第四章 少年・涼太 2.賭け
『良いか、良く聞け! 俺たちは今ゾンビの大群に襲われてる。このままじゃあ押し潰されて死んじまう。そこでお前らに頼みがある。館のどこかにゾンビ達を統率してる何かがあるはずなんだ。それを見つけ出して欲しい! 安倍涼太をはっ倒して聞いても良いし、探して見つけても良いから! ……ていうか安倍涼太をぶっ殺せ!』
何を言っているのかさっぱり分からない日本語だった。だが、草次は何となくのニュアンスだけ感じ取って返事を返す。
「ちょっ。友介くん、こっちだって立て込んでる。そんな暇ねえよ! あ、でも安倍涼太なら目の前にいる!」
『だったらさっさとそいつから情報を聞き出してくれ。もう時間がない。早くしてくれねえとマジで死んじまう』
「そんなに……?」
草次は言葉に心配の色を乗せて尋ねる。
『ああ。ギリギリの所で持ってる感じだ。頼む、お前らしかいない』
「……分かった。とりあえず目の前の化け蜘蛛を殺したら安倍涼太を捉えて聞いてみる」
『は? 化け蜘蛛?』
「うん! ごめん、こっちもヤバいしそろそろ切る——」
『ま、待て! 待て待て待て待て!!』
「今度はどうしたん!?」
『今化け蜘蛛って言ったな! そいつは糸とか吐くか!?』
「うん! 今も臭い口からデカイロープみたいな白い糸を吐きまくってるよ!!」
『それって多分、瀬川ミユを殺害するのに使ったアレじゃねえのか?』
「え、ああうん。言われてみれば」
どうしてそんな大切なことを見落としていたのだろうか。今になって、廊下に張り巡らされた粘質なロープみたいな蜘蛛の糸が、昨日見た瀬川ミユの遺体現場に残されていた、凶器となった白いロープと重なる。
『そうだ……そうかそういうことか!! 分かった、分かったぞ!!』
「ねえ友介くん。勝手にそっちで解決しないでくれる!?」
アサルトライフルで牽制しながら、土蜘蛛の豪脚から繰り出される砲撃のような蹴りを躱す草次。
電話の向こうでは友介の声が続いていた。
『クソ……。どうして今まで気付かなかったんだ。そうだ、あの体中に纏わり付いてくるような気持ち悪い感覚。あれは蜘蛛の糸に引っ掛かったときと同じもんだ……!』
「友介くん、話が見えて来ない!」
『分かったんだ! 屍人達を操ってたのはその化け蜘蛛の糸だった!』
☆ ☆ ☆
襲い来る屍人の群れを次々と薙ぎ倒しながら、友介は興奮気味に叫んでいた。
「屍人達を操ってたのはその化け蜘蛛の糸だった!」
やっと繋がった。友介の身に降りかかってきた数々の理不尽という点が、一本の線となって繋がった。
時折感じる身に纏わり付く不快な感触は、友介が常に蜘蛛の糸に引っ掛かっていたから。
死体達が動く事が出来たのは、彼らが『起き上がった』からではなかった。体に糸を縫い付けられて、まるでマリオネットのように操られていただけだった。だから頭を撃っても止まらないし、糸が縫い付けられている部位なら体から切り落とされてもトカゲの尻尾のように動くことが出来る。逆に、安倍涼太がケチって糸を縫い付けなかった部位は、糸を縫われた部位から切り離されると動くことが出来ない。
昨夜屍人達が友介の目の前で停止してしまったのは、おそらく糸の伸縮限界を越えてしまったからだろう。目一杯に蜘蛛の糸が伸びきってしまったためうんともすんとも動くことが出来なかった。
答えは出た。
後は……、
「その化け蜘蛛を殺せ! それだけで狂乱が収まる!」
☆ ☆ ☆
友介からある程度の事情を聞いた草次は、通話を切ると携帯をポケットに閉まって再度戦闘に専念した。
「さっきの電話は?」
「友介くん」
隣で涼しい顔をしながら尋ねてくる千矢。彼は両手にいくつかの爆弾を持ち、それらを適当に投げては後ろへ下がるというおおよそカッコイイとは言えない戦い方をしていた。
爆炎が蜘蛛の皮膚を焼くが、それは致命傷とはなり得ない。精々が少しの間動きを止める程度のものだった。
「炎が効かない虫とか最悪だな。どうする?」
「攻撃し続けるしかない!」
「そういうことではなくてだな」
