DAY1――Ⅰ Light Atlantis 1.Arrive at Atlantis airport
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「……赤の覚醒により、わたしとおまえの間にもパスができたのかもしれんな」
「またお前か。最近寝るたびにお前と会ってる気がすんな」
灰色の世界にただ二人、少年と少女が向かい合っていた。
春日井・H・アリアを発端とした騒動で、疑似染色に多重飽和攻撃を受け気絶しここに迷い込んで以降、友介は意識を失うたびにこの死灰の世界に来るようになっていた。
正面で杯で創った玉座に偉そうに腰かける少女の顔は、相変わらず鉛筆で塗りたくられてどうなっているのかわからない。ただ懐かしいという感情だけが友介の胸を満たし、この少女を突っぱねることができないのだ。
「……どっかで会ったか?」
「いいや? わたしとおまえは……会っていない。というか何だその安い口説き文句は。気持ち悪いぞ」
「あ? テメエ言い過ぎだろうが。つか別にそんなんじゃねえわ」
「どうだかな。ここから見ている限り、いつもおまえは気持ち悪いぞ。よくもまあ、あれだけスラスラと女にキザったらしい台詞を吐けるものだ。見ているこちらは胸やけして仕方ない。気持ち悪いぞ」
「だから気持ち悪くねえって言ってんだろ。あと繰り返してんじゃねえよハゲ」
「……禿げてない。殺されたいのか?」
「俺から見たら禿げてんだよ。顔も真っ黒、頭も真っ黒、いいかげんその面ァ見せやがれ」
「断る。その時は……そうだな、全てを終わらせる時だ。そしてそうなったとき……おまえはわたしの前に這いつくばっているだろうがな」
「……なら、試してみるかよ」
「試すわけがないだろう? それはまあ……わたしが三層目に降りた際に、また」
死灰が降る。柔らかで無機質な、何も生まない終わりの粉がしんしんと降り注ぎ、地上を埋める。
死の世界、終わった世界。
たった独りここに残された少女は、いったい何を思っているのか。
あるいは、もはや擦り切れて何も感じなくなってしまったのだろうか。
「別にこの世界に文句はないさ。こうして、今わたしが孤独を感じられているのだって、生きているからだ。そう――まだわたしは、生きている。おまえ達から見ればいないようなものでも、確かに生きているんだ」
そう告げる少女の声音には、感謝や慚愧、怒りや後悔……様々なものがないまぜになり、ぐるぐると渦を巻いて混沌を成していた。
「生きているんだよ、残念ながら」
そして、最後に残ったのは――後悔。
「何なんだよ、意味わかんねえ奴だな」
「だろうね。おまえにはわからない。そして、わたしもおまえに知ってほしいとは思わない」
「……っ」
「おまえを終わらせる――それがわたしの至上命題だ」
「結局おまえは何なんだ。敵か? 味方か? まあ、別にどっちでもいいけどよ」
「敵だ」
一秒の迷いもなく、少女は応えた。
鉛筆で塗り潰された向こうで、決然と友介を睨みながら。
「わたしはおまえの敵だ。お前の旅を終わらせる、最後の敵でありたいと思っている」
言っていることはわからない。意味も理由も、知ろうとも思わない。
だから。
「なら、俺もお前の敵だな」
彼はいつものように、いつも通りに。
安堵友介として、己の敵を見定めた。
「俺はお前を――――」
そして、ああ――夢は終わる。
悲しい夢は、途切れる。
さあ、目覚めの時間だ。
いつもの日常に、帰ろう。
[October 27, 12 : 18 : 49 in Atlantis]
『皆さま、当機は着陸に備え高度を下げてまいります。お座席、テーブルは元の位置にお戻しになり、シートベルトをご着用ください。
荷物は頭上の棚、もしくは足元にご収納ください。また、電子機器の電源はお切りになり、化粧室のご使用はお控えください。
またただ今をもちまして、畿内のエンターテイメントサービスを終了させていただきます。客室乗務員がお手元のヘッドフォンを回収しにまいります。
まもなく、ハワイアトランティス空港に着陸いたします』
