第二章 ささやかな非日常と彼の生活 4.転機
「ようこそ、河合・安堵家へ! さあさあ、友介のお友達には最高のおもてなしをさせていただきますよ〜」
意味不明なキャラを演じる杏里がカルラにもやし炒めとハンバーグを振る舞った。モヤシしか渡していないカルラは当然これに戸惑った。
「いや、何でハンバーグが……? まさかモヤシからハンバーグを作ったって言うの!?」
「んなわけねえだろ馬鹿か」
軽い現実逃避をしているカルラに友介が言葉を返す。カルラはむっとした顔になったが、料理を振る舞って貰っている立場であることを思い出してすぐにそれを引っ込めた。それからすぐに杏里へ向き直り、
「ありがとうございますっ!」
思い切り頭を下げた。勢い余ってテーブルに額を打ちつけてしまい、「きゃう!」と可愛らしい声を上げた。
「あはは、カルラさんはドジっ娘だねえ」
(何だそのキャラは)
杏里のキャラがいまいち掴めない。
「というか、カルラさんって一人暮らしなの?」
「そうよ。なんで?」
「だって普通、親御さんがいれば料理は作ってもらうだろうし、たとえ今日いなかっただけにしても冷蔵庫にモヤシしかないってことはないだろうし……」
「なるほど。まあモヤシしかなかったのは、この前アイスを腐るほど買ったせいなんだけど」
「何してるの……」
杏里の振る舞ったハンバーグともやし炒めを幸せそうに頬張るカルラ。彼女は友介の前では見せたこともないような笑顔でご飯をかき込んでいた。よほど腹が減っていたのだろうか、彼女は厚かましくもおかわりを要求した。
とはいえ、妹の料理を美味しそうに食べてもらうのは悪い気はしない。むしろどんどん食えと友介は内心思っていた。
カルラと杏里は何やら女の子とはかくあるべし的な話で盛り上がっており、友介に入る余地はない。
ソファに寝転がって彼女達の会話を流し聞きながらニュースを見ていると、少女達の中へさらに一人加わった。
「あの、風代さん」
「うん? あれ、アンタ土御門字音じゃない」
「ええ。その節はどうもありがとうございました」
「気にしないで。私はやりたい事をやっただけだし。安倍涼太はどう?」
「分からないです」
「そう。まあ、気長に待ちましょう。生きていれば案外何とかなるでしょ」
曖昧な言葉だが、それだけでも字音はちょっぴり救われる。
それからカルラは、暗い話はここまでといった調子で手を叩いて、
「アンタ、ここであの変態性癖鬼畜男に何かされてない?」
「意味分かんねえあだ名付けんじゃねえよ。俺は至ってノーマルだ」
「黙れホモ」
「ホモじゃねえよ!!」
喚く友介を無視して、カルラは再度字音に問いかけた。
「で、どうなの? あの変態性癖鬼畜ホモに何かされてない?」
「大丈夫。彼はホモだから」
「お前もやめろ!!」
頭痛がしてきたとばかりに友介は頭を押さえた。
「まあ、ここでの生活は快適そのものよ」
「いいや、あざねんは最近ちょっとたるみ過ぎてる。もっと規則正しい生活をしなきゃダメ」
「え、嫌だ……」
「嫌じゃないし! ここは我が家! そして我が家では規則正しい生活を送らなければ夕飯が抜きになるんだから!」
「毎日夜中遅くまでネトゲしてる奴が何言ってんだか。土日なんていつも昼まで爆睡してんじゃねえか」
「友介、事実のねつ造はやめてくれない?」
「ねつ造してねえよ」
ソファに寝そべって背中を向けたまま会話に混ざる様はどこか亭主じみたものがあり、カルラにはそれがなんだか面白かった。
「アンタって家では結構楽しそうなのね」
「そうか?」
対する友介はあまり自覚なさそうに答えた。
それから友介はシャワーに入ってくると言って部屋を後にした。
三人の少女達も本格的に話をするためにテーブルから、リビングのソファへと移動した。
「友介ってね、友達できないのよねー」
「でしょうね。何となく分かるわ」
「私も同意。彼はコミュニケーションが苦手」
二人の同意に、杏里が苦笑を漏らした。
