第四章 少年・涼太 1.土蜘蛛とゾンビ
巨大な蜘蛛が、その棍棒のような足を草次の脳天へと突き落とす。
草次は転がるような格好でそれを避け、お返しとばかりに蜘蛛の体に銃弾を叩き込んだ。ばちゅばちゅという粘質な音と共に風穴から緑色の体液が漏れ出た。
「うえっ」
しかし、土蜘蛛は痛がるどころか攻撃されていることすら気付いている様子は無かった。全長五メートルはあろうという蜘蛛が、突進してくる。体を目一杯大きく開き、通路を埋め尽くすような姿勢で突っ込んでくる。左右の壁をガリガリと削り取りながら、大口を開けてぎらりとした牙を剥いた。
「草加下がれ!」
突然鋭い声が上がり、草次の肩がビクリと震えた。が、すぐにそれが千矢の声だと察し、彼の言う通り後方へ思い切り飛んだ。
直後、草次の前方で二、三のプラスチック爆弾が舞い——起爆。
草次はとっさに目をつむって顔を背けた。
閃光と爆音が通路の端から端までを貫いた。
爆炎が土蜘蛛の皮膚を焼き、爆風によって化物の体は後方へと押し戻される。
「キィイイイッ!」
爆弾に指向性を持たせていたのか、草次に爆炎が届くことはなかった。爆風の余波のようなものが草次の体をさらに後方へ押しやり、土蜘蛛との距離が開いた。
草次は地面を転がって受け身をとると、すぐさま立ち上がって土蜘蛛の様子を眺めた。
「やったか!?」
「そんな訳がないだろう」
千矢と字音が隣に並んで同じように粉塵の奥へと目を向けていた。
「はっはー。やるなぁ。テメエら凡人にしては良くやれてるよ。でもダメなんだよなあ」
棍棒のような太さを持つ昆虫の足が黒煙を斬り裂き、化物の姿があらわになった。皮膚が僅かに爛れているものの、戦闘に支障が出るような傷はなさそうに見える。
「…………っ」
これにはさすがの千矢も唇を噛んだ。
「いくら大きくても虫だろう? どんな強度をしているんだ」
「どれくらいだと思う?」
安倍涼太が笑う。余裕の笑み。己の式神に絶対の自信を持っているのだ。
「さあ土蜘蛛。次だぞ、やれ」
妖怪と人間——その差は、大きい。
☆ ☆ ☆
「おい、これからどうすんだ」
「囮作戦とかどう?」
「却下だ。いくらなんでも後味が悪過ぎる」
「え、なんで私が囮になる事が確定してるの? アンタが囮に決まってるでしょ」
「冗談は胸だけにしてくれ」
悪態をつき合いながらも目の前の屍人達から目を離すことはない。それは自殺行為だ。
「つうかさっきから上で凄い音が鳴ってんだけどよ、大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょ。ていうか、私達に他人を心配する余裕があるの?」
「……お前が一番ソワソワしてんだけどな」
「うっさいわね」
「とにかくここから逃げるぞ」
「どうやって?」
すると友介はニヤリと笑って、
「こうやって!」
屍人達とは全く見当違いの方向へ発砲した。鉛玉は近くの壁を貫き——直後、壁がブロック状に破砕した。
「行くぞ、こっちだ!」
「あんたそれどうやってんの!?」
「さあな。なんかよく分かんねえけど使える!」
壁が消え、二つの部屋が繋がった。
友介とカルラは迷うことなく隣の部屋へ。一瞬この部屋にも屍人が大量にいるのではと危惧したが、杞憂に終わった。
友介はそれからさらに部屋をぶち抜き続け、四つほど部屋を移動した所で廊下へ出た。
目の前に一体のゾンビがいた。
「なああああ!?」
「ふひゃあ!」
二人して馬鹿みたいな声を上げて跳び上がる。
カルラがとっさに長刀の峰でゾンビの首を叩き、真横にぶっ飛ばす。
「これ、何がどうなってんの!?」
「知るかよ! 大体何で俺ばっかがこんな目に遭わなくちゃならねえんだ!」
「私に聞くな!」
罵り合いながらも廊下をひた走る。二人分の足音と、大量の呻き声が一階中に響いていた。
「とりあえず、一刻も早くあのゾンビ達を止めるぞ!!」
「どうやって?」
「考え中だ!」
「ほんと役に立たないわね!!」
ゆっくりと動く屍人達から姿を晦まし続ける友介達。
しかし、その均衡はすぐに破れた。
何度目かの角を曲がろうとした時のこと。バカン!! と突如すぐ近くのドアが外れた。内側からの負荷によって、扉の耐久に限界が訪れたのだ。
「おいおいマジかよ!」
扉の外れた出入り口から、体の腐った屍人達が次々と姿を現し始めた。
友介は銃を構え、カルラは腰の当たりに柄を持っていき、長刀の切っ先を後方へと向ける。
友介は躊躇なく発砲した。弾丸は寸分違わず屍人の脳天を貫き、その体が後方へと崩れ落ちていく。
しかし次の瞬間。
その腐った足が思い切り大地を踏みしめた。カーペットを踏む音が友介の耳朶を叩く。
「は?」
疑問の声を上げ——次の瞬間、友介の顔面に衝撃が走った。体が浮き、不快な浮遊感が友介の腹の底に溜まっていく。やがて背中に衝撃。肺から空気が吐き出され、まともに呼吸が出来なくなってしまう。
「かはっ!」
えずく友介へ、ゾンビがさらなる追撃を加えようと一歩を踏み出した。
まるでサッカーボールを蹴るみたいな調子で右足が振り抜かれる。
(ま、ず……ッ!!)
