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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第七編 夏の活劇
181/220

短編1 円形の星空:後編

「今日から私立愛岳学園に入学してきました、土御門(つちみかど)字音(あざね)です。趣味は……昼寝と天体観察です、よろしくお願いします」

「あの女狐……」


 忌々しげにつぶやいた声は誰の耳にも届かない。

 その代わりというかなんというか、この国のどこかにいるあのニヤニヤ笑いの女が『やあやあ。友達のいない友介くんのために、優しい僕が君に友達をプレゼントしてあげよう。これでぼっち脱出だね』などと、ふざけたことを言っている姿が目に浮かぶ。というか、友介の視界の右上ぐらいに意地の悪い笑顔を浮かべる、デフォルメ化された光鳥感那が浮かんでいた。腹が立った友介は、その幻影へパンチを見舞った。何とか追い払うことには成功したが、ずっとニヤニヤ笑っていたのでとても気分が悪い。


「おはよう」


 そんな風に自分の世界にトリップアウトしていた友介を、知った声が現実に引き戻した。


「……なんでここなんだよ」

「あいさつに疑問ってどうなの? そんなんだから君は友達がいないんだよ。安堵くん、私が安堵くんの友達一号になってあげる」

「…………余計なお世話だ」

「よっ友だけどね?」

「それは友達とは言わねえよ」


 よっ友――それは、朝会ったときに「おはようー!」と楽しそうに挨拶したり、廊下ですれ違ったときに「よっ」と言い合う関係の友達のことだ。関係性としては知り合い異常友達未満といったところで、『まあ知ってるし機会があれば学校で話したりするけど、プライベートはちょっとなあ』みたいな感じ。友達が多く見える人間にとっての『友達』は、だいたい八割程度がこの『よっ友』であることが多い。実際友介も、凛が廊下でたびたび『おはよう~! 手花菜にそのネイル~~~! かわいいじゃん、あたしも今度マネしよう~! うん、じゃあまたねえ~』と言っているところをよく目撃している。依然その頭の悪そうな会話の相手のことが気になって、仲のいい友達だなと言ったところ、


『え、そんなにだよ? 遊んだことないし』


 とのことだった。


(じゃああの満面の笑みは何だったんだ? 甘ったるい声も気味が悪いし、なんか相手を油断させて勢力争いでもしてんのか? 女子は常に戦ってるっていうのかよ)


 ここ最近ぶっ飛んだ人間と都市破壊レベルの戦いを繰り広げ、悪辣な策略に嵌まり嘲笑われてきた友介は、そんな物騒なことばかりを考えるバトル脳になってしまった。これもデモニアの策だとしたら、あの『邪悪』の悪辣さを褒めたくなるそんな訳ねえだろ絶対潰す。


「ねえ、安堵くん……冗談だから、あまり本気でショック受けないでよ」

「え、あ? ああ、悪い。ちょっと考え事してた」


 思考がまたもテイクオフしていた友介が帰ってくる。


「何はともあれ、よろしくね。今日から同じクラスで隣同士。……あとで、校舎案内してよ」

「何で俺が」

「安堵くんは知り合いじゃん」

「友達じゃねえんだな」

「やだよ、シスコンおっぱい妹大好きお兄ちゃん属性EXスキル持ちの人の友達なんて」

「俺はどれだけ妹好きだと思われてんだよ」

「好きじゃないの?」

「別に普通だ」

「この前、杏里ちゃんがクラスの男の子と一緒に帰ってたよ」

「今日の昼休み、杏里の教室に行くからお前も付いて来い。どいつか教えろ。カルラとも合流するぞ。……草次たちも呼ぶか」

「嘘だから。というか、素人の中学生を相手にAチームで叩き潰そうとするのやめて」

「嘘かよ」


 ほっと安心すると共に、同じくらい疲れが押し寄せてきた。

 館にいた時から結構失礼な奴だったが、普段はここまで口が悪いのか。

 とはいえ別にそれは悪いことではない。

 無気力で淡々とした喋り方だが、こうして冗談を言えるのだ。それは心が健康な証、喜ばしいことだった。


「あ、チャイム」


 雑談をしているうちにホームルームは終わっており、さらには小休止も過ぎて一時間目が始まろうとしていた。他の生徒たちが授業の準備を始めているのを見て、友介も同じように支度する。基本的に授業中は居眠りの時間だと思っている友介だが、ここ最近は早寝早起きを意識した健康的な生活を送っているため、きちんと教師の話が聞けるようになっていた。


