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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第八編 狂騒の理想都市
209/220

DAY1――Ⅰ Light Atlantis 3.Side of 〝Seman〟/ Depressed Diva

[October 27, 13 : 25 : 57 at 〝Engineering〟 in Atlantis]



「キハハハハハ! ははっ、かはははははは! 海だぁああああ!」

「あはは……海だよ、海。うーみぃーっ」


 アトランティスが機械工学領(エンジニアリング)にて、ワイキキのビーチ。

 そこで、これ以上ないほどにはしゃぐ声が二つあった。


 一つは花柄の水着にアロハシャツを着てはしゃいでいる金髪の少年のもの。日本最小にして最強の魔術結社との噂がある『土御門本家』の天才殺人中毒陰陽師、土御門狩真である。さすがに隻腕のまま海に入るわけにもいかず、右肩から先はシリコン製の義手となっている。一応海に入っても大丈夫との話だが、狩真のことだ、いつぶっ壊すかわかったものではない。


 もう一人は十歳程度にしか見えない、光すら呑み込む墨汁のような黒い長髪の幼女。髪と同じく真っ黒な瞳は瞳孔が開ききっているようにも見え、大変危うい。身につけた水着も髪や瞳と同じ、病的とすら言えるほど何も映さない黒のビキニだった。ただし、対照的に少女の肌は眩さすら感じるほどに美しい白磁色であり、長髪や水着の黒によってよりその白さが際立っている。

 第二次性徴がまだ来ていない、壁のような胸にビキニはある意味危なく、上から覗けば幼女の大事な部分が見えてしまうのではと錯覚してしまうほどだ。あまり肉がついていないせいだろうか、肋骨が浮き出ており、幼女だからこその色気というものを前面に押し出している。墨汁のように黒い髪はツインテールに結ばれており、大きく空いた背中もあらわに。

 パンツからすらりと伸びる脚には肉があまり乗っていない。しかし、この時期にしか成立せず存在しない華奢な線は、なぜか異様に色っぽい。


 狩真の声は特に捻りもなくただただうるさい。はしゃいでいるのが誰の目にも明らかだ。

対して愛花の口調は淡々かつ静かであり、他人から見ればつまらなさそうですらある。が、注視して見れば、ブラックホールのように光を呑み込む渦の如き黒瞳が輝いていることがわかるだろう。


「かははは! ハワイ、ハワイだぜ。キキ、きはははは! 人がいっぱいだァー! 殺しまくるぜェッ! 虐殺虐殺ゥッッ!」

「こらぁー、お兄ちゃん? 愛花の目が黒い内はそんなこと、絶対絶対、ぜぇーーーったいさせないよ?」

「あぁ? うるせえぜおい、もう我慢ならねえ。もう駄目だ、死ぬ。ぶっ殺すんだよばぁか!」

「……だから殺すなら愛花にして?」

「あ? テメエ殺そうとしても殺されてくれねえだろうが。弱っちい癖に」

「だって、お兄ちゃん……まだ私のこと好きじゃないしぃ……殺されてあげない」


 物騒な会話だが、この二人は兄妹であり、加えて愛花は実の兄である狩真に兄弟愛以上の感情を抱いている。


「もう~……それよりもお兄ちゃん、せっかく海に来たんだから、やることがあるでしょぉ?」

「ナンパ?」

「わざとやってる? 愛花を怒らせるのがそんなに楽しい? 殺すよ?」

「じゃあ何だよ。お兄たん馬鹿だからわからねえよ」

「決まってるよ、そんなの。えへへぇ……トイレで二人で、その……セ



「それ以上言わせるかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 スパコーンッ! と。

 それはもう気持ちのいい音が鳴り響き、精神異常者兄妹がもろとも顔面からビーチの砂に突っ込んだ。軽く砂埃が舞い、その中で衝撃で気を失ったのか、間抜けな格好のまま兄妹仲良く伸びていた。

 二人の後ろで握った拳を振り下ろした体勢のまま息を荒げる少年は、あまりの胃痛で今すぐ帰りたいと、それはもう切に切に願っていた。


「なんで、どうして……僕はこっち(・・・)なんだ……。もう嫌だ、こんな精神異常者たちのお守りは……僕もグレゴリオに入りたい」


 光鳥感那を憎まずにはいられない。もういっそのこと、こんな奴ら牢屋にぶち込んでおけばいいのだ。人手が足りないからってどうして狩真のような異常者を……と嘆く暇もなく、受難はさらに重なっていく。


