第三章 知らない事実と彼女の思い出 1.対面
翌日、風代カルラの目覚めは悪かった。
昨夜あんな物を見たせいだろう。久しぶりにあの夢を見た。
「…………っ」
今にも泣きだしそうなほど顔を歪ませて——けれど涙は出なかった。
あの日、涙は涸れた。流すべき涙は消えた——否、涙を流す権利を捨てた。
「はあ、ダメダメ。気をしっかり持たなくちゃあね」
カルラは頭を振って気持ちを切り替える。確か今日は、とうとうあの女狐と直接会う日だ。光鳥感那がただ者でないことは容易に想像が付く。こんな不安定な精神状態では取って食われてしまうだろう。
万全の状態で臨む必要がある。
カーテンの隙間から覗く朝の木漏れ日がカルラの意識をさらに覚醒へと促す。
立ち上がり、ベッドから降りて時刻を確認。
十時。
スマホを見る。メールが一件着ていた。光鳥からの物で、内容は簡素なものだった。
『おっはよー。今日の十時半に108の地下に来てねー』
瞬間、カルラは弾かれたように支度を始めた。
「ふっざけんなあの女狐!! 何で九時にメールしてくんのよ冗談じゃないわ!! てかマジでヤバい! 早く行かなきゃ! てか寝癖がーっ!?」
一人でぎゃーぎゃー騒ぐカルラ。一人暮らしなので当然返ってくる声はない。
テキパキと支度を済ませたカルラが玄関を出た。鍵を閉めてスタートダッシュ。エレベーターを待っている時間すら惜しい。危険を承知で階段を二段飛ばしで駆け下りた。
そこへ。
背後からもう一つ慌てた足音が聞こえてきた。何となく誰かは想像が付く。
カルラはちらりと背後に視線をやり、階段を下りてくる人物を確かめた。
「やっぱアンタもか!」
「おい前にもこんなことあったろ!」
「ええそうね。屈辱的な気分を味わったわ」
軽口を叩きながら階段を二段飛ばしで降りていく。
マンションを出て、二人はいつかと同じように公道でかけっこを始めたのだった。
☆☆☆
「間に、合ったぁあ……」
「そう、ね……。ところで、ハァ……っ、何でかけっこに負けたアンタが……ハァ……電車に乗ってる訳……?」
「いや、今回はそんな賭けはしてなかった、だろ……」
「クソッ! もう少しでこいつを渋谷まで走らせられたのに……!」
一度渋谷から港区までぶっ通しで走ったことがある友介としては、あんな経験は二度とごめんだった。
人もまばらな電車の座席にだらしなく背を預けた二人の会話の話題は、当然と言うか何というか、光鳥感那に関することだった。
「なあ、光鳥ってどんな奴だと思う……?」
「さあね。名前と声からして女でしょうけど……案外むさ苦しいおっさんだったりするかもね」
「勘弁願いたいな」
「案外十歳くらいのロリッ娘かも」
「ありえそうだ。十歳の女の子に良いように使われるって最悪な気分だな」
「同感。まあむさ苦しいおっさんよりは良いけど」
「そうだな。デブの禿げたおっさんに指図されるのはなんか腹立つしな」
「アンタ絶対堅気の仕事に就けないわね」
「ほっとけ。だってなんかセクハラしそうじゃねえか」
「その時は首を撥ね飛ばすから安心して」
「任せた」
息が整ってきた頃に合わせて電車が渋谷に着いた。
「さて、行くか」
「今さらだけど『108の地下』って何なの? 中二病?」
「騎士のコスプレしてる奴には言われたくねえだろうな」
今日も愛用の長刀を腰に引っさげている。銃刀法違反がすでに無くなった日本と言えど、やはりそれをひけらかすように持っていると人々の注目を集めてしまう。しかもソイツが騎士のコスプレをしていると来た。秋葉原にいれば別に珍しくもないだろうが、渋谷では奇異の視線の的となってしまい、一緒にいる友介も恥ずかしくなってくる。
さっさと目的地に行こうと友介は歩く速度を上げ、カルラもそれに着いて来た。
108前までやって来た友介とカルラ。二人は一瞬顔を見合わせると、スタスタと中へ入っていった。
途端、音の洪水が二人の耳を打つ。
「うっるさいわね……」
「だな……」
様々な言葉が飛び交う。
「おーい、リン! こっちこっちー。この服可愛いよ!」
「今行くー」
「お待たせー」
「久しぶり! どこ行く?」
「可愛い! 見てナタリー!! これとかどう?」
「姫、少し落ち着いて欲しいんです。でも可愛い……」
人混みが苦手なのか、カルラがうえー、とうめきを漏らす。
「ほら行くぞ」
友介はそんなカルラに微塵も心配した様子見せず、先へ行ってしまう。カルラも何一つ文句を言うことなく続いた。
先へ、さらに先へ。
「ていうかアンタ、場所分かるの?」
「まあな。右眼を使って人の流れを分析してたら分かって来た」
「なるほどね」
友介の意味不明な説明に、しかしカルラは納得の声を返した。
