総集編 真っ赤に染まった恋信号 1.ウサギの案内人
予兆ならあった。
というよりも、これまで何もなかったことこそが異常だった。
「よう安堵ぉ、今日はお前を守ってくれる奴がいねえなあ」
「…………」
「おいおい、ビビって何も言えねえのかぁ? この俺様が話しかけてやってんだぜえ? 何か返事しろよなあオイ、人殺し!」
「……………………」
剛野良樹。
高校生にもなって友介を虐めることに全力を振り絞る、それはもう素晴らしい人格の持ち主だった。
字音と昼食を取っているところへやって来て、弁当のおかずを次々と奪い去られた。料理を口に運ぼうとすれば椅子を蹴られ、ぽろりと落としかけることもしばしば。
本当に素晴らしい人格者だった。デモニア・ブリージアなどという人類の『底』を見てしまった友介にしてみれば、本当に真っ当な人間に見えてしまう。
「ぷくく、友介くん虐められてるんだ。人殺しってのはよくわからないけど」
「字音テメエ笑ってんじゃねえよ。カルラかお前は」
カルラという名前を聞いて剛野の体がビクリと震えたが、指摘したところで面倒なことにしかならないので無視する。そういえば彼が近付いてきても、あの鼻を刺すような臭いがしなかったのだが、もしかしたらカルラにボロカスに言われたあの日以降、体臭には気を付けているようにしているのかもしれない。なんだか微笑ましく、かわいげすら感じてしまう。
彼の後ろにはいつもの腰ぎんちゃく二人がニヤニヤと小物くさい笑みを浮かべている。
「というか友介くん、この人たち誰?」
「お前クラスメイトの名前くらい覚えてろよ。剛野良樹くんと……その友達だ」
「「やいてめえ、誤魔化すな! 名前くらい覚えろ!」」
子分二人が声を合わせて抗議してきた。やや高めの声で、いかにも腰ぎんちゃくらしい声だった。
「おいこら人殺しぃ、なに勝手に俺の名前読んでんだよあぁ? 何とか言えやコラ!」
「ごめんなさい剛野くん、静かにして。私いまご飯食べてるから。つばとか入ると汚いから向こう行ってもらっていい?」
「え、あ……な、何だテメエごらぁ!」
字音の悪意のこもっていない言葉に剛野が声を荒げたが、特に興味がないらしい字音は、食事に戻っていた。
「お、俺はよお、土御門のために来てやったんだぜ? こんな奴と一緒にいたら殺されちまうかもしれねえからなあ。だからそうなる前に、俺が助けてやって、」
「四宮さんがいないと元気だね、剛野くん」
「……ッッ!」
はしゃぐ剛野に、クラスの誰もが心の中では思っていても口にはしなかったそれを、字音が何気なく口にした。
四宮凛の欠席。
クラスどころか学年内でもトップカーストに位置するギャル。多くの人に好かれ、男子からも相当な人気を誇る茶髪ポニーテールの女の子。
学校が大好きで、友介とは異なり輝かしい青春を送っているはずの凛が、今日は欠席していた。
昨日蜜希の相談に乗り、彼女のプレゼント計画に参加していた時は友介が面倒くさがるほど元気だったというのに、今日は体調不良で休んでいる。
凛の怒りが爆発して以降、大人しかった剛野が友介にちょっかいを出してきたのはこのせいだった。
今日はカルラも来ていないので、鬱憤が溜まっていた剛野としては絶好のチャンスだったわけだ。
だが、その目論見が、今度は新たな少女によって阻まれる。自然な調子で罵倒され、お楽しみを邪魔される。そもそも、こんな奴の周りに美少女が集まっていることも許せない。剛野はなぜか自分より下のはずの友介に対し劣等感を抱いてしまい、それを自覚した瞬間に頭の中が怒りで埋め尽くされていった。
「あのなあ、おい……土御門、そいつの味方をすればあんたも学校中を敵に回すことになるぜ? それでいいのかよ、あぁ?」
「えっと……友介くん、学校中の敵なの?」
「……いや、どうだろうな。嫌われてはいるだろうが」
「ええー、私まさかとんでもない地雷男に引っ掛かった?」
「知るか。つか何でお前が上からなんだよ」
「…………っ」
自然な流れで剛野は蚊帳の外へ追いやられてしまった。しかも……なんだ? 引っ掛かったとはどういうことだ? この男、まさかこの転校生まで……?