「サリアかき氷食べたーい。お兄さんそれ、奪っていい?」

「…………(シャカシャカシャカシャカシャカ)」

「ふはははは! おぬしら、このわたしといいことをせんか? ほら、誰もいないところで少し休憩しようではないか! ふはーっはははははは! あ、一回二万円だからそのつもりでの」


 紫色の髪の少女がいたずらに敵を増やすような発言をして観光客に忌避されているし、なぜかこのビーチで手術衣を着ている褐色黒髪の少女は、ヘッドホンをして外界との関わりを断っているし、限りなく下着にしか見えない黒のレースの水着を着た青髪の少女は複数人の男に逆ナンパをして援助交際じみたことに手を染めようとしているしで、中性的な見た目の少年は常識人であるがゆえに頭を抱えざるを得なかった。


「何だこれは……僕はみんなを彩る風流じゃないぞ……」


 混沌、まさに混沌である。

 これがアノニマスの日常。どいつもこいつも破綻していて、日常生活なんてできないほどに個性が強すぎるメンツである。

 よって常に、彼らのブレーキ役たる安倍涼太は胃が痛いのだ。


「ねぇねぇ、あなた。そこのあなた。うん、そうだよ。サリアのこと見てたよね? だったらそのかき氷と有り金全部置いて行ってよ?」


 己に好意的な視線を送っていた男性に、失礼と言うか常識が欠如しているというか、ありえない要求をしている紫髪の少女はサリア・バートリー。魔術と科学の複合兵器を操る危険人物だ。

今日の装いは白のワンピース型の水着の上から、なぜか薄汚い襤褸布を纏っていた。瞳のぐるぐる度合いは今日も今日とて絶好調であり、その危険な雰囲気もあってか、容姿に惹かれて近づこうとする者も含めて、彼女の言動を耳にした途端、誰も彼もが彼女を忌避して近づこうとはしていない。


「…………………………………………………………(シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ)」


 そしてヘッドホンで外界の音を遮断している褐色黒髪の少女。一応水着は着ているのだが……その上から真っ白なパーカーを着ているせいで露出が少なくなっていた。ただ、下は水着のみであるため、なんというか、こう……裸パーカー的なエロスを漂わせている。彼女の名はヒアレンス・イヤーラーズ。五感拡張計画『聴覚』の被験者である。


 最後に、今にも複数の男性と休憩という名の運動に勤しまんとこの場を離れようとしている青い髪の少女。名を触堂(しょくどう)(さわり)といい、五感拡張計画『触覚』の被験者である。


「ってもうー! (さわり)さん、何でそうやってすぐ男の人を引っ掛けるんです、……あーもう!」


 そして彼ら四人(今は愛花もいるので五人)の暴走を止める――もとい、彼ら五人の世話をする――もとい……彼らのリーダーとして皆を纏めているのが、この中性的な見た目をした中学生くらいの少年、安倍涼太である。


「……こんな人の多い所で糸を使わせないで下さいよ!」


 屈強な体つきをした男性たちと暗がりを消えようとした触堂へ向け、土蜘蛛の糸を放ち全身へと巻き付け、釣り上げて回収した。

 間抜けな格好で宙を舞う妖艶な少女という、何ともシュールな絵面がワイキキのビーチに描かれる。


「キハハっ、きゃははははははは! しょ、しょくど、うは、きははっ……! お前魚かよっ!」


 それを見て大爆笑する狩真を(いつの間に起きたのだろうか? 涼太からしたら迷惑極まりない話である。一生寝ていればいいのに)、他の観光客たちがそれはもう迷惑そうな目で見ていた。背中に小さなエロガキを引っ付かせているのもあって、いつ警察を呼ばれてもおかしくない。というか、早くこの連続殺人犯を捕まえて死刑にしてくださいお願いします。僕はもう疲れたんです――触堂をすぐ近くに叩き落としながら、涼太は諦観に塗れた引き攣った笑みで内心ひとりごちる。


