第二章 ささやかな非日常と彼の生活 1.リンと友介
仕事のメールは、当然友介のスマホにも届いていた。
内容は簡素なもの。
『任務だよん。東京スカイタワーに来てー』
おおよそ仕事の依頼とは思えない軽さ。友介はため息を一つ吐くと、早退する旨を担任教師に伝えて帰り支度を済ませる。
席を立ち、教室を出る。だがその直前、何者かが友介の前に立ちはだかった。
(今度は誰だよ……)
ウンザリしたような表情で眼前に立つ三人の少女達を睨んだ。
「アンタさー、よっちーが風代ちゃんにボロカス言われたからって調子乗ってない? 何があった所で、アンタが——」
「悪いな。今急いでるんだ、どいてくれ」
そう言って、友介は彼女達を押し退けて廊下へ出た。だが、そこで——
「みなちゃんは私の友達だった」
ピタリ、と。
友介の歩が止まった。
振り返る。声を掛けて来たのは、彼女達の中でリンと呼ばれている少女だ。平時のちゃらけた雰囲気はどこへ行ったのか、彼女は明確な敵意を込めた視線を友介にぶつけてくる。剛野や他の馬鹿共とはまるっきり異なる、私怨故の敵意。
その分かりやすいまでの敵意を受けて、友介は胸が締め付けられかのような感覚を覚えた。
それも構わず、仲間からリンと呼ばれる少女は続ける。
「ねえ、あの子は最後、どんな顔をしてた? どんな……どんな言葉を吐いたの……?」
みな――おそらく、秋田みなのことだろう。二年前の狂乱でヴァイス=テンプレートに殺された哀れな少女。このリンと呼ばれる少女は、彼女の友達だったのだ。
怒りを押し殺したかのような声。友介はそれに何も答えない。否、答えられない。だって彼は知らないから。彼女の最後を。彼は、彼女が死んだ後のことしか知らない。
「……ッ」
瞬間、あの時の凄惨な光景が蘇り、腹の中で吐き気が暴れ出した。
それを悟られないようにしながら、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「すまない。俺は知らない……。本当に、ごめん」
「あんたさー、そんなんでこっちは納得出来ると——」
「ごめん、ちょっと黙って」
友介の謝罪に不服を唱えようとした少女を、リンが遮る。そして——。
「まあいいわ。あなたみたいなクズの人生なんて、どうせ惨めに決まってるし。さっさと死んで、私達の前から消えてよ。本当にキモイから」
彼は何も言い返せないまま教室を後にした。
街の外観の復興ばかりが目立っているが、結局の所、人の心の傷まで癒えている訳ではないのだろう。リンという少女が友を失った悲しみを忘れられないように。
別に、あの時勝田匠と秋田みなを救えなかったことで自分を責める気はない。だがそれでも、友介は彼らを助けられる位置にいたはずだ。
「はあ……っ」
「どうしたのよ、ため息なんかついて」
校門に差し掛かった所で、横合いから聞き慣れた嫌いな少女の声が聞こえた。
「なんだ、風代か。何の用だよ」
「別に。どうせ目的地が同じなんだから一緒に歩いた方が良いでしょ」
「どうだか。俺とお前が二人でいて、何か良いことが起きた試しなんか一つもねえだろ」
「違いないわね。まあでも、せっかくよ。アンタの虐められ話でも聞かせなさいよ」
「断る。人に話すほど大層なもんじゃない」
「あっそ」
興味無さげに返して、カルラはそれ以上喋らなくなった。
二人して仏頂面のまま無言で渋谷の街を歩き、電車を乗り継いで墨田区にある東京スカイタワーにやって来た。
エレベーターに乗り、指定された階に向かう。
「何の任務だと思う?」
「知るかよ。どうせろくでもねえこと頼まれんだろうよ」
エレベーターを降り集合場所へ向かう。扉を開ければ、すでに他の三人が揃っていた。
「おいおい、お前らが最後だぞ。こっちは待ってんだよ」