丁寧な女性の電子音声が流れ、高度を下げた飛行機が風の抵抗を受けぐらりと揺れる。その影響なのかどうか、友介の意識も死灰の世界からつり上げられ、現実へと帰還した。
「いやいや、だから字音ちゃん近づき過ぎっしょ! ちょっ、近い! 近いからほらぁ!」
「……うるさいね、四宮さん。それよりもほら、こーんなに近い。もうすぐチューしちゃうかも」
「ああー! ああーっ! ちょっ、美夏ごめんマジでどいて、あいつ今からシバくし!!」
違う。
飛行機の揺れとか、絶対にそんな可愛い理由で起きたのではない。
「近いなー、私と友介くんの顔が近い。何かの間違いで唇と唇が当たってもおかしくないかもしれないね」
「ふしゃーっっ! シャーッッ! うにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
「いや、リンまじでうるさすぎだから!?」
「……あのさあ、いくら隠すのやめたからってそれはさあ……」
着陸するとアナウンスされているのにもかかわらず暴れ狂い、狂化した猫のような叫びを上げる凛に、彼女の友人の美夏とヒカリが呆れたように呟くも、少女の耳には入っていない。
「もぉぉおおおおおおおおおおおお~~~~~! 何もしないって言うから納得したのにぃ~~~~~~~~~! ムカつくムカつくムカつく!」
「うん、友介くんの寝顔もとてもいい」
「あ、ちょっ、見えない。てか見たい、見せて! 写メ! 写メ撮って送ってよ!」
「やだ」
「~~~~~~~~~っ! う、うぅ……っ」
「あ、泣いた」
「うわほんとに泣いてる。てかリン何歳よ……」
どうやら友介を話題の中心にして、クラスで盛り上がっているようだ。意味がわからないしうるさいので普通に黙ってほしいのだが、友達でもない人たち(それも女子)の会話に自ら割って入る勇気がない友介は、このまま寝たふりをするしかない。
「じゃあ、今からお姫様がキスして王子様を起こそうと思います」
「起こそうとするな。つかもう起きてるわ」
前言撤回。すぐにでもこのカオスに介入し、一連の流れを止めなければならない。字音に既成事実(?)を作られる前に牽制しつつ、至近距離からこちらを見つめる字音を睨んだ。
「あ……」
「勝手にキスしようとしてんじゃねえよ。何がお姫様だ、自分で言ってて恥ずかしくねえのか?」
「…………っ、……!? ~~~~~っ!」
瞬間、常は表情の乏しいその顔に、珍しく明確な羞恥の朱色が差し、瞳にうるうると涙が溜まり始めた。告白の瞬間も、フラれた直後も大して表情が変わらなかった字音だが、こうした不意打ちには弱いらしい。もっとも、不意打ち以前に聞かせるつもりのなかった恥ずかしい台詞を、直接本人に聞かれたのだ、むしろ恥ずかしくない方がおかしいか。
加えて、カルラとの舌戦により無駄に鍛えられた毒舌が牙を剥き、根暗少女のライフはゼロを振り切りマイナスへ。
「……死ぬ」
「は?」
「友介くんを殺して私も死ぬ」
結果、ヤンデレみたいなことを言い出した。
「おい」
「さあ、どうする? どこを刺されたい? それとも撃った方が良いかなあ? 一緒に飛び降りる?」
「弟分を助けるために自分の命すら投げ出そうとしたお前はどこに行ったんだよ」
「それを今ここで言うのは卑怯……っ!」
顔を赤くして掴みかかって来る字音。服の襟を握りぐわんぐわんと首を揺らされ、寝起きの頭がシェイクされ気分が悪くなってくる。
「ああー! ちょっ、なに馴れ馴れしくしてるし! いい加減にしろしマジで! 降りたら覚えてろっての!」
さらに凛が大ボリュームで喚きたて、それを左右に座るギャル二人が宥めている。
なぜだろうか、先ほどよりもカオスが濃くなっている気がしてきた。
「もう黙れよお前ら……ったく、だから修学旅行なんざ来なくていいって言ったんだ」
つぶやきは幸か不幸か誰の耳にも入らず、知らぬ間に地上まで降下していた飛行機の着陸おんによって完全に掻き消された。
[October 27, 12 : 38 : 49 in Atlantis]
修学旅行。
