第二章 ささやかな非日常と彼の生活 3.安堵家
その夜。
友介とカルラが自宅マンションへ戻る道すがら、二人は買い物中の杏里とばったり会った。
「ああ! 友介またその人と一緒じゃん! もしかして彼女?」
「ちげえわ。俺は小学生に興味はねえ」
「だァれが小学生だ!!」
脛に一発蹴りが入った。
「今のは友介が悪い。早く謝りなさい」
「いやでも」
「そうよ、早く謝りなさいよ。もしかして謝罪も出来ないの? アンタそれでも高校生? よくそんなんで学校生活送れるわね。……ああいや、いじ——ぐぇ!!」
余計なことを言おうとしたカルラの口をとっさに押さえる。ムカついたのでついでに唇を思い切りツネってやった。
「いったぁああ!! あ、アンタ何すんのよ!! 女の子に向かって!!」
「ふん! お前は女の子じゃねえ……雌だ!!」
「おいテメエなに人を淫乱尻出し女みたいな呼び方してくれてんの!!」
「そこまでは言ってねえけど!?」
喧嘩なのかコントなのかよく分からない罵り合いを続けている二人に、杏里が呆れ顔で声を掛けた。
「あのさ、ここ道の真ん中な訳。あたしの気持ちも考えてくれる?」
「恥ずかしい台詞を言ったのはこの淫乱尻出し女だぞ!」
「あ、今そのあだ名で読んだわね!? それは戦争の合図と受け取っていいのかしら?」
「ああもう、何なのこの二人!」
言った側から口汚く罵り合う。
「そもそも私は淫乱じゃない。『そういうこと』が一切分からない、可憐な処女よ」
「可憐な女の子が淫乱尻出し女なんて言葉を思い付くか」
「良いのよ。私は特別な可憐な少女だから」
「なんだよそれ。メルヘンか? いや、メンヘラか?」
「メンヘラの意味ちゃんと分かってる? 言葉は正しく使いまちょーねえー」
「うっわ腹立つ顔」
ついには中指を突き立てて変顔大会に移行してしまう。もはやこれは仲が良いのではないだろうか。
杏里は頭痛でもするかのようにこめかみの辺りにそっと手を添えると、浅いため息を吐いた。
(どうにかして収拾しないと……)
だが現状、この馬鹿二人を黙らされる方法にぶん殴る意外のやり方が思い浮かばなかった。カルラについてはあって二回目だが、遠慮など感じる必要がないように思えて来た。スタイルのせいもあって、カルラの方が一個上のはずなのに年下に見えてくる。
このまま放っておいても良いが、さすがに兄のこんな恥ずかしい姿を公衆に見せることは忍ばれる。そして当然、友介を連れて帰るためには、カルラを止める必要もあった。
(どうやって黙らせよう)
そこでふと、彼女は手に持った買い物袋の重みに気付いた。
(…………)
しばし逡巡し。
「友介」
「だからテメエは……ってなんだ?」
彼の注意がこちらへ向いた。カルラも不思議そうな顔で杏里を見つめる。特に杏里の胸を見つめる。なぜかカルラが崩れ落ちた。
杏里は理解不能なカルラを無視して友介に語りかける。
「早く来ないと夕飯抜きだよ」
「え! ごめん、それはヤバい!! すぐ帰るわ! じゃあな、脱糞貧乳ビッチ!」
「その汚いあだ名だけはやめて!! もう淫乱で良いから!!」
どれだけ話が飛躍しているのだ……と思わなくもないが、考えるだけ無駄だ。
杏里は友介の手を取った歩き出した。
「おい、なに手繋いでんだよ」
「ええー、いいでしょ、減るもんでもないし」
「馬鹿か。妹と一緒に手繋いでる所なんて見られたら……」
友介の心配はすぐに現実となった。
「シスコン乙」
「やっぱり……!!」
(い、いつもこんな疲れるやり取りをしてんの、この兄は……)
兄の交友関係が心配になる河合杏里だった。
☆☆☆
現在暮らしているマンションは、二年前まで暮らしていた一軒家とは違う。
あの家は、渋谷事変、ヴァイス=テンプレートとの戦闘によって原形をとどめないほどに破壊されたため、もう土地ごと売ってしまったのだ。親父さんと一緒に暮らした思い出の家であるはずなのに、杏里も夕子も、売ることに何の躊躇いもなかった。
確か去年くらいに、それの理由を尋ねたことがあった。そうすると夕子が優しい顔で口を開くより前に、杏里がキッとこちらを睨んでこう言って来た。
『あのねえ、友介。勝手にどっか行った上に大怪我して帰ってきたのは誰かなー? 君の治療費ホント凄かったんだからね……?』
ドスの利いた声でそう言われたのを覚えている。
当然友介はバツの悪そうな表情で謝った。すると彼女は、
『あのね、別に治療費云々はどうでも良いの。ただね、勝手にどっか行って怪我して帰ってくるのだけはやめて。病院に搬送されて、「死ぬかもしれない」って告げられた私の気持ちを考えたことある?』
『杏里ったら目をまっ赤にして泣いてたわね』
『な、泣いてない!』
とまあ、そんなやり取りがあった。とにかく友介の治療費捻出のために売ったらしい。『Guard Friend』は違う所のテナントを借りて今も経営しており、友介は今でも愛銃のメンテなどをしてもらっている。
安堵友介。河合杏里。河合夕子。
二年間このマンションで三人一緒に暮らしている。
「ふわぁあ……」
もっとも最近は、居候が一人増えたのだが……。
