第一章 明るい彼らのバカな日常 3.ぱんつ
「おおー!」
「す、凄いですね……」
エレベーターの中、唯可とナタリーは感嘆の声を上げていた。
ガラス張りの壁から渋谷の街を俯瞰する。目を輝かせながら道行く人達を眺める。
上から見ればよく分かるが、渋谷の街は、地面の全てに二メートル四方ほどのタイルが埋め込まれている。おそらく政府の何らかのプロジェクトの一環なのだろうが、唯可にはさっぱり見当もつかない。
やがてエレベーターは六階に辿り着き、軽い電子音と共に両開きの扉が開いた。
そこにあったのは……
「うわぁ……凄い……!」
「これは……圧巻なんです……!」
唯可とナタリーが感嘆の声を上げた。
鼻孔をくすぐる甘美な芳香がいやが応にも二人の胃を刺激し食欲を誘う。視界を埋める色とりどりのスイーツが二人をお菓子の楽園に来たことを教えてくれた。
「これが噂に聞くスイートランドかーっ! ふっふー! 今日は体重とか気にしないで甘い物食べまくるぞー!」
「ですね……じゅる」
「ナタリーよだれが垂れてる! はしたないよっ」
「はっ。わ、私としたことが……」
驚きのあまり他の客のことも忘れて騒ぎ立てる唯可とナタリー。彼女達は適当な席を選んで座ると、貴重品だけを持って各々好きな物を取りに席を立った。
とりあえず今は、最愛の人よりもスイーツを優先する唯可だった。
☆ ☆ ☆
同ショッピングモールに来ていた草加草次と痣波蜜希は、四階のフードコートにやって来ていた。土曜日の昼ということもあり、大勢の人間でごった返していた。これでは二人で座る席を確保するのも難しい。
「にしてもすっげー人」
「う、うぅ……っ。気持ち悪い……」
すると隣で、蜜希が顔を青くしながら下を向いていた。しきりに胸をさすりながら、
「やっぱり、無理……!」
蜜希はどこかへと駆けていってしまった。
「ちょっ」
すかさず草次がその後を追う。
しばらく走ると、あまり人気のない階段に辿り着いた。肩で息を切らす少女に草次が声を掛ける。
「どうしたん? 蜜希ちゃん、もしかして人混み苦手だった?」
「う、うん……。ごめんね、せっかく連れてきてくれたのに……」
「いやいや、気にしなくていいって! もともとは勝手に連れ回した俺が悪いんだから!」
「で、でも、……お、お礼するつもりだったのに……こ、ここ、こんな……」
なおも謝ろうとする蜜希の肩に手を置き、草次は安心させるように告げる。
「いやまあ、もっと気を使うべきだったよなー。フードコートはしんどいし、とりあえず五階のレストランエリアに行こう! あっちは人少ないっしょ?」
そう言うと、草次は蜜希の返事も聞かないで歩き出した。
だが、なおも歩こうとしない蜜希が気になり、彼は一度立ち止まって彼女の方を向いた。
「どしたん? まだ何かあんの?」
「い、い、いや……そそ、そういうわけじゃ、ないんだ、けどね……。ただ」
「ただ?」
か細い声で尋ねる蜜希の表情は暗い。
「ど、どうして、私と一緒に、デートなんか……?」
対して草次の返答は一言。
「え、もう一回おっぱいを揉むチャンスを……えぎッ!?」
瞬間、股間に衝撃。草次はまたを押さえて膝を屈し、地面に崩れ落ちた。
「お、こぉ……ッ!!」
「し、真剣に聞いてるのに……! も、もも、もう、し、知らない!」
プンスカ可愛らしく怒って階段を上がろうとする蜜希。
草次はそんな彼女を倒れ伏しながら見上げる。そして蜜希があとちょっとで階段を上りきる————そこで。
「よっしゃああああああああああああッ!! 黒のレースゲットォオオオオオ!!」
「きゃああああああああああッ!?」
草次の雄叫びの意味を瞬時に理解した蜜希が、顔を真っ赤にしてスカートを両手で押さえた。林檎のように赤いその顔で、草次をなじる。
「ば、ばか! 変態! セクハラーっ!! もう草加くんなんて大ッ嫌い!!」
