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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第七編 夏の活劇
186/220

短編三 夕景モラトリアム:後編

 それから、友介は蜜希からブリテンであったことを全て聞かされた。

 当初は凛と蹴人には席を外しておいてもらおうと考えていた友介だったが、凛がそれを拒んだのと、手を貸してもらう以上隠し事はしたくないという蜜希の意向により、五人全員が揃っているその場で事の顛末を話した。


 セイス・ヴァン・グレイプニルによる草次に対する嫌がらせ。ブリテン統一の足掛かりを創り出した蜜希の一手によって、多くの命を散らしてしまったこと。

 内容が血生臭いものであったこと、告げられた内戦の凄惨さと、人が如何に無力かを思い知らされたためだろう。騒々しい店の中で、彼らの席だけは穴が空いたかのように暗く静かな空間と化していた。


「……これが、全部」


 ただでさえ話すことが苦手な蜜希が、四人の前で長々と説明をしたせいか。あるいはブリテンでのトラウマを思い出したことによる精神的苦痛ゆえか。話し終えた蜜希の顔は若干青くなっていた。

 それでも、話し切った。


 彼を助けたいがために。草加草次の心を救いたいがために、痣波蜜希は包み隠さず全て話した。

 少女の心の全てを受けた友介は、小さく息を吐いて、


「そうか」


 とだけ呟いた。

 短いつぶやき。だがその中には、カルラを優先したがために仲間に心労を負わせたことに対する負い目や、己が何をすべきか思案する色が含まれていた。


 二人を襲った不幸に対する憤りはある。彼らが苦しむ要因を作り出した楽園教会に怒りを覚えているのも確かだが、それ以上に、そもそもそういった悲劇が起こる世界そのものに対する怒りが湧き上がって来た。