「そうだ、お前教材とか、」

「zzz……」

「…………」


 どうやら字音は転校初日の最初の授業で居眠りをかますつもりらしい。


「こいつまじでやべえわ」


 友介はそうつぶやくことしかできなかった。


☆ ☆ ☆


 昼休み。

 転校生ということで当然字音の周りにはクラスメイト達が集まっている。隣の席の友介には目もくれず、皆が彼女に注目していた。

 同い年の中では少し大人びた印象を与える字音は、男子にも女子にも人気だった。静かであっても個性的で、けれど尖っているというほどでもないため、一般人の彼らでも受け入れやすいのだろう。

 ただ、当の字音は少し疲れているようだった。時折友介の方をチラチラと盗み見てはSOSを投げてきていた。友介はそれを当然のように無視する。ただでさえクラスメイトに嫌われているのに、字音という新しい話題を奪われれば敵意はさらに強くなるだろう。それは避けたい。


「ん?」


 そこで、ポケットに入れていたスマホが震えた。今朝コンビニで買った菓子パンをかじりながらスマホを取り出し、器用に片手で操作する。

 チャットにメッセージが入っている。カルラからの連絡だろうかと思いアプリを開いたが、差出人は思わぬ人物からだった。

 隣でクラスメイト達にもみくちゃにされている字音からだったのだ。


『私をどこか遠くへ連れ出して』


 妙な言い回しだが、要はこの乱痴気騒ぎから逃れるために手を貸せと言うことだろう。

 友介は指を動かして返信する。


『だるい』


 一言そう送ると、スマホをポケットに戻す。

 字音が右手で隠していたスマホを盗み見る。そこにあるメッセージを読み、恨めしげな瞳でこちらを見てきた。友介はそれも無視。

 すると何を思ったのか、字音は突然スマホの画面を連打し出した。

 怒っているにしては、どこか子供っぽい怒りの表し方だなと思っていると、

 ブ、ブブ、ブブブブブブブブブブブブブ、と。

 凄まじい速度でスマホが震え出す。それはもう、蜂の羽音のような勢いで震えていた。

 何事かと思いスマホを取り出せば、字音から大量のスタンプが送られていた。


「………………っ」


 なるほど、そういう手段に出たか。

 ここ最近杏里と一緒にいたことで、科学圏の文明の利器の扱いに長けるようになったのだろう。まさか嫌がらせの方法までデジタル化するとは、やはり引きこもりは恐ろしい。


 ポケットの中で震え続けるスマホがあまりに鬱陶しすぎた友介は、渋々ながら彼女に協力することにした。

 とはいえ、別に結婚しに乱入する恋人よろしくクラスメイト達から字音を奪い去るわけではない。

 あくまでも目立たずスマートに。

 そこで、友介はある人物にメッセージを送ることにする。

 このクラスで字音以外に唯一連絡先を知っていて、なおかつきちんとやり取りをする相手だ。

 メッセージを送って十秒ほど経った頃だろうか、友介の前方――黒板に近い窓側の辺りで話していた、クラスの葉で派手グループの中から声が飛んできた。


「ねえねえー、字音ちゃーん」

「……?」


 知り合いではあるが、友介とは異なりあまり仲の良くない少女の声に、字音が首をかしげる。確か友介の教室でたまに一緒になっては、こちらに獣のような視線を向けて何らかの警戒心をあらわにしていた四宮凛という少女だったか。

「用事っていうーか、ほらほら、今からあたしら購買行くし、先にそこだけでも案内しとこっかなあーって」

「……???」


 クラスどころか学年最高位のギャル――四宮凛からの突然の申し出に、字音は困惑を隠しきれない様子だった。字音だけではない、他のクラスメイト達も、何故そんなことを突然言い出すのかわからない様子だった。

 訝しんだ様子で友介の方を見やる字音。


『どうせ後で行くつもりだったけど、今の内に行ったらどうだ?』


 友介からメッセージが飛んでくる。


『お弁当あるし』

『逃げる口実になるぞ』

「…………」


 しばしの逡巡、そして――


「わかった。ちょっと待ってて」


 結局字音は、凛の元へ向かうことにした。そして、凛の申し出と字音の承諾を聞いたクラスメイト達が、お楽しみの時間の終了を理解して三々五々に散っていく。

 やはりトップカーストの権力は並大抵のものではなかった。

 凛がグループの友人に何事かを話し、それから字音と共に教室を出るのを確認すると、友介は食事に戻った。

 が、ここでさらなるメッセージが届く。


『あごで使うなし』


 凛からだった。


『お願いしたんだろ』

『あんたのお願いは脅迫みたいなもんじゃん』

『普通にお願いしただろ』

『そういうことじゃなくて……もういい!』


 友介としては本当に普通にお願いしたつもりだったのだが、なぜこうも怒っているのだろうか……。まさかバトル脳になったせいで、メッセージも好戦的になっているのかもしれない。