「エッロイぱんつ穿いてんなー! あと良いふとももだ!!」
「全然話聞いてないしー! ばかーっ!!」
今まで出したこともないような大声を出して、蜜希が抗議する。
対して草次はとても良い笑顔で蜜希の顔を見つめた。
「いやー、やっぱ蜜希ちゃん可愛いなあ! めっちゃタイプだ!!」
「う、ううう、うるさい! 変態! 変態嫌い!!」
「またまたー。蜜希ちゃん可愛いよ」
「うぐぐぐぐぐ……っ!」
「超可愛い! 好き、超好きだ!! 好きだああああああああああああッ!!」
「はぐふぅ……」
蜜希だって、草次がふざけていっていることは分かっている。可愛いと思ってくれていることは事実だろう。だが、だからと言って彼が『そう言う関係』を望んでいるかと言えば、それは否だ。そんなこと人付き合いの少ない蜜希にだって分かる。
ただまあ、あんなにも良い笑顔で自分のことを褒めちぎられていい気がしない訳がなかった。というよりメチャクチャ嬉しかった。
「と、ととと、とにかく、はっ早く行こう」
「だな!」
返事を返し、草次は痛む股間を小さく押さえながら立ち上がった。ぴょんぴょんとその場で数回跳ぶと、深く息を吸って精神統一。
その様子に、蜜希が若干暗い声色で尋ねた。
「だ、大丈夫……? つ、つつ、潰れてない……?」
「だい、じょうぶ……。潰れてない……!」
蜜希からなんとも恥ずかしい心配を受けてしまった。死にたくなった草次だったが、自業自得なので仕方ないと諦めて階段を上った。
「んで、何食べたいー?」
「な、なな、何でも良い、よ……」
「そっかー。じゃああの『世界のゲテモノ料理店』に……」
「やっぱりラーメンが食べたい。ほら、行こう? あっちには何もないから」
「なあなあ。コオロギとかムカデとか……」
「く、草加くん、あっちには何もないよ」
世界ゲテモノ料理店へ向かおうとする草次の手を無理矢理引いて、蜜希は近くのラーメン店へと入っていった。
「へいっしゃーい! おっさまー二名様ごらえんぇーす!!」
何を言っているのか分からない店員の出迎えを受けた蜜希が困惑している間に、彼女の手を握って離さない草次が笑顔で受付を済ます。
「あっざいまーす! すぐぉ案内いたしますのでー! 椅子にかけておあちくあさいあせー!!」
「な、なんて言ってるの……?」
「さあ? いらっしゃいませーとか言ってるんじゃね?」
「そ、そうなんだ……」
二人は一分も経たない内にテーブル席へ案内された。向かい合うように座る。メニューを開いて、二人顔を近づけて何を食べるかあーだこーだと言い合う。
「じゃあ俺は豚骨でー!」
「わ、わわたし、は……醤油ラーメン、で……」
「あいー! ぉんこつ一つと、醤油ひっとつぇー!!」
「…………」
相変わらず何を言っているのか分からない店員の声を聞き流していると、蜜希のスカートのポケットが震えた。
「……?」
スマホが鳴ったのだ。彼女はポケットから端末を取り出すと、メールを開いた。
「えーと……」
彼女は顔に困惑の色を浮かべると、画面を草次の方へ向けた。
彼は一瞬眉を怪訝そうにひそめる。
画面にはこうあった。
『任務だよん。東京スカイタワーに来てー』
「か、軽い、ね……」
「……サボるか」
「だ、ダメだよ!」
「ええー、せっかく蜜希ちゃんとデートしてたのにー」
「ま、まあまあ……。ま、まままた、また今度……してあげるから……ね?」
「マジで!? よっしゃぁあああああああああああああああああああああッ!!」
そこまで喜ぶ必要はないと思うが、別に悪い気はしなかったので何も言わないでおいた。
やがてラーメンが来て、二人はそれを平らげると仕事へ向かった。ショッピングモールを出て、渋谷の街を歩く。
「さて、んじゃあ仕事に行くかー!」
「うん!」
先を行く草次を、蜜希が小走りで追いかける。内気な彼女には珍しく、その顔は笑顔で真っ直ぐ前を向いていた。