 だが、それら世の不条理に対する怒りは今は必要ない。

 今は壊すときではない。

 世の理不尽と相対するのは後でいい。

 今はただ、仲間に笑顔を思い出してもらうために。

 そのために――



「それでさあー」


 小さな部屋(・・・・・)に間延びした少女の軽い調子の声が響いた。


「何でプレゼント選びにここ来たん? ここミーちゃんの家なんでしょ?」


 これを提案した友介を半眼で睨みながら、当然の疑問を投げかけた。


「ミーちゃんは草加っちにプレゼントを渡したい。だからプレゼント選びに付き合ってほしい――てのがお願いだったと思うけど。何でここに来たん?」

「お前アホだろ」

「ちょっ、何も理由言わずアホはなくない!?」


 引きこもり時代の部屋の中がどうだったのかは知らないが、ひとり暮らしをしている現在の室内は物も少なく綺麗に整頓されていた。

 明るい色が好きなのか、家具や小物は女の子らしいピンク色ではなく黄色のものが多い。

 やって来た五人はカーペットに腰を下ろし、ローテーブルの周りでお菓子を食べながらギロを続ける。


「いいかよく聞けよ四宮。蜜希はプレゼントをしたいわけじゃねえ。あくまでも草次を助けたいんだ。……いや、助けるって言うよりも、元気づけたいって感じか?」

「う、ん……どちらかと言えば、そう、かな……。私、草加くんにお礼を言って、それから元気づけたいの。それから……お礼も言いたい」

「そういうことだ。なら贈り物にとって大切なのは物そのものじゃなくて心だろ」

「うーん……まあ確かにそうかも? 男って手作り好きだし」

「僕も凛の意見に同意かな。やっぱり女の子からの手作りのものって嬉しいよ。男なら誰でも喜ぶんじゃないのかな? 友介くんはどうだい?」

「あん? 別に俺は関係ねえだろ。どっちでもいい」


 身もふたもない答えだった。


「んなことよりも蜜希だろ。草次に何か作るとして、何を作るかって話だ」


 実際ここは難しい問題だった。

 確かに手作りの方が感謝の気持ちや相手を大切に思っている気持ちは伝わるだろう。

 だが、だからと言って作るものを適当に決めたり、適当に作ったりするのでは意味がない。

 大切なのは心を込めること。そのためには己の持つ知恵と技術、情熱を込め、己にできる最上の品を作る必要があるだろう。


「蜜希、お前は草次に何を渡したい?」

「私は……その、身に付けるもの、とかじゃなく……て、食べられるものがいいかな、て……」

「ま、いいんじゃねえの?」

「はぁー? 安堵あんた馬鹿じゃないの? なんかこう、マフラーと化の方が良いでしょふつうー! 女の子にマフラー編んでもらったら嬉しいじゃん!」

「嫌がらせか? もう夏休みだぞ」

「いや、まあ……確かに」

「でも、僕も身に付けられるものがいいと思うな。その方が痣波さん的には嬉しいんじゃない?」


 初対面のはずの蜜希の相談だというのに、蹴人は持ち前のコミュニケーション能力や、クラスの中心人物らしい考え方で有用な発言を繰り出す。

 凛が「それそれ!」などと頭の悪い相づちを打ち、友介も深く思案する。

 ではその方向で決まりか――そんな風に空気が変わりかけたところで、千矢が待ったをかけた。


「だが痣波は別に、草加にプレゼントをして好意をアピールしたいわけではないのだろう・」

「あ、あうぅ……こういって……」


 蜜希が顔を赤くするも、否定はしない。


「なら、身に付けなくてはならないものや、置いておかなければならないものはやめておいた方が良いだろう。あくまでも感謝を告げ、奴に活を入れるのが目的なのだから。食べ物……菓子などどうだ?」

「活ってお前、おおげさだな……」


 友介が突っ込むも、彼の意見にはおおむね賛成だった。

 置いておかないといけないものは、そもそもスペースを取るし、何よりもらったものであるがゆえに身に付けてしまうものだ。草次がそれを嫌がるとは全く思えないが、やはり送る側はそこを配慮する必要があるだろう。

 恋人同士ではないのだ。ある程度の礼節はわきまえておくべきか。

「ならお菓子で決定でいいかな。じゃあ次は何を作るか、だけど……」

「ケーキ!」

「アホか。クッキーでいいだろ」

「いやでもケーキ美味しいっしょっ? 草加っちも絶対喜ぶって!」

「喜ぶだろうが時間かかるかもだろうが。あと材料費」

「そっかー……」


 シュンと沈んでしまう凛。どうせ作ってる途中にクリームを舐めたりするつもりだったのだろうが、その望みは絶たれた。


「それでは始めよう。使える食材がないか冷蔵庫の中を確認してもいいか?」

「う、うん……いい……よっ」


 なぜか目を逸らす蜜希だったが、尋ねた千矢は構わず扉を開いた。

 その瞬間、数えるのが面倒なほどの数の板チョコが目に飛び込んできた。


「なんだ、これは……」


 間の抜けた声を発する千矢が気になり、友介も中を覗く。すると……


「……………………チョコとジュースしか、ねえ……」


 そして、それ以外のものはなかった。


「ちょ、ちょっと待ってっ! そ、そそっそ。その、野菜室には、きちんと野菜は言ってるから!」

「いや別に野菜食ってねえことに驚いてんじゃねえよ。チョコしかねえことにビビってんだよ。何だよこの量。真空チルドにまでチョコ入ってんじゃねえか。何の意味があるんだよこれ」

「……だ、だって……私、す、っすす……すごく頭、つかうから……だから、糖分がないと死んじゃうの」

「そんな簡単に死ぬかよ」


 おそらくはおまじないのようなものかもしれない。『チョコを食べて糖分を補給する』という儀式を終えてから、戦いに挑んでいるだろう。……もっとも、彼女の思考速度を思えば、常人よりもカロリー消費率が激しいのも事実だろうが。

