終章二 それは少女のRe-Prologue
季節は巡る。日々は通り過ぎ、長いようで短かった夏休みはすぐに終わった。
春日井・H・アリアの襲撃以降、大なり小なり騒動があり、何度か戦うこともあったが、それでも教会が現れるようなこともなく、血みどろの惨劇が存在しない比較的平穏な毎日だった。
友介はその夏休みを、それなりに楽しんだ。海にも行ったし、花火大会にも行った。カルラと杏里、字音と夕子を交えて市販の花火で遊んだりもした。友介とカルラは五感拡張計画や騎士団計画で培った戦闘勘を線香花火を如何に落とさないかに使い、完全に才能を無駄遣いしていた。勝ったのは友介であった。
「来年はもっと、もっともっと幸せな夏休みになるといいわね」
最終日の夜、友介に抱きしめられながらカルラはそんなことを言った。
「戦争もなくなって、戦いも殺し合いも消えて、普通に、みんなが幸せに生きられたら……」
それは、友介と出会って始めて口にした『未来への希望』だった。
赤い過去に囚われ、ずっと前に進めなかった少女が。
鎖で縛られ、後ろだけを見ていた風代カルラが、前を向こうとしている。
「ああ、そうだな」
ずっと血に囚われていたカルラが、平和を、平穏を、日常を――願い求めるその姿に、少年は涙が出そうなほど嬉しくて。
だから。
「そのためにも、教会をぶっ飛ばそう。それから、この戦争も終わらせるんだ。理不尽を全部ぶち壊して、当たり前に平和な毎日を作ってやる」
「うん。……そしたら、さ」
「おう」
「私も、ヒーローになれるかな?」
「結果的に世界も救えるな」
「そっか」
愛しい日常、失いたくない平穏。
この少女を未来永劫守り続け、必ず救うと、より強く、より重く心に誓う。
そして、来年は。
次の夏は、カルラが当たり前の笑顔を浮かべられるように――
謎は残る。戦いは続く。けれど絶対負けはしないと、安堵友介は心の決意を燃やし、その果てにある幸福と平和を願った。
そうして、二学期の初日。
友介はカルラと杏里、そして字音の四人で登校するようになっていた。
中等部の校舎へと向かうカルラと杏里と別れ、友介と字音は同じ教室へ向かう。
まだ肌に纏わりつくような暑さが消えない
「ねえ、友介くん」
「あん?」
「そろそろ、私と付き合う気にはなってくれた?」
「……いきなり過ぎるだろうが」
「で、答えは?」
「ノーだ」
「そ、知ってた」
そっけなく返す字音は悪戯げな笑みを浮かべて、さっさと行ってしまった。
「……これからこんなんばっか続くのかよ」
直接的に好意を口にされることは当然嬉しいが、それとともにどうしてもむず痒く、気恥しい。それに空夜唯可という少女に想いを寄せている以上、こうしたアプローチは精神衛生上あまりよろしくない。
「まあ、何とかなんだろ」
十月には修学旅行がある。クラスメイト達は色めき立ち、恋人を作ろうと必死な者たちも散見するが、友介は逆にそういったものに惑わされてはならないと、強く己を戒めた。
そんな時だった。
「それでそれで、あたしアリアちゃんのライブが終わった後、道で寝てたんだよねえー」
「あ、ゆっこもなの!? ウチも寝てた!」
「しかも夢に安堵が出てきてたの」
「安堵って、あの安堵?」
「そうそう。人殺しの安堵。あたしが安堵を追いかけてて、安堵は必死に逃げてんの」
「ふふっ、あはは……あははは! なにそれ超ウケるー! ゆっこ安堵のこと好きなん?」
「んなわけないでしょ!? 冗談でもやめて、まじ鳥肌が……って。うわ! いるじゃん!」
「うげっ……ちょ、逃げよゆっこ。殺されちゃうってー!」
聞こえてきた会話は、友介を誹謗中傷する内容のものだった。いつもの通りの、彼の日常。
人殺しのくせに学校に来ている犯罪者。さっさと死ねばいいのに。消えちまえ、鬱陶しい。
そんな囁き声が耳に届いてくる。
友介はそれら全てを聞こえていないふりを装い、ペースを乱さず教室への道を歩いて行く。
「ちっ、帰れよ……お前のせいで俺らあんなことになったのに」
「……、」
それは、ある意味間違ってはいない言葉だった。
春日井・H・アリアが観客を洗脳したのは、安堵友介を追い詰めジブリルフォードの隠した資料を見つけるためだったのだから。
だから、友介に反論する権利はない。結局、彼らを解放したのだって友介ではなく、蜜希と凛だったのだし。
「……ああー」
そもそも、安堵友介は楽園教会にとって重要なファクターであるらしい。世界を救うという至上目的を果たすため、この身を、その心象を利用するという。
ならば。
そもそも、安堵友介自身が、既に災厄の元になっているのではないか?