千矢は心底呆れ返ったような声で、
「どれだけあの蜘蛛に弾をぶち込んでも止まらないんだぞ? だったら撃つだけ弾の無駄だろう。そうじゃなくて、もっと効率的な方法をだな」
「そんなこと言ったって。この状況でどうすればいいのさ!」
喚きながらアサルトライフルを乱射する草次。その銃口から放たれた鉛玉が土蜘蛛の腹や足、関節を次々と貫いていった。がくん、と僅かにバランスを崩したが、すぐに持ち直す。
「おいおい。そんな豆鉄砲で土蜘蛛を殺そうってのか? 笑わせんな」
「ぐ……!」
「テメエら弱者は大人しく俺にその女を差し出しとけば良いんだよ」
「ッ、出来るかよ!」
「そうかぁ? でも、お隣の男は別にやぶさかでもなさそうだけどなあ?」
「は?」
涼太の言葉の意味が分からず、一瞬その場で止まってしまった。
そして、すぐに意味を理解して、隣を見た。
そこには。
土御門字音の髪を乱暴に掴む川上千矢の姿があった。
「……なに、やってんだよ……」
「なんだ?」
「何やってるって聞いてんだよ!!」
「見て分からないのか? こいつを差し出せば俺たちは助かるんだぞ? だったら選択肢は一つ——」
しかし、千矢の言葉が終わるより早く、草次の拳が飛んでいた。顔面のど真ん中を捉え。、吹っ飛ばす。
「ふっざけんな!! お前どう言うつもりだよ!!」
「ああ?」
不快そうに顔を歪める千矢に、草次はさらに詰め寄った。襟首を掴み、叩き付けるように言葉を吐く。
「男が女の子を盾にして生き延びようとしてんじゃねえ!!」
ほんの僅かな静寂が訪れた。
やがてそれは、安倍涼太の笑い声によって崩される。
「ははははははは! 何だそれ! 馬鹿みてえだな。その信念は大したものだけどよお……それで死んじゃ意味ないぞ?」
「うるさい。お前みたいに女の子を追い回すしか能のない負け犬は、大人しく怪物に守られといたらいいよ」
「なんだそれ? 挑発のつもりかぁ?」
「違うよ。事実だよ」
スッ、と安倍涼太の眉が不快げに動いた。
「はは、おもしれえ。お前最高だな。その心意気は認めてやる。けどよお——」
そこで一転、安倍涼太の声が鋭く冷たい、僅かに笑みを含んだものに変わった。
「これを見ても、そんな強気な態度でいられるか?」
そう言って彼は、一つ指をパチンと鳴らす。するとどこか遠くからカサカサカサカサという擦れるような音が届いてきた。まるで大量の小さな虫が動いているかのような音。そして実際その感想は間違っていなかった。涼太の背後の曲がり角から、群れをなした大量の小蜘蛛が姿を現したのだ。
それら蜘蛛の大群は、小さな力を合わせて一つの物体を運んでいた。
最初は人形だと思った。
けれど、違う。
小蜘蛛達が運んでいるのは人形などではない。
それは——。
気絶した痣波蜜希だった。
「……どう、いう……?」
「こいつ、呑気に部屋でパソコンなんてしてやがったからな。使えると思って拉致ったんだよ」
安倍涼太は顔に貼付けた笑みを崩さない。
「じゃあここで提案だ」
悪魔の囁きが草次の脳へ響いてくる。
その提案とやらがろくなものでないことくらいは、馬鹿な草次でも簡単に分かった。
「もし字音を俺に渡してくれればこの女は見逃してやる。ただし、まだ抵抗を続けるって言うのなら話は別だ。先にお前を存分にいたぶってから、動けなくなった所でコイツを殺す」
草次は、すぐ近くで倒れている土御門字音に目をやった。下を向き、ずっと床を眺めている。渦中にいながら何も出来ないことが悔しいのか、音が聞こえてきそうなほど強く拳を握りしめていた。
草次は思う。
この少女は、はっきり言って草次とは何の関係も無い女の子だ。友達などでは決してないし、そもそも会話すらしていない。本当なら彼女を守る義理などない。
そしてそれは蜜希にしても同じだ。彼女とは確かに色々な話をしたが、だからと言って命を懸けて守りたいと思うほど大切な人という訳ではない。
でも。
だけど。
草加草次は——ただの少年はこう思ってしまうのだ。
————本当にそれで良いのか?
