第三章 少女・字音 4.爆発
屍人を操る魔術師と戦うためにも、手数が必要だった。
草次はポケットからスマホを取り出すと、慣れた手つきで操作して千矢に電話をかけた。四回ほどコール音が鳴った後、応答があった。
「もしもし、千矢くん?」
『ああそうだが。どうした?』
「友介くんと合流した」
『殺したか?』
「いいや、殺さないよ」
草次の言葉に、千矢が『は?』と向こうで首を傾げる気配があった。
『どういうことだ? アイツは犯人だろ。なのに何で殺してねないんだよ』
「真実は違ったっぽいよ。犯人は——」
『安倍涼太とでも言うつもりか? それとも赤川みかこ? 瀬川ミユ? さあ、どれだ?』
「安倍涼太だよ」
『はははっ。おいお前本気で言っているのか? その妄言を本気で信じているのか?』
「半信半疑、かな」
『ああなるほど。つまりほとんど信じかけてしまっている訳だ。……まったく、情けない。お前はアホだが、ここまでアホだとは思わなかった』
「アホアホ言い過ぎだよ!」
草次の悲痛な叫びを無視して、電話の向こうで千矢が続ける。
『良いかよく聞けよ。お前はその証拠を与えられたのか? 犯人が安倍涼太という行方不明になっていた男だという証拠はあったのか? それを提示されたか? ——違うだろう。もし提示されていたら、お前は半信半疑ではなく完璧に信じていたはずだ。つまり奴はまだ何一つとして証拠を掴んではいない。容疑者である安堵友介は己の無実を証明するための物を何も明示していない。なのになぜ、お前はそんな簡単に信じたんだ。それはお前の寿命を縮めるような行為だぞ』
「それは……」
『まあでも、お前にもお前なりの理由があるんだろう。俺はそれを全否定したりはしない。可能な限り尊重もする。——だがな』
そこで回線がぷつりと途絶してしまった。
直後に。
「俺は俺のやり方を貫き通す」
声が。
クリアな少年の声が背後の扉から響いてきた。
「な、あ——ッ」
そして。
声を上げる間もなく、閃光と爆音が狭い室内に炸裂した。
烈風が巻き起こり、灼熱の炎が部屋を満たす。衝撃により室内のあらゆる家具が破壊され、その破片が無造作に撒き散らされた。
十秒も経たない内に光の席巻が収まり、粉塵も晴れる。
扉は跡形もなく吹き飛んでおり、その近くの壁も真っ黒に炭化していた。未知なる技術で爆発を制御したのか、あるいはあらかじめ爆発の方向を設定して爆弾を仕掛けていたのか、爆発を引き起こした少年の周りだけはなんら影響を受けてはいなかった。少年は無傷だ。
室内の被害状況にはばらつきがあり、扉付近の壁のように真っ黒に炭化しいる所もあれば、軽く焦げ付いた程度の箇所もある。爆炎によるものか、あるいは爆風によるものか——もしくはその両方が原因なのか、友介が開けた穴が広がっているようにも見える。
少年——川上千矢は、パチパチと火花が散る室内を眺めた。
これだけの爆発だ。安堵友介は無事ではないだろう。風代カルラや草加草次も巻き込まれた可能性があるが、それならそれで構わない。また別の『駒』を探せば良いだけだ。あの女だってすぐに新メンバーを補充しようとするだろう。
「……ふう」
目の前の光景に満足したように息を吐き、とにかく今後の方針を定めよう。
そう思い踵を返そうとしたその時だった。
カチャリ、と。
硬い何かが側頭部に当てられた。
「…………」
「残念だったな。俺の『眼』の方が一歩上だったみてえだ」
「……みたいだな」
彼は視線だけをそちらに向けた。
そこにいたのは、目つきの悪い黒髪の少年。右手に握る黒い拳銃をこちらに突きつけながら、安堵友介は表情に苦悶の色を乗せて立っていた。見れば、脇腹の当たりに木の枝くらいの大きさの木片が刺さっていた。おそらく爆発によって木っ端微塵にされた家具の破片の一つだろう。視界の外から飛んできたのか、あるいは別の要因があるのか。友介の『眼』を考えれば到底考えられないことだ。服も所々燃え千切れていた。
しかし爆発を起こした張本人である川上千矢は、人の形を保っている友介を見て顔を歪ませた。
「あれで死なないのか……」
その表情は、怒りよりも困惑の色の方が強いように見えた。
「五感拡張計画……やはり一筋縄ではいかないか」
「お前は部屋の中にいながら迷うことなく起爆させたからな。爆発に何らかの細工が施されるだろうってのはすぐに分かった。なら後は簡単。お前の近くが安全なんだから、お前に向かって全力で走れば良い」
「他の奴らは?」
「蹴り飛ばしてあの穴に落とした」
友介の視線は、先ほど自分で開けた大穴へと向けられていた。
「なるほどな。……それも策の一つか?」
「は? 策? 何だそりゃ」
「…………」
馬鹿みたいな声を上げる友介に、しばらくの間寒々しい視線を向けていた千矢だったが、やがて小さく笑うと、先ほどまでの態度とは一転、こんなことを言ってきた。
「はいはい。仕方ない。分かった。そういうことなら信じるよう。そういうことをされると、疑うに疑えない」
「はあ? 何意味分かんねえこと言ってんだ? 俺はまだお前に何の証拠も見せて——」