誰かを守り、誰かを救う。理不尽を撃ち砕き、世に平穏をもたらす――そんなことは、安堵友介に不可能なことで、今すぐ大人しく死ぬべきなのではないだろうか。
リリス・クロウリーは安堵友介の味方ではなかったけれど、少なくとも楽園教会の敵ではあった。彼女ならばあるいは、教会を打倒し、世界に平穏をもたらすのではないだろうか。
ならば。
世界の平和を思うなら。
奴らに好き勝手させず、その目論見を砕くなら――友介は、疾く死ぬべきだ。
「……、俺、は――」
どうすればいいのだろう?
あの日からぐるぐると回るその自問に、しかし答える者はどこにもいなくて――
「あんどーっっ! ひっさしぶりー! 元気にしてた!?」
そんな折、背後から大声が友介の耳へと届き、生徒たちが多くいる道の真ん中で抱き着いてくる少女がいた。
「なっ、うおっ――テメエまさか四宮か? いきなり抱き着いてくんな!」
「はぁー? こんな美少女に抱き着かれてそれはなくない? ラッキーだと思って喜ぶっしょフツウー。だいたいこっちは夏休みの間ずっと病院で退屈だったし、安堵も全然会いに来てくれないしで寂しかったんだから」
「うっせえな。何回か見舞いに行ったろうが」
「えぇー、三回だけじゃん。全然足りないから!」
「くそ、それでも少ない方なのかよ……。だぁー! つか、いいから離れろっての!」
「やーだ」
「はあっ?」
「そうやって自分を追い詰めて、何か勝手に一人で暗くなってる限りは絶対に離れませんけどー?」
「な、――」
四宮凛は、安堵友介が悩んでいたことを看破していた。
沈んだその背中を見て、何を思い、何をしようとしていたのかを。
「安堵……ねえ」
「……、」
「言ったでしょ。あんたはあたしのヒーローだって。誰が何を言おうと、あたしはあんたの優しさとか強さとか知ってる」
「うるせえな」
「そんで、それを世界に認めさせるって」
囁かれるその言葉に、友介は強い否定を返せない。母のように己を抱きしめる凛を振り払うことも出来ず、ただされるがままになり、少女の言葉を聞くしかできない。
「リリスって子から言われたことなんて気にしなくていいっしょ。だってあたしは、また安堵に助けられたんだから。誰がなんて言ったって、あんたがあたしを助けてくれたことに変わりはない。だから、勝手に一人でどっかに行こうとなんてすんなし」
それは、四宮凛だからこそ口にすることができた言葉だった。
カルラや唯可のような、過去に傷を持つ者が言ったって、きっと安易な慰めにしかならない。そもそも、その重さを知っていれば、そんな台詞は言えない。
だけど、四宮凛はどこまでも凡人だから。平凡だから。だから、こんなありきたりな慰めも、心の底から本気で言える。
あんたはあたしを救けてくれたから、生きてていいと。
四宮凛の真実とは、安堵友介を救うことだ。
だから。
安堵友介が風代カルラを全肯定したように。
きっと――四宮凛も、これから先、安堵友介を肯定し続けるのだ。
「暑いからそろそろ離れろ」
「はぁー? まだ嫌なんだけど。もうちょい可愛い女の子のハグを喜んでもいいんじゃない?」
「うるせえな……可愛いとか自分で言ってんじゃねえ。あとポニーテールの位置ちょっとずれてんぞ」
「はっ? ちょ、まじ!? 嘘でしょ? つかいつ見たんっっ?」
咄嗟に体を離し髪を触って確認する凛に、友介はふっと一つ馬鹿にしたように笑って、
「嘘だよバカ。なに騙されてんだよ間抜け」
「ちょっ、嘘かよ! ってか間抜けっていうなし!」
「うるせえ間抜け」
「もうー! ちょうーっむかつくんですけど!?」
「あとメイクもなんか今日変だぞ」
「変じゃねえーわ! もう騙されないし! ……ったくぅ、照れてるなら先に言えばいいのに」
「はあ? 照れてねえわ。馬鹿じゃねえのかお前」
「そう言ってるわりにはちょっと顔赤いんですケドぉー? ん? ん?」