そう思うと、剛野の友介への見当違いの怒りはますます増大していく。ここ最近はクラスメイトの同調が少ないことも腹立たしい。まるで自分が悪者で、少数派で、友介の方が正しいみたいじゃないか。
それにこの転校生も鬱陶しい。つい最近転校してきたくせに、何でこんなに生意気なんだ。邪魔するな、俺はクラスメイト達の思いを背負ってこいつに相応の報いを与えてるんだぞ。
「おまえ……ッ」
ずっと溜め込んできたストレスや苛立ちが爆発する。それが、手近なところにいる字音へと向けられ、その手が髪の毛へと伸ばされていく。
その、直前だった。
「あん?」
「――っ」
友介が目を向けた。それだけで、心臓が縮み上がり、全身が小さく痙攣して伸びかけた手が止まる。
睨まれたわけではない。敵意を向けられたわけでもない。ただ、何かよくわからないが――怖かった。
「なに?」
「なんでも」
剛野が全身から脂汗を噴き出しながら小さくふるえている間、友介と字音はやはり彼のことなど気にしていないかのように雑談をしていた。
それがまた劣等感を煽った。だが同時に、肉食獣に睨まれているかのような恐怖が全身を縛っている。両者が拮抗し、やがて――
(なんだこいつ……クソ、人殺しが人殺しが人殺しが!)
「死ねよテメエ!」
結局、妥協するように友介の椅子の足を蹴ってこかそうとした。だが――
「まあまあ、剛野くんもその辺にしておこうよ」
その直前に声が割り込み、剛野良樹の暴挙を止める人影があった。
「……新谷」
「そうだよ、剛野くん。今日は凛がいないから僕が止めることにする。友介くんが気にしていなかったから止める気はなかったんだけど、さすがにご飯中にそういうことをするのは良くないと思ってね」
「……ちっ、クソが!」
蹴人が屈託のない笑みを浮かべて諭すと、凛と同じくトップカーストに位置する彼に逆らっても自分の立場を危うくするだけだと気付いた剛野が、近くに置いてあった友介の鞄を蹴って廊下へ出て行った。その後ろを、子分Aと子分Bが慌ててついて行く。
「大丈夫だったかい、友介くん」
「別に。鞄蹴られたくらいだ。つかお前、見てたからわかるだろ」
「僕は何も体の話をしてるんじゃない。気分はどうだったって聞いてるんだよ」
「そっちも特に。あんまり気にしてねえっての」
「そうか。……君はどうだった、土御門さん」
「ううん、別に。……少しうるさかった程度」
「そうか、よかったよ。じゃあ僕はこれで」
にこやかに笑いながらその場を立ち去る蹴人。去り際に手を振って、クラスメイト達とサッカーをしに運動場へと向かった。
☆ ☆ ☆
今日の学校はテスト返却日。一コマ目か六コマ目まで、数学Ⅰ・A、現代文、古典、基礎理科A、現代社会、地理、英文法、OCの主教科に加え、副教科のテストも返却された。
授業をほったらかしにしてブリテンまで高跳びして命を懸けた戦いを繰り広げていた友介の結果は当然散々であり、補習こそないものの重たいため息が出そうになった。
別にテストで低い点数を取ったことそのものはいい。
ただ、これを義母である夕子に見せなければならないのは憂鬱だった。隣の字音は特に気分が沈んでいるようにも見えないので、いい点数だったのかもしれない。
テストをクリアファイルに収めていると、前の扉から担任が入って来て、友達と好き勝手話す生徒たちを座らせた。
いくらか連絡事項を済ませ、あとは明日の終業式を終えて夏休みだ――と生徒たちが伸びをした時だった。
先生が白衣のポケットから細長い長兄の紙を取り出し、前から順番に配り始めた。
(虐められているとはいえ一応クラスの一員である)友介の元まで回ってくる。
