間章Ⅱ とある主従の出会い
最初、空夜唯可にとって、その少女は敵だった。
ヴァイス=テンプレートによる狂乱が、安堵友介という一人の少年の手で幕を下ろされた後、二人の前に姿を現し唯可を友介と引き離したナタリー=サーカス。自らを神話級魔術師と名乗り、友介の命を使って唯可を脅した憎き魔術師は、しかし道中こう言ったのだ。
「あの……ここはどこなんですか?」
「…………………………………………いや、知らないよ」
「でも姫の方が年上なんです」
「いやだから……」
ナタリーは唯可と友介を引き離した敵だ。だからこの時の唯可はまだ、ナタリーのことが嫌いだった。
敵なのだから当然だろう。
どれほど可愛らしい容姿をしていようとも、この少女が瀕死のヴァイスを殺し、友介を脅して唯可を攫ったことは事実なのだから。
だから、唯可は敵に対して当然の処置を取った。
「あなたが私をここに連れてきたんでしょ? 私は誘拐されてるの。そんなの私が知るわけないよ。それともまさか、私のこと馬鹿にしてるっ?」
声音こそ静かなものだったが、ふつふつと湧き上がる怒気までも止めることはできなかった。声には苛立ちが多分に交じっており、言葉の最後で恨めしくナタリーを睨んだ。
おそらくこの後、この少女が何を言っても唯可は激怒する。声を荒げ、杖を取り出して先制攻撃を仕掛けることだろう。その結果が敗北であることなど分かっている。それでも唯可は。自分の感情を抑えられるとは思っていなかった。
だから。
「う、ご、ごめんな、さい……なんです」
まるで母親に怒られた子供のように、小さくなって謝罪したナタリーに毒気を抜かれてしまった。
胸の前で両手を絡ませばつが悪そうに顔を背けるナタリーを見て。
ようやく唯可は、目の前の魔術師がただの小さな女の子であることに気付いた。
「なんで……?」
その瞬間。
そのたった一言で。
空夜唯可は、目の前の魔術師を――ナタリー=サーカスを憎み切れなくなってしまった。
きっと彼女は、何歳も年上の女の人に起こられて怖かったのだろう。
本当に、道に迷って不安だったのだろう。
唯可を連れてきたのだって、もしかしたら彼女にはどうにもできない理由があったのかもしれない。
「あのさ」
「う、ちょ、ちょっと待ってくださいなんです……! あの、あの……すぐ着くように頑張るんです……」
ナタリーの表情は、さして変わっていないように見えた。ずっと笑ってこなくて、顔の筋肉を動かすことに慣れていないのかもしれない。襲撃の際、眉ひとつ動かさなかったのはナタリーを見て、唯可はこの少女を冷徹で感情のない魔術師だと思っていた。
だけどきっと、違うのだ。
違う。
本当にそうなら、あんな泣きそうな声を出さない。感情がないのではない。感情を表に出すことを知らないのだ。
神話級の魔術などという、人の限界から逸脱した力を自儘に振るう少女が、まともな育てられ方で生きてきたわけではないのだから。
彼女も、被害者だったのだ。
「ナタリー」
「……は、はい」
怒られると思ったのか、ナタリーはなかなかこっちを見ようとしてくれない。
ああ、この仕草も、とても子供らしいな――唯可は、口元に笑みを浮かべてそんなことを考えていた。
今まで感じていた怒りなんか、どこかへ飛んで行ってしまっていた。
「こっち向いて?」
「……はい」
――――だから。
「ばぁっ!」
「っッ!」
振り返ったそこに、変顔を披露した唯可がいた。突然出された大声にびっくりしたナタリーは、肩を大きく跳ねさせると、近くに落ちていた空き缶に足を取られてすっ転んだ。
「あ」
友介には絶対に見せられないような、女同士でいる時にしかしないような不細工な顔を元に戻して、唯可は小さく吹き出した。
「ぷはは」
地面でうんうんと唸るナタリーを見て、唯可は思う。
(やっぱり悪い子じゃないんだ)
「ごめんね、びっくりした?」
「あの……」
「さっきは怒ってごめんね。ちょっと大人げなかったね」
「いえ、そんな……」
俯いて恥ずかしそうに謝罪する唯可に、ナタリーが否定の声を上げた。しかし唯可は、それを全部聞こうとはせず、こけたナタリーを立たせるために手を差し伸べた。
「でも、もう怒ってないから。ほら、立って?」
差し出された手を、おそるおそる掴もうとするナタリー。唯可はそれをまどろっこしく感じ、自ら少女の手を握って地面から立たせてやる。
「ほうら、手広げて。汚れちゃってるし。帰ったら洗濯しないとだよ。って家がどこなのかとか分かんないか」
「あの……」
「はい、うるさいうるさい。怪我は大丈夫?」
ぱんぱんと服を叩いて汚れを落とす。
それはきっと、端から見れば姉妹のように映ったかもしれない。
「はい、できた!」
もしそうなら、良いな――唯可はちょっと前とは全く違う感想を胸の中で抱いて、
ナタリーの手を握ってやった。
「――ぁ……」
「ナタリーには申し訳ないんだけどさ、私、王女様にはなれないよ」
「へ?」
「だって」
ぽん、と頭に手を乗せて、唯可は慈愛に溢れた笑みを浮かべた。
「ナタリーを、育てなきゃだもんっ」
唯可はこの時誓った。
絶対に。
絶対に、取り戻してみせる。
――――今、彼女が浮かべているはずの『笑顔』を。
――――失われた大切なモノを、絶対に取り戻してやる。
それが、空夜唯可とナタリー=サーカスの出会い。
大切な友達との出会いだった。