「ちょっとあざねん! また昼寝してたでしょー! 朝遅いくせに昼寝するなんて……ってああ! しかもお菓子なくなってるーっ! 夕飯が食べられなくなるからたくさん食べたらダメって……ああもう! 早く席に着く!」
杏里のお母さんスキルが発揮されてしまったらしい。「うだぁー」と眠たそうな声を漏らす着物の少女——土御門字音を席に座らせた。
「あ、安堵くんだぁ」
「お前な……」
才能のない自分に自信がないため基本的に人と目を合わせるのも苦手で暗い字音だが、寝ぼけているときはそうでもないらしい。眠たそうな半眼で友介の顔を真っ直ぐ見つめ、あまつさえ手を振っている。
「夕子さんは今日いないのか」
「うん、仕事」
現在夕子は夜勤に出ているため、ここには友介と杏里と字音の三人しかいない。
食卓を囲み、三人一緒に手を合わせて夕飯にする。
献立は贅沢な物で、ご飯、みそ汁、ハンバーグ、そして簡単なサラダだった。
「こんなに一杯……お金は大丈夫なのかよ」
「ああ、うん。ママがくれた分で賄ったよ」
妹の所帯染みっぷりがちょっと気になってきた。そんなんで彼氏とかできるのだろうか……? いや、出来て欲しくはないのだが。
友介は杏里から目を離して字音へ話を振った。
「そうだ土御門。安倍涼太は今どんな感じなんだ?」
「うーん……えっとー」
「そろそろ起きろ」
いい加減会話が続かないのも疲れて来たので、字音の脳天にチョップをお見舞いした。「ふきゃう!」という可愛い声を出し、彼女の意識がようやく覚醒した。
「んで、どうなんだよ」
「どうもこうも……まだ成果は出ていない……。涼太にかけられた魔術……というよりも呪いは、相当強い物だったから」
「呪い……?」
おうむ返しで問う友介に、字音がこくりと頷いた。彼女は先ほどとは打って変わって、
「そう。魔術の中でも、対象を洗脳したり、状態異常を引き起こしたりする物を私達魔術師は『呪い』と呼ぶ。己の妄想を対象にダイレクトに叩き込む魔術」
「……」
ゴクリと生唾を呑み込む音がした。
「もちろん対象が死ぬという妄想を叩き付けることは不可能だよ。『生死操作の不可能』はちゃんと適用される」
だけどそれは、『呪い』によって命を落とすことはない——なんて甘いことを示している訳ではない。攻撃的な魔術攻撃が人を殺めるように。呪いの効果の結果命を落とすことなどごまんとある。
「涼太は命に別状はないらしい……。ただ脳に多大な負荷が掛かったせいで、人格がまるっきり変わることもあるかもしれない」
その声色はいつにも増して暗い。必然、場の空気も悪くなった。
「はい、終わりー! もう暗い話は終わり! 大事な話なんだろうけど、それにしてもポジティブに行くこと! おっけい? あざねん」
「え、ええ」
「友介も! もっと楽しい話しよ! さっきのあの子とどういう関係なのかー、とか」
「敵だ」
「はや……」
「そういえば風代さんにもお礼言わないと……」
「風代さんって?」
呟いた字音の言葉に、杏里が目敏く反応した。
「私を助けてくれた人。知らない? 安堵くんといつも喧嘩してる」
「ああ、あの! あの子風代さんって言うのね! ねぇねぇ、友介ぇ〜」
すると突然、杏里がとても嬉しそうな顔で友介にすり寄って来た。なんだこいつ。
「何だよ」
「あの子って前も友介と一緒にいて言い合いしてたよね」
「そうだったか? あいつのことは基本的に別れてから一分後には忘れようと心掛けてるからな。あまり覚えてねえ」
「それは酷いわね。可哀想。傷付くんじゃない?」
「いや、アイツに限ってそれはない」
「おやおや、何だかとても通じ合っておりますなあ?」
「やめろ、寒気がする……」
ニヤニヤニヤニヤ。
この妹は、友介に友達が少ないことを知っているから、彼に繋がりが出来ることをいつも我がことのように喜ぶ節があるのだ。いつもなら嬉しいことなのだが、今回ばかりはありがた迷惑だった。
「ていうかさ、あの子ってこのマンションに暮らしてたよね」
「あん? 何でお前がそれを知ってんだよ」
「いや、この前このマンションで会ったじゃん……本当に忘れてたんだ……」
呆れた声を上げる杏里に不服そうな顔を浮かべる友介。
そうやって、字音も交えて三人で談笑しながら食事を摂っていると、突然インターホンが鳴った。
「あん? 誰だよこんな時間に」
「安堵くんの大人のオモチャが届いたのかも」
「おい、杏里の前でそういうこと言うのやめろや」
本人が聞いたら金的を蹴られそうな台詞だが、幸いここにはいない。妹の教育に良くないとは分かっているが、それも仕方のないことだ。
「とりあえず出てくる」
友介が席を立つ。
「うわあ、友介怪しいー」
茶化す杏里の声を受け流しつつ、友介は玄関へ。インターホンでドアの前に立つ何者かを見た。が、誰も映ってはいなかった。
「ちっ、イタズラか?」
若干苛立ちを含んだ声で呟きながら、彼はドアのチェーンが掛かっているのをしっかり確認してからドアをゆっくり開けた。
すると、インターホンには映っていなかった訪問者の姿が見えた。
「……………………何してんのお前」
「……………………材料ならある。お願い、これでおいしい料理を作って欲しい。アンタの妹を呼んで来て欲しい」
そう言って、赤い髪と金色の瞳を持つ少女は、友介にモヤシと塩と胡椒を差し出した。