 だが、それにしても異常な量だった。


「どうすんの? チョコに変える?」

「いや、クッキーままでいいだろう。この炎天下でチョコを渡しても溶けるだけだ。どちらにせよ買い出しはするつもりだったのだから、このままでいこう」


 凛の質問に千矢が応えつつ、冷蔵庫の扉を静かにしめる。


「それでは買い出し班と、レシピやデザインを考える班に分けよう」

「男子買い出しで女子が残って色々考える――でよくない?」

「そうだな。ではそれでいこう」


 全員が同意し、話が進んでいく。いつの間にか可愛らしいエプロンを着ていた蜜希が、両手にミトンを付けて気合を入れるように一人でガッツポーズをしていた。


「ミーちゃん早い早い。まだ何も始まってないから。せめておつかいが終わってからにしない?」


 そんなやり取りがありつつ、買い物のリストを記した紙を千矢が持ち、男三人が後にした。


☆ ☆ ☆


「…………」

「…………」

「…………」


 部屋を出てからの男三人は、特に何を話すでもなく終始無言のまま歩いていた。

 ニコニコ笑顔をの蹴人、美しい背筋でどこか品性を漂わせながら歩く千矢、そして死んだ目つきの友介。

 誰がどう見ても異様な光景だった。


☆ ☆ ☆


 その頃の女性陣は、男子どもとは対照的に終始明るい雰囲気であった。


「ねえねえミーちゃん、これとかどうよ? かわいくなーい?」

「え、えと……そんな。そんな、ハート型なんて……っっ」

「え、なになにー? ミーちゃんまさか、ハート如きで恥ずかしがってんのー? そんなの普通っしょ。特に好きな子に、元気になってほしいっておくるなら。相手を大切にしてるって気持ちは送った方がいいって」

「で、でも……でもでも、わ、わわわ……わ、わたし、なんかに……ハートを送られても、う、嬉しくないと、おお、おっ、おおおおっおもう!」


 先ほどの『叫び』で何かの殻を破ったのか、あるいは凛の明るさが草次に通じるものがあったのか、蜜希はほぼ初対面と言ってさしつかえのない凛と(相変わらずどもりつつではあるが)普通に会話ができていた。

 お互いネットで美味しいクッキーのレシピや形を探しながら、ごく自然に女のらしい会話をする。


「そんなことないってミーちゃん。ミーちゃんめっちゃかわいいじゃん。それに、草加っち見てたらわかるよ。あいつ、多分ミーちゃんのことそんな悪く思ってないっぽいし。ハート型でも送れば、舞い上がって渋谷ん中走っちゃうんじゃないの?」

「そ、そそ……それはないんじゃ、ない、かなあ……。だって私、り、り……凛さん、みたいに、おしゃれじゃないし、派手じゃないし、お話しできないし……そ、その、」

「ちょっと待って! い、今さ、もしかしてあたし「のこと凛って呼んでくれた!?」

「あぅうう……ばれた……」

「別にいいっしょばれても! ていうかミーちゃん最高にかわいいっしょー!」

「うううう……」


 うりうりうりうりー、と凛に頬ずりされるが、蜜希は変な呻き声を上げるだけで特に拒否はしなかった。まんざらでもない様子だ。


「あ、てかさミーちゃん」

「な、なに、かな……?」

「ミーちゃんっていつコクんの?」

「――――――――」

「……あれ、ミーちゃん? ミーちゃーん? ……え、もしかして固まった!?」


 フリーズしてしまい息すら止めた蜜希を見て、凛が訳のわからない日本語で驚愕した。目の前で手を振ったり首を揺らしたりすることで何とかして呼び戻した。

 帰還した蜜希は未だ高鳴る心臓を押さえることもできないまま、


「えっと、その……コクるっていうのは、そ、その……告白、っていうこと、だよね……?」

「そりゃそうっしょ。ミーちゃんだってそういうのはあるっしょ? ただ、いつすんのかなーって気になってさ」

「え、と……えーと、えーと。えっと……その、えと……」


 蜜希は答えに窮してしまう。というのもそれは、今まで考えたこともなかったからだ。

 何となく草次のことが好きだったのはわかっていた。気付いたのは最近だが、もっと昔から彼に少なからず特別な感情が抱いているような自覚は、あった、ような……気がする。最初から好きだと気付いた今となっては、当時に彼のことをどう思っていたのかを思い出すことは難しいが、それでも、何かしら特別な思いは抱いていたような気もする。


 だが、しかし――だ。

 そういう想像は、今まで一度もしてこなかった。

 こうして今凛に問われて初めて、『付き合う』とか『告白』とかそういうものが目の前に現れてしまった。

 自分はどうしたいのだろう。彼とどうなりたいのだろう。

 草加草次が好き。これはもう――心臓が破裂するほど恥ずかしいが――認めてしまった事実だ。


 だけど、それ以上をどうするのか。

 付き合いたい――というよりも、彼からも特別に想われたいという淡い望みは確かにある。

 何でもない日に遊びに行って、対して面白くもないのに笑い合って、ふとした時に電話して、気付いた時には隣にいる……彼がそういう存在になってほしいことは事実だ。

 しかし――


 ――ふふっ。


 小さな笑い声が聞こえた。


 ――ねえ、蜜希(わたし)? 私がいるのに、他の誰かと当たり前の幸せを得られると思っているのかしら?


