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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第一編 法則戦争
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第四章 安堵友介 4.黒点

 衝撃で、大穴が空いていた部屋の床が完全に破壊された。

 激突した二人。それを見守っていた少女が乱暴に階下の床に叩き付けられた。

 粉塵が舞い視界が不明瞭な世界の中。


「は、はは……はは」


 そこに、一つの笑い声があった。

 甲高い、ソプラノの声。声変わりする前の男子小学生のような声だった。


「ははは、ははははは! あはははははははははははは!」


 全身が激痛に苛まれるのも無視して、少年はゆっくりと立ち上がると哄笑を上げた。


「これで二人目だ! やっと……やっと二人目だよ! くはははは! ざまあないなあ、安堵友介! それがお前ら『安堵』の末路だッ! それが、今の姿が……神様が選んだ選択だよ」


 そう言うと、足下で倒れる安堵友介の顔面を踏んだ。

 ぐりぐりと。

 愉悦に顔面を酷薄な笑みに引き裂きながら。



「で、どうだ? 腹に鉄筋が刺さった気分は」



 仰向けに倒れている安堵友介の腹から、ヴァイスの言葉通り三本の鉄筋が突き出ていた。


「お前の右目は危険だからなあ。水塊程度ならすり抜けてきそうだったからよ」


 そう言うと、ヴァイスは顔に被っていたイノシシの面を取り外してその辺に投げ捨てた。


「こうして、もう一手打っといて良かったよ」

「……ぁ……」

「よしよし。まだ息はあるな」


 友介が小さく動き、何かを告げようとしているのを確認すると、ヴァイスはニィ……ッ、とさらに残酷に笑みを引き裂く。

 まるで今からが本当のお楽しみだとでも言うように、彼は軽くスキップしながら少し離れた所で気絶している唯可の所まで歩いた。


(……な、にを……する……、気、だ……)


 切れ切れの意識の中で、ヴァイスが唯可を持ち上げているのが見えた。

 唯可の体を乱暴に肩に担ぎ、それを友介の前に放る。僅かに粉塵を舞い散らせて、唯可が友介の近くへ落下した。


(こい、つ……ッ!!)


 唯可を物みたいに扱われたことに対する怒りが友介の胸中で暴れ回ったが、動けない友介はどうすることも出来なかった。


 ————と。

 身動き一つ取れず、ただ見ていることしか出来ない友介の前で、ヴァイスが気絶している唯可の頬を優しくペチペチと叩いて起こした。

 ゆっくりと目を開けた唯可は、目の前でヴァイス=テンプレートが見つめているのを見つけると、全身を悪寒に震わせた。


「え、あ……いや」


 逃げようとする唯可の腕を掴み、その顔を近くで倒れている友介へ無理矢理向けさせた。

 腹から三本の鉄筋が突き出し、今にも死に絶えそうな友介を見つけた途端、今までにないほど唯可の顔が青白く染まった。


「あ、あ……」


 近くにいるヴァイスのことなど意識から放り出し、友介へ手を伸ばそうとする。

 それを、ヴァイスが乱暴に腕を(はた)いて引き止めた。


「おおっと! 勝手に動いてもらっては困るなあ! 良いから僕の言うことに従ってくれないか? そうすれば、彼の命だけは救ってやろう」

「あ、ぐ……ッ!!」


(こいつゥ!!)


 苦しげな声を出す唯可。しかし、ヴァイスの言葉を聞いた瞬間、大人しく言うことを聞くことにした。


「本当に、友介を見逃してくれるの……?」

「ああとも。もっとも、お前が僕の言うことを全て聞いてくれればだがな……ま、別にそんな酷い事をするわけじゃない。ただ一つ……その場を動くな。声を出しても良い。助けを呼んでも良い。魔術を使っても良い。身じろきしたって構わない。だが、動くな。逃げようとするな。それだけだ」


(なにを……)