 などと益体もないことを考えていると、さらにメッセージが飛んできた。


『貸し1だから。あと、今日の放課後の字音ちゃんの校舎案内、あたしも付き合わせて』

『じゃあお前がやってくれ』

『それは無理。じゃ、そいうことで』


 そういうことがどういうことなのかさっぱりだったが、それくらいのことで許してもらえるのなら安いものだ。

 本来ならば友介のような下民が、四宮凛お嬢様にお願いすること自体が不遜にして無礼に当たる行為なのだろうから。

 その後、カルラが教室に来てひと悶着あったりもしたが、平和に昼休みを終えることができた。


 友介はその間、どこからか視線を感じていたが――あえて気づかないふりをしていた。


☆ ☆ ☆


「あれか」

「ええ、お嬢様」

「呑気なものだ」

「まったくですな」


☆ ☆ ☆


 午後の授業も終えて、帰りのホームルームも終えた。

 字音はクラスにすっかり溶け込んでおり、友介のように悲しい学生生活を送るようなこともなさそうだった。

 西日本最小にして最強の魔術結社『土御門本家』に生まれ、さらには一年間館で命がけのかくれんぼをしていた字音には、これからはぜひとも普通の女の子らしく生きてほしいと、友介はそう思っていた。


 ただ、行方知れずとなった涼太のことを思い出して未だに少し暗い顔をするのが気がかりといえばそうだった。ロンドンでは草次たちが一緒に行動していたというのだが、途中ではぐれてしまってからは合流していないらしい。

 とはいえ、友介は彼についてはあまり心配していない。

 草次たちが言うには彼自身の戦闘力も高いと聞くし、何より仲間が信じているのだ。ならば友介もまた信じることは道理だろう。


「で、案内よろしくね」

「はいはい。あー、ただ……その、四宮も同行したいって言ってるんだけどいいか?」

「あ、うん。それは聞いてる。購買を案内してもらったときに聞いたから」


 ならば話は早い。

 とはいえ、今から廊下で凛と待ち合わせるわけにもいかない。

 ひとまず下駄箱まで降りて、人が少なくなったところでもう一度教室へ戻って合流することにしよう。

回りくどいやり方だが、凛が教室でぶちギレてから、あまり表だって凛と絡まないように心掛けている友介にとっては重要なことだった。

 こんな風に変に気づかうと凛は怒るのだが、怒られてでも凛の学校での立場を守りたい。

 彼女は友介が命を懸けて日常に戻した存在で――何よりも、本来ならばこんな風に、友介と接点を持つ必要のなかった少女だったはずだから。

 確かに彼女との絆は嬉しいものだし、大切な友人であることに変わりはない。

 だが、だからこそ、凛が自分と関わることで学校での地位が危ぶまれたり友達が減ったりということを避けたい。彼女を日常に戻した人間として。何より、彼女の大切な幼馴染を死なせてしまった責任を取るためにも。