「それにね、あの子結構色々抱えててね。好きな人が出来たこともあったんだけど、今じゃあもう二年間も音信不通らしくてね。ちょっと見てて可哀想なの」
「ふーん。あんまりそんな感じはしないけど」
「まあカルラさんと一緒にいるときの友介は結構楽しそうだから分かんないかもね」
「楽しそう? アレが?」
カルラの怪訝な声に、杏里と字音が頷きをもって返す。
「言い争いして喧嘩して仲悪そうだけど、実際はあんな風に自分の思ったことを言える相手がいるのがどうしようもなく嬉しそう。いつもはまらなさそうな顔してるけど、カルラさんといる時はとても生き生きしてるし」
「ふーん。あまり嬉しくない事態ね」
「仲良くしてくれてありがとうね」
苦笑を漏らしながら杏里が言う。出来た妹を持ったなと彼を羨ましく思う。
「そうだ、お菓子でも食べる?」
「いえ、ご飯まで貰ってそれはさすがに申し訳ないわ。遠慮しておく」
「良いよ気にしなくて。ていうか私が食べたいし。飲み物は何が良い? オレンジジュースで良い?」
「ありがとう。それで良いわ」
「そうね。私もオレンジジュースで。あ、お菓子はチョコで良い」
「あざねん……? ご飯前にお菓子食べて怒らなかったっけ?」
とは言え、二人がお菓子を食べているのに彼女だけ食べられないのは可哀想なので、要求通りチョコレートも持って行ってやった。
「さ、女子会よっっっ!」
それから十分ほど、お菓子を食べたりジュースを飲んだりして他愛もない話を続けた。
話が一つ区切れたところで、カルラが小さく笑いながら立ち上がった。
「結構お邪魔しちゃったわね。そろそろ帰るわ。明日の用意もあるし」
「いえいえ、良いのよ。今日はありがとう」
「じゃあ私は失礼するわ。お邪魔しました」
そう言って軽やかな足取りでカルラが部屋を出た。廊下は比較的短く、途中にトイレ、そして洗面台と脱衣所が一緒になったユニットバスがある。カルラは何気なく洗面台の方へ目を向ける。
そこに。
「————ッ」
「…………え」
シャワーを浴び終えて脱衣所で着替えている安堵友介と目が合った。辛うじて下着は身に着けていたが、半裸すら通り越した上、火照って若干赤みがかっている体がいやが応にもカルラの目を引きつけた。
引き締まった体には無駄が一切ない。筋肉が作るその体は少し美しい。
「…………………………」
重く流れる沈黙が耳に痛い。
そして先にその静寂を破ったのは友介だった。
「お、まえ……何を……!」
「あ、あうあ、あうあう」
呼応するようにカルラがうめき声のようなよく分からない声を上げた。顔が真っ赤に上気し、グルグルと目を回してしまっている。辛うじて叫ぶことだけは自制し、我に返って目を逸らそうとした。
が————。
ふと、それが目に入った。別にもう一度だけ男の体を見たくなったとかそういうことではない。
上気した友介の体。その腹部。カルラの目はそこへ釘付けになった。
「アンタ、それ……」
どう考えても常軌を逸した傷跡が四ヶ所もあったのだ。
普通じゃない。まるでぶっといパイプで刺し抜かれたかのような傷跡。
「何よ、それ……」
「チッ」
友介は舌打ちを打って寝間着に着替えた。
そうしている間も、カルラは彼の腹部から目が離せなかった。
そして先ほど杏里が言った言葉を思い出した。
————それにね、あの子結構色々抱えててね。
(いろ、いろ……?)
それは。あの傷は。彼が経験したことは、『色々』なんて簡単な言葉で終わらせられる物なのか? そんな軽い物なのか? あんな、一生残るような傷を負って。
その『色々』にはどれほどの苦痛が詰め込まれているのか。
「おい、いつまで人の体をじろじろ見てんだよ。お前まさか、本当に淫乱なんじゃねえだろうな。それともむっつりか?」
友介が軽口を叩くが、それどころではない。
彼もまた、カルラと同じように何かを背負っていた。
きっとこの瞬間。
風代カルラの中で安堵友介という少年の姿が変わった。
ただの口の減らない年上ではない。もっと曖昧な何かに。




