DAY0――? Back Alley
[October 26, 23 : 09 : 04 at 〝Biology〟 in Atlantis]
光は影を付随する。輝きの裏には必ず闇がある。
それが夜ならばなおさら。
それは煌びやかな光彩を放つ常夏の理想都市――先端技術開発都市『アトランティス』もまた、例外ではない。
ハワイ州オアフ島をまるごと開発して作られたこの科学都市には、何も刺激臭の立ち込めた研究室やシンナーの匂いが充満する向上ばかりが存在するわけではない。
確かに『アトランティス』を構成する七区画はそれぞれ専門の科学分野が振り分けられており、研究室や工場が集積する地域も存在するが、それが全てではない。
第二学領――通称『生物学領』。オアフ島のやや西寄りの北部を占め、南西に隣接する第七学領『化学領』と、東に隣接する第三学領『医学領』との連携により生化学や薬学の研究まで行っているこの区画ではあるが、研究都市や工業地帯よりも、むしろ歓楽街という言葉の方が似合っているだろう。
酒を飲み、金を賭け、女を抱く。
仲間同士で声を張り合いジョッキを傾ける者もいれば、カジノで崩れ落ちる者、露出の激しい派手な衣装を纏う女と小さな店へと入って行く男の姿もある。
ベロベロに酔った顔のいい男に誘われホテルに入って行く女の姿もある。
「……あいつ、もう戻れねェな……」
だが、喧騒に掻き消される小さな呟きは、この場にはそぐわぬほど高く若々しい――いいや、これはもはや幼いと言うべきかもしれない。
流れるような金髪に、水晶のような瞳を持つ小柄な少女。身長は大人の脇腹程度までしかなく、みすぼらしい襤褸布を身に纏い、裸足は血が滲んでいた。
しかし、その鷹のように鋭く殺気と闇に濡れた瞳のせいか、他者の同情を誘うような雰囲気はひとつとして持ち合わせていなかった。
貧相な幼女は光の間を縫っていく。
煌びやかな虹の下を潜り抜け、騒ぎ立てる馬鹿な市民や観光客には目もくれず、迷いない足取りで光から遠ざかっていく。
そう――少女の用は『光』にはない。
闇を目指す。人ではなく闇に紛れる。追ってくるものたちから自分の姿を隠すために。
「ちっ……おれがどれだけこの街に詳しいと思ってるんだ。あいつら、なかなかしぶといな。……まさかじゃねえが、ここで決着を付ける気か?」
可憐な容姿からは想像もできない荒々しい口調で、少女はそうひとりごちていた。
先ほどこの場にはそぐわない高い声と述べたが、しかし年齢のわりには低い――というよりも少しハスキーな声だ。
少女の表情は面白くなさそうだ。面倒が増える、一刻もこの最悪の状況を変える必要がある。その程度の認識なのだろうか。
「……まだ、ついてくる」
歩む速度をさらに上げ、男たちの視線から外れようと足掻くも効果は得られない。仲間のうちの誰かに常に捕捉され続け、刻一刻と少女は追い詰められていく。
散会し複数方向から少女を追い立てていく狩人たちはバラバラに動いているようで、その実見事な連携によってコースを限定し、少女の行く先を誘導していた。
少女もその事実にはすでに気付いているが、対抗策を講じることも出来ず、さながら獣に追われるウサギのように不憫な足掻きを続けるしかなかった。
光が遠のいていく。人に紛れ、毒々しい光彩を放つ街の中に潜んでいれば撒けたのかもしれないが、後悔先に立たずというもの。今さら悔いたところで、追い詰められたという事実は覆らない。
少女はついに闇の蟠る細い裏路地へと逃げ込むしか術がなくなっていた。
人気が消えると共に全力で駆け出し、追っ手を撒かんと角を何度も何度も折れていった。
しかし――
「……ッ、行き止まり、か……」