 どこか闇を孕んだ、蠱惑的な声だった。

 何もかもを知り尽くしているかのような声色。上段から遍く人を見下しているかのような、超越的な気配を孕んでいる。

 全世界に向けてテロの宣言をした銀髪隻眼のあの男や、彼に付き従う枢機卿のそれにも似た、ある種の到達点へと至ってしまった者たちが持ち得る覇気のようなものを纏っている。

 ――私と蜜希(わたし)は同じ存在。境界線が曖昧だけど、ある時に分かれてしまった(・・・・・・・・)運命共同体なのよ? 

 それは、蜜希が幼少のころから付き合ってきた者の声。。

 物心ついた時には彼女(・・・・・・・・・・)の頭の中に(・・・・・)あった膨大な知識(・・・・・・・・)と同様。

 物心ついた時には彼女の心と共にあった奇妙な存在だった。

 少女が戦いを決意し、覚悟を決めたときに現れるもう一人の痣波蜜希(わたし)


 ――私がまともじゃないことはわかっているでしょう? 私といるとどうなるか、蜜希(わたし)といるとどうなるか、当然わかっているわよね?


 このグレゴリオに推薦された理由。痣波蜜希が光鳥感那の庇護下にある理由。

 女狐が語った、科学圏という枠組みの――枢機卿の如き超越した個ではなく――力ない群衆の狂気の象徴たる存在であるという言葉。

 痣波蜜希の頭脳は、何者かに狙われている。


 ――今はまだいいでしょうね。ええ……今はまだ、力がある。仲間という名の、兵という名の、駒という名の、力が。


(――――ッッッ!)


 その言い方に、蜜希が珍しく腹を立てた。――が、声の主は無視する。


――でも、蜜希(わたし)は嫌なんでしょう? 自分の都合で彼らが傷つく姿を見るのは。


 何もかもが彼女の言葉通りだった。

 確かに今、彼女は願いを叶えた。

 そしてだからこそ、叶ったからこその苦悩があった。


 ――それに、たとえ何もかもが綺麗に終わったとしても、私がいる限りあなたに当たり前の幸せはない。二重人格者とも言える私たちでは、彼を幸せにできないものねえ?


 クスクス、という笑い声があった。女の色を纏わせた、普段の蜜希では絶対に出すことのできない妖艶な声だった。


「……っ」


 そんな悪趣味な笑いに対し、蜜希は反論することができなかった。

 もう一人の自分が言った通りで、蜜希では草次を幸せにすることはできないだろうからだ。

 痣波蜜希といたところで、彼に余計な苦痛を与えるだけだから。たとえ彼はそうじゃないと言って笑顔を浮かべたとしても、彼が本来する必要のない苦労をすることは確実だから。