「う、ぐ……ぅお、い、痛いではないか……何だこの扱いは。わ、我を、誰と心得る……」

「エロキャラで行くのか中二病キャラで行くのか、はっきりしてくださいよ……」

「カハハハハハ! ひゃっはぁぁああああああ! 楽しいねェおい! テンション上がって来たし虐殺するかぁ~~~! 皆殺し皆殺し~! 森羅万象滅尽滅相ぉ~~~!」

「おい! 油断した瞬間にこれかよ!」

「お兄ちゃぁあああ~~~ん? 愛花という妹がいながら、また他の人間(がいじゅう)に目が行ってるのぉ~?」

「いい加減にしろや破綻者兄妹ィイイイイイイイイイイ!」


 何コレ、ループしてんの? デジャブが止まんねえよおい。喉が枯れ果てるほどにツッコミを奏でさせてくれやがってこの野郎。

 本当に喉が枯れ始めた涼太は、これ以上は我慢ならないと怒りをぶちまけて堅気の方たちに迷惑をかける前にここを離れることを決意する。馬鹿ども四人を糸で覆い(さなぎ)のようにしてしまうと、もがもがと嫌がる四人の抗議を無視し、引きずって歩き始める。


 人間四人を引きずって歩くのは体力的に相当厳しかったが、この四馬鹿に付き合わされることによる精神的疲労に比べればマシだと言い聞かせた。


 唯一難を逃れたヒアレンスは一言も喋らず、当然涼太の手伝いをする気配も見せず、とぼとぼとその後ろに付いて歩いていくのだった。



[October 27, 13 : 40 : 57 at 〝Engineering〟 in Atlantis]



 そんな濃すぎる日常の一幕の後、馬鹿どもを引きずる涼太はビーチから二百メートルほど歩いたところにあるハンバーガーショップに入っていた。ファーストフード店ではなく、ハンバーガー専門店とでも言った方が良いだろうか。ハンバーガーにしてはそれなりの値段が付くが、本格的なものが食べられるということでそれなりに繁盛はしているらしい。


 その店の一角、六人掛けのテーブルに、愛花を含めた六人が座って注文したハンバーガーを待っている。

 繭に包まれた人間大の蛹四つを持って中に入るわけにもいかなかったため、今はもう四人は思う存分娑婆の空気を吸っているが、一応暴走を食い止めるために、各人の手首に糸を巻き付けている状態だ。

 彼らは光鳥感那直轄の特殊部隊。科学圏の暗部たる『アノニマス』である。


「それにしても久しぶりだなァ、五人揃うのはよ」


 傍らの愛花に抱き着かれながら、狩真が軽薄な調子でそう口を開いた。


「涼太を洗脳してからは一回も会ってなかったし、実に一年ぶりってところかあ?」

「まあ、そうだね……」


 返事を返す涼太の声は完全に疲れていた。


「ふん、そうは言うがな、カルマ」


 下着のような水着を着ている、エロ属性と中二病属性の二つを携えた触堂が責めるような色を声に乗せて返す。


「その後、突然安堵友介を襲いにかかったり、街の人間を殺しまくったりと、好き勝手していた貴様を殺すために合いまみえることもあるかと思うたぞ!」

「まあ、感那さんがさじを投げて土御門くんの抹殺を命じる……って言う可能性も無きにしも非ずではあったよね」

「かひひはははは! まあまあ、もういいじゃねえかその話はよ。今はひとまず、教会に繋がるって言われてる聖遺物をどうするかを考えようや」


 カハハ、ともう一度邪な笑い声を上げた瞬間、場の空気が一変する。

 ふざけきったぬるい空間に緊張が走り、まるで温度が一気に下がったかのような錯覚すらあった。

 周囲の観光客は気付いていない。あくまでも風景に溶け込みながら、しかしその場所だけが異界と化していた。外からは異常は見当たらない。しかしひとたびそこへ足を踏み入れれば、もう二度と帰って来ることは出来ない……そういう類の闇。


 ……もっとも、こうした闇は特に珍しくもない。

 浅い闇の礼を上げれば、日本の地方のコンビニが麻薬の取引現場になっていることもあるし、前を走る車を運転しているのが、実は暴力団関係者だということだってあるかもしれないのだ。

 そういう意味では、これは何も異常ではない。

 周囲の喧騒のおかげで話す内容も雑音の一つとして紛れるだろうし、ちょうど良かった。


「愛花」

「うん」


 狩真の呼びかけに、愛花が応じる。


「えっと……私もよくは知らないんだけどぉ~」

「そっか。なら黙っとけ」

「お兄ちゃん、ひどい……うふっ、でもそんなお兄ちゃんもかわいい……チューしたくなっちゃうよぉ」

「馬鹿なんじゃねえのこいつ?」


 お前が言うな、と涼太は思った。

 愛花はそんな狩真の罵倒すら快感なのか、身を震わせて感激しつつ、さらに説明を続けた。


「聖遺物は教会……というか、率也お兄ちゃんがある儀式をするのに必要なしょくばい……? らしいの」

「触媒? どんな儀式の?」

「しらないよ。でも、なにかを召還するために必要だって言ってた。だれか、かなあ?」


 どっちかはわからないけどぉ、しょうかんぎしきにひつようだって言ってたよ、と曖昧な情報を曖昧な日本語で告げる。涼太は早くもこめかみを押さえ始めていたが、それに反して狩真はにやにやと笑っていた。