袋小路。
三方が壁に囲まれたそこから抜け出すには、来た道を引き返さなければならない。
少女は一瞬の判断の後旋回し、追い付かれる前にこの袋小路から立ち去ろうとして、
「く、くく、くひひひっ、ひっひ……もう逃げられねえぜぇ、お嬢ちゃん」
視界の先、今さっき少女が曲がって来た道から、六人の男が姿を現した。
声を発した先頭に立つ男の笑い声に、少女の肩がピクリと反応する。それを見た男はさらに気を良くし、手に持ったナイフをべろりと舐め、頭皮の露出した禿頭を左手でかきながら下衆な欲望を吐露した。
「いひひ、そそるねえ~……俺、こう見えて下は十歳からでもいいと思っててさァ……なあお嬢ちゃん、おじさんと気持ちいことしよっか、きひ、げひ、ひひひ……」
「……っ」
少女が怯えたように口の端を引き攣らせ、半歩後ろへ下がった。
そんな仕草すらも男の情欲を掻き立てるのか、左手を股間のあたりへ持って行ってはごそごそとまさぐり始める。
「他の奴らもさァ……きっと付き合ってくれるよぉ。だからね? お嬢ちゃん。痛いとか苦しいとかじゃなく、気持ちいいで終わりたいなら……ほら、盗んだお薬、返そっか?」
「…………し、しらない」
「んん?」
「し、知らないもんおれ……おれ、だって、お願いされて、取っただけ。だから、お願い……返すから、酷いことしないでよ……っ」
そう言って、少女は懐から可愛らしい柄の包装がなされた小箱を取り出し、自分の前に置いた。迫る男たちから身を守るように布を掻き抱くようにして体を守る仕草を取る。
「お願い、お願いします……おじさん、これ、返すから……い、痛いの、やだ……」
「いひひひっ、ひひっひひひひ! そっかぁ。痛いのやだかぁ……じゃあ気持ち良くしないとねぇ。いひひひひひひひ! あ、ちなみにどうしてこれ取ったの?」
「お、お仕事……お金、いっぱいもらえるって……」
「そっかぁ、お仕事。オシゴトねえ。でもいいの? お仕事なら途中でやめたらダメなんじゃない? 誰から取ってって言われたの?」
「う、うぅ……でも、死んだり痛いのやだから……。お金をくれる人の名前は、その、言ったら駄目だって……」
「言ってくれたら、痛くはしないよぉ?」
その一言で、少女の表情に緊張が走った。さっきは帰したら痛くしないと言っていたのに、次は言わないと痛い目に遭わされるらしい。
これから自分が何をされるか程度はわかっている。自分の体が汚される、それくらいのことはこの理想都市の陰を住処にしてきた少女なら簡単に想像できた。
だから逃走の失敗が確定した時点で、いかにして相手の怒りを抑えるかが少女の今後のキーになっていたし、事実今もそのために行動していた。
彼らは皆外道だ。人の道を外れた悪鬼羅刹天魔の同類。生物学領にて秘密裏に製造されたこの街にしか存在しないドラッグを服用し、他人に売り捌くような奴ら。そんな者たちにどれほど理性的な言葉が届くかはわからないが、やってみるしかないだろう。
「うん、わかった。言う……」
「偉いねえ……、じゃあもう、痛くはしないよ。気持ち良く、ぎもぢよぐなろうねええええええ……っ」
いひひひひっ、ひひっひ! と引き攣った笑みを漏らしながら男が幼女に近づく。幼女は身を引きたくなる気持ちを必死で抑え、ただその時を待った。
少女の前の前までやって来た男はその方へと手を伸ばそうとするも、すぐにその手を下ろし、その場に屈みこんでまずは大事なクスリを拾うことにした。
「じゃあ、これはおじさんが返してもらうねえ? ごめんね、お嬢ちゃんのお金取っちゃって」
「う、ううん……ごめんなさい、おれが、取ったのが悪いから……」