「ああ、うるさい。いいから銃を降ろせ」
そう言うと千矢は、部屋の奥へトコトコと歩いて行ってしまった。大穴の向こうへ手を振り、カルラ達に無事かを確認する。草次の姿が見当たらないかと思ったら、何たる偶然か、字音の椅子と化してしまっていた。千矢は人間の形をした椅子を意識から遮断した。
「全員無事だ」
「無事も何も、お前が殺そうとしたんだけどな」
「気にするな。出来心だ」
出来心で済まされるような事ではないのだが、今はそれどころではない。カルラと字音が一階に落ちてしまったのだ。すぐにでも引き上げなければ、あの屍人どもに喰い殺されるかもしれない。
「そうだ。もう一人、小動物みたいな女は?」
「痣波か? 彼女ならなら自室でネットをしているよ。結構強くノックしたし、廊下を軽く爆破したんだが。あれはダメだ。暗い笑い声と一緒にぶつぶつ独り言が聞こえてきていた」
「お前もアイツも何してんだよ」
「まあとにかく、あの女は大丈夫だよ。世界が滅んでもネットしてそうだ」
大丈夫な要素が欠片もないが、今は心配しないでおこう。それにしても、あんな大人しい性格をした彼女にそんな一面があったとは。
友介は気持ちを切り替え、部屋の真ん中に空いた大穴へと足を向けた。
「おい」
「何よ。そっちは無事じゃ……ないみたいね。かっこ付けて私達を庇うからよ。逃げれば良かったのに」
「お前が気にするような事じゃねえだろ。そんなことより、お前そっからどうやって二階に上がってくる気だ」
「家具とかを並べて階段にすればなんとかなるでしょ。すぐそっちに行くから待ってなさい」
へーいと呑気な返事を返すと、カルラが部屋の奥へと消えていった。うんしょ、よいしょ、と声を上げながら、小さな体で一生懸命自分よりも大きな家具を動かす。
「…………」
しばらくその様子を観察していた友介だったが、見ていてもなかなか作業が終わる様子がない。未だ一段目すら設置されていない。
近くで同じようにしてカルラ達を見ていた千矢は、彼女達の作業の遅さについて何も感じていないようだった。
少しの間顎に手を当てて考え——そして決断した。
友介は迷う事なく一階へ飛び降りると、本棚一生懸命運んでいるカルラの隣に並んだ。
「なに」
「遅い」
「チッ」
短い問答が済み、カルラが少しだけスペースを空けた。
友介とカルラ、そして字音の三人が並んで本棚を押す。先ほどよりもスムーズに本棚が移動し、作業の効率が上がった。三人は穴のちょうど真下で本棚をピタリと静止させる。
「こんだけ高さあったら、二階まで届くだろ。届かないにしても、後はアイツが引き上げてくれるはずだ」
カルラを真正面から射抜きながら言う友介。
「なにアンタ自殺志願者?」
カルラの軽口を受け流し、友介は他にも階段に使えそうな家具を移動させていく。最終的に、本棚を最後の段とした、一つ一つの段差が大きくまばらな階段が出来上がった。
友介は最初に字音を二階に上げ、その後カルラが草次に先に上がるよう言った。
「おいなんでアイツに先に行かせたん——」
言葉は最後まで続かなかった。
パキン、と何か金具が弾け飛ぶような音がしたかと思えば、身を震わすような轟音と共に部屋の唯一の出入り口である扉が内側に倒れた。さっき跳んだ金具は、おそらく蝶番だろう。
「な……っ!」
驚く友介とは真逆に、カルラは落ち着き払っていた。まるで、この事態を予想していたような反応だった。
扉の外れた出入り口から大量の屍人がなだれ込んできた。腐りきった体に、鼻を突く異臭。彼らの姿が二人の前に現れた瞬間、カルラが露骨に顔をしかめた。
「お前ら、先に行け! 早く!! 安倍涼太を見つけ出して行動不能にしろ!!」
切迫した友介の言葉を受け、草次が慌てて走り去って行った。穴から見えていた彼の姿が見えなくなる。
対して字音は、しばらくその場から動こうとはしなかったが、友介の再度の「行け!!」と言う叫びに押されて、大人しく従った。
カルラも耳でそれを確認すると、すぐさま近くの階段を、右手に持つ長刀でぶった斬る。一太刀。腕を振るうような乱暴な動作だったが、木製の家具達は物の見事に破壊されていた。これで二階への道は断たれた。
「さっき言ったわよね。安倍涼太をぶっ飛ばすって」
「ああ言ったな」
「安倍涼太がラスボスだとして、こいつらはどんな立ち位置だと思う?」
そう問いかけるカルラの額には脂汗が浮かんでいた。ひょっとしたら恐いのかもしれない。当然だ。彼女だって女の子なのだ。十四歳なんて、本来ならば中学校へ通っている年齢なはずだ。体に至っては小学生並という出で立ちだ。
そしてそれは友介だって同じ。『中立の村』の地獄や『渋谷事変』を経験したからと言って、命の危険に晒される事に慣れている訳ではない。彼もまた、ただの小心者の高校生なのだ。
きっと彼女は、自分を奮い立たせようとしているのだろう。目の前に広がる恐怖に喰われてしまわないように。
「そうだな」
カルラの問いに、友介はこう答えた。
「良いとこ村人Aとかだろ」
精一杯の強がりだった。