「知るか。俺らは学校に行ってたんだ。お前らと一緒にすんな」
「文句は後で聞けば良い。それより用件は?」
カルラがぶっきらぼうに、ここにいない誰かに尋ねる。
対してそいつは、すぐに答えた。
『やあやあ。そう急かすなってー。もうちょっと親睦っていうのをさあ』
「御託は良いからさっさと始めろ」
『おっとー、これはこれは。安堵くん、君いつにもましてイライラしてるねー』
「殺されたいのか。さっさとしろ」
『はいはい』
やれやれ、と言った調子で声の主・光鳥感那が本題に入った。
『やって欲しいのは犯人探しだ』
「犯人探し?」
反応したのは千矢だった。
「まさかそれって、最近話題になってる殺人事件の?」
『物分かりが良くて助かるね。そうそう、それだよ』
ここ数週間東京でよく話題に上る二つの殺人事件。
一つは、五月の十五、二十四、二十九、そして昨日の六月二日に起きた事件だ。被害者に外傷はなく、 まるで未知の毒でも盛られたかのような殺され方。一説では集団自殺なのではという噂すらある。
もう一つは、五月の十八、二十七、そして六月一日に起きた三つの殺人事件だ。こちらの死体に関しては直接的で、死体はどれもその体の六割程度を欠損していた。死体を見た警察が言うには、『巨大な化物に喰われた』みたいだったとか。
光鳥感那は、それら七つの事件の解決を望んでいる訳だ。
「けどよ」
声を上げたのは友介だ。
「俺らはどっちの事件を追えば良いんだ? 事件は二つある。『毒殺』の方と『惨殺』の方。俺らはどっちを追えば良い。そもそも、殺人事件なら警察にでも任せた方が早いだろうが」
『馬鹿だなー。そうじゃないから呼んだんだよ』
光鳥は一旦言葉を切ると、
『僕はこの二つの事件、魔術師が絡んでいると見てる』
「魔術師……?」
『そうだよ。というのもね、被害者にはある共通点があるんだ』
声の中に、何かのお菓子の袋を開ける音が混ざる。ボリボリとスナック菓子を口に運ぶような音がスピーカーから流れ、友介達五人はなんとも微妙な表情を浮かべる。そんな部下の様子など気にしないで、光鳥は口に食べ物を含んだまま説明を続ける。
『いやね、殺されてるのがほとんどが科学圏の重鎮だったんだよ。まあほとんどが役に立たない木偶だし、黒い噂が絶えない奴だっているから別に良いんだけどさ。やっぱり、近くで魔術師がウロウロしてるとか考えたくないでしょ?』
声は、真っ直ぐ友介に向けられていた。言外に、二年前の渋谷事変と、六年前の『中立の村』の地獄のことを示していた。
対して友介は吐き捨てるように、
「チッ、下らねえ。この国の防衛体勢はどうなってんだ」
『無理言わないでくれよ。魔術師なんて化物を国境で完璧に抑えるなんて出来るわけないだろ?』
いっそ諦めとも取れるその発言に、友介は不機嫌を一層強くする。しかしすぐに疲れたような息を吐いて、
「まあ良い。もうお前らには期待しない」
『そう言わないでくれよ。……じゃあとりあえず、君たちには昨日起きた事件と、一昨日起きた事件、それぞれ調査してもらうために二手に別れてもらう。いいかい?』
「好きにしろ」
『じゃあそうさせてもらう。とりあえず君とカルラたんは惨殺事件の現場へ向かってくれ。千矢くん達を含めた三人は毒殺事件の方へ。よろぴくー』
用件だけ告げ、光鳥が通信を切ろうとする。だが、その直前に友介が声を掛けた。
「待て」
『……何だい?』
「お前、いつまで顔を隠し続けるつもりだよ。そろそろ姿を現しやがれ」
『…………』
光鳥感那は、スピーカーの向こうでしばしの間沈黙し、やがて——
『まあ、いいよ。仕方ない。明日連絡するからそこへ来てくれ。君たちに会ってあげよう』
あっさりと承諾した。
その返答に満足したのか、友介は身を翻すと部屋を後にした。




