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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第二編  陰陽の死角
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第四章 少年・涼太 4.草加草次

 ぶちり、という嫌な音が脇腹の辺りから聞こえてきた。深く肉を噛みちぎられ、少なくない量の血が流れ出した。痛みというよりも熱のような感覚が局部を中心に広がっていく。


 溜まらず膝を突きそうになるのを寸前で抑え、友介は、肉と一緒に服も噛みちぎった屍人の脳天に風穴を開けた。脳を飛び散らせた屍人は体を思い切り仰け反らせた。

 敵の隙を自ら作り出した友介は、さらに踏み込んで屍人に刻み付けた『急所』を思い切り叩く。それだけで、不休の化物の体が粉末へと姿を変えた。


「ぎ……っ!!」


 噛みちぎられた脇腹が痛む。『崩呪の眼』を長時間・高頻度で使用にしたことよる副作用の影響が脳を侵蝕する。刺すような痛みが左目の奥から脳髄の中心へと広がっていた。だらだらと滝のように血が流れ、景色も霞み始めていた。


(まずい……もう、限界だ……っ!!)


 離れた所で戦っているカルラにも限界が近付いているだろう。

 もうすでに殺した数は百を下らないが、それでも減っている気がしない。

 気が遠くなるような数の屍人達を見て、いよいよ表情が青ざめ始めてきた。


(クソが……ここで死ぬのか……? 俺は、こんな所で。何も成し遂げられないまま……唯可に再会することも出来ず、訳も分からないままゾンビに喰われて死ぬってのかよ……!!)


 しかしどれだけ抗おうとしても、圧倒的物量の前では全て無駄なことだ。彼の必死の抵抗も虚しく、状況は秒を追うごとに悪化していく。

 そして、限界が来た。

 両手から力が抜け、握っていた拳銃が床に落ちた。やがて冗談のように膝から力が抜け、顔面から地面に崩れ落ちた。


 もう言葉を発することも出来ない。

 朦朧とする意識の中。

 必死の形相でこちらへ何かを叫ぶカルラの姿があった。

 彼はそれを、どこまでも無気力な瞳で眺めていた。

 弱り切った獲物に獣達が群がったのは、そのすぐ後のことだった。



 化け蜘蛛の大きな口が、呆然と座り込む蜜希を呑み込まんと迫った。

 草次はそれを、ただ見ていることしか出来ない。

 殺される。彼女は——痣波蜜希は殺される。戦闘手段を持たない彼女は、何の抵抗をすることもなくあの大蜘蛛に噛み砕かれて殺される。

 そして、草加草次はそれを見ていることしか出来ない。


(ダメだ……)


 目の前で女の子が殺される。


(そんなの……許されない……)


 痣波蜜希という一人の少女が。

 その人生が。

 幕を閉じる——。


☆ ☆ ☆


 少年が生まれ育ったのは、科学圏では珍しい、自然が美しく空気が澄んだ田舎の村だった。

 草加草次の家は代々農業を営んでおり、彼はとある農家の五人の男兄弟のうちの次男だった。幼い頃から、母親を除けば女の子と話したことなんて一度もなく、たまに村にやって来る女子大生くらいの女の子が、小学生の草次にとっては全てだった。


 彼の家庭は相当貧しい暮らしをしており、それは今も変わらなっていない。理由はひどく単純で、そもそも農家の作物が売れないからだ。科学圏の飛躍的な技術進歩は農科学方面へも大きく貢献し、品質向上・大量生産を実現。人件費の削減と効率的な生産方法の確立により価格が大幅に下げられ、作物の栽培は一種の大きなビジネスとして多くの企業が注目した。それにより、品質こそ負けていないものの、価格の面で大きく劣る農家の作物は市場でも相手にされないようになり、結果彼らの稼ぎはうんと減ってしまったのだ。科学進歩が生み出した負の影響が草次の家にまで及んでいた。


 そんな貧しい家庭で暮らしていて、草次は辛いと思った。

 別にお金がないことや、欲しい物が買えないことが辛かったわけではない。草次や彼の兄弟達に、オモチャの一つも買ってやれないと、子供達が寝静まった後に泣いていた母と父の涙を見て、彼は溜まらなく悔しくなった。

 あの涙を止めるためならば、彼は何だってしようと思った。


 だから、彼は己の体を実験台にすることで巨額の金を得た。

『闘神種創造計画』。

 本来ならセーブを掛けられている、人間が使用出来る力の上限を底上げするための計画に手を貸した。


 親には内緒で様々な危険な仕事を請け負って金を稼いだ。今だってこんな胡散臭いチームに所属して仕事をしている。

 だが、それにもさすがに限界がある。どれだけ家族のためと気張った所で、いつかは限界が来てしまう。恒久的な目的だけで走り続けることは出来ない。

 誰に教えられた訳でもないが、草次はそんな当たり前のことが分かっていた。


 だから、もう一つ理由が必要だった。

 その場その場で戦うための理由を。

 たった一つ、たった一秒。その一瞬に全ての力を出すための誓いを。

 過去に何か辛い過去があった訳でもない。

 大切な誰かと交わした約束でもない。

『女の子を大切にする』という彼の生き方は。

 すなわち彼自身の心を守るための物でしかなかったのだ。

 それは彼の、自己満足だった。やりたいことだった。わがままだった。


 だから、

 少年は、

 その誓いを破るわけにはいかない。

 そんな格好悪いことをするわけにはいかない。将来、過去を振り返った時に後悔しないためにも————




「————俺は、立つよ」



 限界などとうに越えている。左肩を始めとした体の至る所が悲鳴を上げているし、全身を包み込む寒気はさっきよりも数段増()している。末端の感覚なんて当然なくて、体の中にある芯のようなものもズタズタに引き裂かれている。


 でも、折れない。

 確かに体は死に向かっている。着々と暗闇が近付いているのも分かる。

 けれど、少年はまだ死んでいない。微細ながらも指先は動くし、脳は演算をやめていない。何よりも、彼の心臓はまだ強く生の証を打ち続けていた。


 草加草次は対物ライフルを杖のようにして床に突き、ゆっくりと歩き出した。

 ——足は動く。

 やがて歩行が安定し、杖なしでも歩けるようになった所で、対物ライフルを右手一本で構えた。

 ——腕も動く。

 照準を土蜘蛛に合わせ、引き金に指を掛けた。

 ——指も動く。

 ——だったら。


(あとは、こいつを引くだけだ!!)