友介はとっさに腕を交差させて防御の姿勢を取った。
しかし、予想に反して蹴りが飛んでくる気配はなかった。その前に、カルラが屍人の足を切り落としたからだ。
「はあ!」
さらに三太刀を浴びせ、屍人の四肢を全て切断した。
「頭を撃って死なないのなら、行動不能にすれば良い! こいつらの動きを止め……ひっ」
勇ましく言ったカルラの声が、途中で怯えたものに変わった。
だがそれも仕方ないことだろう。
だって。
切断したはずの四肢の全てが、まるで意志を持つかのようにウネウネと動き回っていたのだから。まるで切り落としたトカゲのシッポみたいに。脳からの命令を受けていないはずの腕がカルラの足首をあらん限りの力を込めて掴んだ。ギリギリと音を立てるほどに。
「あ、ああ……っ!?」
カルラは顔中に脂汗を浮かばせながら、ひとりでに動く腕の手首を刀で斬った。
(ダメ、だ……。これ、何をしても離さない……!?)
しかし、無駄。
カルラの足首に掛かる負荷は、消えるどころか増していくばかりだった。
そもそもこれらは全て死体だ。屍だ。そんな物が動いている方が間違っているのだ。人間と同じ法則が通じる道理はない。
闇雲に刀を振るう。
二度三度振り——何か軽い感触が刀から伝わってきた。
「へ?」
直後、足首の戒めが解けた。カルラは呆けた声を上げ、その場で一瞬フリーズしてしまう。
「馬鹿! なに間抜けな顔してんだ! メチャクチャ集まってきてんぞ!」
「いや、だって……」
「話は後だ! ここを切り抜けるぞ!」
友介に怒鳴られ、ようやくカルラは意識を外へと向けた。
そして絶句した。
廊下は既に、腐りきった体をゆらゆらと左右に振る屍人達で埋め尽くされていた。
☆ ☆ ☆
「ど、どうすんのこれ!?」
「知るか!! 俺だって考えてんだ!!」
目尻に小さな水の球を浮かべながら、友介が怒鳴り返した。
死体。死体。死体。
歩く死体が、景色の全てを塗りつぶしていた。
通路の端から端まで埋め尽くされていた。もはや逃げ場などなかった。
ゆらゆらと体を左右に振り、口を半開きにしたまま友介とカルラを真っ直ぐに見つめる。まるで引きずるようにして、小刻みに足を前へと進める。
「こんなの……こんなのどうしろってんだ!!」
友介が情けない声を上げて喚き散らすが、当然助けなどこないし、奇跡も起こらない。
もうすでに、友介達は詰みの状態と言っても良かった。
致命的なことに、友介達は彼らを行動不能にする術を持ち合わせていない。切り落とされた腕がひとりでに動くなど常軌を逸している。そんな相手をどうやって行動不能にすれば良いのだ。そして、たとえその術があったとしても、この量の屍人を全て殺しきることは不可能。いつかどこかで必ず綻びが生じ、数の暴力に押し潰されるのがオチだ。
「なんだよ! 何なんだよ!! 魔術でも人を生き返らせるのは無理だったんじゃねえのか!! 全部デタラメじゃねえか!!」
「勝手に一人でキレるのやめてくれる!? 超鬱陶しい!!」
「お前だってさっき喚いてただろうが!!」
「私は良いの!!」
「なんだよそれッ!」
ずる……ッ、と。
屍人達がまた一歩踏み出した。彼我の距離が縮まった。
ゆっくりと、ゆっくりと。まるでいたぶるように。恐怖で正気を失っていく友介達を見て楽しんでいるかのように。意志を持たない屍人達がにじり寄ってくる。
「ど、どうすんの!? このままじゃホントに……!!」