それは一部の学生にとっては待ちに待ったイベントであり、高校生活で一番の思い出となる者も少なくない。
しかしそれは光の側面。
光があれば、また闇もある。
友達のいない人間は、仲良くもない地味目な奴らと同じ班になり、さして会話もないまま自由行動を一人と一人と一人と一人と一人のグループで行動するという地獄の事態に陥ることも少なくない。
友介は――後者であった。
友達がいない彼にしてみれば、修学旅行など苦痛以外の何物でもない。ただでさえ迫害を受けている環境に、五日間拘束され続けるのだ。これはもはや監禁であり、何らかの刑罰以外の何物でもない。
――俺が何をしたんだ。
飛行機を降り、空港で教師が点呼を取っている間、友介の思考はクラスメイトでも待ち受ける思い出の数々でもなく、己に理不尽を貸すこの世の摂理への怒りで満たされていた。馬鹿はいつまでたっても馬鹿なのである。
思い出される一週間前の記憶。
『友介くん、修学旅行費は僕が払っているし絶対に行くように。行かなかったら北欧禁制区に投げ入れて武者修行させるからね。僕がお金払ったんだし』
最初から修学旅行に行くつもりがなかった友介は、感那から給料が支給されても修学旅行費は払わず行かないつもりだったのだが、感那に読まれ先に手を打たれていた。
『せっかくの高校生なんだ。私学でお金があるから三年全部で修学旅行があるとはいえ、やはり腐っても修学旅行だ。ちゃんと行ってたくさん思い出を作っておいで』
あの女狐にしてはいやに優しい声音でそう言っていたが、そもそも友介は修学旅行に行きたくないのだ。
感那としては直属の部下に羽を伸ばしてもらおうという粋な計らいのつもりなのかもしれないが、有難迷惑以外の何物でもなかった。
『それとついでに、春日井・H・アリアをアトランティスにある監獄――『タルタロス』に護送してくれ』
仕事だった。
『彼女はまあ、枢機卿だしね……結構恨みとかも買ってそうだし、きちんと守ってあげてくれ。得意だったでしょ? そういうの。女の子を守るナイト様。あ、ちなみに独房に入れるのは31日だから、それまでしっかり護衛しておくように』
あいつは敵だろうが。というか、なぜ31日なのだ。すぐにでも牢屋にぶち込むべきだろうが――と抗議したところ、
『へぇー、友介くんはそれでいいんだ? あのまま独房に入れるんだぁー。ふーん』
などと言われ、何だかんだで丸め込まれた結果、結局友介はアリアの護送任務に就くことになった。
そしてそのアリアと言えば……
「……………………」
少し離れたところに手錠もされず、真っ白な麦わら帽子を深くかぶったままぼんやりと佇んでいた。
帽子と同じ真っ白な薄手のノースリーブワンピースというシンプルな出で立ちで、装飾らしい装飾は右手の腕輪ぐらいというもの。
国ひとつを滅ぼし得る偽神を扱うにしては最低な措置としかいえないが、どうやらあの腕輪には感那の術を施してあるらしく、それでアリアの魔術や染色を抑えているのだとか。
つまるところ、現在のアリアはただの非力な少女でしかない。無論、鍛えた体や戦闘勘は落ちていないため、再度凛と殴り合っても彼女が勝つだろうが、異能を扱う者に命を狙われれば簡単に死ぬだろう。
……もっともこれは、染色でもなければ限定封印でもない半端な魔術なので、枢機卿レベルの実力者ならば、その気になれば力づくで魔術やら染色やらを発動できるらしいが。
しかし、今はもうその心配もない。
少女の視線はガラス張りの向こう――入道雲の浮かぶ常夏の青空へと向けられていた。茫洋とした瞳は快晴の青空を見つめているのか、空に浮かぶ入道雲を眺めているのか、ガラスに映る己の姿を捉えているのか。
あるいは――何も見ていないのか。
しかし、あの少女が何を願い、なんのために戦っていたのかを思えば、その答えはおのずとわかってくるのかもしれない。
ああ、だからきっと。
あの腕輪をアリアに渡した時点で、もう彼女を監獄に入れる意味すら既にどこにもないのだろう。
春日井・H・アリアはもう、戦わない。無為な犠牲を出そうとはしない。無駄な努力をするはずもない。