 閃光と爆音。

 音速の倍以上の速度で発された弾丸は、寸分違わず土蜘蛛の足——その関節をぶち抜いた。人知を越え、伝承の域にあった化物の足が、割り箸を横に折るようにして千切れる。

 バランスを崩され狙いがズレたことにより化け蜘蛛の口は蜜希を襲うことはなかった。土蜘蛛は顔面から床に叩き付けられる。激痛からか、甲高い悲鳴を上げていた。


 その光景を、息をするのも忘れて見つめている影が一つあった。


「…………」


 安倍涼太だ。彼はただ呆然と目を見開いて倒れ伏した土蜘蛛を見つめていた。

 そこへ、


「…………け、ないだろ」


 声が。

 音割れの激しいCDのように擦れた声が届いた。

 視線をそちらに向ければ、満身創痍で今にもぶっ倒れそうな、取るに足らない誰かが立っていた。

 あれはもう、驚異たり得ない。敵として認識するにはあまりにも脆弱過ぎる。土蜘蛛に一つ命令を飛ばせば、儚い弱者の命は簡単に散ってしまうだろう。


 なのに。

 それなのに。


「……づ!!」


 脳の中心に刺すような激痛が生まれた。安倍涼太の海馬の奥深くに眠らされている『何か』が、今のこの状況に刺激され痛みを発した。


(なん……っ!?)


 己の体に起きた突然の変調に困惑する安倍涼太を放って、少年は残る僅かな体力を振り絞って己に言葉を叩き付けた。



「男が一度決めた道を曲げるなんて、そんな格好悪いこと出来るわけないだろうが!!」



 ギラリと光る草加草次の瞳に射抜かれた瞬間、涼太の全身をぶわりと脂汗が覆った。

 目の前の男の体は赤い血と青い痣で変な色に変色していた。顔と言わず腹と言わず、全身のあちこちからドロリとした赤い液体流すその少年は、誰がどう見ても圧倒的弱者であり、すでに敗北一歩手前の人間であるはずだ。にもかかわらず、伝承級魔術師であるはずの安倍涼太が気圧された。


 ザリ……、と己の足が半歩後ろへ引かれたことに、魔術師は気付いていない。

 脳の奥で生まれた頭痛がさらにその鋭さを増した。

 少年が一歩を踏み出す。

 紛れもない、倒すべき敵がそこにはいた。


「……こ、ろせ」


 命じる声は震えていた。それが恐怖によるものだと気付いても、少年は怒りを覚えない。別に震えていようが恐怖を抱いていようが、土蜘蛛がたった一度殴打すれば死ぬのだから。


「殺せェ!!」

「言っただろ」


 床を踏み砕き、土蜘蛛が突進した。字音の真横を素通りして、草加草次を喰い殺さんと歩を進める。そこに、千切られた足を気にする素振りは見られなかった。


「弱点は、見つけた」


 予想通り、土蜘蛛の足は回復していない。

 このたった一回の戦闘で彼の式神の弱点を見抜いたその洞察眼にも、安倍涼太は恐怖を覚えた。


「進め! そいつは驚異だ。お前の天敵だ。油断すれば喰われるぞ! 何を犠牲にしてでも殺せええええええ!!」


 たった数メートルの距離を一瞬で詰め、土蜘蛛が凶暴な牙が生える大口を広げた。

 草加草次はバレットM82を正面に向け、土蜘蛛の突進に対し真っ向から立ち向かう。


「————ッ!!」


 鋭く息を吸い、止めた。

 直後。

 ゴバッッッ!! と。

 土蜘蛛の足の関節の全てで禍々しい橙色の炎が生じ、膨張した。局部が爆散し、棍棒のような足がヒュンヒュンと風を切りながら空を舞う。七本の棍棒が奏でる風切り音は、草次を別世界に引きずり込もうとしているかのようにも思えた。


 視界の先。安倍涼太の背後で、川上千矢が眼鏡を押し上げながら不敵に笑っているのが見えた。草次の目の前で起きた怪現象は、おそらく彼が引き起こしたものなのだろう。


 だが、今はそんなことよりも目の前の敵だ。

 土蜘蛛は当然バランスを崩し、突進の勢いは己へと返ってくる。為す術なく床を滑りながら草次へと突っ込む土蜘蛛は、その時、目の前に立つ人間の瞳の中にあるモノに恐怖を覚えた。主人である安倍涼太が感じたのと同じように。


「終わりだよ」

「ギィイイイイイイイイイイイイイイ!!」


 大きな口が開き、草次を呑み込まんと闇が迫る。

 その闇の中心へ、草加草次は臆することなく飛び込んだ。

 そして。

 一つの銃声が鳴り。

 銃弾と共に草加草次が土蜘蛛の体を貫いた。

 背後で絶命した化物が地に堕ちる音を聞きながら、

 少年は雄叫びを上げて勝利を宣言した。



 異変は、直後に起きた。


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