「んだこれ……チケットか?」
教室中が訝しむ声でざわめいていると、先生が説明を始めた。
「これはアイドルのライブのチケットです。どうやら校長先生が何かに応募していたらしくて、その抽選にこの学校が当たったらしく、様々なサービスを受けられるそうです。三年生は再来週に来日する総米連邦のビッグスターのライブに、二年生は三週間後に行われる日本の男性アイドルグループのライブに、そしてあなたたち一年生はまだまだ無名ですが人気の上がってきている春日井アリアさんが今週土曜日に行うライブに招待されたというわけです。夏休み中ですし、強制ではありませんがぜひ参加してはどうでしょう?」
おおっ! とクラスが沸き上がる中、友介は少し複雑そうな表情を浮かべていた。
春日井アリア。
端的に言って知り合いだった。
特に深い間柄ではないし、そこまでたくさん話したわけでもないが家に泊まった。
あの少女の歌はとてもいい。あまりアイドルなどに興味がない友介だが、彼女の歌は好きだった。この前はカルラに内緒でアルバムを買い、アルバムには収録されていない曲を聞くためにシングルCDも買った。カルラにばれたら確実に笑われるので秘密にはしているが。
ともかく、友介はアリアのファンと呼ばれるものだった。全く似合わないが、友介はアリアの歌がそれなりに好きなのである。
しかし、だ――
「…………っ」
「どうしたの、友介くん」
「いや。別に何でも」
不自然に黙った友介に字音が声をかけたが、友介はそう言って追及を断った。字音が「そっか」と言って引き下がる。
チケットが配られて以降は特別なことはなく、明日は終業式だからとの連絡だけがあり、そのまま下校となった。
☆ ☆ ☆
そして、特に大きなイベントもなく迎えた土曜日。
ライブ当日。
同級生は物販に並ぶために朝早くから来ていたり、記念撮影をするために早めに来たりしていたが、友介はそうした予定もなかったためライブ開始の一時間前ほどに現地に到着していた。字音はライブに特に興味がないらしく、今日は家にひきこもっている。
場所は横浜、みなとみらい。
駅から少し歩いたところにそのライブ会場はあるらしい。
人の流れに逆らわずに歩き、目的地を目指す。その中には学校で見かける生徒もちらほら。中には剛野良樹とその子分二人もいた。彼らもアイドルが好きなのだと思うと、少しだけ心が和んでしまったのは不覚である。
会場に着くと、多くの人が笑顔を浮かべている。眼鏡をかけた小太りのおっさんが歌に合わせてサイリウムを振り回して踊っていたり、アリアの顔のプリントされたTシャツを着た数人の男たちがへこへこと互いに頭を下げ合いながら初対面の挨拶をしていたりしていた。
少し離れたところでは、
「あーライブ楽しみだなあ~!」
「つか今回アルバム曲はいるんでしょ? ヤバいでしょ絶対」
「ああー、やばい、やばいわ。絶対やばい。もう終わりだよ終わり。こいつとか何もかも終わりでしょ。また感情が壊れる」
「助けてくれー、終わりだよ終わり。また高校生に迷惑をかけるのは嫌だよ」
「まあとりあえずライブ終わったらこの階段に集まってまたみんなで黄昏ような」
などというよくわからないやり取りがあったりもした。階段に集まって黄昏るとは、いったい何なのだろうか。
会場のすぐ横には公園のようなところがあり、そこにもパラパラと人がいた。
誰も彼もが笑顔で、皆が皆もうすぐ始まるライブを楽しみにしていた。
一人で来ている友介も、そんな彼らの様子を見ていると少し心が弾んでしまうのがわかった。
すぐ近くには海があり、大きな入道雲を浮かべた青空と水平線で混じり合っている。
「ひとりってのはあれだが、たまにはこういうのもいいかもな」