だって、彼女の魔法はこんなにも簡単に消えたから。
光鳥感那の腕輪をはめただけで、あんなにも煩わしくて仕方なかった魔性が消えた。ただの女の子に戻れた。
ただそれだけのことで、アリアの望みは叶ってしまったのだ。
「…………」
その小さい背中を眺めながら、友介はふと思う。
もしも。
もしも唐突に、あっけないほど簡単にこの世の悲劇が消えれば、自分はどうするだろうか。
必死に戦い、血反吐を垂らしてでも足掻き続けた。少しでも多くの人を理不尽から守るために。一人たりともこの手のひらから零さないために。戦い続けた。
自身が傷を負うことは良い。この眼に映る理不尽の全てを砕くと願い、多くの人を傷付け、数多の犠牲を積み重ねて……その果てに、その努力を嘲笑うかのような方法で、友介とは全く関係のない場所で、そんな奇跡が成されたら――
「……、」
考えるまでもないだろう。
彼は簡単に戦いをやめる。
ただその結末に満足して、もう戦わなくていいのだと肩の荷を下ろして、本当の意味で杏里や凛のいる日常へと戻るだろう、そんな気がする。
その幸せを、感受できるような気がする。
「今は何言っても無駄だな」
「どしたん?」
「別に、何でもねえよ」
独り言に反応したのは凛だった。
肩と肩が微妙に触れ合うか触れ合わないかという微妙な位置に立っているのはわざとなのだろうか。友介には判断突かないので特に気にしないことにする。
「もぉおおお~~~!」
「は? 何キレてんだよ?」
「何でもないし!」
ふいっ、と頬を膨らませてそっぽを向く凛に怪訝な視線を送るも、それ以上彼女が反応を寄越す気配はなかった。どうやら完全にシャットアウト、お話する気はありませんとのことらしい。
「まあいいわ」
「よくねーっつぅーの!」
「何だよお前めんどくせえなあ。なんか変なもん食ったか? ほら、トイレ行って吐いて来い」
「女の子に向かって吐いて来いとか言う普通!?」
ぜぇ、はぁ、と修学旅行一日目の序盤も序盤ですでに体力を使い果たしかねない凛は、これ以上言い合いを続けたところで勝てないと理解したのだろう。話題の矛先を変えることにした。
「アリアちゃん……。護送任務、だっけ?」
「そうだ。別にもう、放っておいても何もしないだろうけどな。ただまあ、あいつが自分から独房に入りてえとのことらしいし、ちょうど修学旅行とも被ったから」
「……そっか」
聞こえてくる凛の声は沈んでいる。同情……とも少し違う。どこか申し訳なさそうな色を孕んだ声だった。
「あのさ……アリアちゃん、もう、歌わないって聞いたんだけど、それ、ほんと……?」
「独房にぶち込まれるのにアイドルもクソもねえだろ」
「そうじゃなくて!」
「……歌わねえってよ」
はぐらかそうとしたが、無理だったらしい。
凛に責めるような視線を向けられた友介は、諦めたように息を吐くと、彼の知っていることを正直に話し始めた。
「ひっ捕らえてからこっち、ずっとあんな調子だな。まあ、仕方ねえとは思うけど」
――疲れました。疲れたんですよ。
どうして抵抗しないのか、なぜぺらぺらと自分の知っていることを話すのかを尋ねた際、アリアはそう口にしたという。
――歌うことも、戦うことも、魔法のことも何もかも……全部、茶番だったんですから。
「…………っ」
小さな背中を見つめる凛の瞳には、やはり慙愧の念が伺える。
凛とアリアは互いに互いを敵だと断じ、身と心を削る戦いを演じたと聞く。実際に凛の腕が折れていたところを見るに、半端な戦いではなかったのは確実だろう。
一歩間違えれば、凛はここにいなかったかもしれない。詳しくは何も知らないが、殺されるよりも酷い仕打ちを受けたとも聞いた。他ならぬアリア自身がその口で言ったのだ。
だというのに、どうしてそんな目をするのだろうか。
凛が優しい少女だということは知っている。だが、それを差し引いてもどうにも違和感がぬぐえないのだ。
四宮凛は凡人だ。確かに彼女は優しい少女ではあるが、聖人君子では断じてない。あくまで友介の所感ではあるが、自分を傷付けた人間を無条件で許せるような人間ではないように思える。その零落を手放しで喜ぶような小物ではないにしろ、同情する理由もないはずだった。