「君は素直に謝れるんだねえ! 偉いねえ! その年で仕事をしてるだけはあるねえ! この仕事は初めてじゃないよね?」
「え、うん……そう、かな。おれは……親とかいないし、施設にも預けられてないから、その……自分でお仕事して、お金貰わないといけないから……」
「偉い偉い偉い偉い! 子供なのにお仕事して偉い! じゃあ、いつもはどんなお仕事やってるの? いつも人のもの盗ってるの? 駄目だよ、そんなことしたら。いひっ……そういうことも、おじさんが教えてあげるよぉ……。それで、どうなの? いつもこんなことしてるの?」
「ううん……人のもの盗ったりは、初めて……」
「そっかぁ。じゃあいつも何してるの?」
「お前みたいなクズをぶっ殺す仕事だよ、ハゲ」
ガァン! ガンガン! ガンガンガンガンッッ! と。
凶悪な炸裂音が裏路地に響き渡り、どさりと大きなゴミが崩れる音がした。
「はぁ~~~~~~……もう限界だぜ、おい。お前らシャブ中ども、揃いも揃ってキモ過ぎなんだよ」
血と脳漿をぶちまけた肉の塊を足の裏で踏みつけながら、少女の形をしたナニカがその顔面を凶悪に歪ませた。
何が起きたのか未だにわかっていない哀れな薬物中毒者たちに侮蔑と嫌悪と殺意の視線を向けながら、
「お前らだよなァ? 最近アトランティスに得体の知れねえ粉ばらまいてんのは。おかげであっちこっちで問題発生。廃人確定のカタギだっている。っざけやがってよぉ、お前らみたいなキモイのがいるせいで、一般市民はいい迷惑だ」
またも銃声が鳴り響き、呆然と立ち尽くす五人のうち一人が頭に穴を空けて後ろに倒れた。
「クスリなんて物騒なもんで遊んでんじゃねえよ。好きでもねえ幼女に興奮するまでいかれやがって。慈悲深いおれが仲良く地獄に叩き落としてやるよ」
連続で銃声が鳴り響き、男たちの脳天に次々と風穴を空けていく。
予想もしていなかった反撃に男たちは成すすべもなく、一人、また一人と凶弾に倒れていった。
しかし少女と相対する彼らもまた夜の住人。アトランティスの闇に生きる外道なれば、たかが十歳やそこらの少女にただ蹂躙され死ぬことを良しとするはずもない。
最後に残った男が長大なククリ刀を振り翳し、少女の脳天へと叩き付けた。
歪むシルエット。ぐにゃりと壊れたその矮躯を見た男が口の端を釣り上げた。
しかしすぐに違和感に気付く。
あまりにも壊れ過ぎではないだろうか? 大型とは言え所詮は刃物。こんなもので人間の体をぐしゃぐしゃに潰せるのだろうか?
それに――手応えが軽すぎる。
「はッ、どこ狙ってんだよおっさん。まさか幻覚を見るくらいには脳がやられちまってんのか?」
「――ッ」
声は背後から。このアトランティスの闇とは不釣り合いなほど高く、しかし幼女にしては低いかすれたあの声が。
「うぉおおおっ!」
振り向きざまにもう一閃。しかし刃は少女の纏う襤褸布を引っ掛けるだけで、その柔肌には傷一つ付けていない。
纏っていた襤褸布を剥がされた少女は、ククリ刀の間合いのギリギリ外で冷淡な笑みを浮かべて立っている。
襤褸布の下は異様な出で立ちだった。
全身にぴったりと密着するタイプの特殊スーツを身に纏い、腰には大型の拳銃を収めるためのホルスターと大型の軍用ナイフが提げられていた。
整った顔たちは嗜虐と悪意が多分に混じった笑みに染められ、水晶の如く透明感を宿して輝く美しい碧眼には、侮蔑と敵意が既に隠す気配すらなくありありと滲んでいる。
チャキ……と硬質な音が鳴り、大型拳銃の銃口が最後の男の眉間に固定される。
「アトランティス特別治安維持部隊『クリティアス』隊長、シャーロット=プリスアートだ。冥土の土産に持って行け、ハゲ」
この日、また一つの外道が理想都市の闇に溶けた。