ひとつ息を吐いて、小さくそう言った直後のことだった。
「黄昏ている暇はないぞ、黙示録の処刑人。楽しい時間は終わりだ。さあ、世界を守るための戦いを始めようか」
☆ ☆ ☆
舌足らずでありながらどこか老獪さを漂わせる声が真後ろからかけられた。尊大な口調は声の幼女じみた高い声には不釣り合いでありながら、垣間見える老獪な色とは融和しており、奇妙であることこの上ない。
もはや確かめずともわかる。この後ろにいる少女はウサギの案内人だ。甘く優しくあたたかな陽だまりの世界から、混沌渦巻く地下世界へと少年を誘う死神にも似た存在。
どこの誰かは嬉しそうに飴玉を転がして笑う幼女のように、人間を見下す魔女のように、哀れな子供を狂気の世界へ引き込むべく言葉を並べる。
「私はリリス・クロウリー。世界の闇(こちら側)に深く関わり食い込んでいるお前なら、このファミリーネームに聞き覚えくろいはあるんじゃないのか?」
「あん?」
「幼女に向かってその返事はないだろう、安堵友介」
警戒心を隠しもせずに振り返れば、そこには背中まで伸びる金糸のような金髪を持つ十二歳程度の女の子が立っていた。
容姿から受ける印象も声とよく似たものだった。顔たちそのものには幼さが残っているというのに、口元に浮かべる尊大な笑みがなぜか板についている。ゴシック調の黒のドレスを纏い、その佇まいからは幼女には持ちえないカリスマ性が滲んでいた。
「クロウリー、クロウリーさ。エドワード・アレグザンダー・クロウリー。今ではアレイスター・クロウリーという名の方が有名だったか」
世界で最も有名な魔術師といっても過言ではない人物を、まるで旧知のものであるかのように口にした。
アレイスター・クロウリー。
イギリス出身のオカルティストで、マスコミには『世界で最も邪悪な男』などと書き立てられた男。最高の魔術結社と歌われた『黄金の夜明け』で数々の功績を打ち立て、トートタロットや法の書など今なお残る爪痕を世界に刻んでいることで、魔術というものに少しでも触れたことのあるものならば知らない者はいないほどの魔術師だった。
リリス・クロウリーというのは、彼の娘の名前だ。
生れてすぐに病死した、父であるクロウリーに覚えきれないほど長い名前を与えられた赤ん坊の呼び名。目の前の幼女は、百年も前に死んだ赤子の名を自称したのだ。
それがただの偽名であるのか、同姓同名であるだけの赤の他人なのか。
はたまた。
これはありえないことではあるが――そのリリス・クロウリー本人なのか。
いずれにせよ、友介にとってはどうでもよかった。
この少女が纏う負の気配に気づいた彼が、少女に対して抱いた敵意を引かせる理由になりなどしない。
「俺に何の用だよ」
「伝説の魔術師の娘を名乗る幼女が、安堵友介に声をかけたんだぞ。まさかデートの約束なわけがないだろう。まあ私としてはそれもやぶさかではないのだがな。私好みの良い目だ」
「ガキが調子に乗ってんじゃねえ。質問に答えろ。答えの内容次第じゃ海に沈めてしつけることになるぞ」
「怖い顔をするな。私は敵じゃない。正真正銘、お前の味方だよ」
「…………」
なお訝しむ友介に、リリスは呆れたように息をつき、
「どうすれば信用してもらえるのか。接触のタイミングが少し遅かったか? 逸脱した人間を見ると敵と判断してしまうようになってしまったのか」
「別に敵だとは思ってねえよ。疑わしいってだけだ」
これまで友介にコンタクトを取ってきた者たちにはロクな人間がいなかった。どいつもこいつも腹に何かを抱えていて、あるものは露骨に憎悪をぶつけてきたし、またあるものは愛という名の狂気を振り回して襲ってきた。
