蛇足章 ■■■■■
魔術兼西日本帝国、京都府某所。
西日本帝国帝王、コールタール・ゼルフォースがテロ集団『楽園教会』の頭領だったことが判明し、当然彼の地位は剥奪された。
よって、新たなる王を選ばなければならなかったのだが――
候補が擁立され、その『女』が即位するまで、一週間と掛からなかった。
そのせいで、彼女たちは帝国の女王となるチャンスをまたもふいにしてしまったのだ。
「うぅー、ごめんナタリー。また失敗しちゃったよぉ~」
「いえ、姫のせいではないんです。おそらく……この国も、すでに教会の息が掛かっていたと思うんです……」
「うぇえー……ほんと、やになっちゃうよ」
どこかの学校の制服の上からローブを纏い、頭に先のとんがった魔女帽を被った、愛らしい外見の少女。帽子の隙間から流れ落ちる黒髪は艶やかで美しく、腰のあたりまで伸びている。ローブの上からでもわかるほど大きく実った胸の果実は、いつかとある少年を誘惑するために使おうと、ここ最近は特に決意を強めていた。
彼女は『吸福の魔女』空夜唯可。――安堵友介が恋心を抱く少女であり、風代カルラが絶対に越えなければならないライバルでもある。
そして、唯可の隣を歩く表情の変化が乏しい、褐色の肌と銀色の髪が特徴的な少女が、『破壊技師』や『破壊神』の二つ名を持つ神話級魔術師――ナタリー=サーカス。年齢的には中学二年生にあたるのだが、二年前からほとんど成長しておらず、薄い胸や幸薄そうな雰囲気は変わっていない。
薄手のキャミソールという、極めて際どいキワキワ衣装を身に纏う少女だが、その見た目に反して、神話級といえど一介の魔術師でありながら、描画師と拮抗するほどの戦闘能力を持つ化け物である。
ジブリルフォードに吹き飛ばされた左腕は、たんぱく質やらカルシウムやらなんやらを用意して、彼女の『開裂と結合』で限りなく肉体と同じ組成の義手を制作し、それを『結合』の力で癒着させたことで、今では元通りになっている。
「それにしても、今度の王様は女の子かあ。どんな子だっけ? 何か髪が白かったよね」
「そうですね。確か名前が……〝川上雪〟といったはずなんです」
「ふぇー、全然王様っぽくないよ」
ぷくぅー、と頬を膨らませて怒ったような表情をする唯可。まだまだバイトで食いつなげないとなあ、などと鬱方面に思考を飛ばしていく。
だが――この後に語ったナタリーの言葉が、そんな甘ったれた思考を全て吹っ飛ばした。
「そういえば――この前東京へ行ったとき、四宮凛という少女と会ったのを、姫は覚えているですか?」
「あ、うん……」
唯可の声が突然沈んだのは、あの時に彼女から受けた言葉を思い出したからだ。
秋田みなの友達である、四宮凛。彼女から受けた言葉は、あの日何もできなかった唯可の心に影を落としているのだ。
「あ……ごめんなさいなんです。そんなつもりは……」
「ううん、ごめんごめん! 大丈夫だから! ……それで、その四宮さんがどうしたの?」
「はい……。その、彼女の発言から、安堵友介も同じ学校なのではないかと思い、あの後密かに調査していたんです。すると……どうやら当たったようで……」
「ほ、ほんと!? ほんとにっ?」
「はい。それで、提案なんですが……彼らの修学旅行が、夏を超えた九月末にあるのですが、その時にこっそり私たちも彼らの行き先に行くべきだと思うんです」
「た、確かに行きたいけど……だけど、何で直接会いに行かないの? 遠くになって旅費も増えるよ?」
「ええ、私もそう考えたんです。だけど……」
そこで彼女は一度言いよどみ――けれど、しっかりと告げた。