「つまりなんだ? 奴らはその聖遺物とやらを狙って刺客を派遣してくるってわけかいよ」

「うん、そうだよ。さすがお兄ちゃん、頭がいいなぁ~~~アハハっ」

「んで、その刺客ってのは誰が来そうなんだ? ……いやまあ、さすがに一人かね」

「たぶん、率也お兄ちゃんだろうね。率也お兄ちゃんは、個人的にもあれを欲しがってたし」

「く、キヒヒ……まぁそうなるか」


 そう笑いつつも、率也が聖遺物など無視して愛花を取りに来る可能性も捨てきれないと見ていた。

 あの男のことだ、組織の命令よりも私情を優先する可能性は大いにありえる。愛花が奴の計画に必要なピースであること、率也が組織などというものに価値を置いていなさそうなこと、加えて奴らの首領はそうした独断行動すらも許容するであろうという予想。

 そうした諸々から、今すぐ率也に襲撃されてもおかしくはないのだ。


 とはいえ、これまで数多く隙を見せていたのに襲撃がなかったことを思えば、しばらくその心配もないだろう。

 まだこちらが捕捉されていないのか、聖遺物と愛花を同時に奪い去るつもりなのか、あるいは他に理由があるのか……詳細は不明だが、しばらく出てくるつもりはないのかもしれない。


 狩真はそこまで話したところで、さらに笑みを深めて、


「そこで聖遺物だ。俺らにとっちゃァあろうがなかろうがどうでもいいもんだが、クソ兄貴をおびき出すにしても、それをよすがにして教会に近づくにしても、いい道具には違いね




 ――――本当に?




「あ……?」


 狩真の言葉を遮るように割り込んできた声。それに呆気にとられ、間抜けな声を出してしまう。

 嫌な気配しか感じなかった。土御門狩真という破綻者をして――いいやあるいは、土御門狩真だからこそ――不快と断じてしまわねばならないような、そんな声。


「誰かなんか言ったか?」

「うーん? 私はお兄ちゃんの言葉を途中で止めたりなんてしないよぉー?」

「誰も何も言ってないと思うけれど……」

「サリア眠いから早くしてー」

「……(シャカシャカシャカシャカシャカ)」

「おいカルマ、貴様何を言っておるのだ? ついに言語中枢まで破壊されたのか、異常者よ」


 どさくさに紛れて酷いことを言っている触堂のおかげでようやく正気に戻ったのか、狩真はカハハと笑い調子を取り戻した。


「いや、何でもねえ。なんか疲れてるみてぇだわ」

「ほんとうに……? 大丈夫? お兄ちゃん」

「カハハッ、お前が布団に潜り込んだり寝込みを襲って来たりしなけりゃあこんなことにならなかったんだぜ?」

「それはやめない」

「やめろやオイ」


 珍しく狩真がツッコミに回っていた。とはいえ、愛花とのやり取りで完全に自分のペースを取り戻したらしい――狩真は妙な不快感を彼方へと吹き飛ばし、何者かに切られた言葉の続きを語り始める。


「噂によりゃぁ戦争を終わらせるほどの代物(シロモン)とも聞くし、ここで強奪して世界征服ってのもありかもなあ! ヒヒヒヒ!」

「そんな簡単に言って……けれどまあ、僕も聖遺物を奪うという案には賛成かな。土御門くんが珍しくまともな意見を言っているから怖いけれど、現状それしかないように思う。みんなはどうかな?」

「お兄ちゃんと一緒なら何でもいいよ」


 狩真に一層強く抱き着きながら、愛花がそう言う。


「サリアは誰かに嫌われるならそれでー」


 ぐでぇー、とテーブルにタコか何かのように突っ伏しながらめんどくさそうな声でサリアがも続いた。


「……(コク)」


 ヘッドホンをしていても一応聞こえていたらしい。ヒアレンスが無言で頷く。


「うむ、よいであろう! 我が許す!」


 なぜか触堂は偉そうであった。

 皆が皆、個性あふれるリアクションではあったものの、その返答は全てイエス。


「ならこれからの方針だ。いつも通り、(さわり)さんとヒアレンスさんで聞き込み調査。サリアは……自由にしていいよ。ただし下手に暴れたりしないように。そして土御門さんと愛花ちゃんだけど……」

