第三章 知らない事実と彼女の思い出 2.理想郷
「まずは魔術についてだ」
光鳥はそう言うと、人形のプールにどかりと腰を下ろすと、その中に手を突っ込んでポテチを取り出した。味はのり塩だ。
「魔術ってのは、ようは妄想を己の寿命を使って現実にする力だ。控えめに言ってもチートかな。まあ寿命を使うっていう点からただのチートって訳じゃないんだけど、そんなの僕らには関係ない。虚空から炎球が現れればひとたまりもなく殺されてしまうし」
次々とポテチを口に運びながら、少女はさらに続ける。
「そしてその魔術でもって魔術師が行おうとしていること。これが大切なことなんだよ」
「魔術師が行おうとしてることだ? そりゃ一体何だ」
「気が早いねえ」
急かす友介に光鳥がはあと嘆息を漏らす。それに取り合わずに友介はさらに畳み掛けるように問うた。
「普通に生活する上ではそんなチート必要ねえだろ。寿命を削ってまで欲しいもんか? 奴らが戦争をおっ始めてでも欲しかったもんてのは何なんだ」
「世界」
その短く、簡単な――それでいて途方もなく大きな物に、友介は驚顎や戦慄よりも疑問を先に覚えた。
「何でそうなるんだよ。あいつら魔術師は全員世界征服をしたがってるってのか?」
「まあ当たらずとも遠からずといった感じかな。ただ、世界征服ってのはちょっと違う」
「どう違うのかしら」
「詳しくは世界征服じゃない。世界変革だ」
「変革?」
のり塩を食べ終わった光鳥は、再度人形の中へ手を突っ込んで新たなポテチを取り出した。袋を開けてボリボリと頬張る。口をリスのようにパンパンにしながらピッと千矢を指差した。
「だろ? 千矢くん」
「そうだな」
突然千矢に話がふられた意味が分からず、友介とカルラは混乱する。が、光鳥はそれに取り合わない。彼女は千矢から視線を切って天井を仰ぎ見た。
「より具体的には今の科学法則で塗り固められた世界を、魔術法則のみで作られた幻想の世界に塗り替えること。それが彼ら魔術師の願いだ。……ああいや、ちょっと違うか」
「逆だな。幻想の世界を望んだ人間達が、その悲願の実現のために魔術を習い、魔術師となった、の方が正しい」
光鳥の否定を、千矢が補足した。なぜ千矢がそんなことを知っているのかいまいち理解できていない友介とカルラが、互いに顔を近づけて小さな声で内緒話をした。
「ねえねえ、何でアイツあんなに魔術圏に詳しいの?」
「さあな。もしかしたら魔術師なのかもな」
「なるほど」
密談完了。
二人はすっと顔を話して千矢へ無遠慮な視線を投げた。カルラが問う。
「アンタ魔術師なの?」
「そうだ」
言葉と同時。
千矢の姿がその場から消えた。
そして。
「ほおら。こんな風にな」
「っ!」
友介のすぐ背後で声が上がった。
驚いた友介は身を翻して声から距離を取る。
正面を見据える。そこには、つい先ほど五人の前から姿を消した千矢が立っていた。眼鏡をクイと上げるその動作が、初めて会った時となんら変わっていない。友介にはそれがえらく癇に障る。
「はいはい、喧嘩しない。じゃあ続けるよ」
光鳥は口の周りにポテチを付けたまま、横へ逸れた話を軌道修正した。
「とは言ってもまあ、話せることなんてこれでほぼ全てなんだけどね……。後は安堵友介くん、君個人にしか興味のない情報しかない」
「唯可のことか?」
声に若干の期待がこもる。カルラもその感情の機微に目敏く気付き、不思議そうな顔で彼の横顔を見た。カルラの無遠慮な視線に気付いていない辺り、相当重要なことなのだろう。
「先に言っとくとけど居場所が分かったとか、どこで何してるとか、そういう細かいことは分かっていないよ。ただ漠然と一つだけ」
すると光鳥は心底ウンザリしたような顔のままため息を吐いて、
「空夜唯可は西日本帝国の王座には就けなかった。彼女は王族の地位を得られず、どこかで細々と暮らしているらしい」
そう言い放った。
それにはさすがの友介も困惑を隠せない。
「ちょっと待ってよ……。何でだ? あのチビは、じゃあ、どうして唯可を連れ去ったんだ?」
「簡単だよ。王座に就くに値する魔術師は他にもいたってことさ」
「でもそんな……それじゃあまるで、一つの国の中に色々な派閥があるみたいじゃねえか。奴らはみんな同じ目的のために戦ってるんじゃあ……」
「確かにそうだよ。みんな一つの目的のためだけに魔術を修得した。だけど……だけどだ。だからと言って全員が全員、全く同じ手段を取ると思うかい?」
友介は納得よしたような表情でいや、と首を横に振った。
「魔術圏には多くの派閥がある。西日本に限らず、魔術圏に属する国々全てでだ。その小さな派閥の一つ一つが魔術結社だとも言える」
「じゃあ現国王は、唯可を祭り上げようとしていた奴らとは別口による魔術師って訳か」
「そう」
彼女は表情に陰鬱なものを浮かべたまま、
「現国王の名はコールタール=ゼルフォース——"魔神"の二つ名を持つ正体不明の魔術師だよ」
「い、いいいい、一説には、か、神の力を持つって、い、言われてる……」
すると突然、今まで草次と共に話を聞いているだけだった蜜希が口を挟んできた。相変わらず細々としていて聞き取りにくい声だが、いつもよりはしっかり話せているようにも思える。
他の五人から注目されて泣き出しそうになる蜜希だが、ふと肩に手を置かれた感覚を覚えそちらを見た。
何やら草次がとても良い笑顔で親指を立ててエールを送ってきてくれていた。