「楽園教会の宣戦布告以降、調停局の軍事担当機関『美麗賛歌』の機関長、『花園の豊饒姫』アモルシア=プランターレの動きが不穏になっているという噂が……」
「色んな人に『芸術家』って嫌われてる人だよね」
「はい、そうなんです。頭がおかしいともっぱらの噂のその人が、どうやら安堵友介たちの修学旅行と同じ日に、同じ場所に行くらしいんです」
「…………それは、本当?」
「はい。それも、『三権人』の全員を連れて」
「場所は?」
「ハワイなんです」
――九月末、ハワイ。
おそらく先の楽園教会の宣戦布告を受けての協議であろうが、調停局でも随一の発言力を持つ『花園の豊饒姫』と、彼女の直属の部下三人が皆、協議のためとはいえ敵国にと乗り込んでいくとはどういう意味を持つのだろうか。
ただの気まぐれなのか。
あるいは――
「あの芸術家の琴線に触れる、素体が……男性が見つかったか、です」
嫌な予感がする。
『花園の豊饒姫』と友介の修学旅行が被ってしまったことそのものではない。
どうしても、裏を勘ぐってしまうのだ。
何かが、ある。
『美麗賛歌』の長が直属の部下を伴って動くことの意味。
「……とにかく、行くしかない」
彼を守るというのもあるが――それ以上に、誰か手の届く範囲に助けられる人がいるのなら、助けたいと思うから。
空夜唯可はあらゆる不条理から、人々を守りたいと心の底から強く思っているから。
だから――
「ナタリー、アメリカへ行こう。そしてそれまでに、出来るだけの多くの情報を集めるよ」
「分かったんです。姫の仰せのままに」
ナタリーが一つお辞儀をしたのを受けて、空夜唯可が歩き出した。
その直後のことだった。
「よォ……空夜唯可ってのは、あんたであってるか?」
ぞっ――、と。
首筋に手を突っ込まれて、脊髄を鷲掴みにされたかのような寒気が全身を襲った。
声色はまともに聞こえた。少しガラの悪い喋り方だが、それだけ。
人畜無害そのものの声が、背後から聞こえてきただけ。
距離も離れている。音の響き方からして、数メートルほどの距離はあるはずだ。
だが――
なんだ、今のは?
まともに聞こえる声の中に混じる、悍ましくも明るい、底抜けに楽しげなほんの微量な悪意。
その悪意の一端だけで、破滅の全てを理解できた気がした。
しかし、それは気のせいだったのだろうか。
その『小さな違和感』は、一瞬の内に唯可の中から消え去ってしまった。
だから、彼女は不用心に振り返り、返事を返してしまう。
唯可の視界の先にいる男は、軽薄に笑っていた。
手入れが行き届いた金髪は、うなじの辺りで縛られている。
ただ、何よりも特徴的だったのが――左腕がないこと。男は、隻腕だった。
「はい、そうですけど……あたなは?」
もしも。
もしもここで、彼女が返事をせずに逃げていれば、何かが変わったかもしれなかった。
この世界を見ることのできる『観測者』がいたとして、今この邂逅を見ているのならば、唯可の選択次第では、最大最悪の絶望劇は開幕しなかったのにと、劇を最後まで見た後に笑うだろう。
そう――ここは、一つの分岐点だった。
大きな大きな、変換点だったのだ。
「俺様かァ?」
理不尽は唐突にやってくる。
不条理は前触れなく暴れまわる。
不幸は恩着せがましくその身を売りにやってくる。
世界も運命も、そうやって人を嘲笑うのが好きなのだ。
「俺様の名はデモニア・ブリージア。正式にはマーリン・デモニア・ブリージアだ。
提案がある。
俺様と一緒に、楽園教会を潰して世界を救済しねえかァ?
――――手を組もう」
誰にも気づかれないように、『邪悪』は笑った。
絶望劇の種が、今、無造作に蒔かれた。
☆ ☆ ☆
蛇足章 ■■■■■
蛇足章 絶望劇の種