「ねえ、安堵くん」

「あん? どうしたんだ」

「カルラちゃんに事情説明したりしたの?」

「カルラに?」

「そう、カルラちゃんは今日、放課後に安堵くんと私が校舎デートすることを知ってるのかなって」

「あー、一応連絡しとくか」

「うん、浮気がばれないようにするのも夫の務めだよ」


 デートとか浮気とか夫とか、その辺の単語は全て無視し、一本カルラに電話を繋いだ。


『もしもし? なによ』

「今日放課後、土御門に校舎案内するから帰るの遅れるわ」

『……どれくらい?』

「あん?」

『どれくらい遅くなるの? ご飯は?』

「飯は家で食う。遅くなるようならまた連絡するし、そん時は先食っててくれ」

『わかった。ちなみに土御門って、字音のほうよね』

「天地がひっくり返っても狩真のほうじゃねえよ」

『そうね。……二人?』

「いや、四宮も一緒だ」

『……、まあいいわ。じゃあ楽しんでね、友介。帰る時は気を付けて』

「俺は子供かよ……まあ気を付けるわ。お前も気を付けろよ。何かあればすぐに電話しろ。お前の着信音だけ変えてるから、スマホが生きてる限り多分出られる」

『……っ、そ、そうっ。うん、ありがと。……えへへ』

「……? なに笑ってんだお前」

『な、何でもないわよ馬鹿! とにかくもう切るから!』


 なぜかそんな怒鳴り声と共に通話が切られてしまい、訳のわからない友介はしかめ面を浮かべるしかできなかった。


「なに怒ってんだよあいつ……」


 疲れたように呟くし友介の隣で、字音がこんなことを言った。


「つ、付け入る隙が無さすぎる……」

「……お前何言ってんの?」


 しばらくして人が少なくなると、二人は教室のほうへ戻っていく。

 途中蹴人とすれ違ったが、特に挨拶をしたりもなかった。あちらは何か言いたげにしていたが、字音と二人だったのを見て気を遣ったのだろう。


 それから教室の前で待っていた凛と合流し、校舎内を案内していく。

 大雑把に中等部側と高等部側があること、そして中等部側の校舎は基本的に使わないことを説明し、職員室やカウンセリング教室、あるいは視聴覚室や音楽室などの特別教室なども説明していった。

 基本的には凛が口を動かしており、字音がそれに相づちを打っている。友介にはあまり出番がなかった。

 そして、ぼーっと話を聞いていると、色んなことを思い出す。

 こうやって校舎を案内していると二人の様を見て、特に頭の奥で思い浮かぶのは――


(二年前……)


 空夜唯可との出会い。

 転校してきた唯可に学校を案内すると言って、こうして校舎内を二人で歩いて回ったこと。

 あの後すぐに、ヴァイス・テンプレートという邪悪が現れて、命がけの逃避行をすることになったのだ。

 そういえば、あの時に二人で渋谷を回ろうと約束したことも思い出す。

 結局それも、必死で逃げるうちにうやむやになり、約束を果たせないまま離れ離れになってしまったのだが。


 そうして校舎の八割くらいを案内し切った後だろうか。

 凛がトイレに行ってくると告げてその場を離れて、友介と字音が二人きりになった時だ。


「あ、あの……」


 字音が珍しく歯切れ悪く会話を切り出した。常に淡々としていて落ち着いた彼女からは想像できない、そわそわとした様子だ。


「ねえ、安堵くん」

「なんだ?」


 字音は少し顔を赤らめながら、喉で詰まってなかなか出てこない言葉を、必死に出して吐き出した。


「今日、夜にさ……少し出てきてくれないかな? その……お礼みたいなのがしたくて」

「お礼? まさか館の時のやつか?」

「そう……」

「別にいらねえよ。あれは仕事だったし、お前を助けたのも、涼太と戦ったのも、あくまでも俺の我がままだ」

「それはそうかもしれないけれど、私が納得しない。君にささやかなながら、贈り物をしたい」

「ああー、でもなあ」

「……、」


 なおも煮え切らない様子の友介に、字音は話題を変えることにした。


「ねえ、安堵くん、土御門の本家の人間は……みんながみんな、狂った思想を持つようになるんだけど、そのことは知ってた?」

「は? 急にどうしたんだお前」

「いいから」


 唐突に関係のない話をされた友介が疑問を口に出すが、字音は無視してつづけた。


「狩真と戦ったならわかると思うけど、私たち土御門家の人間の人間は、独特の価値観だったり心の形だったり、あるいは狂った考え方を持つようになってる。それは環境云々ではなく、血筋としての話」


 例えば狩真は『人を殺すことが日常生活に必要不可欠』という欠陥を抱えていたし、友介は知る由もないが、愛花は『兄への異常なまでの執着と、偏屈した過剰な恋慕』を抱いている。そうした事情もあり、基本的に本家の人間関係は代々悪い。他者とは相いれない異常者が集まったとして、彼らが仲良く食卓を囲めるかどうか考えれば、おのずとわかるだろう。

 そうした欠陥は、字音にもある。

 才能も未来もないというのに、過剰なまでに占星術に傾倒し、無駄な努力を続けるその歪さ。

 不可能であることはわかっていてもなお、進み続ける不屈の精神。一見するとまともで無気力そうに見えるこの少女が、そんな努力の気狂いであることを知る者は少ない。というよりもいない。はた目からすれば、ただの努力家に見えるからだ。


「それは私も同じ。私は占星術の努力を怠ることができない。無理難題とはわかっていても、ずっと努力し続けてしまう運命にあると思う」

「……」

「そんな私は、きっとこの先にまともな幸せなんてなかっただろうなって思う。だから、涼太に殺されそうになっていた時も、実は涼太を元に戻せるなら死んでも良かったかなって、そう思ってた」


