DAY1――Ⅰ Light Atlantis 5.G∴E∴C∴ goes up to "Atlantis".
[October 27, 15 : 11 : 13 at 〝Engineering〟 in Atlantis]
サリアとヒアレンス、そして触堂と別れた狩真と涼太の三人は、ビーチを後にしてアトランティス最大のショッピングモールへ来ていた。
かつてロイヤル・ハワイアン・センターと呼ばれていた施設をさらに増改築し、敷地面積もさらに広がったショッピングエンターテイメント施設『ロイヤル・アトランティス・センター』である。『ハワイ』を『アトランティス』にしただけの安直な改名ではあるが、内容はそれなりに様変わりしていたりする。
様変わりというよりも、新しく施設が追加されたという方が正しいかもしれない。
かつてからあった土産屋やレストラン、ブティック、ハワイアン・カルチャー・レッスンを受けられるエンターテイメントに加え、ハワイではなくアトランティスとしての特色――つまりは科学博物館のような場所も追加されているのだ。
複合施設の中に存在するものであるため、それ専用の施設に比べれば規模は劣るものの、ちゃちなものでは断じてない。遊園地のお化け屋敷感覚で立ち寄ったつもりが、熱中してしまい一時間か二時間そこで時間を使う観光客も少なくないらしい。
そして当の狩真と愛花は、まさしくその科学施設にやって来ていた。
「アハ、アハハ! ねえねえ、お兄ちゃん見てぇー。これ、ぼわぼわしてるぅ~」
「……」
「ねえほら見てよぉ~~~。これ、なに? でんし……? でんしは、げんしかくのまわりにくもみたいにひろがってる……?」
「カハハッ。おいおい、ガキが背伸びすんなよ。わかんねえだろそんなの」
「でもお兄ちゃんもわかんないよね?」
「うるせえんだよ、わかるし。話しかけんな。ちょっとナンパしてくるからよ」
「あ、お兄ちゃんまた私にそういうこと言うんだぁ……?」
「言う言う。言いまくる」
「うぅ……もうっ」
そう言うと愛花はぷいっ、と顔を背けてしまった。そのどこか可愛らしい態度が、しかし狩真の心を逆に苛立たせていた。
奇妙なオブジェに目を奪われている愛花を無視してスタスタ歩く狩真の顔には、常の軽薄な笑みが浮かんでいる。しかし実際のところ、その胸中はあまり穏やかではない。
なんというか、落ち着かないのだ。
土御門本家の人間はどいつもこいつも破綻しており、常人の完成を逸脱し過ぎている。それゆえに誰もが狂人扱いされるし、忌避され恐怖される。
そしてそれは、土御門の人間同士の間でも同じだ。
誰も彼もが独特の価値観を持ち、強烈すぎる我の持ち主たち。各々がガラパゴス的な精神の成長を遂げたためか、血の繋がった兄妹であろうとも、その在り方は全く異なっており、それゆえに互いに受け入れられないのだ。
相手がまともな人間ならば、己が外れているだけだと納得するために忌避感情を抱くことはない。だが、特殊な価値観を持つ土御門の人間を相手にしたとき、その狂人である彼らもまた一般人と同じように、その外れた人間を嫌悪するのだ。
それは狩真であっても変わらない。
字音はまだ外れ方が緩く、一般人とあまり大差ないように見えるため嫌悪感を抱きにくいのだが、愛花や率也ほど破綻した人間だとそうも言っていられない。
もはや見ているだけでイライラする。いつもの人を食ったような調子を取り戻せず、我慢しながら接する羽目になる。
加えて、愛花の話し方や態度もまた癪に障った。