ましてや、アリアに対して負い目を感じるなど――
「ああ、そういうことか」
「え、なにが?」
そこまで思考が進んでようやく気付いた。
なにも凛は、夢も希望も明日も何もかもを失ったアリアの境遇に、ただ同情しているわけではなかった。
「気にすんなよ、凛」
「え……?」
簡単なこと。極めて単純でありきたりな論理。
そこにあったのは、罪悪感。
「別にお前のせいじゃねえ。お前があいつをぶん殴ったからあの女が歌うことをやめたわけじゃねえよ」
「……、」
「どうせ売り言葉に買い言葉であいつを否定するようなことを言ったんだろうが、そんなもんいちいち気にすんな。お前とあいつは敵だったんだろうが。お前はあいつの主張を受け入れられなくて、それを否定するために戦った。相容れない考え方で、口で言ってもわからないのはわかってたけど、それでも言わずにはいられなかったようなことがあったんだろ」
春日井・H・アリアは四宮凛の敵だった。彼女の主張、彼女の行動、それら全てが許せなかった。
安堵友介を付け狙い、自分の目的を叶えるために人を利用するアリアが許せなかった。自分たちに被害を与えることも厭わず、自分勝手に力を振るって迷惑をかけてくることに怒りを覚えて、彼女の全てを否定した。
戦いが終わった今になっても、凛はあの言葉が間違っていたとは思わない。自分たちに迷惑をかけるな、よそでやれ、一人でやっている――そう強く思う心に間違いはない。
だが、本当にああやって全否定するだけで良かったのだろうか。凛の放った言葉がアリアを傷付けなかったと、いったいどうして言えるだろうか。
四宮凛のような、揺るぎない信念も曲がらない主張も持ち合わせていない凡人だからこその悩み。
それはきっと、友介やカルラですらもう忘れてしまったもので。
だからこそ、それは失ってはならないもの。きっと、踏みとどまった人間にしか持てない大切な輝きで光なのだ。
ただ――
「今回に関してはお前は関係ねえよ。あれはもっと別の要因だ。あいつの全部を根っこから否定するようなことが起きたからこそ、あんなんになっちまってる。だから気にすんな」
「でも……っ」
「それに、だ」
なおも言いつのる凛に友介はさらに否定の言葉を重ねて、
「あいつら枢機卿どもが、俺やお前みたいな他人の言葉一つで心を病むと思ってんのか。否定の言葉も、拒絶の意志も、想像できねえくらい受けてるだろうよ。あいつらはブレないからこそ厄介なんだ。説得できるような半端もんでも、言葉一つで心を折れるような小物でもねえ。あいつのあれは、お前の言葉とは関係ねえよ」
それは凛を安心させるために言ったことではあったが、一つの事実でもあった。
楽園教会はブレない。
彼らは目的へと邁進していく。
誰も彼もが説得不可能で、力でねじ伏せてもう二度と動けなくなるようにするしか解決方法がない。
楽園教会はブレない。
彼らは目的へと邁進していく。
――――心象、侵食。
ここに来て、新たに浮かび上がった事実が彼らの精神性に説得力をもたらしてきた。
無論、それだけが彼らの特異性の原因となっているわけではないだろう。
彼らの本来の気質や、通ってきた過去もまた要因となり、ああまで頑なで譲らない性格になっているのだろうが。
何はともあれ、アリアのあれに関しては凛が気にすることは何もないのだ。
あれは、少女が勝手に消沈しただけの話なのだから。
友介とてアリアの全てを知っているわけではないし、推測でしかものを言えないのだが、それだけは断言できた。
「だからお前は気にすんな」
「……そっか」
「ああ」
友介の短い肯定に、ようやく凛がふぅ、と息を吐いた。肩から僅かに力が抜ける。少女の中から不要な罪悪感が消えたのだろう。これで少しでも肩の荷が下りればいいのだが、果たしてどうだろうか。
そんな友介の不安は、杞憂だったとすぐに思い知らされた。
「ふふっ、いつもありがと、友介っ」
「は?」
すぐ隣に立つ凛が、友介の左腕にぎゅっと抱き着いてきた。頬を桜色に染めてはにかみながら、愛おしそうに見つめてくる。