 ――……。わかったでしょう? 私たちでは草加くんを幸せにはできないのよ。だから、そんな甘ったれた考えは捨てなさい。


 くふふっ――と最後に妖しく笑って、もう一人の自分は消えてしまった。

 何か違和感を感じる間があった気もするが、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまった。

 四宮凛に投げかけられた問。

 それに対する答えが、残酷な形を帯びて蜜希の前に現れたからだ。


「だめ、だよ……私はそれが、許されないらしい、から……」

「え……――?」


 これまでとは全く異なる雰囲気を纏って答えた蜜希に、凛の口から畏れすら含んだつぶやきが漏れた。

 これまでのおどおどとした可愛らしい雰囲気は霧のように消え去っていた。代わりに、散り終わった桜の木のような寂寥を纏う。


「……あ、えっと……」

「……あっ、え。いや、そ、そそそ、その……ご、ごめんなさい! その、えっと……大丈夫だから! だから、そのえっと。えっと……そういうつもりは、その、ないの!」


 そうやって笑顔で誤魔化す蜜希だったが、凛にはその瞳に涙が浮かんでいるように見えた。


☆ ☆ ☆


 気まずい沈黙が流れはしたが、五分後ぐらいに男性陣が帰ってきたことで嫌に静かな空気もなくなった。

 蜜希は料理を全くしないため最初は苦労するかと思ったが、そこは『知識王メーティス』。創り方とコツを教えてもらったことで、相当レベルの高いクッキーが出来上がった。

 友介たちもお礼として一つずつ口に運んだが、絶品と言えるものだった。

 かわいらしい袋にクッキーを入れ、準備が終わったところで草次に連絡し、待ち合わせの約束を取り付けた。

『今から家に行っていいかな……?』

『蜜希ちゃんが俺の家に!? いいよいいよ、来て来て! 毎日来て!』

 そんな返事を見た蜜希がわかりやすく赤面するのを、四人は暖かく見守っていた。

 そして――――



「あ、あの。あのね、く、くくく、くっくく! く、きゅさかくん!」

「あははは、蜜希ちゃんは今日も可愛いなあー! どうする? 今から家あがらない?」

「う、だ、だからすぐそうやってそうこと言わない……!」

「ごめんごめん、それでどうしたん? 急に会いたいとか言われてびっくりしたよマジで」

「あうぅううう……だ、だからぁ……!」


 草次が暮らしているマンションのすぐ近くの公園で、赤面する蜜希に対して、草次はいつものように馬鹿まるだしの会話をしながら笑っていた

 いつもみたいに、いつものように。


「…………あいつ」


 そして、他の三人とともに少し離れたところから二人を見守りながら、友介は苛立ちを隠そうともせず、そんなつぶやきを漏らす。


「えっと、その……ね?」

「うん?」


 草次が笑う。蜜希を安心させるように。

 蜜希が話しやすいように。


「――――」


 ああ。

 そうだ。

 また新しいことに気付いてしまった。


 草次はいつも、話しづらくなった自分にこうやって促してくれていた。

 草次が蜜希をからかったとき、彼女が勇気を出して意見を言おうとするとき、何か言いたそうにしているとき。

 彼は決まって、こんな風に自分を気づかってくれる。

 安心させるように。

 喋ってもいいんだよ、と促すように。

 まるで、小さい子供の頭を『話してごらん』と撫でる親のように。

 優しく、大切に。


 それが特別な感情に根差した言葉ではないと理解している。

 全ての女の子の味方――そんな彼の信念に沿った行動だと、理解している。


 それでも、嬉しい。

 だからこそ、焦がれる。


 自分だから優しくしてくれるんじゃない。

 彼がそういう人だから。草加草次はどんな女の子にも優しくて、わけ隔てなくて、だからこそ、その在り方に惹かれてしまう。


 優しくしてくれる草次が好きなのではない。誰にでも優しく接する草加草次が好きなのだ。

 特別な理由なんてなくても、『女の子だから』という理由だけで手を差し伸べられる、この少年が好きだ。


 ああ――でも。

 でも、だけど。

 私は、こんな辛そうな笑顔は見たくない! こんな傷だらけのボロボロの笑顔なんて、見たくない!

 何より!

 辛いのにそれを隠してでも笑ってる草加くんが!

 誰だって助けようとするのに、いざ自分がその番になったら、誰にも助けてって言わないこの人が、大大大大大っ嫌い!


「草加くん――」

「え……あ、はい」


 感情の爆発とともに、蜜希が怒ったように柳眉を逆立てた。

 いいや、本当に怒っていた。


 あの蜜希が。

 気弱でおどおどしていて、瞳にはいつも涙がたまっているような少女が。

 今は凛とした雰囲気を纏って、瞳には炎のような激情を宿して。

 自分を助けてくれた少年(ヒーロー)を睨んだ。




「草加くんの、この――――ばかぁぁあああああああああああああああああああああっっっ!」




 ぱぁん! と。

 とても乾いた音がオレンジに染まる公園に鳴り響いた。

 遠くで見ている友介たちが唖然と口を開いている前で、蜜希は両目からぼろぼろと涙を流しながら嗚咽交じりにさらに叫ぶ。


「ばか、ばかっ、ばかばかばか! 草加くんの、ば、か……っ! 私のばか!」


 自身の頬を張った絆創膏だらけの右手を呆然と見つめながら、蜜希に胸をぽかぽかと殴られ、なすがままになっている。


「草加くん、あの時辛かったよね? 女の子たちを目の前で殺されて、怖かったよね? 近くにいるのに助けられなかったのは、悔しかったよね?」

「なに、を……っ」

「自分が悪いみたいな気分になっちゃって、あの時ああしていれば良かったとか、もっとこうしていれば良かったとか、あんなことしなかったら良かったとか、そんな風に思って、ますます心が辛くなって、息が詰まるみたいに苦しくなるよね……?」