ゆえ、魔術師や描画師などという存在に対する嫌悪や疑念は、当然持っていてしかるべきだろう。
なぜなら、そうしなければ死ぬのだから。
油断していれば何かを失う。大切な人を死なせてしまう。このくそったれな理不尽な世界に、いとも容易く全てを奪われてしまう。
隙を見せてはならない。片時もぬるま湯に浸っているわけにはいかない。
全てはこの世界のあらゆる理不尽を撃ち砕くために。
「なるほどなるほど、まあ確かにこれは仕方のない事態か。お前の存在に気付いていながら手をこまねいていた私が悪い。先に唾をつけておくべきだったと反省しているよ」
「なに一人で勝手に納得してやがる」
「しかしだ」
そこでゴシックドレスの幼女はずんずん歩いて行くと、友介の鼻先数ミリのところまで顔を近づけた。
そうして至近距離で不敵な笑みをニヤニヤ浮かべ、こんな決定的な言葉を、宣言を、言い放った。
「私は楽園教会の敵だ。奴らに全てを奪われた。……これでもまだ、信用には足らないか?」
「…………、」
「私はリリス・クロウリー。楽園教会に父を奪われ、母を奪われ、私の人生を奪われた。妹は皆死に絶え、家同然だったあの結社もなくなった。今はその遺伝子をかき集めて再興しているところなんだが……」
右手を持ち上げて友介の頬を優しく撫でる。愛おしげに見えて、その実おもちゃで遊ぶ子供のような、愚者を愛でる聖女の如き手つきで、自分は味方だと売り込んでいく。
「なあ。疑うならその右眼で見ればいいだろう? 私が嘘をついているかどうかなど、すぐに看破できるはずだ。敵か味方か――どうだ? お前の目には私がどう見えている?」
「……っ」
しばしの間口を閉ざしていた友介だったが、
「目的と用件を伝えろ」
「信じていたよ、安堵友介」
口角を吊り上げ意地悪く笑うと、金髪の幼女は一歩後ろへ下がった。
公園では今も、光の世界を生きる普通の人たちが笑顔で日常を生きている。これから自分たちを待っているささやかな非日常を楽しみに待っている。
だが、そんな彼らからほんの数メートルと離れていない場所では、今もこうして世界の闇が蠢いている。穏やかな日常の陰に、輝かしい光の影に、暗澹とした闇が巣食っている。
日常のすぐ隣が、自分の立っている場所から数メートルしか離れていない場所が、血みどろの人殺しと絶望の溜まり場になっているなど、いったい誰が思うだろうか。
地下水路や裏路地のようなわかりやすい場所ではない。光の中に、ぽっかりと穴が空いたように闇がある。一歩間違えれば肥溜めの中に足を踏み入れてしまう。
この世界は、そんな地雷原にも似た場所なのだ。
そして、だからこそ――
「場所変えんぞ」
「優しいじゃないか。そういうところもそそられる。そうだ、私たちプロは一般人が闇に触れる機会を減らさないといけない」
理不尽から、不条理から、不幸から。
罪なき人を、絶望渦巻く混沌の地獄へ引き込まないために。
地雷にはならないために。
「では移動しよう。だが、その前に一つだけ聞きたい」
「……」
「安心しろ、核心ではあるがこれを聞いたからと言って何がどうなるわけでもない」
一般人の安全を懸念し牽制するように睨まれたリリスは、肩をすくめて弁明した後、こう言った。
「第九神父、『霧牢の海神』ライアン・イェソド・ジブリルフォード……これらの単語や名前に聞き覚えはないか?」
潮風が吹いて、少女の髪をぶわりと揺らす。
風は潮の香りよりも濃密な闇と不吉の予感を孕んでいる。
潮風と海、夏の空、そして金髪をなびかせる少女。――これだけ揃っていながら、その少女の笑顔からは血みどろの殺し合いの気配しか感じられなかった。