簡単な話。光鳥感那は裏の人間だ。ゆえに彼女は、人が絶対に寄り付かないであろう場所に『地下』への入り口を設けるはず。ならば友介は、右眼を使って人の流れを把握し、そこから得られる情報から『人が無意識のうちに寄り付こうとしない場所』を逆算すれば良いだけだ。
「ここだ」
言って、彼は誰もいない階段の踊り場へやって来た。
壁をペタペタと触りながら、どこがにあるはずの隠し扉を探した。
だが……、
「見つからねえ」
ため息が一つ。
対してカルラが得意そうな声を上げた。
「いいえ、こっちよ」
そちらを振り向くと、カルラはふふん、とドヤ顔で友介を見ながら、踊り場の中心でトンと軽く地を蹴った。
瞬間。
ガタン! と床が開いた。
「「は?」」
困惑の声と同時。
不快な浮遊感が二人を襲った。
☆☆☆
「きゃぁあああああああああああああああああああああああッッ!」
「ひいいいいいいいいいいいいいッ! 何だこれぇええええええええええ!?」
幸いというか何というか、開いた床の下は滑り台のようになっており、高所から落ちて落下——なんて間抜けな死に方だけは免れた。だがその滑り台、あまりに急傾斜だった。体感的には落下しているのと変わらないような気もする。
「おいテメエ!! なに得意そうな顔で地雷踏んでくれてんだ!?」
「し、知るかーっ!! 私だって予想外だっての!!」
二人の声が狭いトンネルの中で反響した。
永遠に続くと思われた落下もやがて終わりを迎える。視界の向こうに小さな光が見えるや、地面と水平になった出口からすぽん、という擬音を発てそうなほど軽い調子で投げ出された。
「へぐっ」
「ぐえっ」
二人仲良く地面へ落下し、馬鹿みたいな声を上げた。
「い、いてえ……」
苛立ち紛れに呟きながら友介がゆっくりと立ち上がった。遅れてカルラも膝に手を突いて腰を上げる。
「ひ、酷い目に遭ったわ……」
「お前のせいでな」
軽く周りを見渡す。そこは様々な日本人形が壁と言わず床と言わず大量に置いてあるだけの部屋だった。人形は新品の可愛らしい物から所々がほつれた古い物まで多種多様に渡る。ただ、どれもこれも手入れされている様子はなく、新品の物でもほこりを被っていたりしていた。それも、人形が置いてある、というよりは放っておかれている、と表現が正しいぐらい乱雑に。床すら見えないほどだ。もはやファーストフード店のボールプールと変わらない。まあこの人形がクッションになってくれたおかげでトンネルから放り出されても無傷でいられたのは事実なので、助かったと言えばそうなのだが。
「おぅふ……」
とは言えその不気味な光景に、友介が変な声を上げた。珍しくカルラも彼の意見に同感なようで、同じようにうめきなのかかよく分からない声を上げていた。
こんな不気味な部屋から一刻も早く退散したくなった友介は、部屋の反対側の壁に取り付けられたドアへと歩いて行った。
「良い趣味してるぜ……」
「ホントね」
友介の皮肉にカルラも頷きを持って返した。
ドアを開けて隣の部屋へ進——めなかった。
ドアの向こうには壁が広がっているだけであり、何も知らずに進もうとした友介はごちんと頭をぶつけてしまった。
「なん……!」
驚顎と若干の憤りで顔を赤くする。後ろでゲラゲラ笑っているカルラは後でなぶり殺しにしよう。
そんなことよりも目の前の状況だった。未だに爆笑が止む気配のないカルラの脳天に拳骨を喰らわせて、状況整理の手伝いをさせる。
「むは、は、ははははははっ、ひぃ……! んふ、……ふぐ、さっ最高だわ今の……ッ。それで何?」
「何? じゃねえんだよ。分かんねえか? 俺らは今閉じ込められてんだぞ。もしかしたら罠に嵌められたのかもしれねえ。集合場所に来たはずが、口封じをされるかもしれねえ状況なんだよ。どうだ、笑ってる場合か?」
「それ安堵が壁に顔面ぶつけたことよりも重要?」
「お前はおっぱいだけじゃなくて脳ミソまで足りてねえらしいな」
瞬間、閃く手刀を軽々と避けて友介は部屋の中を物色し始めた。さっきまでの上機嫌な様子とは一変した険のある態度でカルラが背後から付いて来る。
二人してぐるぐるぐるぐる同じ所を回る。
だが……
「何もないわね……」
さすがにカルラが疲れた声を上げ始めた。友介も同感で、ウンザリした目を近くの人形へ向け——
「わぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおンッッッッ!!」
耳をつんざくような高く大きな声が並んで立つ友介とカルラの間から迸り、何者かが日本人形の海の中からタケノコのように飛び出した。
「っ!?」