 草加草次が少女を救えなかったことで心に傷を負ったように、ノースブリテンの兵士たちをロンドンに招いたせいで多くの人々を死に追いやったことを、蜜希は悔いている。悔いて苦しんで、自責の念に押し潰されそうになっている。


「いつもいつも、そのことばかりが頭の中でぐるぐる回っていて……それで、その、えっと……」


 こんな時なのに、上手く言葉が出てこない。

 草次を助けたいのに。

 彼の苦痛を少しでも和らげるために、足りない頭から言葉をひねり出し、回らない下を千切れてでも回さないといけないのに、するすると言葉が出てきてくれない。


「だけど、その……誰かにそれを言うのはすごく怖くて……助けてって言うのは、逃げてるみたいで、言うのが怖くて……っ!」


 いつしか胸を叩いていた拳が解かれて、キュッとその服を掴んでいた。胸板におでこをおしつけて、縋りつくようにしている。

 だけどなぜか、その姿はまるで、小さな子供をあやしている母のようにも見えるのだ。


「でも、その……だから……」


 風代カルラが五千人の命を奪う実験に加担していたことを黙っていたことと、根本にあるものは同じ。


 自分の罪は自分で何とかしなければならない。

 犯した罪は己一人で背負い、清算し、共に歩み続けなければならない。

 誰かに助けを求めることは間違っている。自分の罪を、後悔を、弱さゆえの犠牲を誰かに語り、同情を誘う行為は卑怯で最低な行為だから。

 そんな風にして、犯してしまった罪から逃げたくないから。


 だから――黙る。塞ぎ込む。

 それが向き合うことだから。




 みんながみんな、そんな風に勘違いしている。




 罪を犯した張本人は、その黒く激しい濁流に呑まれているがゆえに見えない。気付けない。そんな簡単なことも全くわからず、独りで勝手に背負い込んで壊れてしまう。


 勘違いしてはいけない。

 絶対に間違ってはいけない。

 誰かに助けを求めることは卑怯ではない。

 己の罪を明かして許しを乞う行為は、決して最低などでは断じてない。


 だって、人は弱いから。

 人の心は弱くて脆くて、何かに縋りついていなければ、すぐに挫けてしまうから。

 だからこそ、懺悔という言葉があるのだ。

 だからこそ、償いという行為があるのだ。

 神に罪を明かし、許しを乞う。

 犯した罪に見合った罰を科され、それを全うする。

 自らの罪を認めること。

 罪を贖い、己を変えるために奉仕すること。

 許しを求めて光へと向かっていくこと。

 それは絶対に、間違いなんかではないはずなのだ。


「だから、草加くん――」


 必死に言葉を紡ぐ蜜希も、遠くで見ている友介も、ようやくそんな簡単なことに気が付いた。

 だったら――




「草加くん――私を頼って! 今度は私はあなたを助けたいの!」




 明かす想いなんてこれだけで十分だった。

 痣波蜜希が草加草次に望むことなんて、これだけだった。

 これが、痣波蜜希の『告白』だった。

 総じていえば、助けたい。

 彼女の心は、その一言で埋め尽くされている。


「……は、はは……あははっ」


 そして、そんな『告白』をした蜜希の前で、恥ずかしそうに頭をかきながら、草次が照れたように笑う。


「はあ……そっか」


 蜜希を見つめるその笑みは、さっきまでのようなボロボロの作り笑いじゃない。

 まるで、憑き物が落ちたかのような、すっきりとした笑顔だった。


「ねえ、蜜希ちゃん」

「……えと、なにかな?」


 言いたいことを全部言い終えてハイの状態が終わってしまったせいか、先までの勢いがまるで感じられない儚い返事だった。

 だけど、そんな少女をどこか嬉しそうに見つめて、草次は言った。


「草次って、読んでくれる? 『さん』とか『くん』とか付けないで、呼び捨て」

「え、え!? き、きききゅ、ききゅき、急に、何で……っ?」

「そうして欲しいから。何かよくわかんないけど、そうして欲しくなった」

「え、あ……そ、そう……じ……っ」

「うん」


 名前を呼んだだけで、心臓が飛び出るかと思った。

 返事をされただけで、頭が真っ白になりそうになった。


「それでさ、さっきのことなんだけど……まだちょっと考えさせてほしい。自分でも、まだどう決着を付けたらいいかわかんなくてさ。これからどうしたいどころか、何をどう話したいのかもわからないんだよね。だから蜜希ちゃん、ちょっと待ってくんないかな。いつか絶対話すから。そんで、そん時は――」