カルラが友介の服の袖を掴み、呼びかける。しかし友介は、ギリギリと苦しそうに歯を噛むだけで、何も答えなかった。
少しずつ、けれど確実に屍人達が近付いてくる。
そして。
遂に。
「「「「「「ゔおああああああああああああああああああああああああああああああああ」」」」」
均衡が崩れた。
怨念でもこもったかのような雄叫びを上げながら、屍人どもが雪崩のように押し寄せてきた。
「ああもう!!」
「くっそが!!」
カルラと友介が各々の反応を見せる。
迫る人肉の壁に、友介は拳銃を向け、カルラは刃を煌めかせた。
「もうやるしかねえ!! 時間稼ぎだ!! これだけバケモンを統率してんだ。核となるシステムがあるはず。それをぶっ壊すぞ!!」
「その核が何か分かってないじゃない!!」
「とにかく時間稼ぎだ!!」
二人は同時に反対の方向へ駆け出した。屍人達の群れの中へと身を投じ、それぞれの戦いに没頭する。
「ぉおおおおおおおおおおおッ!!」
友介は左目に宿る魔眼の力をフル解放し、ゾンビ目に付く全ての屍人達に『急所』たる黒点を植え付けていく。両手の銃から次々と弾丸を射出し、彼らを破壊していった。『急所』を銃弾に貫かれた瞬間、彼らの体は塵芥へと変じた。
(壊れても動くなら、動けても何も出来ないほどバラバラにすれば良いッ!)
死角を作らないよう常に周囲を見渡しながら、彼は次々と銃弾を叩き込んでいく。己の肌に触れることすら許さないほど、彼は正確な挙動を取っていた。
問題はカルラの方だった。
彼女の得物は刀。どれだけ最善を尽くした所で、人の体を塵同然にすることなど不可能だ。手足を斬ろうが、首を落とそうが、心臓を穿とうが。例外なく彼らは立ち上がってカルラへ歩み寄ってきた。
「おい! そっちは大丈夫か!?」
「アンタに心配されるほどヤバくないわよ!! あんたこそどうなの! ここに来てビビって動けないなんてやめてよね!!」
「そんだけ悪態吐けりゃあ大丈夫だな!! 手は貸さねえぞ!」
「当然!!」
正面から迫る屍人を縦一文字に斬り伏せる。真っ二つに左右に分かれた死体を横合いへ蹴り付け、進路を確保。切っ先を床へ向けたままさらに一歩踏み出す。突っ込んできた先ほどの屍人の後ろに隠れるように待機していた二体目の屍人を、カルラは左から右へ斜めに斬り上げた。致命傷の一撃。しかしカルラは知っている。目の前の化物はこの程度で止まってくれるほど優しくはない。
「ま、だ……だぁ!!」
身の丈を超える長刀を天高く掲げ——今しがた刻み付けた傷跡をなぞる軌道で目の前の死体を袈裟斬りにした。屍人の体は斜めに裂かれる。さらに彼女はその勢いを残したまま一回転。己の体を中心に長刀の切っ先で円を描いた。後方と左右から襲いかかろうとしていた三体のゾンビを同時に切り伏せる。返り血がカルラの頬に付着するが、それを拭うどころか気にしている様子もなかった。
友介は己の敵に集中しながらも、彼女の戦いぶりを視界の端で捉えていた。今の攻防のうちで、カルラが周囲の状況を視覚や聴覚からの情報で戦法を変えている様子はなかった。完全な直感だけで戦っていた。
風代カルラという少女に対し、安堵友介の中で畏怖にも似た感情が湧き上がるのを自覚する。
「?」
そこで、ふと、彼女の戦闘に疑問を覚えた。
彼女が直感だけで戦っているように見えることが、ではない。
(なんで切り離された後に動く部位と動かない部位があるんだ……?)
極力弾を使わないような戦いをしながら、友介は思考を巡らせる。
(考えろ……!!)