「ひゃいっ!?」
馬鹿二人が全く同じフォームで左右対称に飛び退く。勢い余って人形の海へ飛び込んでしまった。
すぐさま体勢を立て直し、友介はがばりと起き上がった。
「だ、誰だ!?」
「僕だよ、ぼくぼくぅー」
どこか聞き覚えのあるふざけた口調だった。
声の主を見る。
Tシャツとホットパンツを着こなしている少女。短めの黒髪をサイドで纏めていることからも、どこかボーイッシュな雰囲気を漂わせていた。ただ、その少しばかり切れ長の目がどこか気の強そうな印象を与えてきた。
だがその気の強そうな印象も、少年のように明るく中性的な笑顔を浮かべるとどこかへ消えていった。
「やあやあ、初めましてだね。僕の名前は光鳥感那。君たちの上司だ!」
そう言って右手を差し出してくる。
友介は警戒心を露にしながらもその手を握った。
「ありゃりゃ? 僕って嫌われることしたっけ?」
「自覚がないのかしら。私達って結構あなたのこと嫌いよ」
声は光鳥の背後から。人形のプールからゆっくりと体を起こしたカルラが声に険を乗せて吐き捨てる。鋭い眼光で光鳥を睨む様を、友介は肉食獣のようだと思った。
「おや、これはこれは。カルラちゃんか。君もよく働いてくれて嬉しいよ」
そう言って右手を差し出す。カルラは顔をしかめながらもその手を握った。……もしかしたら今さっき驚かされたことを根に持っているのかもしれない。
そうこうしている内に、友介達が滑ってきたトンネルからさらなる絶叫が聞こえてきた。
一瞬ビクリと肩を振るわせた友介とカルラだったが、すぐに気付く。これは草次と蜜希の声だ。彼らもあの悪趣味な落とし穴に引っ掛かって訳も分からないまま落ちてきたのだろう。
先ほどの友介達と同じように、草次、蜜希、そして千矢が空中へ投げ出され、そのまま人形のプールへ落下した。
「やっぱこうなんのな……」
「端から見てみるとムササビみたいでホント滑稽ね……」
友介とカルラがげんなりとした調子で言葉を交わす。
「凄い滑り台だったなー。もっかいやりてえー」
「く、草加くん……それ、ほほ、本気……?」
「いやいや、草加は馬鹿だし本気だろう。だってこいつは草加だぞ?」
「あれ? 何? 俺けなされてる?」
各々立ち上がって先に来ていた友介とカルラを見つける。草次が挨拶をして(主にカルラ)、蜜希もそれに続く。千矢は肩を竦めただけだった。
(なんかカッコ付けてるけどこいつもムササビみたいに飛んでたよな……なんかシュールだわ)
それから三人は、友介の背後にいる光鳥に視線を映す。
しかし彼女の名前を聞かされていない三人は当然——
「誰この美少女?」
「光鳥」
「ぇえええ!? こんな可愛い子が!? やった! 俺の上司は美少女だった!!」
「みんなようこそ、僕の隠れ家の一つへ」
馬鹿は放っておいて光鳥が本題に入った。
「君たちに今日ここに来てもらったのは、僕がどれだけ可愛い女の子か見てもらうためだったんだ」
「ガキ」
「チビ」
辛辣な言葉を投げる友介とカルラを無視して光鳥が話を続ける。
「まあ冗談は置いておいて、そろそろ会って上げても良いかなーって思ってたし、君たちには言っとかなきゃいけない事もあるからねえ」
そう言ってボーイッシュな少女は切れ長の目をさらにスッと細めた。さながら獣の如き威圧感を持つその眼光に睨まれ、友介は僅かに竦み上がる。
動揺を表に出さないよう努める。
「んで、その話すべきことって何だ。まさか俺の魔眼のことか」
「ははは。まっさかー。君のそれについては僕すら意味不明さ。今から話すのは魔術圏についてさ」
「魔術圏について、だと……?」
おうむ返しに問う友介に、光鳥が意地の悪い笑みを返した。
「そうさ。君にとっては魔眼なんかよりも重要なことだろう? ゆいゆいを助けるためにも、魔術圏——特に西日本帝国についての情報は喉から手が出るほど欲しいだろう」
友介は厳しい表情のまま首肯した。
そうだ。魔眼などよりも重要なことがある。唯可を連れ出さなければならない。魔術師共の巣窟である魔術圏へ侵入して彼女を誘拐する必要があるのだ。
そのためには情報がいる。どんな些細なことでも良い。とにかく情報が必要だ。
「まあ残念ながら僕は情報と言うほどの物は持っていない。これから話すのは魔術圏……いや、魔術師達の目的と、西日本の現体制だけだ」
光鳥は、友介に向けていた視線をカルラやその他のメンバーに移す。
「もし興味が無ければ立ち去っても良いけど……まあ、草次君以外は全員欲しいだろう。千矢くんはもう知ってるかもしれないけど」
が、誰も部屋から立ち去る様子はなかった。
「おーけい。なら話そう。下らない彼らの『夢』の話だ」




