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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第一編 法則戦争
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第四章 安堵友介 2.動機

 どうぞよろしくお願いします!

「友介!」


 空へ投げ出された友介を魔術を使って助けようとして屋上の縁まで走った唯可だったが、下を覗いても壁に穴があるだけで友介の姿は見当たらなかった。


「あの壁からもう一回中に入ったのかな……」


 唯可は立ち上がって屋上の端へ目をやる。屋内へ入るための扉がある。友介はここからやって来たのだろうか。扉は開けっぱなしになっていた。


 ヴァイス=テンプレートは、自身の力の全てを使って友介を殺しにかかっている。

 それはつまり、神話級魔術師が本気を出しているということ。

 たった一人で、一小隊ぐらいなら軽く捻り潰すことの出来るほどの暴力が、この小さな建物の中で存分に振るわれているのだ。

 巻き込まれれば、間違いなく死んでしまうだろう。


 何より、奴はヴァイス=テンプレート。

 友介を彼から守るにあたっていくつか情報を集めていた——どれもこれも信憑性に欠けた——が、その逸話は端から端までぶっ飛んでいた。

 一説には、彼は八十歳を超すとかなんとか言われているぐらいだった。

 別にそんな与太話を信じているわけではない。

 ただ、やはりヴァイス=テンプレートは異端なのだ。


 その最たる例が、あの蘇生魔術。

 一見何でも出来そうに見える魔術師だが、彼らには三つの不可能がある。

『時間跳躍の不可能』

『歴史改変の不可能』

『生死操作の不可能』

 ヴァイスはその内の、『生死操作の不可能』を克服してしまっているのだ。絶対に不可能なはずの蘇生魔術。それをあの男は完成させてしまっている。


「でも……」


 唯可は己の視線を、今度は友介が来る前にヴァイスが発動させた巨大な竜巻へ向けた。天に昇るその竜の渦を仰ぎ見る。


「何かカラクリがあるんだ。人間では絶対に不可能な魔術を使うための方法が」


 ただ、それが何なのかが分からない。

 どうやってルールをくぐり抜けているのか、全くもって見当もつかない。

 ただ、ここで何も出来なければ、友介は殺される。

 自分を好きだと言ってくれた人が。

 初めて好きになることが出来た人が。

 無惨に、殺される。


「それだけはダメだ……」


 右手に杖を持ち、唯可は扉の前で立ち止まった。闇の奥から死臭が漂ってきたが、意識から遮断して中へ踏み込んだ。


「絶対に、二人で一緒に帰るんだ!」


☆ ☆ ☆



「なんだ」


 閉鎖された空間の中に甲高い少年の声が響いた。

 足下でピクピクと痙攣するそいつを下らなそうに眺めながら、魔術師ヴァイス=テンプレートはつまらなく吐き捨てる。


「あれだけ大口を叩いておいて、お前に出来ることなど所詮その程度だったか」

「ぁ、が……っ」


 何かを言おうとしたらしいが、友介の口から吐き出されたのは言葉ではなく赤い血だった。

 全身に切り傷と青痣をつけられ、地面に力なく横たわる友介。彼は黒目だけを動かして、自分のすぐ近くに立っている魔術師の方を見た。

 まるで虫けらを見るような目でこちらを見ていた。


「ふざけるなよ……」


 ただ、その瞳にはやはり怒りがあった。真っ黒な激情が、見開かれた瞳の奥で燃え上がっていた。


「ふざけるな! お前……この程度で僕の復讐心が収まるとでも思ってるのか! ああ!?」


 叫びながら、傷口に蹴りを叩き込んた。全身をくまなく蹴り倒す。

 友介がうめき声のようなものを発しても、ヴァイス=テンプレートは気にしない。


「お前がっ! お前らがっ! 僕の家族をっ! 殺したんだろう……がっ!!」

「ぁ……?」


 彼は顔面を怒りの形相に変えながら、その小さな足で何度も何度も友介を蹴り続けた。一際力強く友介の腹を蹴ると、今度は憎たらしいその顔面に足の裏を押し付けた。自身の体重でもって、友介の頭蓋骨を踏み潰そうとする。


