継章 悪夢の胎動――狂乱悪化://混沌
東京スカイタワー。
午前に安堵友介達を招待した部屋に似た、人形だらけの空間の中に、気だるけな表情でタブレット端末を弄る少女の姿があった。
いつものような軽い調子はどこにもない。かといって真剣な表情をしているという訳でもなく、しかし何も考えず呆ているだけという訳でもないような、そんな判別の付かない表情だった。
「めんどくさいなあ」
そのたった一言に、少女の全ての感情が込められていた。
切れ長の目は眠そうに細められており、いつもなら横で縛っている黒い短髪も、今は流していた。
彼女には今の状況がはっきりと分かっている。
神話級魔術師と伝承級魔術師が揃って渋谷に潜り込んでいた。
片や『教会』の『枢機卿』——第九神父にして『霧牢の海神』の異名を持つ化物。ライアン・イェソド・ジブリルフォード。
片や日本最小にして最強の魔術結社『土御門本家』の精神異常者。天才陰陽師して『童子纏い』の異名を持つ土御門狩真。
はっきり言って、こんな用意も何もしていない状態で戦うのは無謀以外のなんでもなかった。
だが。
「めんどいなぁ」
光鳥感那の表情に、焦りの表情はない。
ただただ疲労感のみが覗いていた。
「歩くのしんどいんだけどさ……」
ぼやきながら緩慢な調子で立ち上がった光鳥感那は、ふわと欠伸をしながら近くの扉へ向かった。
「——と」
扉が開かれ真っ暗闇の空間へ出た。
例えばここに灯りがあれば、ここが巨大な円柱の内部だということが分かるだろう。
今は目が慣れていないため見えにくいが、すぐ前には階段が下へ下へと続いている。鉄製の無骨な階段。彼女はそこへ何の躊躇いもなく足を進めた。
カツン……カツン……カツン……、と。
ゆっくりとした歩調で階段を下っていく。
靴音が広く深い空間にこだまする。音はどこまでも反響し、やがて光鳥感那の耳へと収束される。
ただただ下る。
下りて。
下りて。
下りて。
下りて。
空間の最下層まで下り切った所で、光鳥感那は目の前に錆びた鉄扉を見つけた。
何年もの間開けられることのなかった鉄扉だ。
「ちょっと早くなっちゃったねえ」
適当な調子で呟いた声が、空間の真上まで届き——そして反射されて光鳥の耳に届いた。
彼女は大した感慨を抱いた様子もなく、乱暴に鉄扉を開け放った。
先に広がっていたのも、やはり無骨でくらい空間だった。
だが、先ほどとは全く異なる点がある。
この空間には、人間がいる。
微かに耳に届いてくる息遣い。
封印されていた間、中で眠っているのかと錯覚してしまいそうだ。
「まあ、あながち間違いでもないんだけどねえ」
そう言って、彼女はその人間が暮らしている『檻』の前まで歩いた。
「やあ、調子はどうだい? 悪夢」
まるで仲のいい友達に話しかけているかのような軽い調子。
それに対して、『悪夢』と呼ばれた何者かが僅かな反応を見せた。
ク……ッ、と僅かだけ視線をこちらに寄越す。
光鳥はポケットから取り出したジッポーの火を点けて灯り代わりにする。
すると、光鳥の前に黒い騎士鎧を纏った男のシルエットがぼぅ、と浮かび上がった。
「…………っ」
鎧越しなためか、声がくぐもって聞こえる。
「喜べ少年。君に仕事が舞い降りた。外へ出られるチャンスだ」
「————ぁ……」
光鳥の言葉に、『悪夢』が僅かに反応した。
「出たいか?」
こくりと首を縦に振る。
瞬間、光鳥の表情に暗く残酷な笑みが張り付いた。
「よしよし、ならお望み通り出してやろう」
直後。
『悪夢』の背後の壁が木っ端微塵に砕けた。
外に広がるは狂乱と化し始めた東京の街。
淡い月光が『悪夢』の黒鎧を薄く照らす。
「産声を上げろ、第二の騎士よ。醜悪なその魂で全ての福を喰い尽くせ。脆く、弱く、醜く、無様に。君は此の世界の誰よりも劣っているのだから」
ゆるりと振り向いたその先に、騎士(少年)が憎んだ世界があった。
「復讐するはその剣に。二対の黒翼で骸の山を築くがいい」
「ォォぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアああああああああああああああああああッッ!! ■■■■■■■■■■■■――――――――――ッッッ!!」
世界の許容を超えた邪悪の咆哮が、東京の空に轟いた。
黒い影が月光を浴びて空を舞う。
崩壊した日常は狂乱となり。
狂乱は、混沌へと変貌した。
定石など通用しない。
あらゆる災禍が世界を押し潰す。
「役者は揃った。舞台は整った。楽しい戯曲と行こうじゃないか」
戦争が、始まった。
To Be Continued
第三編終幕。
そして始まる序章の終わり。