背後から首を掴まれる。友介は背負い投げで首を絞めてくる屍人を床へ叩き落とした。『崩呪の眼』で『急所』を作り出し、それを足で破壊する。屍人の体は粉となって風に流される。
「次ぃ!!」
そう言えば、昨夜この屍人達に襲撃された時も何かおかしなことが起きていた。あの時は逃げるのに必死で何も思わなかったが、今改めて考えてみるとおかしい。
(……何で昨日、あいつらは俺を殺すことをやめたんだ……? チェックメイト寸前だったろ。確実に殺せただろうが)
そう。昨夜の襲撃の際、屍人達は後一歩で友介を殺せると言う所で突然動きを止めてしまった。まるで電池が切れた玩具みたいに。
涼太は、友介を犯人に仕立て上げるために行ったことだと語っていた。みかこを殺している時間に、彼が一人で外をほっぽり歩いていたという事にするためだと。
だから殺し終えた後は別に追い回す必要がなかったということなのだろうか?
けれど。
けれど、だ。
それは全てが真実なのか?
よく考えてみればわかる。本当に友介を犯人に仕立て上げたいのならば、あんな中途半端なことはなしない。友介を気絶させて拉致し、みかこの部屋で彼女の死体と同じように寝かせておけば良かったのだ。そうすれば、安堵友介の有罪は確定したのではないのか?
彼の疑いは簡単に晴れた。そこには、字音の存在や、嘘を見抜くことができるカルラの助言もあったのだろう。
しかしその根底には、安堵友介が犯人であるという事実に対する疑いがあったはずなのだ。
もし彼らが、最初から友介を犯人だと決めつけてしまっていたのなら、あの程度で疑いが晴れるはずがない。つまり彼らは皆、心の底では友介が犯人ではないと思っていた。それはあの千矢だって同じだろう。ちょっと良いことを言っただけで友介が犯人でないと断じたのは、そういった思いがあったからだろう。
安倍涼太は、おそらく入念に計画を練ったはずだ。安堵友介を陥れるための計画を。
にもかかわらず、結果はこのザマ。
友介がカルラ達の協力を取り付けたおかげで、安倍涼太は未だ土御門字音を殺害できていない。字音を見つけるという第一段階はクリアしておきながら。強い魔術師でも何でもない土御門字音を殺すことが出来ない。
(つまりきっと、あの時俺を拉致れなかったのは誤算だった。本当は赤川みかこを殺害した後、気絶した俺をあの部屋に放り込んでおくつもりだった)
友介が敵だと判断していたのなら、その味方である土御門字音もまた敵と判断されていただろう。そうすれば、たとえ後で友介が協力を取り付けようとしても、カルラ達が友介の言うことを信じることは無かっただろう。
涼太の生存がカルラ達にバレてしまったとしても、適当な嘘を並べ立てれば良い。今回の事件を解決するためにあえて姿を隠していたとか、土御門字音という『悪党』を見つけ出すためだとか。
そして、あの時あの場で友介を拉致できなかったことが誤算だったというのならば、以下のような可能性が浮かび上がる。
すなわち。
屍人達には動ける時間に限界があった。何らかの要因によって、彼らは行動不能状態に陥ってしまったのではないか、と。
(その要因ってのは何だ!? 何であいつらはあの場で動けなくなった!! 切断された後に動ける部位と動けない部位の違いは何だ!?)
カルラの方を見る。
相変わらず化物じみた感知能力で敵の位置を把握している。床に落ちた死体の残骸には、ビチビチと陸に揚げられた魚のように動くものと、時が止まったかのように動かないものがある。
(クソ!! 一体何なんだ!! 見当もつかねえッ!)
あらゆる可能性を列挙する。
「つうか何なんだよこの気持ち悪い感覚!!」
身に纏わり付く不快な感覚が友介の神経を苛立たせ、正常な思考能力を奪っていく。集中が出来ない。顔やら手やら、肌が出ている箇所全てに引っ付いているかのようだった。
これは、昨夜にも感じたものだ。
あの時も、この感覚のせいで恐怖が倍増されていたような気がする。
(……とにかく、あの馬鹿共に頼んでみよう。俺たちじゃ何も出来ない。自由に動けるあいつらにこの事態を収拾してもらうしかねえッ!)
決断すれば速かった。彼は右手に持っていた拳銃を腰のベルトに挿すと、ポケットからスマートフォンを取り出して草次の電話番号へかけた。
「もしもし!」
『もしも——うおわ!?』
電話の向こうで銃撃音やら爆音やらが聞こえてきた。戦闘中なのだろうか。もしかしたら彼らも友介達と同様、屍人達に囲まれているのかもしれない。その場合状況は最悪だが、しかしそれらの事情を全て無視して一応用件だけは伝えておくことにした。
「お前らに頼みがある」