「やっと見つけた二人目の『安堵』の血筋なんだ! ここまで来るの何もかも捨ててきた。自分の体も、他人の体も……この体だってな! それなのに……こんな……こんな下らない終わり方があって良いわけねえだろうがあッ! 立て。早く立て! 立って無様に命乞いをしろよ!! テメエらクズにふさわしい終わり方を用意してやるから……だから立てえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


☆ ☆ ☆


 事の始まりは五十五年前——つまり、日本がバブルの絶頂期だった一九八九年にまで遡る。

 とは言え、舞台は日本ではない。インドのとある村での出来事だ。


 当時その男は、はっきり言って裕福ではなかった。農家という職業柄、天候によって向こう一年の生活すら保証されないような人生。二十一世紀に入ってからのインドとは違い、当時は農業における経済格差が大きく、男は毎日貧しい生活を強いられる人間だった。


 だが、だからと言って彼は不幸だったわけではない。

 むしろ幸せだったと言える。

 確かに毎日の生活は苦しかった。お金がない生活は苦痛だ。

 だが、別に貧しいことが不幸であることイコールであるとは限らない。


 なぜなら。

 彼にはグリシャという名の妻がいた。

 彼にはユンという名の息子がいた。

 彼にはニーナという名の娘がいた。

 どれだけ苦しい毎日が続いても、どれだけ辛い仕事が待っていても、家族がいるだけで彼は満足だった。

 妻や子供達がいたからこそ仕事を頑張れたし、毎日を楽しく生きることが出来た。


 朝早くに起きて、妻が作った朝ご飯を食べ、息子と娘に見送られて仕事へ出る生活は、平凡ながらも彼の心を支えていた。

 村の他の住民からも、『あそこの家庭は幸せそうだ』と微笑ましく言われていたものだ。

 男は、そんな生活が永遠に続くと思っていた。いつかは息子と娘が自立することもあるだろうが、それもまた男にとっては嬉しいこと。子供の成長が嬉しくない親などこの世に存在しないだろう。


 そんなある日のことだった。

 一人の日本人が、男の村を訪れてきた。彼は柔和な笑みを浮かべながら、流暢なヒンディー語でこう自己紹介をした。


「初めまして。私の名前は安堵陽気(はるき)と言います。今日から少しの間この村でお世話になりたいのですが、よろしいでしょうか?」


 今思えば、この時どうして断らなかったのだろうか。

 彼の出で立ちのせいだろうか。

 黒く、飾り気の無い平凡な髪型。大して特異でない黒い瞳。高くも低くもない平均的な身長。美男子でも、醜く歪んだ顔をしているわけでもない。

 まさしく『人畜無害で平凡な男』を絵で表したかのような青年だった。

 おかしな所などどこにも無い。

 だから男も、同じく友好的な態度でこう返した。


「初めまして。私の名前はヴァイス=テンプレートです。ようこそ。なんだったら家に泊まって下さい。古い家ですが、とても楽しいですよ」

「ありがとうございます!」



 その日の夜。

 男はその選択を後悔することになる。




 深夜二時を回った頃だろうか。

 子供部屋から、グジ……グジ……という湿った音が聞こえてきた。

 グジ……グジ……グジ……グジ……グジ……と。まるで、獣が何かを咀嚼しているような音が、ヴァイスと妻が寝ている部屋に届いてきていた。


「……なんだ?」


 呟き、彼は起き上がって、妻を起こさないように気を付けながら部屋を出た。

 廊下を進み、子供部屋へ近付くに連れてその湿った音はどんどんと大きくなっていった。

 古い床を踏むたび、キシ……キシ……と床が軋んだ音を立てる。

 不安が掻き立てられる。

 喉を掻きむしりたくなる衝動が襲ってきて、実際、彼は爪で喉を小さく掻いていた。

 恐い。嫌な予感がする。恐怖が、襲ってくる。額に脂汗が浮かぶが、気にしていられない。体の芯がゾワゾワと粟立ち、全身が寒さではない何かのせいで震えていた。


(……何だこれは……僕は、何に怯えているんだ……)


 ————と。

 ふと。

 何かが気にかかって横を見た。

 そこには、昼頃にやって来た日本人に客間として貸している空き部屋がある。大して広くもない部屋の内装が、扉の開いた入り口から丸見えだった。


「……なんで。開いてるんだ」


 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ、と

 得体の知れない何かが体の中で蠢いた気がした。

 吸い寄せられるように、彼は客間の中を覗いてしまう。自分の家と言っても、今は完全に他人のプライベートルームになっているので、こんなことしてはいけない。だが、止められなかった。この嫌な予感を払拭するために、最初に、この部屋に安堵陽気がいるかどうかだけは確認しなければならない。

