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切れ切れの荒い呼吸音がホールの中にこだましていた。
命も魂も信念も願いも何もかもを込めた拳は、果たしてアリアの頬を力強く打ち抜いた。
ここに一つ決着がつく。
拳を振り抜いた姿勢のまま、全身から汗を流し何度も何度も洗い呼吸を繰り返す凛の瞳には、やはり涙が溜まっている。
捨て去ったしあわせへの未練。
去来しては流れていく、数々のしあわせな思い出たち。
たとえ世界や現実にとっては虚構であったとしても、四宮凛にとってそれらはやっぱり現実だった。少女の中にある願い。その真実。求めて、だけど届かないと諦めて、それでも結局諦めきれなかった桃色の日常。
欲しい。
帰りたい。
あそこへ、戻りたい。
決別したつもりだったのに、そんな甘い願望は少女の覚悟とは無関係に溢れ出してくる。
四宮凛はどこまでも凡人で。いつまでたっても、どんな戦いを経験したところで、やはりその性根は平凡な、どこにでもいる恋する乙女でしかなかったから。
――それでも、瞳に溜まる雫をこぼすことだけはしなかった。
天井を仰ぐ。未練の結晶が現実を汚さないように。
「うん――大丈夫」
小さく呟き、一度ぐしっ、と瞳に溜まったそれをぬぐうと、今さっき殴り飛ばしたばかりの少女を見やる。
「……、」
「――、」
床に仰向けに転がったまま、視線だけをこちらに寄越す春日井・H・アリアの瞳には、未だ戦意が宿ったままであった。
それが仕事を全うしなければならないという義務感から来るものなのか、それとも四宮凛という少女を否定したいという個人的な感情から来るものなのかは、敵対し相対する凛にすらわからない。
ただ、まだ戦う意志は消えていないということだけはわかった。
互いが互いを認められない女二人。
彼女たちの戦いは、ひとつの区切りを迎えた。
四宮凛が春日井・H・アリアの染色を否定し、人なら誰しも目を背けてしまう傷に対し真っ向から立ち向かい、そして勝利した。
折れた腕すら盾にして、凡庸な少女は枢機卿から勝ちをもぎ取った。
だが忘れてはならない。
凛の人生の至上目的は安堵友介の努力の語り手となり、彼を当たり前の輪の中へと誘うこと。
そして此度の戦いは、安堵友介をアリアの魔の手から助けるためのものだった。
女と女の意地の張り合い――そこには確かに、ひとつの決着がついたのだろう。
だが、まだ何も終わっていないし変わっていない。
春日井・H・アリアは依然安堵友介を追い詰めるつもりだろうし、四宮凛もそれを許すつもりはなかった。
ただし――
「う、ぁ――」
「限界、でしょうね」
ぐらり、と少女の体が横へ揺れた。足の感覚が一瞬消え去り、脳が空白に染め上げられたかの如く意識がぶつ切りになる。
「あれだけ痛めつけたんです、無理もありませんよ」
転倒するその直前で意識を取り戻し、ステージの段差に手を突くことで立ち続ける。
だが、それすらやがてままならなくなるだろう。
――目の前で、アリアがゆらりと立ち上がる。ただし、瞳に宿る感情は先ほどまでとは大きく異なっていた。
諦観、悔恨。
下らない――敗北した少女の瞳には、ただそれだけしか映っていなかった。
「もう、これで終わりです。おとなしく眠っていてください。……さようなら、私の敵。願うなら、来世はどうか陛下の創世した楽園に、あなたが生まれ変わってくることを望みます。……今から殺すというのに、勝手な望みとは思うでしょうけど」
そうして少女はぱちん、と指を鳴らす。
瞬間、数多くあるホールの入り口から屈強な体つきの男たちが流れ込んできた。
数は……十人程度はいる。しかも誰も彼もが、その手に銃器やら爆弾やらを抱えている。もう反論も反抗も許さず、冷徹な慈悲とともに少女の命を一瞬で散らす腹だろう。
「彼らはスペアとしてライブ前に用意していたエインフェリアたちです。端末を持たせていなかったのが幸いしました。――もう奇跡は置きませんよ。彼らは私の制御を離れない。冷たいままに、感情を見せる暇もなくあなたを抹殺します、四宮凛」
「……ッ」
そう言って、初めて名前を呼んだ凛の声音には、敵意とともに敬意が込められていた。
「人では抗えない幸福を切り捨て、現実へ戻って来たあなたを、私は絶対に認めないとともに、尊敬します。……さようなら」
男たちがじりじりと寄ってくる。ある者は無力な少女へ銃口を向け、またある者は爆弾に信管を刺す。
そして、全てが終わるその間際。
「――もう、疲れた……」
擦り切れたつぶやきのようなものが聞こえたような気がしたが――きっとそれは、死の間際に聞いた錯覚のようなものだったのだろう。
冷徹な爆音に塗り潰された。
致命的な破壊が押し寄せた。
凡庸な少女にこれら圧倒的な暴力の波濤を退ける力などあるはずもなく、当たり前のように冷たい破壊に身を磨り潰された。
その瞬間、凛の心に浮かんだのは――やっぱり、あの幸福な時間。夢のような、夢のしあわせ。絶対に叶うことのない、少女が諦めきれなかった日常。
安堵友介の愛の全てが、四宮凛へと向けられていたありえない三日間。
――ああ、幸せだったなぁー。
――もしも、天国があるなら、ねえ、神サマ。
――また、あたしをあそこへ連れってくんない?