 実際、彼女が涼太の『がしゃどくろ』に殺されそうになった時に彼女が願ったのは、自身の命が守られることではなく、涼太にかけられた呪縛を解いてほしいというものだった。

 恐怖がなかったわけではない。命が惜しかったから逃げていたということも、確かに事実だ。

 だが、自分の人生に当たり前の幸せが待っていることはないだろうとも思っていた。


「でも、君が助けてくれたから、私は土御門の本家や分家以外の人間と……杏里ちゃんと話すことができた。カルラちゃんと知り合えたし、こうやって四宮さんみたいな普通の人と肩を並べられるようになった。普通の幸せを、知れたの」

「…………」

「君が助けてくれて、君が引き合わせてくれた人たち。……残念ながら、涼太は行方不明だけれど、彼を助けてくれたのも君」


 友介は何も答えない。ただそっぽを向きながら、それでも静かに字音の言葉を聞いているだけ。


「大切な弟を救ってくれた。私の命を助けてくれた。私に、普通の幸せがあることを教えてくれた。君には自覚がないかもしれないけど、君は私の世界を変えてくれたんだよ?」


 杏里のようにけじめがないと怒ってくれる人はいなかった。友介のように冗談を言える相手だって、いなかった。

 別に家族と仲が悪かったわけではない。みんな優しかったし、そりが合わないとは言いつつも、表面上は普通に近い字音は一族の中でも珍しく嫌われないタイプの人間だった。それでも、会話と言えば魔術や占星術のことばかり。しかもそれは、励ましの言葉や応援ではなく、『諦めろ』というもの。


 そんな関係しか知らなかった字音が友介に教えてもらった世界は、異世界のような優しい世界だった。

 特別な力や、周りの人間がチヤホヤしてくれるような世界ではないけれど。

 少なくとも、優しくて暖かい絆はあった。

 くだらないお喋りや、時間の無駄としか思えない暇な時間だって存在した。気を抜くという行為の本当の意味を知ったりもした。


「だから、うん。言い方を変えるね」


 そこで、彼女は友介の前に回り込み、ふっと軽く微笑んでこう言った。


「今度は、私が好きな世界を、少しだけ君に見せてあげる」

「……、」

「これならどう?」

「まあ、いいかな」


 友介が返事をしたところで、凛が戻って来た。

 字音は少し慌てた様子でも解いた場所へ戻り、凛へ向き直った。


「お、おかえり」

「ただいまー。ってか、どしたん? 字音ちゃん、なんか顔赤いよ?」

「そうかな? うーん、少し暑いからかも」


 校舎案内はその後、三十分ほど歩いて終わった。昇降口で靴を履き替え、校門で別れる。

 友介と字音はマンションが同じなので、凛だけが別方向へ帰るということになる。

 日が傾いた橙色の景色の中を二人並んで歩く。東の空へと目を向けると、もう夜が近付いてきていた。


「んじゃ、またねー」

「おう、また明日」

「さようなら」


 ひらひらと手を振り、すぐさま走り出す凛の後姿を目で追いかけた。やがて曲がり角で見えなくなって、二人はようやく歩き出す。

 下校の途中、ずっと字音が友介とカルラの同棲生活について質問攻めにしてきたが、友介はそれらを適当にあしらっていた。

 そうしているうちにマンションにつき――


「じゃあ、また後で。八時半に玄関入り口の前でね」

「ああ。そうだ、カルラも呼んでいいか?」

「……うん、いいよ。彼女も恩人だしね」


 なぜだろうか、少し残念そうにしているようにも見える。が、まあ彼女を助けたという意味ではカルラも同じだろう。

 自分だけその恩恵を受けるわけにもいかないし、彼女が良いというのなら誘ってみよう。


「杏里によろしく言っといてくれ」

「会って行かないの?」

「近いし、いつでも会えるからな。カルラが飯食わずに待ってるだろうから、早く帰ってやらねえと」


 字音の部屋――もともとは、友介が、杏里と夕子の三人で暮らしていた――の前で別れ、友介は帰宅した。


☆ ☆ ☆


「遅い、さすがにおなか減って死にそうなんだけど」


 扉を開けると、すぐ近くにカルラが立っていた。


「悪い」

「ん。おかえり」

「ただいま」

「ご飯出来てるわよ。今からチンするから待ってなさい」

「はいよ、着替えとくわ。あ、何も焦がしてないよな?」

「ええ。でもごめん、ご飯はお粥になったわ」

「……次は頑張ろうな」

「そうね……ほんとごめん」


 というわけで、今日のご飯はべちゃべちゃになってしまったらしい。まあ、もう慣れたので特に気にしないが。次からは気を付けてほしいものだ。

 着替えを終えて席に着くと、甘い香りを放つ肉じゃがが置いてあった。他にも少し味噌が濃いようにも見える味噌汁と、スーパーで買ったような漬物が置いてある。

 ただ、やはり……みずみずしいご飯がとても気になる。なんというか、お粥というよりも、こう……ねっとりとしたひとつの固形物みたいになっていた。水を吸い過ぎて力士みたいになったお米が、隣の力士米と結合しているせいだろう。