 そっ……と。音を立てないように中を覗き込んだ。


「…………ぁ」


 中では、布団にくるまって安堵陽気が静かに寝息をかいていた。ここからでは顔は見えないが、掛け布団が僅かに盛り上がっている。

 彼は僅かな罪悪感と共に、音を立てないようゆっくりと扉を閉めた。


 もう一度視線を廊下の奥の闇に向ける。

 子供部屋はすぐそこだ。

 グジ……グジ……という湿った音は未だ()んでいない。


 彼はゆっくりと再度踏み出し、子供部屋の前まで歩いた。

 ゆっくりと。

 音を立てないようにゆっくりと扉を開けた。一気に開けたりはしない。ほんの少し隙間ができる程度だけ開ける。

 その隙間から片目だけで中の様子を眺めてみる。


 闇が濃くて何が起きているのか全く分からなかった。

 ただ、グジ……グジ……という湿った音の中に、パキンッ、とチョークを割るような小気味の良い音が紛れていることにようやく気付いた。


「…………?」


 彼は片眉を僅かに下げて目を凝らした。目が徐々に暗闇に慣れてくる。ただ、この程度の隙間からでは、やはり何が起きているのかよく分からなかった。


(もう少しだけ隙間を大きくしよう)


 ヴァイスは何の躊躇いもなく扉をゆるく引こうとした所で——

 ピッ、と。目に水が飛んできた。


「……ッ」


 驚きのあまりたたらを踏みそうになるが、ギリギリの所で我慢する。目を軽く擦り、もう一度中を覗こうと部屋の中を覗こうと引戸の枠を掴んだ。

 瞬間。

 ぬるっとした感覚が掌に返ってきた。


「————ッ!?」


 思わず叫び出しそうになるのを必死に我慢する。

 なんだ?

 なんだ今のは……?

 水のようにサラサラとした液体ではない。もっとこう……水で薄めた絵の具のような感触。それに、手に返ってきたのは液体の感触だけではなかった。柔らかいスポンジのような物もあった。硬いガラス片のようなものもあったのか、掌が軽く切れていた。

 心臓が早鐘を打つ。

 背中を滝のように汗が流れ落ちる。背中だけじゃない。額やこめかみ、全身の毛穴から脂汗が溢れ出てくる。

 頭から氷水をぶっかけられたように全身に悪寒が走った。


「なん……だ……」


 意図せずして、口から声が漏れる。呼吸がおかしくなっている。さっきまで音を立てないようにしていたはずなのに。口を押さえて呼吸音を押さえようとしても、無理だった。浅く、速い呼吸。まともな状態じゃない。

 二歩、三歩と後ろへよろめき……どんと大きい音を立てて尻餅をついた。


「一体……」

「あれ、パパ?」


 突然、声が聞こえた。子供部屋の中からだ。


「ユン!」


 ヴァイスの息子のものだった。彼は大声を出して扉を開け放ち、息子へ駆け寄った。ぎゅっと力強く抱きしめる。


「よ、良かった……生きてた。良かったあ……」


 彼は安堵のため息を吐いた。

 息子が無事だった。ということは、ニーナの方も無事なのだろう。

 彼はユンから一旦距離を置き、彼の目を見つめた。

 そして、絶句した。


「……おい、ユン……」

「どしたの、パパ?」

「その、お前、今日……絵の具を舐めたりしたか? 今日というか、今……」

「え、してないよ? なんで?」


 息子はあくまで快活に答える。それが、堪らなく不気味だった。


「……っ、じゃあ」


 彼が見ているのは少年の口元。可愛らしい笑みの形をしている、小さな口だ。ご飯の時にはいつも食べ物でパンパンになっている口。そして、今も、その口はパンパンに膨れ上がっていた。


「その、口の周りにある赤い絵の具みたいのは何だ……? その口の中には、何が入っているんだ!?」

「ええっと……オムライス、だったっけ? 何かよく分かんないけどそういう名前の料理だよ。で、この口の周りにあるのはケチャップっていうちょうみりょうじゃないかなー」


 ケチャップ? オムライス……? なんだそれ。

 そんな料理は知らない。家では作ったことがない。


「誰が作ったんだ……? 母さんか……? それともまさか、自分で作ったのか……?」


 そういえば。

 こんなに大きい声を出しているのに、どうしてニーナは起きてこないんだろう。同じ部屋で寝ているのではないのか? だとすれば、じゃあなんで寝息が聞こえない!?


