終章 崩壊への序曲――狩真――
あの戦いから一週間が経った。
あの後、満身創痍の友介とカルラは、土の中に埋まった他のメンバーを探すのに四苦八苦した。幸いにも深い所に埋まっておらず、息もしていた。唯一草加草次だけが死にかけていたが、友介もカルラもあまり興味が無かったので応急手当だけして放っておいた。
千矢と蜜希は外傷がほとんどなかった。
気絶した草次を千矢が文句を垂れながら担ぎ、足をふらふらさせつつも自力で下ろうとする友介にカルラが肩を貸した。字音は涼太を背におぶり、蜜希がそれを心配そうに見つめていた。
当然そんな血だらけ泥塗れの状態で交通機関を使える訳もないので、七人は歩いて帰った。
そして、今。
「友介ー。ご飯だよー」
「……ぁ、ああ……出来れば食べさせてくれ」
「いーや! 怪我してるからって甘えないの。もう高校生でしょ? 中学生の妹にご飯食べさしてもらって友介はなんとも思わないの?」
家から持ってきた弁当を開け、綺麗に焼き上がった卵焼きを箸で掴んで友介の口へ運びながら杏里が唇を尖らせた。
寄越された卵焼きを一口で食べきり、ご飯を催促する。
「ったく……」
やれやれとでも言いたげにため息を吐いて、杏里がご飯を食べさせてあげた。
「あのね、いつまでも私に甘えてたらダメなんだよ? まさか友介、将来奥さんにもそんなことしてもらうつもり? 愛想つかされるよ」
「大丈夫だ。俺もあいつにあーんしてやるくらいの男になるから」
「うわぁ……、それ、空夜さんが聞いたら何て言うかな」
「キモイって言うだろうな」
「自覚あるんだ」
真っ白な部屋。都立病院の個室でそんな他愛ない話を続けながら、友介は一週間前の顛末を思い返していた。
あの時、尋常でない状態だった涼太を治療するためにも、どこかの病院へ字音と涼太を連れて行かなければならなかった。しかし、都立病院や国立病院などは政府の——より正確には『総帥』の——息がかかっている可能性が高いため利用できない。蜜希がおっかなびっくりながらも、彼女の個人的な知り合いが責任者を務めている病院を紹介してくれていなければ、今頃涼太は死んでいたかもしれない。
字音に交通費と治療費を渡した五人も、タクシーを借りて病院まで向かい——そして今に至る。
「ほんと、最初病室に入ったときはびっくりしたわ……。全身グルグル巻きだし、聞いた話じゃもう死ぬ一歩手前だったらしいじゃない」
「ああ、それで泣いてたのか」
「はっ!? な、泣いてない! 泣いてないから! もうそんなんじゃ泣かないし!!」
「でも六日前この部屋に入ってきた時、お前目真っ赤……」
「ああ! あーっ!! 聞こえない聞こえない!!」
「ここ病院だから静かにしろよ」
「う……っ! ま、まあいいわ。泣いてたと思うならそう思っとけば良いわ。 友介がそう思うならそうなんでしょうよ」
杏里の無駄な抵抗を適当に受け流すと、友介は腰を浮かしてゆっくりと立ち上がった。同時、杏里の手が素早く動き、気付けば箸が眼球の一ミリ手前で止まっていた。
「座れ」
「い、いや、俺ちょっとジュースを……」
すると杏里は、箸を持っていない方の手で近くに置いてあった鞄をまさぐり、市販のミルクティーを取り出した。
「すわれ」
三度目はないぞ、と。その目は雄弁に語っていた。
「はい」
こめかみを冷や汗が流れた。もう一度ベッドへ腰掛けると、杏里は可愛らしい笑顔を浮かべてきた。
「ご飯も食べさせてあげたし、私はもう帰るね」
「あれ、もう帰んのか?」
「うん。そろそろ試験が近いから」
その言葉が出た瞬間、二人の間でどんよりとした空気が流れた。
「それじゃあ、バイバイ」
「おー、じゃあな」
軽い挨拶を交わすと、杏里は病室を出た。後ろ手に扉が閉められる——その直前。
「あ、そうだ。あの字音って子しばらくウチに居候するから」
「はあ!?」
とんでもないことを言い残して、今度こそ彼女は扉を閉めて友介の視界から姿を消した。
杏里がいなくなったので、友介は当然のように彼女の言い付けを無視して病室を出た。
気だるそうな表情で廊下を歩いていると、前方に見知った後ろ姿があった。