弱い心が、最後の最後に顔を覗かせてしまった。
結局どこまで行っても馬鹿だなあ、などと凛は考えて。
「ごめんね、安堵。あたし、約束守れないや」
死の間際。
どこまでも平凡な少女は、そう言って笑っていた。
そして――
「やらせるかよカスが――処刑の時間だ、クソ女」
少女を殺す爆音と、諦めたように笑う少女の声――それら全てを撃ち砕く処刑人の声が、四宮凛の耳を優しく撫でた。
「ぇ――?」
がばり、と。
傷ついた少女の体をぎゅっと抱きしめるぬくもりがあって。
「あ、ぇ――う、そ……?」
うそ、だ。
だって、だって……っ、
こんなの、ありえないって……っ。
「――『染色』――」
だってこんなの、あまりにも都合が良すぎるし。
こんなタイミングで。
絶体絶命のピンチの時にやって来て。
もう死ぬって諦めたのに、ギリギリ間に合うなんて。
こんなの、まるで。だって、そんな、うそだよ。だってこんなの――
「――――『崩呪の黙示録』――――」
まるで安堵友介がヒーローで、四宮凛が……ヒロインみたいじゃん。
バギンッ! と。
世界を砕く音が聞こえた。
その無形の破壊を前にして、有形の破壊はどれもこれもが跡形もなく木っ端微塵に砕けていく。あるものはガラスのようにバラバラに割れて、あるものは世界の亀裂に巻き込まれて、あるものは世界の修復の余波に吹き飛ばされて。
四宮凛を殺すはずだった理不尽――その全てが、安堵友介の赫怒を前に木っ端微塵に砕け散った。
「よう、四宮」
「あ、うぅ。あ……あっ」
両手で抱きかかえられるその体勢は、完全にお姫様だっこで。
彼のぬくもりが身体の隅々にまで伝わって来て。
至近距離で、あたしを見下ろす彼の顔に釘付けになってしまう。
わかる。わかっちゃう……今、こいつは。
安堵は、今……今、この瞬間だけは、ただひとり、あたしだけを見てるって。
「悪いな、遅れて。ごめんな、気付かなくて」
「ぁ、ぁ――」
なにこれ、意味わかんない。何が起きてんの?
うそ、これ、うそだって。
こんなの、だって、こんなの――
「あ、ぅ――ゆう、すけ……」
「は?」
あう、や、やっちゃった……!
うそ、どうしよ、ちょっ。いま絶対聞かれたよね?
「あ、いや、今のは何でもな――」
「って、お前……泣いてんのか……」
そんな一言とともに、ぎゅっ……と。あたしを抱きしめる腕にさらに力がこもる。
まるで守るように。もう傷付けさせないって言ってるみたいで。
それでようやく、あたしは両目から透明な雫を流してることに気付いた。
怖かったからなのか、安心したからなのか、それとも――嬉しいからなのか。
もう、全然わかんないよ。
「悪かった。四宮――でも、もう大丈夫だ」
そんな風に戸惑ってるあたしを、安堵は安心させるようにさらに強く抱きしめて。
ああ――
そうなんだ。
もしかしたら、って思ってたけど。
そんなわけないって、勝手に諦めて、決めつけてたけど。
本当に。
今だけは、本当に。
あたし、今だけは、あんたのヒロインなんだ。
「ねえ、あん……っ、ううん。……ゆ、ゆうすけ……っ」
だから、ごめん。みんな。
でも、今くらいはいいよね?
ねえ、みんな。
ねえ、安堵……
今回だけは、あたしがヒロインになるから。
「友介、お願い……っ」
両腕を友介の首に回して。
ぎゅっと強く力を入れて。
ただでさえ抱きしめられて密着している体を、さらにくっつけて。
もっといっぱい友介のぬくもりや匂いを感じて。
自分のほっぺを友介のほっぺにくっつけて。
耳元で、縋りつくように。
言った。
「助けて……ッ」
「ああ。お前は俺が守ってやる」
ああ――あたし今、世界で一番幸せ。
「なっ――ッ。なん、で、ここに……ッ? どうして……ッッ!?」
そんな時、無粋な声が聞こえた。焦ってるのか、ビビってんのか、さっきまであたしと殴り合ってたアリアが、震えた叫びを上げていた。
もうっ、今めっちゃいいトコになのに。
あたしと友介の間に入ってくんなよ、ばーか。
「よう、枢機卿――」
……けど、まあ。
「――わあっ……」
こんなにカッコイイ友介を、こんな近くで。
お姫様抱っこされながら、特等席で見られたなら、別にいっか。
「お前の天国を、砕きに来た」
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