第一章 科学と魔術 3.案内
教室へ戻ると、ちょうど唯可が秋田たち女子軍団と話を終えた所だったらしく、唯可は笑顔で手を振っていた。
彼女はこちらに目を向けると、友介が帰って来たことに気付き、こっちにも笑顔で手を振ってきた。友介はそれに適当に手を上げて答え、自分の席に戻る。
「どうだ。楽しかったか」
「うんっ。みんな良い人だね!」
「そりゃあな。世の中の人達なんて大抵が良い人だ」
友介は適当に返しながら、次いでずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「それにしても、何でこんな時期に転校してきたんだ? 一学期が始まったのは先週だぞ?」
「あ、えっとー。それはあれ。ちょっと予定が狂ちゃってさ……」
「……」
「ほ、ホントだよ! 本当は学期始めに越してくるはずだったんだけど、ちょっと色々あってさ……」
友介は彼女の表情を注意深く観察する。
(嘘、だな……)
友介の右目は特殊だ。ある実験によってある特別な『眼』を埋め込まれたことにより、『視る』という事象に関しては、おそらく人類で最も秀でている。
当然、表情の微細な変化や発汗の具合から、話している相手が嘘を吐いているかどうかも判断することが可能だ。
そして、友介の見立てでは彼女は確実に嘘を吐いている。
(そういえば……)
今朝、あんな凄惨な光景を見たのもこの少女と出会った直後だった。あれが幻だったのか、現実の光景だったのかは判断がつかないが、この少女が大きく関係している可能性は大いにある。
————が。
「ま、良いか」
「へ? 何が?」
確かにこの少女は怪しい。だが、だからと言って友介に害をなそうとか、そういう雰囲気は感じられない。なら別に放っておいても良いと思う。友介は平穏無事に暮らすことが出来ればそれで良いのだから。
「そだそだ、友介!」
と、今度は唯可が尋ねる番だった。
「さっきは何を見てたの?」
「あん? さっきって?」
「ほら」
続く言葉は、友介の表情を変えてしまうには充分過ぎるものだった。
「朝、どっかの家の塀を見ながら青ざめてたでしょ?」
「……ッ!?」
瞬間、一際強く心臓が跳ねた。
それは、今さっき考えていたことだった。
どうしてそんな事を聞いてくるのだろうか? まさか、あの光景を見た友介は口封じのために殺されたりするのか……?
僅かな恐怖と共に疑問を感じていた友介だったが、理由は全く違うものだった。
「だってさ、すっごい恐い顔してたから……。まるで、見たくない物を見てるようなっていうか……。なんか、恐い物でも見たのかなって……。それに——」
唯可は一度言葉を切って、
「さっき会ってから今までで、友介はいつも顔が暗いからさ……何かあったのかな、って思って」
「は……?」
「友介に何があったかは分からないよ? ただ……」
「……っ」
「友介はこの街に来て初めて出来た友達だからさ……友達にはそんな顔はして欲しくないよ。もっと笑っていて欲しい」
そして彼女はとても自然な笑みを浮かべながら続けた。
「ほらっ。もっと笑っていこうよ! ねっ?」
「……」
友介はしばらく黙り込むと、やがてため息を吐いて、
「はいはい。まあその内な」
「あー照れてるー! 可愛い!」
「うるせえよ!」
「あはは!」
何が楽しいのか、唯可は楽しそうに笑い声を上げる。
とても楽しそうな笑顔。
なのに。
どうしてか、友介には彼女の笑顔がとても空虚に見えてしまった。
昼休み後、午後の授業も滞りなく終わり、とうとう帰りのホームルームを迎えた。生徒達は各々帰り支度をしており、担任もそれを咎めず、自分のペースで明日の連絡事項を告げていく。が、最後の項目だけは大切な内容なのか、手をぱんぱんと叩いて生徒達の注目集めた。
「はーい注目。お前らもニュースで知ってるだろうけど、ここ最近渋谷で高校生が行方不明になってる。しかも失踪者は全員この学校の生徒だ。警察は今回の件を誘拐事件だと捉えているらしい。そこでなんだが、生徒達の安全を確保するためにも、事件が解決するまで今日から部活動は禁止だ。みんな真っ直ぐ家に帰るように。街では地域のボランティアの人達が誘導してくれるから、きちんと挨拶とお礼をするように。一応、勉強の質問や、あと……そうだ、安堵が空夜を校舎案内してくれるんだったな。そういうのは認めてる。けど、出来るだけ早く帰るように。じゃ、室長、号令」
室長が号令をかけると、各々帰宅し始めた。友介は帰り支度だけを済ませると、後ろの席でゴソゴソと帰り支度を続ける唯可に向き直り、
「ほんじゃ、廊下で待ってるから。財布だけは持っとけよ」
「はーい!」
唯可の返事を聞いて、友介は廊下へ出る。だが、その直前、背後から勝田に声を掛けられた。
「あ、安堵!」
「あん?」
「お前、空夜さんを案内すんだっけ? だったら俺もおばふぁ!?」
