誇るあの水に、ただ風や地の属性を持つ魔術を行使したところで呑み込まれることは自明の理。当然ながら水属性の魔術を使うなど論外、火などもってのほかだ。
ならば諦めるか? 大切な友を傷付けられた。未来ある少女の片腕を吹き飛ばしたこの邪悪を見逃すというのか?
――否だ。断じて否。
そのような結末はありえない。そのような決断は存在しない。空夜唯可の中に、そんな弱い心は存在しない。
あの時の彼のように。
空夜唯可も、ギリギリまで足掻いて、笑われるほど踊って見せよう。
だからこその溶岩。圧倒的な水量に火は消され、水は呑まれ、風は受けられ、地は削られる。故、単体で及ばぬならば掛け合わせて届けばいいだけのこと。元より彼女の魔術はその多様性にこそ真価があるのだから。
唯可は杖を剣のように持つと、刺し貫くかのようにそれを前方へ突き出した。
瞬間、顕現する赤熱の地龍。地龍は凄まじい勢いで海を割りながら、ジブリルフォードへと突進した。
閃光が地面を焼き、轟音がビルを砕き、爆炎が大気を焦がす。
魔術師と魔術師の――否、神話と埒外の戦いがここに幕を開いた。