それに答えるようにぐっと体に力を込めると、泣きそうになるのを堪えて言葉を続ける。
「え、えと……これは別に噂程度の情報でしかないんだけど……その人、敵に姿を見せずに、ひゃ、百以上の魔術結社を滅ぼしてるって噂がある、よ……」
「ひゃ、百以上だと!?」
その蜜希の言葉に一番驚いたのは、やはり千矢だった。本物の魔術師である彼にとって、その功績は異常と言う他なかったのだ。
「はっはー。これにはさすがの僕も笑うしかないねえ」
苦笑いを浮かべる光鳥。
「まあとにかく、魔術圏にも色々あって、僕たちじゃあ想像も出来ないような事情が渦巻いてる訳だ。眠たい話だったかもしれないけど、最後まで聞いてくれてありがとう」
そして光鳥が人形のプールから立ち上がろうとする。
「待てよ」
しかしそれを遮るように、友介が人相の悪い目つきをさらに鋭くして光鳥を呼び止めた。彼女にはまだ聞いていないことがある。
「お前の目的は何だ。俺たちを使って何をしようとしてやがる」
当たり前の質問。この場にいる光鳥以外の全ての人間がその胸に抱いている疑問。
対する光鳥は、一度口を開きかけ——やめた。迷うような素振りを見せた後、すぐに顔に意地の悪い笑みを浮かべた。
「僕は『総帥』だ。科学圏のトップが考えることなんて一つしかないだろ? そう、魔術師共の根絶だ」
そう言うと、彼女は今度こそ話は終わりだとばかりに、壁に取り付けられたドアへと向かった。先ほど友介が、ドアを開けた先に壁があるとは知らずに頭をぶつけたドアだ。
彼女は扉を開けてあらわに壁に背中を付けると。
「忍!」
一声を上げると、くるりと壁が回った。
「「え」」
友介とカルラの声が重なる。他の三人も呆気にとられているようだった。
五人は顔を見合わせ——結局光鳥と同じように間抜けな格好をしたまま「忍!」と言って部屋から出た。
後に、友介のその様子を映像として残していたカルラが、その動画を友介に送りつけ、友介を身悶えさせたのは別の話だ。
☆ ☆ ☆
長い話が終わり、友介達は108の外へ出た。渋谷は相変わらず人が多く、その喧騒たるや音響兵器に匹敵するのではというほどだ。
友介はこれからの行動をどうするか考える。光鳥には何も言われていないが、
「まあ事件について調べるのが先決だわな」
「そうね」
友介の意見にカルラが賛同する。
だが、他の三人は違った。草次と蜜希が何かを言いたそうにし、それを千矢が遮った。
「なによ」
千矢のものものしい雰囲気に、カルラが不機嫌を隠しもしないで問いかける。
「何か問題でもあるの?」
まるで詰問するかのような口調だが、彼女はこれがデフォであることをこの場にいる人間は知っているので、特に口を挟もうとする様子はない。
そして待つことしばし五秒ほど。千矢が口を開いた。
「あのよ、この一件からは——」
しかし。
友介のズボンのポケットから鳴ったけたたましい電子音が千矢の言葉を遮った。
友介は千矢を始めとした四人に断りを入れると、画面に表示された連絡先を見た。杏里からだった。
彼は通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
「何だよ、今大事な話してんだよ」
『あっそう。じゃあ晩ご飯は抜きで良いのね?』
「すいませんでした。ご飯は家で食べるので作っておいて下さいお願いします」
『よろしい。晩ご飯は何が良い?』
「何でも良いけど……夕子さんは今日も帰らねえのか?」
『いや、さっき夜勤から帰ってきたけど、昼寝したらもう一回行かなきゃだって』
「マジか……。じゃあまあ、お前が好きなもん作っといてくれ」
『何でも良いの?』
「ああ。適当に肉でも焼いといてくれたら勝手にチンして食うわ」
『はーい』
用件はそれだけだったらしく、彼女は話を終わらせて
『じゃあ気を付けてー』
「おお。そっちこそ戸締まりちゃんとしとけよー」
言って、彼はスマホを耳から離して通話を切った。
「話を切って悪かった。続けてくれ」
「ていうか何でアンタの晩ご飯のせいで話題切られたとか考えたら凄く腹が立つんだけど」
「だ、だから悪かったって……。ごめん」
「無理。死んで償って」
「極刑じゃねえか」
カルラとの軽口もそこそこに、千矢に先を促した。それに千矢が答える。
「いやだから、さっさとこの件からは手を引こうということだ。とても危険な匂いがする」
「そんなもんハナから分かってることだろうが。殺人事件云々は置いといても、あの女狐の依頼だ。まともな訳がねえ」
「まあ、確かにそうなんだが……」
すると千矢は、それ以上何も言わなくなってしまった。友介の言葉が正論だったからだ。現に、先日の安倍涼太の一件では『大したことは無い』的なことを言われたのに、蓋を開けてみれば伝承級魔術師が牙を剥いてきだのだ。
(考え過ぎだったのか……?)
千矢は己の命の危険がある可能性というのを徹底的に潰しておきたい人間なので、基本的にリスクや障害は全て取り除いてしまいたいと考えている。だが今回、千矢自ら危険やリスクを取り除くことは出来ない。事件は千矢の手元を離れた所で起きているし、仕事を途中で投げ出すことも不可能だからだ。
「それじゃあ今日も二手に分かれましょう。私達は惨殺事件の方へ。アンタ達三人は毒殺事件の方へお願いね」
カルラの指示に従い五人が別れた。
その間にも、千矢の心には重く暗い影がのしかかっていた。