「はいはい。あんたは私を待ってくれるだけで良いから」
「ああもう! 何だよ、みな! 俺が何したんだよ! 良いじゃねえかよ別に」
「あんたねえ……ホンット鈍感なんだから」
「はあ? 何、お前俺の事好きなの?」
「そ、そんな訳あるか、馬鹿! そっちじゃねえわ!!」
とぼけた顔の勝田と、顔を真っ赤にしている秋田みなを放って友介は廊下へ出る。
あと、『そっち』とか言ってしまうと、余程の鈍感でもない限り気付かれると思うのだが……とは言わないでおいた。
あの二人はあの距離感がちょうどいいのだろう。友介が口を出さない方が良い。
「と、とにかくあんたは、私が先生への質問が終わるまで待っとくの! まあ別に先に帰ってても良いけど」
「いや、それはねえ。こんな危ない時に大切な幼馴染みを一人で帰らせる訳にはいかねえからな」
「っ。あっそ……」
教室の中でいちゃつくバカップルは放っておいて、友介は適当にスマホを操作して今日のニュースを眺める。セルちゃんという愛称で呼ばれる大手掲示板サイト・SELFちゃんねるは祭りになっていた。
(スレタイは……まあやっぱ中立の村での戦闘の勝利か)
ネットというのは今も昔も変わらないもので、2044年現在でもネトウヨという人種は存在する。叩く矛先が魔術圏へと変わったとはいっても、やはり本質は変わらないらしく、やっていることは二十年前から何一つ進歩していなかった。
しかも……
「何でこんな下らないことばっか思い付くんだよ……」
もはや才能としか思えないほど下らないレスが飛び交っていた。
友介は他にも違うサイトへ飛んだ。が、どこもかしこもまともな議論なんてしていなかった。
「ま、しゃーねーか」
友介は独りごちてスマホをスラックスのポケットにしまった。
それと同時に、唯可が教室から勢いよく飛び出してきた。
「おっまたせー! ごめんねー。遅くなっちゃったよー」
「別に良い。ほら、行くぞ」
「うん! よろしくお願いしますっ」
ビシッと敬礼して先を歩く友介にちょこちょこと付いて行く唯可。
彼女は終始笑顔で友介の話を聞いていた。
「そういえばさ」
家庭科室や音楽室など、ある程度の特別教室を紹介して回った所で、唯可が不意に口を開いた。
「友介は休日とかいつも何して過ごしてるの?」
「俺か? 俺は……」
思い出すように顔を天井へ向け、
「そうだな。基本はダラダラしてるけど、たまに趣味で射撃場へ行ったりはするな。いや、ちょっとちげえか。基本は射撃場でダラダラしてる」
今、世界は戦争の真っただ中である。それは日本も例外ではない。それどころか、日本は世界の中で最も激しい戦場であるとも言われている。
それもそのはず。
なぜなら日本は、二つの国に分断されてしまっているのだから。
科学圏東日本国。
魔術圏西日本帝国。
岐阜県に存在する『中立の村』を境に日本は二つに分断されてしまっており、そそ境界では今もなお激しい戦闘が繰り広げられているのだ。
「じゃあさ。今週の日曜日空いてる?」
「え、あ、え? 急にどうした? いや別に空いてるけどよ」
「そっかー! じゃあさ」
そこで唯可は一端言葉を切った。そして。
「今度の日曜日に、渋谷を案内してよっ! ダメ、かな……?」
上目遣いで男子に『お願い』をする女子。
断れるはずが無かった。
友介は仕方なく頷いた。
「わーい、やったーっ! それでそれで! どこ行くの! やっぱり108かな!?」
「高いな……」
「ふっふー! 私はお金をたくさん持っているから大丈夫なんだよなー!」
「あ、そう」
「反応が薄い!」
むきー! と唯可が両手を大きく上げて友介を威嚇する。当然、友介がそんなことで怖がるはずがない。適当に無視して歩き出そうとしたのだが、
「あ」
そんな間の抜けたような声が聞こえたかと思うと、唯可が何もない所で躓いた。
「ちょ、おい!」
両手を大きく上げていたのでこのままでは顔面から床へぶつかってしまう。
友介はとっさに両手で彼女の体を抱きとめた。
ぼすっ、と軽い、それでいて柔らかい唯可の体が友介に体重を預けてきた。
「危ねえな……。気を付けろよ」
「あ、うん……ごめんねーっ。ありがと——」
言いかけた言葉が途中で止まった。
「ぁ……」
顔を上げて、すぐ目の前に友介の顔があったからだ。
両者の顔の距離は十センチメートルもない。互いの吐息がかかるほどの距離で見つめ合い、二人はしばらく身動きが取れずにいた。
やがてぼっ、と顔を赤くした唯可が慌てて飛び退いた。
友介もとっさに両手を上に挙げる。
「あ、えと……その……ご、ごめんね! 気をつけるから、そろそろ……ね?」
「あ、ああ! こっちこそ悪かった! 大丈夫だ。次行くぞ、次」
「うん! で、次はどこ行くの?」
「そうだな……って……」
歩き出そうと友介は、そこで奇妙な感覚に捕われた。
(何だこれ……? 何か、欠けてる……?)