「かはは、どんな仕事だって回してくれていいぜ。完璧にこなしてやんよ」

「私はお兄ちゃんと離れないよ」

「……いや、二人は適当に遊んでてくれ。余計なことをしないように僕が引率として付き合うし」


 その決定に狩真が不服を漏らしていたが、涼太は愛花をけしかけることで黙らせた。愛花が現れて以降、涼太の心労が増したことは確かなのだが、こうして狩真のコントロールに一役買ってくれるところは助かっている。

 ともあれ、こうして方針が決定した。

 皆、各々自らの役目を果たすために六人は店を出た。



[October 27, 13 : 45 : 57 at 〝Engineering〟 in Atlantis]



「「「うーーーーーーーーーみーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっ!」」」


 女子たちの黄色い声がビーチに響き渡る。

ハワイ、ワイキキの海――とはいっても、ホテルが所有しているビーチであり、他に人もいないためほぼ貸し切り状態である。

 だが、そうはいってもハワイの海だ。その響きに高校生たちが浮足立たないわけがなく、馬鹿な男子どもは奇声を上げながら一目散に海へと駆け出していき、派手目の女子たちはきゃっきゃと飛び回りながら仲間内ではしゃいでいた。


「「「O……Oh……」」」


 そしてこの場に残っている男子たちも馬鹿であった(いいや、あるいは彼らこそが賢者なのかもしれない)。


『こらー! はしゃぐなお前たちー! 戻って来い、まだ注意事項が終わっていないぞー!』


 とはいえそこは学校行事。いくら修学旅行とはいえ、勝手な行動は事故に繋がるため、教師は怒声を上げていた。


「ほらー! みんな戻ってきなよー! 嬉しいのはわかるけど、少しは年齢を考えろー!」


 彼らのリーダー格というか、中心人物である新谷蹴人が仲間を呼び戻す。馬鹿男子どもは海に入る直前で止まり、残念そうな表情で戻って来た。

 そんな男子たちをアホだなあ、と呆れながら見ていた友介の耳に、聞き慣れた声が入って来た。どこか調子が軽く、頭の悪そうな声だ。


「あはは、あいつらマジ馬鹿だねー。思わない?」


 四宮凛だった。

 水着の上から真っ白なパーカーを纏っており、上も下も含めて水着が隠れてしまっている。そのせいか、色白なふとももの下になにも穿いていないように見えてしまい、なかなか危険である。


「は? 知るか。暑い。つか帰りてえ」

「ちょっ、あんた修学旅行でそれはなくない!?」


 いや、でも暑いもんは暑いし……早くホテルに行こうぜ……と友介はめんどくさそうな表情で小さく呟く。そして不幸なことに、それは凛に聞きとがめられていたらしく、


「駄目ですぅー! あたしはこの修学旅行で友介のいいところをみんなに教えるんだし!」

「なあ、ありがた迷惑って言葉知ってるか?」

「残念だけど、これはあたしがやりたいと思ってやってることだから。友介の迷惑とか知らないしー」

「どうすりゃいいんだよ……」


 微妙に距離が近い凛に気圧され、結局ため息をついて諦める友介。

 もうどうとでもなれ、好きにしろ……と半ば判断を投げ捨てていた。


「だって修学旅行で一人とか寂しくない? 撮った写真が風景ばっかとか泣けてくると思うんだけど」

「何でそんな具体的なんだよ」

「ま、そういう奴中学にもいたかんね」

「勝手に同情してやるなよ。そいつも楽しかったかもしれないだろうが」

「そうなの?」

「…………」


 この辺りはやはり、友達と遊ぶことにこそ楽しみや幸せを見出すウェイとかギャル特有の価値観なのだろう。友達と遊ぶ以外の楽しさ、というものに対して実感がわかないのかもしれない。