 そもそもお粥は、普通に炊いたお米をお湯に入れて作るものであって、炊飯器の中に水を大量に入れたところでお粥にはならないのだ。


「……食べるか」

「そうね」


 おかずが美味しそうなだけに、何とも微妙な空気になってしまう食卓であった。

 とはいえ別に、そこまで気にするほどでもない。たとえ水を吸いまくってデブになったとしても、味そのものは美味しくないわけではないのだ。ただ、食感が気になる。


「これ、あとどれくらい残ってるんだ……?」

「いちおう、炊いたのは二合だけど……ボリューム結構ヤバいわよ」


 なるほど、向こう何日かはこのべちゃべちゃご飯か。

 覚悟を決めた(諦めた、とも言う)友介は、それ以上お米の話を掘り下げず、この後の字音との申し出について切り出した。

 字音にお礼がしたいと言われ、八時半に呼び出された。カルラも一緒に来ないか? ――と、そう尋ねたのだ。

 友介としてはカルラも一緒だとよかったのだが……


「行かないわ」

「なんでだよ」

「私はお呼びじゃないからよ」


 カルラは友介に愛されているという自覚がある。自分にはあまりにも勿体ないような愛情を、彼には注いでもらっている。

 だからだろうか、彼女は以前までのように、友介が他の少女と一緒にいようとも、狼狽えたり悩んだりすることは少なくなった。

 それは勝者の余裕というよりも、精神が安定している証拠。

 嫉妬や独占欲がないわけではないが、かつてのように帰りの遅い友介を気にして料理中に注意力がおろそかになって、怪我をするようなこともない。

 友介を束縛したり、その交友関係を縛り付けたりしたくもない。


「いや、でもお前だって、」

「しつこい朴念仁。自覚がないなら大丈夫よ。それにあの子はまだ、私やバb……四宮さんと違って『なりかけ』ってだけだしね」

「なりかけ……???」

「とりあえずアンタ一人で行ってあげなさい。帰ってくるまで起きておいてあげるから」

「それは別に……いや、何でもねえ。ありがとう」


 キッと睨んできたカルラの瞳に気圧され、友介はしぶしぶと言った様子で頷いた。



『あなたも端末ひとつでヒーローに!? 最近話題の電磁パルスショックアプリで自衛しよう! テロに負けるな屈するな!』



「うわ、うさんくさ……」


 それからしばらく無言で料理を口に運んでいたが、テレビから流れる頭の悪いCMが気になってしまい、思わずカルラが声を上げていた。


「特定の波長の電磁波を照射して脳に直接衝撃を与え昏倒させる、と来たか……」

「しかも脳に後遺症が残ったりはしないって凄いわね。気絶させるとか昏倒させるって言うよりも、眠らせるっていう方が近いらしいけど……」

「んなもん作れるのか? つか意味あんの?」

「意味がなくても作ったんじゃないのかしら。まあ技術的には不可能じゃないんじゃない?」

「かもな。なんせMセンサーなんていう、役立たずで意味のない技術を採用するくらいだし」


 適当に雑談していると、15秒しかないCMは当然終わっている。すると当然、そんなお世辞にも実用的ではないふざけたアプリの話題も消えた。

 テレビの話題に合わせて、二人の会話の内容も変わっていく。そうしているうちに夕食も終わり、それからシャワーを浴びたりアイスを食べたりしているうちに約束の時間が迫っていた。