 それが嬉しかったのか、草次は次に子供みたいに笑うと、




「ちゃんと助けてもらうぜ、蜜希ちゃん。

 そんでちゃんと、君も助けるから安心してくれよ」




「ぁ……っ」


 ぽん、と。

 頭の上に手のひらが乗せられた。


「それとさ、蜜希ちゃん」

「え、と。なん、ですか……?」


 ハプニングとすら思える慮外の事態に完全に脳がショートした蜜希が、敬語で尋ねてしまう。それがおかしかった草次は小さく吹き出すと、地面に落ちた紙袋を指さして、


「これ、プレゼント?」

「あ」


 友介たちに手伝ってもらい何とか完成したクッキーの紙袋だ。おそらく草次の胸をぽかぽか可愛らしく叩いている間に手から滑り落ちたしまったのだろう。


「ああー! そ、これ……せ、せっかく作ったのに……っ」

「やっぱプレゼントじゃん! やっほー! 蜜希ちゃんからの初プレゼント~!」

「あ、ちょっとっ」


 すかさず紙袋を拾い、中へ手を突っ込むと、可愛らしく包装されたボロボロのクッキーを取り出した。


「や、やっぱりつぶれてるし、今度新しいものっ」

「いただいまーす!」


 しかし、草次は蜜希の静止を当たり前のように無視。袋を開けて欠片を口に放り込んだ。


「んまい! さすがだなー、蜜希ちゃん」

「や、でも! でもそんな割れてるの……」

「なんでだよー! こんなに美味しいのに!」


 心底嬉しそうにクッキーを頬張る草次に対し、蜜希はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 しかしそれも仕方ないことだろう。

 蜜希は草次に日ごろの感謝や、彼に元気になってもらいたいという願いからこのクッキーを作った。気持ちを十全に伝えるなら、やはり完璧なものを渡したいし、何より――女の子として、ちゃんとしたものを作って渡したいのに。


「そんなんじゃあ、その……えっと草加くんに」

「蜜希ちゃん?」

「え、あっ……う、うう……そう、じ…………に、その、感謝の気持ち、とか……元気になってほしいとか、そういう、気持ちが伝わらないんだもん」


 最初は慙愧の念のようなものが滲んでいたはずだが、言葉の尻に近づくにつれてなぜか怒りが湧いてきた。

 草次に対するものではない。

 こんなくだらないアクシデントで彼にきちんと感謝を伝えられなかったことに対してだ。

 もう一度――次は一人でクッキーを作って渡そう。

 心の中で一人決心し、次は見た目にもこだわろう――




「気持ちって……その絆創膏だらけの手見てたら嫌ってほど伝わってくるって」




「え、あっ……!」


 呆れたように笑われながら指摘され、蜜希の顔が熟れたリンゴの如く朱に染まった。

 今さらになって右手をお腹の中に隠すように引っ込めるが、遅い。


「頑張ってくれたんだよな、蜜希ちゃん」

「ちが、これは……えと。違わないけど」

「ありがとう。ほんと元気出た」

「…………うん」


 何度目ともわからない笑顔。当たり前に浮かべられて当然の、自然な表情。草次がその当たり前を思い出してくれたことで、蜜希は満足してしまった。

 クッキーを割ってしまったのは、手伝ってくれたみんなにも申し訳ないけれど。

 でも。




 彼女が本当に渡したかったものは、きっと渡せたと思うし。

 彼女が取り戻したかったものは、きちんと戻ってきたから。




 だから今はまだ、待とう。

 いつか、草加草次が話してくれるその日まで。

 彼が答えを出すための、力になりたいと願いながら。

 守られて助けられるだけだった少女は、こうしてまた一つ大きくなった。


☆ ☆ ☆


「なあカルラ」

「なによ?」

「言いたいことがあれば何でも言って来いよ。ちゃんと全部受け止めるからよ」

「……ばか」


 一日の終わり。

 世界の片隅でこんな約束があった。


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