そう――まるで恋人同士みたいに。
「え、ちょ、お前何して」
「あ、ぇ……ご、ごめん! ま、まだ癖が抜けきらなくて……っ!」
「く、くせだァ?」
「やややややや、なな、な。何でもない!」
ババッ、シュバババっ! などというよくわからない効果音すら聞こえてきそうな勢いで友介から離れる凛。己の行為のとんでもなさに気付き、顔が真っ赤に染まっていた。
対する友介も不意打ちに対応できず、常のぶっきらぼうで不愛想な態度を表にも出せず、年頃の少年のように顔を赤くしていた。
バクバクと胸を内側から叩いてくる心臓を抑え付けようと、二人とも背中を向け合い己と戦っていた。
十秒ほど経ち、ようやく落ち着いたところで、お互いの視線が相手へと向く。まだ体は向き合っておらず、顔を後ろに向けてお互い視線だけは交錯している状態だ。
「……ごめ」
「いや、別に……気にしてねえし」
「き、気にしろしぃ……」
「…………っ」
今回ばかりは凛の小さなつぶやきも聞こえてしまい、友介もだいぶ頭が沸騰してきた。
収まれ、こらえろ。お前は誰を好きになったんだ――
ゆっくりと深呼吸をし、愛しい彼女の笑顔を浮かべることで平常心を取り戻す友介。
凛も同じように深呼吸をし、変な声を上げながらも現実に戻って来ていた。
「うぅうう……」
「……っ」
ただ、意識しまいとすればするほどに、九月一日に、頬に受けた感触が蘇ってくるのが困りものであった。平常心を取り戻せそうになった矢先に思い出してしまい、嫌になってくる。
「……とりあえずクラスの奴らのとこ行ってこいよ。多分あいつら、探してるぞ」
「う、うん……。あ、友介は?」
「いらん。別に」
というか、何のためにその話題を振ったと思っているのか。一旦お前を隔離するためだぞ、と内心ひとりつぶやく。
「……またそういうこと言って」
「うっせぇ。良いだろ別に。どうせ、その……お前のせいで、あいつらと班行動しなきゃならねえんだから」
「そ、っか……そうだね。じゃ、じゃあ後で」
「おう」
そう言って凛は、真っ赤に染まった顔を隠しながら美夏やヒカリの方へと小走りで向かった。すれ違う瞬間、その赤い顔を見てしまったことに、友介はまたもため息を吐きたくなる。
「……友介くん」
「…………」
「無視しないで、友介くん」
「……何だよ」
そんな友介の心境を知ってか知らずか――否、確実に理解している――、近くで二人のやり取りを見ていたらしい字音が声をかけてきた。
その表情はいつも通り感情が乏しいように見えるが、少し薄くされた瞳が明らかに不機嫌であることを物語っていた。
「いいご身分だね」
「うるせえな……っ」
どうやら自分の周りにいる女の子たちは全員曲者らしいことに、友介は今さらになって気づいた。
[October 27, 12 : 40 : 38 in Atlantis]
そんな友介と凛の初々しいやり取りを、離れた場所にある売店のレジから見守る四つの影があった。
身長150cmあるかどうかも怪しい、小学生のような矮躯の赤い髪の少女。
ヘアバンドを付け、短い髪を茶色に染めた軽薄そうな見た目の少年。
見るからに気弱な雰囲気を放つ、小動物のような印象を与えてくる黒髪の少女。
眼鏡をかけた、見るからに女にモテそうな外見の少年。
友介と同じく、光鳥感那直轄の部隊『グレゴリオ』に属する子供たちだ。
彼らがなぜ友介の修学旅行について来ているのかというと、簡単な話、彼女ら四人もグレゴリオとしてアリアの護衛・護送任務を受けているからだった。あくまでも友介の補助という形ではあるが、彼らもれっきとした任務中である。
のだが……
「むぅ」
「あ、あの、カルラちゃん?」
何か様子がおかしかった。
「むぅうっ」
「か、かかかか、かるら、ちゃん……?」
というか、一人だけ明らかに不機嫌であった。
「むぅうううううううううううううううううううっっ!」
「風代……」
フグやハリセンボンかと見間違いかねないほど小さな頬を膨らませているのは、赤い髪の少女だった。
風代カルラ。
安堵友介の〝家族〟であり、ある意味で彼と相思相愛の関係にある少女だ。