 とはいえ別に、だからといって凛が狭量だとも思わない。

 実際問題として、人と関わることは幸福であるし、孤独よりも仲間がいる方が幸せであると、友介もまた感じているから。


 そして何より――


「…………、」


 バレていないつもりなのだろうか――少し離れた建物の影からこちらをじっと観察している赤髪の少女、風代カルラのことを思えばなおさら。

 ずっと独りで、誰にも頼れず、誰も頼らず、ずっと孤独に戦ってきた少女。

 周りに誰もいなかった彼女の過去が幸福であったとは、友介は絶対に思わないし、認めないから。

 まあ、そんな小難しい理屈や過去は抜きにしても、近くに誰かがいるというのは幸せだし楽しいという理屈はわかる。

 だからこそ。


「別に気ぃ遣わなくても、俺は今のままでも十分なんだよ。クラスにはお前も字音もいるし、カルラを初めとしてグレゴリオの連中もいる。だからまあ、なんだ。お前は俺なんかにかまってないで、友達と遊びに行けばいいだろ」

「いや、友介も友達なんだけど」

「そういうこっちゃねえよ。……ったく」


 少し前までは友介が会話の主導権を握っていたはずなのに、最近はその力関係が逆転しているような気がするのは気のせいだろうか。

 もしかしたら、あのアリアとの戦いの中で、凛の心を大きく成長させるような出来事があったのかもしれない。

 あの時のことは大まかなあらすじと断片的なことしか聞いていないため、友介からしてみれば凛がいつの間にか大人になっていたようにしか見えず、困惑してしまう。


 そうこう話しているうちに先生の説明も終わったらしく、同級生たちは一斉に海へと向かった。馬鹿な男子たちはクラス問わず当然走り出しており、それに続くように頭の軽そうな髪の毛をした女子たちが黄色い声を上げながら駆けだしていく。


「リンーッ!ほら、一緒に来なようー!」

「あーあ、美夏……少しは察してあげなよ」

「え、なにが?」

「あんたそれでよくやって来れたね」


 遠くで凛の友人の甘屋美夏と伊藤ヒカリが彼女を呼んでいる。

 友介は「行けよ」と顎で促し、凛はそれを頑なに拒もうとする。友介も来いということなのだろうが、勘弁してくれとでも言うように肩を落としながら深く息を吐いた。


「おい、すでに関係が構築されている空間に、こんなくらい奴を連れ込んでいいこと起きるわけがねえだろうが」

「いや、そんなことないし! みんなちゃんと話したら誤解だって解けるじゃん」

「解けねえよ。そもそもそこまで的を外したものでもねえしな。つぅーか、だ」


 凛の説得を悉く受け流す友介は、視線を凛から外して、これまた少し離れたところでぽつんと座っている少女へと向ける。


「一応仕事があるんだよ。そう遊んでばかりもいられねえ」

「あ……」


 友介が見ている方向では、金髪の少女が木陰の段差で静かに座っていた。アリアだ。

少女は今もまた、空港で浮かべていたような虚ろな瞳を地に向けるのみで、生きる気力というものを失ってしまったかのようである。

 黄色と白のストライプ柄のビキニは少女のメリハリのある肢体によく似合っているというのに、まるで色気が感じられない。

 例えるならば、そう――人形のような。

 人形のように美しく、作り物のような美貌を持つ少女。


 そう言えば聞こえがいいが、その本質は、彼女が今、無機物のようにしか見えないということだ。

 あの少女の中身には、今、魂や命といったような輝かしいものは存在していない。

 人を操り、夢の世界に叩き落とすほどの魔性を帯びた声で歌っていたアイドルは、もうここにはいない。

 空虚で空洞で、がらんどうになってしまったぬけがら。

 人の形をした蝋の塊があるだけだ。


「……そういえばさ」

「あん?」


 二人してアリアを遠くから見つめながら、凛はふと疑問を口にした。


「何であの子、今もこうして外に出てるん?」

「……どういうことだよ」

「だからさ、牢屋に入れるって言ってたじゃん。なのに、何でアリアちゃん、未だに外で――しかもビーチで水着着て自由になってんの?」


 鋭い。面倒な……嘆息したくなる気持ちを抑える。

 別に複雑な事情や、危険の伴う原因などもないので、友介は軽い調子で質問に答えた。


「メイレイ」

「へ? なんの?」

「知るか。直属の上司が31日まで外で行動させろって言ってきやがったんだよ」


 面倒くさそうにそう吐き捨てる友介に、しかし凛はさらに食いついて、


「で、それをちゃんと受けたんだ」

「……まあな。仕事だし」

「でも、あの時聞いた話だと、あの子カルラちゃんに酷いことしたんじゃないの?」

「それもあの時言っただろうが。それを俺が許さないなら、それは同時にカルラの罪も許されないって、他でもないこの俺が認めることになっちまう」

「そっか。じゃあ助けてあげるんだ」

「――――」


 しまった。完全に誘導された。

 別に外を連れて歩くだけなら、先と同じように『仕事だから』で済ましておくべきだった。

 今の友介の答えでは、まるで『アリアがカルラに残酷な仕打ちをしたとしても、彼女を助ける』と言っているようなものだ。実際、かつてアリアにどうして自分を助けたのだと聞かれた時、彼は同じような答えを返したのだから、そう取られてもおかしくない。