「テメエ、適当なこと言いやがって……ッ」
友介は苛立ちを隠そうともせず舌打ちをし、凛に背を向けた。
そして――
「ただまあ、ありがとよ。お前のおかげで、やらなきゃならんことを途中で投げ出さずに済んだ」
「――。……そっか」
それは、どこかの夢の、ある二人とよく似たやり取りだった。
少女はいつもいつもからかって、少年はそれに照れていることを隠すためにわざとぶっきらぼうな態度を取る。
そのあんまりな照れ隠しに少女は怒り、少年はそんなもの知らんとでも言いたげにさらに突き放す。
けれど結局、少年はその愛情を受け入れて。
少女は頬を染め、にへらと可愛く笑うのだ。
現実では安堵友介と四宮凛は恋人同士ではないし、両想いでもないけれど。
夢の中でも、現実でも、二人は二人だった。
でも。
だけど。
「そうだ、ちょっとこっち向いてよ安堵」
「ああ? 何だよ、ったく……」
そう呼び止められ、友介はため息すらついて振り返る。
その、直前。
ちゅっ、と。
頬に柔らかくみずみずしい感触が広がった。
至近距離に、桜色に染まった四宮凛の顔がある。
目を閉じ、その口元は薄い笑みの形を作っていた。
やがてそっと唇を離し、とっ、とっ、と数歩下がった少女は、赤い顔のままはにかんだ。照れ隠しなのか、カバンを後ろ手に持ち、赤い顔は友介を見ずに地面へ向けられている。
「…………、は?」
「……これから、あたしのこと。その……凛って呼んで。あたしはあんたのこと、これから友介って呼ぶから」
「いや、ちょっ――おま」
「じゃ、そういうことだからっ」
そう言って、逃げるように走り出した。振り切るように友介の横を通り過ぎ、そのまま全速力で教室へ向かう。
友介はしっぽのように揺れるポニーテールと、露わになった少女のうなじから目が離せないでいる。短いスカートがひらひらと舞い、カバンを振り回して走る少女の後姿に視線を釘づけにされた。
「――――……」
そっと頬に手をやって、呆然とした表情のままさする。
まだ感触が残っていた。それだけで、かぁあああっ、と頬が熱くなる。
当分忘れることができなさそうな感触に、友介はぽつりとつぶやきを漏らした。
「……まじかよ」
心臓の鼓動が速いのも。なぜか変な汗が出てくるのも。頬が熱くなったのも。
ぜんぶ九月一日が暑いせいからだと、そう決めつけることにした。
のんびりと歩く生徒たちの間を風のように走り過ぎながら、四宮凛はぐっと唇を噛んでいた。
あの日――そう、友介が凛を助けに来てくれたあの日。期間限定のヒロインになれたあの日。
やっぱり凛は一番になれないんだと、改めて思い知らされた。
『よくも私の友介を……ッ!』
『テメエ、誰に手ェ出そうとしてるつもりだァッッ!』
あの二人の絆は、強い。
きっと引き裂くことなんてできない。
だけど凛は、もうそんなことは望まない。
安堵友介にとって、風代カルラは誰よりも大切な少女で。
安堵友介という少年の全てを肯定してくれる少女だから。
もう二度と安易な夢には逃げたりしない。
何かを否定して、何かを排除して、誰もいなくなってしまった後で彼の隣に立っていたって、意味なんてないと思うから。
四宮凛は安堵友介の価値を世界に認めさせたい。
彼が当たり前の日常の中で生きられるように。
陽だまりの中で笑えるように。
彼の周りに笑顔が溢れるように。
そのために、四宮凛は日常で戦う。
この日常で、彼の大好きなところを語り続けよう。
そして、いつか。
「ふ、ふふっ……」
彼が何気ない日常の中で、何でもないような笑顔を浮かべられるようになったら。
あの少年が人気者になったときに。
みんなに認められて、彼の周りに笑顔が溢れるようになったそのときに。
「ゆうすけ、ゆうすけ……ふふっ、ゆうすけ……っ」
ねえ、それでも。
それでもあたしが、あんたの隣にいられたら――
それは、あたしがあんたの一番ってことでいいよね?