毎日毎日、体と心が溶けそうになるほど彼に愛情を注がれているはずの彼女なのだが、やはりそこは恋する乙女――好きな男の子が他の女の子にデレデレしているのを見ると、とても腹が立ってしまうらしい。
今にも飛び出して、顔を赤く染めている友介の横っ面を平手で叩きさらに赤くしてやろうかとでも言わんばかりの勢いで前傾姿勢になっている。
それを呆れや微笑ましそうに見守る他の三人は、カルラが華麗なクラウチングスタートを切り、世界新記録を樹立する速度で走り抜け友介の修学旅行を台無しにしに行くことだけは避けようと一応細心の注意を払っていた。
「あいつ何……っ? デレデレし過ぎでしょ、ばかっ……!」
むぅううううううう! とさらに頬を膨らませるカルラ。これ以上膨らめば爆発するのではと、三人が心配をするほどのレベルだ。
だが、それほどまでにご立腹なカルラだが、一向に飛び出して友介に突撃しようとはしない。理性を総動員し、脚を地面に縫い付け己の内に潜む衝動とギリギリの戦いを続けていた。
てっきりすぐにでも飛び出すと思っていた三人は若干面喰い、一度三者顔を見合わせた後、千矢が問を投げた。
「風代」
「なにっ」
ギロリ、という効果音が聞こえてきそうなほど殺人的な視線が突き刺さるが、千矢は気にした風もなく続ける。
「いいのか、あれ」
「なにが」
「だから、安堵が四宮とやらと仲睦まじく話していることがだ」
「……なに? まさか私が怒ってるとでも思ってるわけ? 友介が他の女と話してるから、私が嫉妬してるとか勘違いしてる? そんなわけないでしょ。ていうか私が友介のことを好きみたいな言い方やめてくれない?」
「あ、友介くん四宮さんとキスしてるじゃん!」
「――――――――ッッっっッッッ!?!?!??!?!?!?????!?!?!?!!?」
草次の一言で声にならない絶叫が迸った。声になっていないので、当たり前だが友介には気づかれていない。
カルラは若干涙目になりながら千矢に向けていた視線を再度友介に向ける。
果たしてそこには……先と変わらず、一人寂しそうに佇んでいる安堵友介の姿が。とてもキスをしていたようには見えないし、そもそも凛は友介から結構離れた場所で級友たちと談笑していた。
ということは、つまり……?
「――――」
その瞬間、カルラの頭の中で何かがブチ切れる音がした。
こう、神々の黄昏的な何かが原子核崩壊的な爆発を起こし、噴火前の静けさもなく、刹那も経たず殺意の奔流が渦巻いた。
「あははー、ごめんごめん。嘘だよべっしゅぐぼふぉぁああああ!?」
「こいつ、馬鹿だろう」
「そ、そうじ……それは、だめだと思うよ……?」
「あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!?!?!???!? おびゅじゅしゃヴぁえぼびょぉぇッ!?」
ドガばきぐしゃばきごんぎぐ! べきぼきぼきッ、ぼきがばきめきょぼきんっ!!
人間の体からは絶対に聞こえてはならない音が響き渡って、草加草次は空港の床で気絶していた。自業自得なので蜜希ですら同情しなかった。
そして、件のカルラだが、草次をボコボコに叩きのめしたことである程度心に余裕ができて落ち着いたのか、ふぅとひとつ息を吐くと、
「まあでも、別にいいわよ……。凛センパイ、この前友介のこと助けてくれたし、それに……」
唇を尖らせ、不機嫌そうな表情を浮かべつつもこう言った。
「友介、ちょっと楽しそうだから」
今日から五日間、ここ理想都市『アトランティス』で修学旅行が始まるのだ。
いつもいつも誰かのために戦い、ずっと傷を負い続けている友介に、少しでも羽を伸ばしてほしい。できるなら、学生の間にしか味わえない経験をして、最高の思い出にしてもらいたいと思っている。
四宮凛がそうであるように、風代カルラだって当たり前のように安堵友介の幸せを願っている。
「うぐぐぐ……友介、友達作りなさいよ……っ!」
隣にいるときは友達がいないことをネタにして大爆笑しているくせに、遠くから見守る今は、そんなことを言っていた。