「ううんとね、誰だっけ、あの人。えっと、今日来た人。あん、あんど……」

「安堵陽気さんのことか?」

「うん!」


 もしかしたら、日本ではメジャーな料理を、恩返しかなにかのつもりで息子に振る舞ってくれたのかもしれない。


「それで……それは今どこにあるんだ……?」

「あ、ここにあるよ!」


 そう言って。

 ユンは。

 ヴァイス=テンプレートの息子は。

 近くに置いてあった皿を指差した。


「これ…………」


 皿の上に綺麗に置かれていたのは。


「う、で……?」


 細い、ユンのうでよりもさらに細い、小さな女の子の腕のような物。


「これが……オムライス……?」


 ヴァイスは小さく笑いながら、尋ねる。


「うん! そうだよ。お米をケチャップと一緒に焼いて温めた後、薄く焼いた卵で覆うんだってさ!」

「……はは。ははは」

「どう? 美味しそうでしょ?」

「ユン、お前にはこれが……オムライスに見えるのか?」

「あの人はそう言ってたよ……?」

「は、ははは……はは……」


 彼は力なく笑い、


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 恐怖のあまり絶叫した。


「うげ、ご、ぉ、げえええええッ!」


 喉の奥から黄緑色の吐瀉物が溢れ出る。彼はそれを息子にかけないよう横を向いて床に撒き散らした。


「ユン、ちょっとどきなさい!」


 彼は息子を優しく横へ押しやると、床を這いながら部屋の中にニーナがいないか探しまわった。


「いない……」


 けれど、どこにもいない。いつもはこの部屋で二人一緒に寝ているはずなのに、今日はいない。今日に限っていない!


「いないいないいないいない! どこにいるんだ! 返事してくれ!」


 視界が涙でぐしゃぐしゃにひしゃげた。


「うーん、美味し——」

「やめなさい! それ以上それを食べちゃタメだ! そんなもの捨てなさい!」

「やだよ! せっかく夢が叶ったんだよ! こういう食べたことないものも食べたい!」

「それは食べ物じゃないんだ!」

「え……」

「よく見るんだッ!」

「え、あ……え。なっ」


 ユンの顔に直接言葉を叩き付けるように怒鳴り散らしていると、突如、彼の顔が真っ青に染まり出した。


「なに、これ……。あれ? あれえ? ぼく、ぼくオムライス……でもこれ。い、や」


 しまった、と思った時には遅かった。

 あんな奇行に及んでいたのだ。何者かに洗脳されていたと考えるべきだった。洗脳なんて技術が存在するかどうかは別だ。実際問題として、ユンは自分の行いに今ようやく気付こうとしている。

 いいや。

 気付いた。


「嫌だ。何でこんなの食べてたの嫌だ嘘気持ち悪い吐きたい」

「落ち着け……ユン、なあ?」

「パパ。パパ……僕……っ!」


 と、何かを思い出したかのように、ユンの顔が恐怖で歪み始めた。


「どうした……?」

「僕……あれ、ニーナの、腕だ……」

「————」


 予期せぬ所から、最悪の答えが返ってきた。


「ははははは。僕ニーナの腕食べてたんだ。あれ? じゃあニーナはどこにいるのあれ?」


 するとユンは、おかしそうに首を傾げて。


「こんなことしちゃったってことは、僕、ニーナに仕返しされる?」


 恐怖で顔が引き攣り、真っ青になった我が子を必死に抱きしめようとした。

 けれど、何かが二人の間に割って入り、まるで親子の絆を引き裂くように、ユンの首を勢い良く掴んだ。

 それは。


「ひ、ぃ……っ」


 先ほどまでユンが食べていた、ニーナの腕だった。

 まだ辛うじて残っていた三本の指が、ギリギリとユンの首を締め付ける。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!? 助けてぇ! パパァ!! 助けてよお! 嫌だ死にたくないごめんなさいたべてごめんなさいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」

