第三章 少女・字音 6.式神
友介達と別れた草次達がおそるおそる扉を開けても、外からゾンビが大挙して押し寄せてくるような事はなかった。注意深く扉を開く。僅かに空いた隙間から外を覗き見たが、何かあるようには見えない。
廊下は静寂を保っており、平穏を掻き乱すような物は一つとして無い。もしかしたら、何らかの要因によって友介が言っていたゾンビ達は二階には来られないのかもしれない。
だが、一つ。
カツン、と。
その平穏を乱す足音が草次の耳朶を打った。
「違う違う。そうじゃぁねぇよ。その推測は間違いだ」
高い声。声変わりする前の小学生のような声。
驚いた草次は勢い良く扉を開け放つと、首を振って廊下を見渡した。
「誰だ! どこにいる!?」
「ここだっつぅの」
声は真横から。安倍涼太は腕を組みながら壁に背を預けて立っていた。
小さな体躯からは想像も出来ないほどのどす黒い気配を全開に放ちながら、少年は草次に獰猛に笑いかけた。
「ゾンビとかを従えてるって聞いたんだけど……いない感じ?」
「まあなぁ。邪魔だからだ。デカイ力を使う場合、役に立たない有象無象は必要ない。そもそもあいたらを使うのは相当な集中力がいるんだ。そんな二百も三百もポンポン出せる分けねぇだろうがよ」
「デカイ……力……?」
「そうだ。デカイ力。強力な魔術。伝承に登場する怪異——生きた、妖怪だよッ!!」
壁から体を離して廊下の真ん中に立つ。
「でん……しょう……ッ!?」
「そうだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
獰猛な笑みを引き裂く安倍涼太が懐から取り出したのは、小さな紙片だった。それは人の形のように綺麗に折られており、その真ん中には達筆な文字で『土蜘蛛』と書かれていた。
彼はそれを真上へと投げ放ち——直後。
爆発したのかと錯覚するほどの勢いで紙片が膨張した。
紙に質量が、体積が、色が、形が、そして魂が加えられていく。それは名前の通り、蜘蛛の形を作っていった。壁と天井を破壊して、蜘蛛の化物が膨張していく。人間の体ほどもある巨大な八本の足と、丸々と膨らんだ胴体。凶暴な牙を持つ口の奥は闇に包まれていた。その闇はまるで、地獄への入り口のようにも見えた。
ミシミシミシ……ッ!! と床にヒビが入る。
「あ、え……?」
目の前に佇む化物に射竦められ身動きが取れなくなる草次。廊下の異変を聞きつけやって来た千矢と字音も同じような表情を浮かべた。
「行くぞ、人間」
涼太は余裕の笑みを浮かべながら一歩後ろへ下がる。土蜘蛛との立ち位置が変わる。
「式神使いの本領を見せてやる」
直後。
大質量の塊がちっぽけな人間を押し潰そうと一歩踏み出した。