出会った当初の『狂った愛を吐き出し続ける機械のような少女』のままならば、まだ虚仮に出来たし有利を取れるはずだったのだが、今の愛花は少し違うのだ。愛情表現が若干狂っているし暗い瞳もそれなりに健在だが……危険な匂いは特にしない。
「……?」
そこで狩真は奇妙な違和感に囚われるが――しかし生来の気質ゆえか、どうせ下らない事だろうと無視して忘却した。
「もう~っ、彼女を置いて先に行くなんて男の人としてどうなの、お兄ちゃん?」
「カハハッ、うるせえな。そもそも兄妹は恋人同士にはならねぇ」
「でも私とお兄ちゃんの間では関係ないよね?」
「いや関係あるに決まってんだろ」
こうして自分が涼太のようなツッコミ役に回っているのも納得がいかないし、意味がわからない。こんなもの、調子が狂うどころの話ではないだろう。
ストレスで今にも愛花の首を刎ね飛ばしたくなるが、それが出来るなら今こんなことになっていない。
つまるところ、殺せない。
精神的に殺せないのではなく、シンプルに愛花が強すぎて殺せない。ようは返り討ちにされ続けているのだ。
何度寝込みを襲おうとも反応される。反撃の初手から染色で迎撃されて半殺しにされ、死にかけているところへ軟体生物のようにうねうねとまとわりついて来て全身を舐められる。
寝込み中の女を襲い、かつ返り討ちにされ、挙句の果てに自らセクハラさせる隙を与えるという人生で最底辺の経験を今味わっているのだが、しかしまだ諦めるつもりはなかった。必ず殺すと決めた。今決めた。何だったら今殺そうか――
などと物騒な覚悟を決める兄の胸中を知ってか知らずか、その覚悟を霧散させるような絶妙なタイミングで愛花が手を握り走り出した。
「なっ、おい」
「ほらほらぁ……お兄ちゃん、ぼうーっとしてないで愛花のこともちゃんと見てよ。せっかくのデートなんだからぁあ~」
「カハハッ、ちゃんと見てるっての」
「え、ほんとっ?」
瞬間、愛花の表情が年相応にパァッと明るくなった。ひまわりやお日さまを連想させる輝かしい笑顔を見て、狩真はなぜか心の中に苛立ちを覚えながらも、それを必死に押し殺して軽薄で凄惨な笑みを浮かべた。
「あぁ、ほんとだぜ? どうやったらこのうるさいメスガキを永遠に黙らせられるかってな」
「むぅ……っ。愛花を殺すのはいいけど、そういう動機はやだ」
「…………」
何なんだこいつは。保護者気分か? 苛立ちはさらに増すが――しかしこんなところで暴れるわけにもいかないだろう。殺したいし殺意が沸騰しているが、今は我慢だ。
それに、寝ている時も殺せないのに、起きている間に殺せるとは到底思えない。
「カハっ、カハハハハハハ……っ」
「お兄ちゃんが笑ってる……私とのデートが楽しいのかなぁっ?」
この余裕面をもう一度怒りで染めさせてやるのもいいし、絶望に塗り替えてもいい。
とにかくこのアトランティスで必ず殺そう。
狩真はそう決意して――
「えへへぇ……お兄ちゃんが嬉しいなら私も嬉しいよ……ずっと、ずっとずっとずっと一緒にいようね?」
意識の間にするりと入ってくる愛花の言葉に、やはり狩真は苛立ちを覚えてしまうのだった。
[October 27, 15 : 26 : 20 at 〝Engineering〟 in Atlantis]
「ひ、ヒヤヒヤさせないでくださいよ……っ」
そんな二人を離れたところから眺める涼太は、土御門本家の兄妹の一幕に一喜一憂させられていた。胃がキリキリと痛みを訴えてくる。それに耐えるために腹をさするも、あまり効果は期待できなかった。
遠目から見ても狩真がイライラしていることはわかった。対して、愛花がそれに気付き、そんな兄の苛立ちや殺意すらも嬉しそうに受け入れていることも。加えて、愛花のそうした態度に無意識で気付いている狩真が、さらにイライラしているだろうことも推測できた。