「い、あ、うぁ、あ…………か、はっ……やめろ……!」

 どうしてだ。

 どうしてこんな事になった。


「ぱぱあ! ぱぱあ!! 何で助けてくれないのお!? 僕は、あ、が……っ」


 目の前に。すぐ近くに。手を伸ばせば届く位置に息子がいるのに。

 恐怖で指先一つ動かす事もできず。

 そして。

 ビクン、ビクン、とユンの体が大きく跳ねて。

 死んだ。


「あ……ユン……」


 頬が不気味に蠢いた。

 恐怖よりも、

 悲しみよりも、

 憎しみがヴァイスの総身を駆け巡った。


「安堵ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 雄叫びを上げながら、すぐ近くの安堵陽気がいる部屋まで走った。引戸を蹴破り、今もスヤスヤと寝ているクズ野郎の首を締め上げてやる——。

 今も布団にくるまっているヤツの上に跨がる。そして布団をめくり上げて首を絞めようと手をかける直前——思ってしまった。


「……これは、本当に安堵陽気なのか……?」


 まさかとは思うが、この中にいるのは、すでに無惨に殺されたニーナ、あるいは妻のグリシャなのではないのか……? そんなありえない妄想がヴァイスの中で膨らんだ。

 瞬間。

 何となくこう思った。

 彼が跨がっている人間の質感が少し柔らかくないか?

 布団が赤く見えないか?

 自分の妄想は、実際に現実として起きてしまっているのではないのか……?


「ち、がう……」


 己のそんな妄想を振り払って、彼は布団をめくり上げた。


「違うと言ったら……違うんだよおおおおおお!」


 現れたのは。

 右半身がグリシャ、左半身がニーナという、変わった出で立ちの人間だった。


「は、はは……誰だお前?」


 ゴギン! と右手で左半身……つまりニーナ側を殴った。

「誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前誰だお前」


 右と左で交互に。

 何度も。何十度も。その奇妙な出で立ちの人間を殴った。殴るたびに、ズルズルと境界面が崩れ、人の形を維持しなくなった。


「ひひひひひひひひあっははっはっははははっはははははは」


 全身を掻きむしる。外から見える場所だけではない。口の中。鼻の穴の中。まぶたの裏まで——本当に、体の全てを掻きむしった。



「おおっと。こりゃまた凄い奇行に及んでるヤツがいるなあ。記録記録♪」



「————————」


 そんな風に全てを諦めかけた時だった。

 その、声が。

 全てを台無しにした声が背後から聞こえてきた。家族を失ったヴァイスをせせら笑う悪魔の声。

 その瞬間。

 死にかけていた自我が蘇った。

 脳の中が真っ白になる。ブチブチブチブチ! と頭の血管が切れる音が続けざまに聞こえた気がした。


「よくも……」

「うん?」

「よくも家族を殺したなあああああああああああああああああああああああああッッッ!!」

「ははは。そう怒るなよ。軽い実験じゃねえか」


 ニィ……ッ、と。酷薄な笑みを浮かべ、悪魔が告げる。


「俺の魔術の実験台。それがあんたら家族だ。光栄に思えよ? この俺の実験台になれたんだ。こんなもん、世界に六十億人いる人類の中でもほんの数人にしか体験できねえ経験だ。とても貴重だ。一生の宝物にしてくれ」

「————何を。言ってるんだ……?」


 それは。

 本当に、心の底からそう思っている人間の話し方だった。挑発ではない。厳然たる事実だろうと言わんばかりの口調。


「だからま、もう少し経過を観察させてくれ。お前のこれからの反応を見たい。どう生きるのか、俺に調べさせろ」

「嫌に決まってるだろう!?」

「は……? いや、なのか……」


 すると安堵陽気(はるき)は心底残念そうな顔をしながら、


「じゃあしゃあねえ」


 そう言って、何処(いずこ)かへと歩いて行った。

 突然始まった狂乱は、こうしてあっさりと終わってしまった。




 そして彼は魔術と出会う。

 憎しみだけで魔術師の頂点神話級へと至り、『とある組織』へ脳を売り渡し、体を何度も乗り換える事で、神話級魔術師の中でも『異端』と呼ばれるほどの位置へと上り詰めることになる————。


 なんか今回もあれな回でしたね......

 また次回もお付き合いください!!

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