何かが足りなかった。
「音か……?」
厳密には、声が聞こえない。いつもなら外で部活動をしている生徒達の声が聞こえてくるはずなのに、そんな声が一切聞こえない。
「あ、そうか。今日は部活なしだったな」
そう言って、自分の中で答えを見つける友介。不穏な予感がしないでもないが、そんな事ばかり考えていても楽しくない。どうせ大したことは起きないだろうし、流すことにしよう。
友介はそう結論を出したのだが、
「ねー友介?」
「あん? 何だ?」
「ちょっと静かすぎない?」
「いや、先生言ってただろ。今日は部活なしだって」
「それはそうなんだけど……なんて言うんだろ……ええっと……」
友介は疑問に思って唯可の顔を見た。彼女は「うむー」とか「むむー」とか唸りながら、言葉を選んでいるようだった。
(だから何なんだよ)
友介は無音の廊下の中で唯可の言葉を待つ。耳に痛い沈黙が過ぎ去っていく。
「まあ良いじゃねえか。とりあえず職員室まで行こうぜ。先生に終わったことを伝えたいし、あっこは保健室も兼ねてるからその説明もしたい」
「うーん、まあいっか」
唯可も考えても仕方のないことだと結論付けて友介の言葉に従った。
職員室前に着いても、唯可は何か考えているようだった。一体何が気になるのだろうか。
確かに無音というのは気持ちが悪いが、部活がないのだから別に不思議なことではないだろう。
(いや、待て……)
しかし。
友介はようやく唯可の感じている違和感に気付いた。
「そうだ……おかしい。無音はおかしいだろ」
「へ? ……あ、そうだ、それ! そうだよ! それが気になってたんだよっ」
友介は注意深く周りの音に耳を傾けた。だが、聞こえるのは電気や空調の音ばかりで、人の声なんてどこからも聞こえない。
そう——職員室からも。
背中を一滴の汗が落ちていった。
どうしようもなく嫌な予感がする。具体的に何が起きているか分からないが、とにかく嫌な予感がする。
彼は職員室の扉に目を向けた。
友介と唯可が校舎を探索してから、まだ二十分も経っていない。日もまだ昇っている時間帯だし、今は生徒の失踪事件が重なっていることもあって職員室からは慌ただしい声が聞こえてこなければおかしいはずなのだ。
なのに、何も聞こえない。
知らずして、友介は生唾を呑み込んでいた。
「ねえ、ゆうすけ……?」
「……大丈夫だ。絶対、大丈夫。心配することはねえ」
動悸が速くなっているのが嫌でも分かった。
呼吸も少しずつだが、荒く、そして浅くなっていく。
本能がこの扉を開けることを拒否している。
今までずっと明るい調子だった唯可も何か緊張を感じているのか、ゆっくりと呼吸を落ち着けるようとしていた。
けれど。
「あ、開けるぞ……」
「うん……」
開けなければ、まるでここで異常な事態が発生していると認めてしまっているようで恐かった。
だから、開けた。
開けてしまった。
勢い良く扉を引く。思いのほか強い力を加えてしまったらしく、引戸がもの凄いスピードで開け放たれた。
そして飛び込んできた光景は。
大量の、首切り死体だった。
さて、やっと話が動いて来た臭いですねー