愛花は心底楽しそうにはしゃいでいる。狩真が煽るようなことを言っても、冗談めかして窘めるだけで特に害意を抱くこともない。
最初狩真から話を聞いた印象とはまるで異なっていた。
彼の話では、愛花の愛は狩真の殺害衝動と負けず劣らず危険な気がするとのことだった(狩真にそんな常識的な危機感があるのかは不明だが)。
しかし、今目の前で繰り広げられている状況を見るに、そこまで危険な匂いはしない。愛花の狩真への感情は兄妹の枠を完全に外れているし、愛情表現はおかしいうえに、罵倒を含めた彼の言葉を結局喜んでいるしで、確かに常軌を逸した愛を胸に抱いていることはわかる。
だが、それだけだ。
狩真以外の者に対する配慮も最低限しているように見えるし、人間を害獣と呼んだ凶悪性も鳴りを潜めているように見える。
「というか、いやそもそも……?」
何だろうか。愛花の言動を思い返した涼太は喉に骨が引っ掛かったような違和感を覚えた。
が、結局それが何かはわからずじまい。気を取り直して二人の監視に戻ろうと視線を向けなおす。一応、重要なことである気もするので頭の隅には置いておくことにするが。
「って、ああ……いなくなってる」
考え事をしているうちに意識が二人から逸れてしまっていたのか。
二人はどこかの角を曲がって涼太の視界から消えてしまっていた。
愛花の『お兄ちゃんが殺していいのは私だけ』という意味不明な主張もあり、今この場で狩真が一般人を殺戮することはないだろうが、苛立っている狩真が突然愛花を殺しにかからないとは言い切れない。こんな人が密集した場所で描画師同士の殺し合いが発生してはさすがに被害を押さえられる自信がない。そうなる前に一刻も早く二人を追い付かねばならない――
涼太は若干の焦りを覚えながら足を進めた。その歩調は普段よりも早く、視線が周囲ではなく前方にのみ向けられていた。
それ故に。
「久しぶりだな、分家の小僧」
「――――ッ!?」
唐突に背後から声をかけられ、弾かれたように振り返る。
だが、底には誰もいない。ただ、人の形を模したような薄っぺらい紙がふわふわと浮いているだけ。
「形代……?」
「そうだ」
呟きに答えたのは、人の形を模した紙きれ――ではない。
とん、と背中に誰かがもたれかかってくる感触があった。声も、その男から発されている。
「安倍涼太だな」
「……あなた、は……」
「答えなければわからんか?」
陰鬱な声だった。熱の感じない、生気の抜けた屍人が発する声色に、涼太は全身から嫌な汗が噴き出すのを自覚した。
湧き上がる恐怖の理由は、背後を取られたからでも、相手に隙を晒しているからでもない。
土御門率也。
彼ら祖たる大陰陽師、安倍清明から脈々と受け継がれてきた土御門の血族において、歴代最高傑作と謡われた呪術師であるこの男に認識されている――ただそれだけの状況が、死を覚悟するには十分過ぎるのだ。
「何の、用です、か……」
「そう怯えるな。ここで事を構える気はない。少し尋ねたいことがあってな」
ふぅー、と背後でゆっくりと息を吐き出す気配があった。おそらく禁煙であるはずの施設内で、大胆にも煙管を燻らせているのだろう。
陰鬱な声は一拍を置いてから、本題を切り出した。
「愛花と狩真の様子はどうだ」
「はい……?」
「質問の意味がわからなかったか? ならばわかりやすくしてやろう――あの二人の仲は、良くなっているか?」
「…………?」
意味がわからなかった。
どうして率也がそんなことを聞くのだろうか。
今さら兄貴風を吹かして弟と妹が仲良くしているか気になり始めたとでも?