 疑問に思い、僅かだけ顔を上げた。

 次の瞬間。友介の見ている前で。



 パキン、と。

 唯可の小指が反対側に折れ曲がった。



「——……ッ!! が、ぁ、ァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 絶叫が、友介の耳を打った。朦朧としていた意識が覚醒する。

 腹に刺さった鉄筋が全身に激痛を与えるのも無視して、友介は喚き散らす。


「お前ええええッ! やめろぉ!!」


 パキン、と。

 次は薬指が折られた。

 絶叫が絶叫を塗りつぶした。可聴領域すら越えようかという程の悲鳴。その華奢な体からは想像も出来ない程の金切り声が炸裂する。

 パキン。パキン。パキン。


「これで、右手は全部折ったぞ?」

「ああああああああああああああああっ! 殺す! 殺す殺すコロス殺す殺すコロス殺す殺すっっっ!! 今すぐ離せ! じゃねえと本当に殺してやるからなあッ!!」

「ひははははは! やってみろよ!? ほうらどうだ? 味わえたか? 目の前で大切なモノを壊されていく苦しみは味わえてるかあ!! ああッ!?」

「い、があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!? う、ぐぅ……ッ!!」


 唯可が、目に大粒の涙を溜めてその場でのたうち回る。

 だが、逃げなかった。

 これだけの激痛でも、彼女は逃げなかった。


(クソッ! クソォ!! 頼む……逃げてくれ……。そのままじゃ、本当に死んじまう……ッ)


 だが、友介のその祈りは届かない。

 少年の見ている前で、今度は唯可の左手にヴァイスの手が添えられる。唯可の顔が引き攣るが、それでも、ギリギリの所で踏み止まった。


 ベキめきょバキばきビキッッッ!! と。

 左手の指全てが一気に折られた。


 超音波のような絶叫があった。もはや音の(てい)()していない波が空気を震わせる。


「や、めろ……。やめてくれ……」


 なぜだ。

 なぜ、唯可がこんな目に遭わなければいけない。

 ヴァイス=テンプレートの復讐に巻き込まれるべきなのは、友介だけのはずだ。

 空夜唯可は何も関係無いはずだ。彼女が傷付けられる理由はどこにもないはずだ。


 なのに、どうして唯可があんな目に遭わなければいけない? 

 友介にとって、唯可が大切な人だからか? たったそれだけの理由で、唯可が傷付けられているとでも言うのか。


 だとすれば、こんな理不尽はないだろう。


「ふざけるなよ……」


 自然と、両目から涙が溢れてきた。

 どうして。

 その言葉だけが友介の頭の中でグルグルと回り続ける。


 ただ、予想できたことでもあったはずだ。

 ヴァイス自身が受けた苦しみを友介にも与えてやろうと、自分の気を晴らすために友介の大切な人を壊してやろうと考えてもおかしくない。いいやそもそも、ヴァイスは最初からそのつもりだった。

 唯可を連れ去ったときも、友介にあの過去を見せたときも。

 彼はいつだって、友介の命ではなく、精神を殺しにかかっていた。

 空夜唯可という少女を苦しめることで、安堵友介の心を壊そうとしていた。

 だったら。


(だったら……悪いのは俺だ……。判断を間違えた。勝てると思い込んで、結局敗北して……そして結果、唯可が苦しんでる……っ)


 唯可を助けるためにここへ乗り込んで来たはずなのに。

 いつの間にか目的が『ヴァイス=テンプレートの撃破』へと変わってしまっていた。

 自分と唯可を付け狙うヴァイスを倒すことに躍起になって、一番重要なことを忘れていた。


(最低だ……最低だ!!)