「んじゃ、いってくる」

「はい、気を付けるのよ。変な奴に呼ばれても付いて行かないように」

「お前は何の心配をしてるんだ。俺はガキじゃねえぞ」

「その変な奴が『教会』が放ってきた刺客じゃないとか、そういう警戒はないのね」

「……気を付ける。お前も誰かがインターホン、」

「今さっき注意した私がそんな初歩的な罠にひっかると思ってるの?」

「ごめん、見た目のせいで小学生と間違えた」

「ぶっ飛ばしてやるかこっち来いッ! あ、こら逃げるなあああああああああああああ!」


 最悪な捨て台詞を残した後、さっさと玄関から飛び出してしまった。


「はあ……ったく」


 友介を見送ったカルラは疲れたように息を吐いてリビングへと戻っていく。だが、その前にふと立ち止まってこんなことを言った。


「そういえば……あのババア……じゃなくて、四宮センパイは今日のこと知ってるのかしら」


☆ ☆ ☆


「あ、来た」


 マンションの玄関の前で待っていた字音が小さく声をあげる。

 ひざのあたりまで丈のある赤いスカートと、真っ白なポロシャツというシンプルな出で立ちだった。巫女服を意識したのかもしれない。ポロシャツのボタンは一つあけられているが、きちんと胸はガードしてある。ただし、シャツ一枚ということもあって、女性の持つ膨らみが自己主張をしていた。特別大きいわけではないが、形がくっきりと浮かび上がっていてどうしても目のやり場に困ってしまう。


「待たせたか?」

「ううん、私もちょっと前に来たところ。カルラちゃんは?」

「あいつはいいんだと。また違う形でお礼してやってくれ」

「うん。埋め合わせをすると言っておいてほしい。それに、やっぱり申し訳ないし」

「ま、あいつも俺と同じで礼なんか望んでねえから、やらなくても怒ったりしねえよ」

「そうじゃなくて……いや、なんでもない」


 諦めたように首を振る字音に不思議そうな顔をする友介だが、それ以上は追及しなかった。


「行くか」

「うん、早くいかないと終電も危ないかもしれない」

「そんなに遠いのか?」

「うん、ちょっとね。じゃあ、ついてきて」


 字音が先導して、駅の方へと二人は歩き出した。


☆ ☆ ☆


 さく、さくと。

 草を踏む音が足元から聞こえてくる。

 少し急な坂道をのぼる友介の鼻孔に、木々の匂いがしみ込んできた。


「まさかこんなところまで来るなんてな」

「驚いた? 私もここを見つけたときは少し嬉しくなった」


 蒸し暑い都会の夜とは異なり、多くの木に包まれた森の中はとても静かで涼しかった。

 二人が今いるのは都心から少し離れたところにある、小さな山だった。山というよりも、森のあるちょっとした丘と言うべきか。


「何を見せてくれるんだよ」

「もう察してるでしょう? 思ってる通りのものだよ。でも、きっと驚くと思う」

「そうか。まあ、今はとりあえず楽しみに待っとくわ」


 山を登り始めてから十分ほど経った頃だろうか。まだまだ頂上には程遠い、中腹にも届いていない標高。

 そこに、ぽっかりと木も草も生えていない空白地帯(スポット)があった。

 あらかじめ用意していたのか、はたまた誰かがここに隠していたのか、スポットの端のほうにブルーシートが透明な袋に入れて放置されていた。


「ちょっと待ってて」


 それを広げ、近くに落ちてあった石を使って固定すると、靴を脱いでそこへ上がりながら友介を呼んだ。


「ほら、安堵くんも」

「ほいよ」

「それから目をつむって仰向けになって」


 言われたとおりにする。さらさらと木々のこすれ合う音が風鈴のように冷気を運んでくるのを感じながら、今目の前に広がっているであろう景色を夢想した。

 隣では字音が寝やすいように体を動かしているのか、ごそごそと動いていた。


「いいよ、あけて」


 そして――




「あの時はありがとう。叫んで怖がったりしてたけど、でも、とてもカッコ良かったよ」




 目の前に、ほんのりと頬を赤くした字音の微笑みがあった。


「あ、え――は?」

「ふふ……驚いてる」

「いや、お前……っ」

「びっくりした? だまされた?」


 さらり、と。

 透き通るように黒い髪が、少女の顔の横からひと房落ちる。漂ってくるシャンプーや女の子特有の甘い香りが脳を刺激してくらくらしそうになる。意識を必死に繋ぎ止めながら、けれど視界いっぱいに広がる、色気すら漂わせる字音の微笑みから、まるで縛り付けられたかのように目を離せなくなってしまった。