いいや、そんな馬鹿な話があるわけがない。
この青年もまた、土御門本家の血筋――それも名目上ではあるが、当主だ。
加えて、楽園教会の枢機卿。
どう考えてもそんなホームドラマじみた動機とは思えない。
ならば裏があるはずだ。
それもおそらく、見逃せば致命的なことになるような、裏の事情が……
「答える義理は、ないですね……」
「忘れるなよ」
覚悟と勇気と愚かさを必死に掻き集めて口にしたその言葉は、しかし率也にしてみれば予想の範疇だったのだろうか。一切のタイムラグもなしにこう忠告した。
「俺は今すぐ、この施設内にいる人間を皆殺しにできるぞ」
「――――ッッ」
それは、忠告。脅迫でも恫喝でもなく、静かな忠告であった。
数えるのも馬鹿らしくなる大量の人間が人質。今ここで率也の機嫌を損ねれば、輝かしい理想都市は一瞬にして混乱に見舞われるであろう。
「よく考えて喋れ。別にお前が答えようが答えまいが、俺のやることは変わらん。最後に必ず俺は勝つ」
「……ッ」
陰鬱で生気のない声。しかしその言葉には、どうしようもなく確信が宿っていた。俺は勝つ――まるでそれを知っているかのような。あるいは、口にすることによってその結末を手繰り寄せているのかもしれない。
「言霊、ですか……?」
「そうかもな。だが、それもお前には関係がないさ。何せこれは、いつ寄り道をするかのかを決めるだけなのだからな」
「……?」
「……言っているだろう、お前には関係ないと。だから早く答えてくれ。俺も忙しいんだ」
涼太は数秒間逡巡した後、最終的に折れることにした。
「わかりました。……結論から言って、仲がいいとは思えませんね。……愛花ちゃんは土御門くんにこれ以上ない好意を向けていますが、対する土御門くんは愛花ちゃんに苛立ちばかりを覚えているようですし」
「そうか」
それだけ聞けて満足だったのか、率也は涼太の背中から体を離した。
「一応感謝しておく」
「――ッ」
瞬間、涼太が施設内に張り巡らせていた糸を閃かせ、率也の首を吊ろうとするが――
「無駄だ。接触する前に牙を折るくらいのことはしている」
それら全て、無残に切られていた。
「土蜘蛛の糸か。良くできた呪装だが、呪力が漏れている。大雑把な狩真や呪術に疎いものならいざ知らず、この俺を騙せるはずがないだろう。……というか、こんな場所に糸が張られていれば俺でなくでも不自然に映るぞ。――無駄だろうが、精進するんだな」
「くっ――」
見に纏わりつく悪寒を払うように振り返ったが、すでにそこに率也はいない。
ただ不気味に揺らめく紫煙だけが揺蕩っていた。
[October 27, 15 : 40 : 51 at 〝Engineering〟 in Atlantis]
「ああ、そうだ」
涼太のもとを離れた率也は何者かに電話をかけていた。
「ああ。すでに目星はついている。こちらは手筈通りにする。……俺の染色をもってすれば、〝本物〟がなくとも儀式は完成する」
その表情には、喜悦も愉悦も悲痛も悲嘆も何もない。
生気が抜け、前など見えず、ただ失ったものに思いを馳せる不能者。
それが土御門率也と言う男だ。
「お前はその聖遺物とやらをさっさと回収しろ。ここはお前の街だろう」
生あるものに興味はない。
老いも若いも男も女も、家族以外の皆全て、この男にはどうでもいいものなのだ。
ここにあるもの、そのどれ一つに対しても価値を見出さない。見出せない。
心を動かすものなど何もない。
しかし――
「早くしろ。二つの岸を隔てる門が開く日は近い」
過去しか映さぬ死人の瞳に奥底に、ナニカがあった。
「収穫祭は、近い」
開け、開け。
二つの岸を隔てる門よ、軋みを上げて微塵に砕け散るがいい。
『八百万夜行』土御門率也は止まらない。
このアトランティスに地獄が招来されることは、もはや避けようのない未来だった。