 ヴァイスが、今度は唯可の爪を剥がし始めた。一枚一枚、丁寧に。ゆっくりと。悲鳴がより甘美になるように。

 けれど、心が死に向かっている友介には聞こえなかった。


 だって。

 こんな悲鳴いつまでも聞いていられなかったから。好きな女の子の苦痛に塗れた絶叫なんて、そんなもの聞いているだけで頭がおかしくなりそうだ。

 だったら、さっさと塞ぎ込んでしまって、唯可のことも自分の罪も忘れて死んだように生きていく方が絶対に楽だろう。


 だから。

 だからもう——。


(もういい……全部捨てよう)


 無理だった。出来なかった。敗北した。これはもう覆せない。安堵友介では空夜唯可を助けられない。

 だからもう、頑張る必要はない。傷付く必要はない。唯可と一緒に殺されよう。

 けれど。

 けれど一度だけ。


(あと一回だけ……死ぬ前に、お前の声を聞かせてくれ……)


 勝手な話だと自分でも思うけれど。

 それでも最後は、彼女と一緒に————


「だい、じょう。ぶ……っ」


 不意に声が聞こえた。愛しい少女の声だ。死ぬ前に聞くことが出来て良かったと思った。

 それは友介を優しく包み込むような、慈愛に溢れた声だった。

 大切な人の声はなお続く。



「ゆうす、けは……私が……たす、けるか、ら……」



 彼女は、

 にっこりと、

 闇に不安がる子供を安心させる母親のような笑みを向けた。


「————っ」


 その、瞬間。

 友介の背を(いかづち)にも似た何かが駆け抜けた。


(何が……『もういい』だ……)


 意識が覚醒する。

 曇っていた視界が一気に広がった。

 近くに転がっていた拳銃をその手に握る。握った手に力が入り、熱が灯った。


 どくん!! と。

 左目の奥が得体の知れない力に侵されて一際(ひときわ)強く脈動した。

 異常は左目に留まらず、頭蓋の中にまで達した。脳が肥大化しているような錯覚を覚えるほどの脈動。どくん、どくん、と血圧が上がっていくのが自覚できる。


 視界が明滅する。

 色が消失し、世界がモノクロへと変じていく。


(俺が巻き込んだ……)


 ズっ……、と左目の美しい青色が、鮮やかな緑色に変わっていく。エメラルドのように淡い緑色へと。


(俺のせいでアイツは傷付いてる……っ)


 カチカチ、カチッ、カチカチカチカチ、カチカチッ、と視界の白と黒が何度も何度も反転した。あまりに急激な明暗の変化に脳の処理が追い付かず、酔いそうになる。僅かに吐き気が込み上げてきた。


 視界の中にいくつもの黒い斑点が浮かび上がる。

 無作為に。

 友介の意志とは無関係に。

 現れたり消えたりを繰り返しながら、黒点が友介の視界を覆っていく。


「いぎっ!!」


 左目を中心に激痛が生じ、それが脳にまで達した。


(でも、なら! 俺が巻き込んだなら、俺がそこから連れ出さなきゃならないだろうが!!)


 ぐず……、と顔の左半分が形を失って溶けてしまっているのではと感じた。それほどの激痛。だが不思議なことに、その激痛が、今では切り札だと分かる。


「ぎ……っ! ま、だ……」

「……?」


 そこでようやく、ヴァイス=テンプレートは友介の異変に気付いた。

 振り返り——、そして。

 腹に鉄筋が刺さっているのも無視して、起き上がろうとしている少年の姿を見た魔術師の顔が青くなる。目に分かるように、その表情が引き攣っていく。


 大量の血が流れ出すのも無視して、彼は顔面に獰猛な笑みを張り付けながら一人呟く。


「まだ……死んじゃいない。終わってない。手遅れなんかじゃない……」


 視界にヴァイスを収める。敵の体にも、五個、六個と闇の霧を噴き出す黒点が浮かび上がった。


「唯可の命は消えていない……」


 そして——。



「俺の心も、死んでねェ!!」



 ずぶずぶどぼだばびちゃっ! と腹に開いた穴から血が溢れ出す。夕方に刀で刺された腹の傷も開き、都合四つの穴から出血があった。

 しかし彼は、それら全てを無視して、激痛すら意識から遮断して、腕に力を込めて立ち上がろうともがく。羽を失い、地を這うことしか出来なくなった羽虫のように、己の死力を尽くして立ち上がろうとする。腹を貫く鉄筋の表面に掘られたリブや節が腹の中を掻き回している。激痛が炸裂し、死へ向かっているのが自分でも分かった。