「ねえ」


 囁くような声が落とされる。


「油断したでしょ。こんなことになるなんて、って」

「……まあな」

「安堵くん、好きだよ」

「…………え、はぁ?」

「その反応はないと思うな」

「いやでも、は? マジか? なに言ってんだお前」

「……まじだよ。本当に。告白されてその反応、私じゃなかったら刺されてるよ?」


 告白。

 まさか受けるとは思っていなかった。というよりも、考えもしなかった。


「そんなそぶり見せてなかっただろうが」

「そう?」

「一緒に暮らしてた時も、学校でも」

「そう? 隠せてたならよかったかな。……うん、抜け駆けしようと思ってたし」


 どうやら完全に騙されていたらしい。


「涼太は?」

「弟を好きになるってどうなの? 安堵くんじゃないんだから」

「誰がシスコンだよ」

「それで、どうなの? 私の(せかい)は、どうだった?」

「……まあ、嬉しいよ」

「じゃあ、付き合ってくれる?」

「…………、」


 友介は目をつむり、小さく息を吐いてから、全くためらいもせずに言い放った。


「ごめん、それは無理だわ」

「だと思った」


 字音は最初から勝算がないとわかっていたのか、喚くことも理由を聞くことも、ましてや泣くこともせず、友介の隣に戻り、仰向けに寝転んだ。


「カルラちゃんいるもんね」

「カルラが心配なのはそうだけど、普通に好きな人がいるからだよ」

「そっか……言ってたっけ」


 字音が友介の上から避けると、森の木々に切り取られた夜空が飛び込んでくる。

 限られた円の中に広がる暗い空と、そこに砂金のように散りばめられている赤、オレンジ、白、青の無数の恒星たち。

 何万年という時をかけて届いてきた光。


「不思議だと思わない?」

「何がだよ」

「私たちは〝今〟に生きているのに、届いてくる光は過去のもの。タイムマシンなんてなくても、私たちは過去を見ることができるんだから」

「ロマンチストだな」

「余裕があるの」


 さっき告白して振られたばかりとは思えないくらい、自然に言葉を放ってくるも、友介はそれを不思議がったり疑問に思うことはない。

 彼女の淡々とした口調がそうさせるのかもしれない。


「占ってあげようか?」

「占い?」

「うん。私、確かにご先祖様みたいに正確な未来予知をしたり、星の動きを操作して夜空の景色を変えたりなんかはできないけど……それでも、この先、安堵くんがどんな風になるのか、大雑把だけど、それくらいはできるの」

「なら、頼むか」


 これから待っているであろう教会との戦いを思えば、少し願掛けするくらいは良いだろう。受験前に神社にお参りに行くのと同じだ。


「じゃあ、まずは目をつむって。そう……それから三回指をさして。はい、目を空けます」


 言われたとおりにやる友介だが、これで本当に友介の命運がわかるのだろうか。ともあれ、ひとまずは指示に従うしかないだろう。


「それから好きな星を指さして……それとそれだね。じゃあ、占うからちょっと待っ、……?」


 言葉が途中で切れた。心配そうに隣を見る友介に、字音はごめんと一言謝ってから、


「あ、いや、なんでもない。ほら、占ってたから時間かかっただけ」


 それにしては嫌な間だったような気もするが、しかし字音の表情を見るに見たくないものを見たというわけでもなさそうだったため、それ以上深く掘り下げることはなかった。

 やがて、考えるようなそぶりをしたのち、字音はこう言った。


「安堵くんはこの先、大きな苦難に見舞われるだろうけど、でも……最後には幸せになれます。……よかったね」

「……まあ、うさん臭いことこの上ねえが、指摘するのも無粋だしな。ありがたくその占いを真に受けることにする」


 実際の占星術は十二星座と太陽系の十の惑星を組み合わせることにより生じる意味、そしてホロスコープから種々の要因を生年月日や時間、誕生地など様々な角度から読み取った上で、個人の運命を占うのだが、そもそもこれは願掛けだ。そんな大掛かりなことはしなくてもいい。


「じゃあ、もう少しだけこうしたら、帰ろう」

「ああ、そうだな」

「あとね、まだまだ諦めないから、そのつもりで」

「まあ、頑張ってくれ」

「他人事だね」

「そうでもない」


 それからしばらく、二人は並んで寝そべりながら、円形に切り取られた夜空を眺めていた。


☆ ☆ ☆


 土御門字音には、まず自覚がなかった。


 自分の魔術が――否、心象が、本質的にどのような意味を内包しているものなのかを。


 そのとき漏れだしたのは、片鱗ともいうべきものだった。


 土御門字音が、垣間見た〝それ〟。


 何かを抱きしめて慟哭する姿。


 コワレルセカイ。


 そんな中に差し込む一筋の光。


 絶望の道へと続く、光。


 絶望の底にある、光。


 混沌とした、時間すらまともに機能していない光。


 ともあれ。


 望み求めて、見た景色を手繰り寄せる彼女は、それを手にした。


 未来は常に、量子のようにぶれている。


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