 事実、


「ん、どうしたん? ん~? 何か顔赤いけどぉ~~~」

「おまっ、こいつ……っ」


 案の定、凛はにやにやと意地の悪い表情でにじり寄り、対し友介の表情は羞恥と怒りで若干赤くなる。

 ガシガシと不機嫌そうに髪を片手でかいたのち、


「……あれだ。あんな状態で牢屋に入られても、刑でも罰でも何でもねえだろうが。あいつには後悔して、惨めに泣きながら牢屋に入ってもらわなきゃいけねえんだよ」

「ふ~ん?」

「あ? 何だテメエその顔は」

「もうー、しゃーないなあー。じゃあーアレ! 〝あんな暗い顔をされてたら、牢屋に入れるこっちも目覚めが悪い〟……ってことにしといたげるわ」

「ちっ……好きにしろ」


 ぶっきらぼうにそう言い放つ友介に、凛は小さく「うん」と返し、それから穏やかな微笑を浮かべながら、さらに一言。


「じゃ、あたしも手伝うし!」

「はぁ? 何でだよ」

「だって友介好きにしろって言ったじゃん」

「いや、それはそういうことじゃなくてだなァ……ああもう、うぜえ。さっきも言ったろうが、お前は別に責任感じる必要ねえって」

「いや、別に責任とかじゃないから。あたしがやりたいだけだし。それに、別にがっつり説得とかするつもりもないから邪魔しないから安心しろし。あたしがなに喋っても、多分あの子聞く耳持たないっしょ。ていうか、またなんかのきっかけで喧嘩になるかも」

「はあ……そうかよ。まあ、別に危ないことでもねえし勝手にしろ」


 その返答に気を良くしたのか、凛は嬉しそうに顔をほころばせて、


「うん、勝手にする! ていうか友介、今あたしの心配した? したよねっ?」

「はぁ!? 何でそうなるんだよ」

「だって危なくないから手伝ってもいいって言ったじゃん」

「~~~~ッ! うっせぇなァ。勝手に言ってろ」

「じゃあ言っとくし~~~~」


 なおも絡んでくる凛を、シッシッ、と片手で払い、さらに彼女の背中を無造作に蹴って海の方へと押しやることで、ようやくのこと引き剥がす。

 だが凛は、そこまでやられておいて、なおも笑顔を友介に向けて手を振っている。おめでたい奴だな……と疲れたように内心呟いて、ようやくのこと友介は目当ての少女の前まで歩いて行った。


「よう」

「……ええ、どうも」


 呼びかけてから一秒ほど遅れて、少女の顔が緩慢な動作で上がる。瞳は虚ろなまま、か細い声で返事が返って来た。

 こうして改めてその顔を見てみると、かつての溌剌とした明るい少女の面影はどこにもなかった。

 特に酷いのは眉間に寄った皺と、虚ろな瞳を包んでいるまぶたの下にできた深く濃い隈。人を笑顔にするために、光を纏っていたあの少女からは酷くかけ離れている。

 翼を捥がれた鳥、あるいは鰓を失った魚。つまり、歌うことができず、人を笑顔にする機能すら失った彼女は、もはや春日井・H・アリアと呼べる存在ではなかった。


「お前いつまでそうしてんだよ」

「……何がですか?」


 問いかけにも、少女は暗く冷たい声を返すのみ。


「そちらこそ、どういうつもりですか? 情けなんていらないですよ。今すぐ牢屋に入れるか、殺すなりしてください。私はもう、抵抗するつもりはありませんから」

「……はぁ」


 相変わらずの態度にいい加減ため息を隠し切れない。ずっと、ずっと――そう、彼女を捕えた七月のあの日から、このアイドルだった(・・・)少女は、こんな風に全てを状況に任せていた。自分から何かをしようとすることもない。