自分の女の子に対する思いは。
この世の全ての女の子が好きだというこの生き方は。
その程度のものだったのだろうか。
(いいや、違うはずだ……)
女の子の命と自分の命を天秤にかける。
迷いなどなかった。
答えなど最初から決まっていた。
いつか現れるであろう、自分を好きになってくれる女の子に胸を張れるような男になるためにも。
少年は、
己の心臓を捨てた。
☆ ☆ ☆
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
発砲音が二発。
音速超過で発射された弾丸が、屍人に刻み付けられた『急所』たる黒点を貫いた。ガラスにヒビが入るような音が鳴り、直後に体が粉々に粉砕された。
友介は現在、『右眼』と崩呪の眼の能力をフルに活用して戦っている。
屍人達の動きを予測し、的確に攻撃を繰り出す。当然、弾丸の無駄遣いはしない。拳銃の尻やグリップで『急所』を破壊するように心がけていた。
ただ、そのせいで体力がみるみると削られていた。スタミナだけの問題ではない。
むしろ問題は、目の方だ。特に左目の損傷が激しかった。
二年前と同じ。
短時間に何十回も『急所』を作り出すことによる副作用なのか、左目の奥からドロリとした血が流れ出ていた。血涙を流しながら、友介は屍人達を壊し続ける。
それに右眼の能力の副作用もまた出始めていた。脳が長時間高度な演算を行わされているため、熱湯を注がれているかのように頭の中が熱い。
「があッ!!」
それでも、立ち止まれば喰い殺されてしまうかもしれないから。
腕を大きく振り回す。屍人の一体の顔面をグリップが叩き、その瞬間屍人の体が砂のような粉末へと姿を変えた。
さらに前へ。
しかし一歩踏み出したその瞬間、真横から腕を掴まれ——肩を噛まれた。
「ぎっ!」
それを無理矢理振り払い、ベルトから拳銃を抜いて顔面に鉛玉をくれてやる。
「はあ、はあ、はあ、はあ……ッ!! づ!!」
改めて患部を見てみると、少し肉が抉られていた。腐った果実のようにも見える。
「い、てえ……!!」
呻きながら、カルラの方を見てみる。
「はあ!」
怪我をしている様子はなかった。ただ、体力が限界に近いのか、少しずつだが動きが鈍り始めている。とは言え、それもしょうがないことだろう。あんな小さな体で、自分の身の丈ほどもある刀を振り回しているのだから。
一太刀一太刀に切れが無くなり始めている。大振りが増え、まるで刀に振り回されているのようにも見える。
(まずいな……あっちも限界か……)
彼女から視線を映し、再度己の敵へ集中する。
一旦後方へ身を引き、体勢を整えた。直後にどん、と背中に何かがぶつかってきた。
「風代か」
「ええ。そっちはどんな感じ?」
「いつ殺されてもおかしくない」
「こっちもよ」
「……あとどれくらい持ちそうだ?」
「いいとこ二分じゃないかしら。そこから多分崩れ始める」
「……そうか。俺はあと三分持つぞ」
「あ、四分だったかも」
「じゃあ俺は五分だ」
お互い息を切らしながらそんな軽口を叩き合った。
「なんだよ、まだまだ余裕そうじゃねえか」
「そっちは限界が近そうね。お墓は海に流してあげた方が良いかしら?」
「やめろよ縁起悪いな。こんな所では死なねえよ」
それに、死ぬわけにもいかない。
生きて『彼女』に会うまでは、死ねない。
「じゃあ、行くぜ。先にへばった方は勝った方にアイスとかどうだ?」
「乗った」
同時、二人は真逆の方向へと駆け出した。