小柄な体と長い赤髪。病院の中だからか、腰に長刀はぶらさがってはいないが、あの小学生のような後ろ姿は間違いなく風代カルラだった。彼女はその手に、フルーツが入ったかごを持っていた。誰かのお見舞いだろうか。
彼女はキョロキョロと周りを見渡していた。おそらく目当ての人物の病室を探してるのだろうが、一向に見つかる気配がない。
友介はしばらくそんな彼女の様子を眺めていたが、ふいにアイスの約束を思い出してしまった。奢りたくない友介は回れ右して病室へ帰ろうとした。
(やっぱり言い付けは破るもんじゃねえな)
しかし、
「あ、いた」
とても嫌そうな顔をしながら振り向く友介に、カルラは「ぶっさいくな顔ね」と突き放すように言ったのだった。
「ほらよ」
乱暴に投げられたアイスクリームを片手でキャッチしたカルラは、いつまで経ってもスプーンを渡して来ない友介を睨みつけた。
「……啜れと?」
「何で最初に出てくる食い方が『啜る』なんだよ」
美少女がアイスクリームを啜っている姿だけは見たくなかった友介は、大人しくスプーンを渡してやることにした。
「それにしてもお前……何でイクモンダッツなんだよ。お前には優しさとかねえのか」
「だって勝負に勝ったし」
病院内にあるコンビニから出た友介とカルラは、近くにあるベンチに腰掛けた。
「土御門字音はしばらくの間ウチで預かることになったみてえだ」
「ああそうなの。光鳥にはバレないようにしなさいよ」
「だな。まあもうバレてるだろうけどな」
「違いないわね」
隣ではカルラが美味しそうにアイスを食べている。その表情は幸せそうに見える。ただ……
「そうだ。お前一体誰のお見舞いに来てたんだ」
「アンタと草加草次。二人とも死んでもおかしくない傷負ったらしいしね。常識としてよ」
そう言うと、カルラは隣に置いていたフルーツの入ったかごを友介に渡してきた。
友介は一言礼を告げると、ありがたく受け取っておいた。
「そう言えば安倍涼太はどうなってんだ?」
「さあね。けどまあ、アイツはもう一生自由の身にはなれないでしょうね。土御門字音と違って、あいつには直接的な武力があるし」
「まあ、そうか」
結局、字音を政府から遠ざけようという五人の決定によって、初めての任務は失敗という事になった。
ただ、市立病院に預けた涼太は、結局光鳥に見つかってしまい回収されてしまった。今はもう、国立病院で最新の治療を受けてリハビリでもしているはずだ。
それからしばらく沈黙が流れた。そして合図なども無しに、どちらともなく立ち上がった。
「じゃ、私は用が済んだし帰るわ」
「おう、じゃあな」
適当な挨拶と共に二人は別れる。ひらひらと手を振って真逆の方向へと歩いて行く。
離れていく二人の距離とは対照的に、彼らの仲は少しだけ縮まっていた。
魔術圏西日本帝国・京都府某所。
住宅が建ち並ぶ街の一角に、とある家族が暮らす一軒家がある。外装は黒で統一されており、かと言って異様な雰囲気を醸し出している訳ではない。その地域の空気に完全に溶け込んでおり、近くに住む誰もそこに住む人間達のことを疑うことはない。
時刻は丑三つ時。草木も寝静まっているようなこの時間に、壁を叩くような音がその家から漏れ出ていた。カタン、カタン、と。同じ音が同じ間隔で鳴り響く。
「おいおい、涼太くんよお。やられちゃったはねえだろうがよお。せっかく俺がチューニングしてやったってのに、その金と時間と労力を無駄にしてくれやがったよ」
苛立たしげな声とは裏腹に、少年の顔には残酷に引き裂かれた笑みがあった。囚人をいたぶることが趣味な看守が浮かべるような残忍な笑み。暴力に快楽を見いだしている異常者だけが浮かべられる笑みだ。
少年はその狂ったような笑顔を崩すことはない。手に持ったナイフを、壁に貼付けた一枚の写真に何度も突き立てていた。すでに写真は穴だらけで、元々誰が写っていたのか分からなくまってしまっている。着ている巫女服から、辛うじて写っているのが少女だと言うのが分かる。
機械のように同じ作業を繰り返しながら、少年は写真の仲の少女へ語りかける。
「待ってろよお。すぐに殺してやるからなぁ」
ひひっ、と引き攣った笑い声が暗い部屋に響いていた。