 する気も起きないし、これから自分が何かをする未来も見えない。


 これまで積み上げてきた屍、そして奪ってきた尊厳や人生の数々――その全てから、意味が消失した。

 己の夢を叶えるために。

 いつの日か自分の声を取り戻すために。

 ただ歌いたいから。

 全て自分のためだった。己のために他者の全てを利用してきた。自分の声で歌いたい――そんな幼稚な願いを叶えるためだけに、命を奪い、尊厳を踏みにじる、人生をユメの内に閉ざした。そうまでしなければ、夢は叶わないと思っていたから。声は取り戻せないと思っていたから。自分の声で歌うためには、人を踏み台にしなければならないと思っていたから。


 だから、今まで耐えてこられた。

 何だかんだ、やることはやってこられたのだ。

 理想のために、願いのために、夢のために、たった一つ――アリアのためだけの光を掴むために、悪を成してきた。

 他者(ひと)よりも自分(ユメ)の方が大切だったから。正しさや倫理、規範や秩序……そうしたものに背を向けてこられた。真っ当な人としての感性を持っていて、奪うことに対する忌避感情が人並みに残っていても、悪を成し続けることができた。それらの所業を真正面から受け止めて、それでも前を見続けることができた。

 今にも崩れ落ちそうな均衡で、ギリギリの綱渡りで、それでも少女は自分の声で、自分の歌で、本当の意味で誰かを喜ばせられる日を夢見て、前だけを見て歩いてこられたのだ。


 だが今、その均衡は崩れ去った。

 奇跡のバランスは瓦解した。

 理想のために屍を積み続けてきたというのに、ただの腕輪一つで、その道が間違っていたと示されてしまった。

 これまでの積み重ねの全てが塵だったと断じられて。

 これまでの悪行が無駄だったと断じられて。

 ギリギリで少女の矜持を守っていた防波堤は崩れ去ったのだ。


「お前が一人で(うつ)ってんのは勝手だけどよ、」

「私にかまっている暇があったら、修学旅行を楽しんできたらどうなんですか? 別に見張りはあなただけじゃないんですし」

「…………」


 聞く耳なし。会話をしようという気がない。いいやそもそも、何の気力もないのか。生きる気概さえも、少女は既に無くしてしまっている。

 歌を取り上げてしまえば、春日井・H・アリアは死ぬ。アリア・キテネという少女もまた同様。歌を失ったこの少女は、すでに死んでいるのだ。

 よってこれは、自暴自棄でもなければ、拗ねているわけでもないし、助けを求めているわけでもない。そうした機能は軒並み停止しているのだから、言葉の裏にあるものなんて一つもない。

 無駄だから向こうに行っていろと、言葉通りの意味しかない。


「というか、向こうで全部話しますから。別に今わたしと話す意味はないと思いますよ」

「そうかもな」


 自虐ですらない虚無の言葉に、友介は否定を返さない。彼女の言う通り、効率や理屈を考えれば、ここでアリアと話すことは無駄以外の何物でもない。

 それに……


「どうしました? 私の顔に何かついていますか?」


 この敵意も悪意もない、死人の状態にあるアリアに何を言ったところで、その心に響くものなど皆無だ。どれだけ言葉を尽くし、いくら拳でわからせようと痛みを叩き込んだとしても、空っぽで何も詰まっていないのだから、そもそも響きようがない。

 一人にしてくれ――そんなちっぽけな願いすら言葉に含まれていない。

 本当に無なのだ。悩みや苦しみなんて概念すら既に過去のもの。この腕輪をはめた時に、少女の全ては欠片も残さず砕け散って空気に溶けた。


 ゆえに死。

 死者は悩まない。

 死者は苦しまない。

 だから。


「いや、何でもねえ」


 今は、何も言わない。


「悪かったな。念のため言葉を交わしに来ただけだ」

「そうですか。では」


 だが、待っていろ。


「熱中症には気を付けろよ。死なれちゃ困る」

「はい」


 そんな悟ったような顔で牢屋にはぶち込まない。

 悩みもせず、苦しみも知らない死人を牢屋にぶち込んでも、反省なんてしないだろうから。

 なにがなんでもその『無』を、涙と後悔でぐしゃぐしゃにしてやる。

 感那の狙いなんざ知らない。どうせあの歌を利用するために、もう一度歌わせたいのだろうが……いいだろう。乗ってやる。

 あのふざけた無貌を絶望に染め上げるために、道具に徹してやるよ。

 アリアに背を向け、同級生たちの元へと戻りながら、彼は静かに決意した。


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