第四章 少年・涼太 5.髑髏の舞
時が止まったかのように音が消えた。今まで狂乱が嘘みたいにだった。静寂が場を支配した。友介を喰い殺さんと殺到していた屍人達は、一つの例外もなく停止している。止まっているのではない。電池がきれたオモチャみたいに、微動だにしなかった。
そしてその均衡はすぐに崩れる。
白骨化しても動いていた死体達が次々と倒れていった。何百——否、千にも及ぶ数の人の死体が一斉に倒れたことにより、静寂から一転、音の洪水が友介の耳を打った。
やがてその轟音もやみ、再度の静寂。見渡す限り死体が転がる廊下で、安堵友介は尻餅をついたまま呆然と呟いた。
「助かった、のか……?」
「みたいね……」
カルラの言葉を受けてようやく、自分が助かったことに実感を得た。思い出したかのように疲れがどっと押し寄せてきて、友介は仰向けに床に転がった。
長い長い息を吐いて、生き残った実感を確かめた。
「なんとかなったな……」
「そうね」
直後のことだった。
そこら中に転がっていた死体全てが、猛スピードで天井に激突した。意志を持ってジャンプしているようには見えない。何か糸に引かれて無理矢理引き上げられているような。あるいは、釣り糸に引っ掛かけられているかのような。何らかの外的要因によって無理矢理力を加えられているかのように見える。
激突は止まらない。何度も。何度も。天井を壊そうとするように、その体を硬いコンクリートにぶつけ続けている。
轟音が友介とカルラを襲う。幾重にも折り重なるその音は、不協和音となって二人の精神を少しずつ削っていた。
「おい何だこれ!?」
「知らないわよ!」
パチンコ店の中で話しているみたいに、二人の声は死体達が奏でるドラム音にかき消されてしまう。
☆ ☆ ☆
異常は当然、草次達の目の前でも起きていた。
草加草次に敗れ地面に倒れ伏していた土蜘蛛が爆散したのだ。ばちゅっ! という粘質な音共に飛び散ったのは、体液でも内蔵でも四肢でもなく——糸だった。
土蜘蛛の体が無数の糸に分解されたのだ。
それらは全てピンと針のように張ると、床を貫いて階下へと潜った。
呆気に取られる草次を放って、事態は進行していく。
土蜘蛛の体は完全に消え、後には白骨した骸骨が二、三個ほど床にぽつりと取り残されていた。
糸が全て消えると、床から震動が伝わってきた。床の下に地獄が広がっていて、そこに捕われている罪人達が助けを求めてしきりに叩いているように感じた。
振動はやむことがない。さっきまで土蜘蛛が暴れていたこともあり、床の耐久力は著しく低下していた。建材の限界が訪れるまでそう長くはかからなかった。
「…………っ」
バキリ、と嫌な音が足下から鳴ったかと思えば、すでに手遅れだった。
床が沈み、直後に崩落した。
「な、うわあああああああああああああ!!」
「きゃああ!」
草次と字音が悲鳴を上げ、蜜希と千矢は驚顎に絶句した。
「かかっ!」
耳障りな魔術師の笑い声が届いてきた。ただその声に、意志のような物は感じられなかった。己の式神が破れて、精神がおかしくなったのかもしれない——そう考えていた草次だったが、真実はもっと悲惨だった。
「かかかかっか! かか! かかかかかかかかか!!」
まるで壊れたみたいに声を上げる安倍涼太。その端正な顔立ちを不気味に歪め、少年は己の内から湧き出る正体不明の声に従い続けた。
「殺す殺す殺す殺す!! ひひひひいっひひひっひ! ぎゃははは! 俺は! 殺す! だってそれが俺が生まれた理由だから! それこそが存在理由!! だから殺す。殺させろ。殺させろ。じゃないと」
一人で喚き続ける安倍涼太に、草次は違和感のような物を感じた。
やがて背中に強い衝撃が伝わってきて、自分が一つ下の階に堕ちたことに気付いた。
「つつつ……いってえ……っ」
痛みに悶え、腰をさすりながら立ち上がる草次は、そこで周囲に視線を走らせた。瞬間、呼吸をするのも忘れてその場に立ち尽くしてしまった。
数千にも及ぶ数の死体が、次々と一点に集まっていった。さきほど土蜘蛛の体内から現れた三つくらいの骸骨の塊へ。しかも死体共は、ただ乱造に集まっているのではない。膨大な数のそれらは、何らかの形を作るように凝縮されていく。
「ひゃあはっははは! 寄越せ、寄越せ寄越せ寄越せぇ!! 俺は字音を殺す。殺すんだよオオオオオ!!」
死体の集合体が、徐々にその形を整えていった。人の形に。白骨死体の塊は巨大な人間のような風貌へと変じた。辛うじて肉や皮膚が残っていた死体から、全ての肉が溶けるようにボトボトと地面に落ちた。始めは無数の骸骨が集まって人の形をしていたのが、さらに変化した。ずぶずぶ、ずぶずぶ、と。死体と死体が解け混ざり合い、完全な一個の人の形を作った。全長は三十メートルを越えるだろうか。三階建ての洋館の天井までをぶち抜いた巨人の骸骨が遥か上から、静かにこちらを見下ろしていた。
「これ……がしゃどくろ……!?」
字音が絶望したように呻いた。顔を蒼白にさせ、全身の震えを押さえようと両肩を抱いている。
がしゃどくろ。割と歴史の浅い妖怪で、人間の骨で出来た体を持っている。人々の無念や怨念の塊の象徴でもあり、生きた人間を見つけると握りつぶして食べてしまうという。
安倍涼太はそのがしゃどくろの肩に乗り、顔面に凶悪な笑みを張り付けて字音だけを見つめていた。
「ははは。いいぞ、その顔。その絶望に塗れた顔が見たかったよ!!」
「……なん、で」
「ひははははははははは!! ぎひひひ! ひひひひひひひひッ!」
「なんでそんな風になっちゃったの……?」
少女の小さな疑問は、届かない。
直後に。
洋館ごと押し潰すように、巨人の掌が地面を叩いた。