「が、ぐ、いぎ……ァ、がぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」


 だが。

 それでも。

 雄叫びと共に、



 安堵友介は立ち上がった。



 両足で地を踏みしめ、夜空へ向かって咆哮を上げながら。

 全てを投げ打ってでも助けたい少女のために。

 己の存在が壊れたとしても、たった一つ壊されたくないもののために。


 同時。


 視界が安定した。明滅していたモノクロの世界が鮮やかな色を取り戻した。無秩序に現れていた黒点が消え、代わりに、己の意志でその黒点を生み出せるようなる。


 ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくような感覚に陥りながら、安堵友介はヴァイスの右腕に黒点を生み出した。黒点は霧のような闇を噴き出し、友介の意識が捩じ曲げられるようにして無理矢理そちらへ向かせられた。


「うぉおあああああああああああああああああああっ!!」


 ダンッ!! と持てる力の全てを振り絞って地を蹴る。右手に握った拳銃の銃口を黒点に押し付け、引き金を引いた。

 火薬の爆発音と共に弾丸が黒点を、そしてヴァイスの腕を貫く。

 鮮血と骨肉が舞う。

 その直後のことだった。

 ガラスにヒビが入るように、黒点を中心にヴァイスの右腕に亀裂が走った。ビシビシビシビシッ! という心地の良い音が鳴り響く。


「あ?」


 魔術師が怪訝な声を出したが——もう遅い。

 亀裂から赤い鮮血が溢れ出し、バギンッ!! という破砕音と共に右腕が破壊された。

 血も、骨も、肉も。

 どれも原型すら留めないほどに破壊されていた。


「なあ!? あ、があああああああああああっ!!」


 仰天し、情けない声を上げて地面をのたうち回るヴァイス。そこへ、無慈悲に鉛玉を叩き込んだ。


「がばあああっ!?」

「——ずっと疑問に思っていた」

「……ぁ、な、にが……?」


 友介の言葉の真意が分からず問い返す。


「どうして右目だけなのかだって」


 ヴァイスに説明しているというより、ずっと考えていた疑問に対する答え合わせをしているように聞こえる口調だった。


「科学者どもは、どうして俺の右目にしか『眼』を埋め込まなかった? 片目だけが異常に視力が良かったって何の特にもならねえ。メリットよりも、どう考えてもデミリットの方が大きいだろ」


 友介がそっと己の左目を隠した。


「にもかかわらず、アイツらは俺の左目を義眼に変えなかった。不完全なままの俺を『成功体』だと賞賛した。そして実際、俺の『眼』は正常に機能していた。人の視覚の限界を超える『眼』を手に入れた」


 それはつまり。


「俺の左目は最初からおかしかったんだ。科学者ですら解析が不可能なほどの『眼』が、人の限界を超える『眼』に順応できるほどの『魔眼』が、あらゆる常識から外れた『例外』が、俺の左の眼窩には収まっていた」


 カチカチという音がヴァイスの口の中から聞こえてきた。

 恐怖にも似た感情によって体が震え、歯が上手く噛み合っていないのだと、最初彼は気付かなかった。


 友介が、隠していた左目を晒す。

 魔眼を。

 万物を壊すことの出来る眼を、外界に向ける。

 ヴァイス=テンプレートを見据える。


「つまり、そういうこと」


 鮮やかだった緑色がさらに変化して、生ゴミのような濁った緑色となった。

 両の手に握る拳銃がさらなる熱を帯び始める。


「定石は壊した。ここから先に常識は通用しない」


 ゆらり、と。陽炎のように友介の体が揺れる。


「行くぞ、魔術師————」


 未来すら見通す右眼と、世界すら壊しかねない左眼が、ちっぽけな魔術師を、捕らえる。



「————その不死(異端)、この魔眼(例外)をもって撃ち砕く」


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