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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
170/220

第九章 決戦 ――Decisive Aurora―― 2.砕かれた想い、

 近くに落ちていた長刀を拾い、ゆっくりと抜き払う。

 鞘をそこらに投げ捨てて、少女は刃と峰が(・・・・・・・)反対になるよう(・・・・・・・)刀を持つ。

 顔の横に両手を置いて、刀身が床と平行になるようにして構えた。

 綺麗な金色の瞳を苛烈に燃やし、闘志を纏って今にも突撃せんとする少女へ、バルトルートは下らなさそうに言い放つ。


「……好きにしろ。後悔しても知らんぞ」


 脅しでもなんでもない、まるで子供の駄々に呆れるような調子でそう警告した。

 実際、カルラの行為に何か意味があるわけではないだろう。


 バルトルート・オーバーレイは街を一つ焼くことができる。比喩でもなんでもなく、彼は先ほどやってのけた。

 空から街を落とし、物の数秒で両手両足の指でも足りない数の人間を灰に変えた。

 魔術と科学の複合兵器を操るサリア・バートリーは戦闘から数分と経たず戦意を喪失していたし、人の限界を超えた身体能力を有する草加草次もボロ雑巾のように打ち捨てられた。

 それも、傷一つ付けられたないままで。


 勝てる道理はない。弱点が分かっていようとも、カルラには炎を生み出すことも操ることも出来はしない。

 ただ己の身と罪の証たる長刀で、目の前の規格外の化け物を相手にしなければならない。

 たとえ心を振り絞ろうとも、それが力に変わることもありえない。それでもなお、一人でも多くの命を守るために、風代カルラは敗北の決まりきった戦いへとその身を投じる。



 ――それは悪人では絶対に取ることのできない選択肢。



 ――それは木偶人形では抱くことのできない決意。



 ――それは、英雄と呼ばれる、全なる者でなければ燃やすことのできない覚悟。



 だが、風代カルラはその行為の意味をなにも理解していない。彼女の奮起がどのような意味を持ち、どれほどの価値があるのか――少女は気にも留めていない。


 当然だ。

 だって――そんなことを考えている暇はないのだから。

 守らなければならない、彼らを生かすために最善を尽くさなければならない。

 そのために必要なのは――ただ全身全霊をもって、目の前の悪鬼を討伐すること。


「はァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 裂帛の気合と共に、地を這うような低姿勢で駆け出した。風が真っ向からカルラの赤髪を煽り、少女の顔をあらわにする。監禁されていた時に額を壁や床に叩きつけていたためか、端正だった顔には酷い血の跡が残っていた。額がキレて痛々しい。


 切っ先を背後に向けたまま、豹のようにしなやかな挙動でもって懐目がけて駆け抜ける。銀の刀身が赤い色を反射して、虚空に奇跡が刻まれる。それはまるで、少女の背から伸びる尾のよう。

 繰り出される数多の火球を全て回避して、いとも容易くカルラはバルトルートを間合いに収めた。


「づ、ゥアアアアアアッ!」


 振り抜く一閃。少女の身の丈ほどもある超党派、炎を裂いて少年の首へと吸い込まれていく。

 バルトルートは首を軽く振ってやり過ごし、背後に生み出した二十もの火球を同時に射出。


「風代ッ!」


 千矢の悲痛な叫びもむなしく、ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ! と爆発音が連続し、局所的に真っ赤な花が咲き乱れた。一発一発が致死の砲弾。当たれば瞬時に蒸発しかねない一斉掃射。

 粉塵が舞い、砂塵のカーテンが引かれた。

 戦いとも呼べぬ虐殺を眺めることしかできなかった草次や千矢は、二の句も告げず呆然としたまま絶望を噛みしめる。

 守れなかった、助けられなかった。


「カルラ、ちゃん……」

「あん、ど……ッ」


 腹の底から絶望が励起となってせり上がってくる。彼はどこで何をしているのだとか、どうして彼女を引き留めなかったのだとか、そういう後悔が次から次へと押し寄せてきて、



「遅い」



 だが、そんな絶望を粉塵を突き破った少女の背中が吹き飛ばした。

 凛とした瞳には絶望など映っていない。柄を握る両手は未だ健在。血潮と魂を燃やして滾る赤い少女は、力強く地面を蹴って再度肉薄した。


「う、そだろ……」

「これは――……」


 二人の目の前に広がる光景には、現実味というものが圧倒的に欠けていた。

 狂い踊る火球の群れ。次から次へと無尽蔵に補充されてはカルラを追い立て燃やそうとするそれらを、当の本人は何食わぬ顔で全て避け切っている。

 前方から飛来する三つの火球を、首を振り、体を半身にしつつしゃがんで回避。頭上から迫る一球には一瞥もくれず前へ踏み込むと、次に斜め後方の床から飛び出したそれを、切っ先を突き付けることで真っ二つに断つ。微量ながらも炎を纏ったそれをすかさず振り回し、紅蓮の王の脇腹へと叩き込んだ。


「駄目だ風代ッ、奴の皮膚には反射膜が――ッ」


(入った――ッ!)


 千矢の忠告など耳に入っていなかった。カルラは確信と共に刀を振り抜き――

 しかし、不意にパシン、と軽い音が鳴り、刀の軌道がずらされる。


「なっ――」

「白兵戦には疎いとでも勘違いしていたか?」


 刀身の腹を下部から叩きはね上げると、上半身を逸らしてそれを回避。刀を振り抜いた直後の姿勢は当然隙となり――


「よくやった方だが――まだ甘いな。俺にもまた、『眼』があることを忘れたか」

「ぐ、ぅう……ァァァァああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 拳を握り少女を沈めんとするバルトルートへ、刀を投げ捨て自身も拳で迎え打つ。歯を食いしばり、獣のような形相で大きく一歩踏み込んだ。先の火球の連続射撃で焦げた床を力強く踏み打ち、玉砕覚悟で兄の顔面目がけて拳を振り抜く――


「――――なにっ」


 ――否だった。


 交錯の直前、少女はだらりと脱力すると、軟体動物や酔拳の使い手の如き珍妙な動きでそのわきを潜り抜ける。

 虚を突かれ敵手を見失うバルトルートのその背後で、己が得物たる長刀を拾い上げ、駒のようにその場で回って脇腹へ峰を叩き込んだ。

 炎も何も纏っていないその刀は、しかし――


 ゴッッッ! と鈍い音が鳴り響かせて、バルトルート・オーバーレイの脇腹へとめり込んでいた。


 叩き込んだ。一矢報いた。


 ブリテンを絶望の底へと叩き落とした赤い悪魔に、反撃の一撃を叩き込むことに成功した。

 彼を守っていた反射膜など存在しないとばかりの一撃に、外野は困惑を隠せなかった。


「な、なん、で――?」

「まさか、風代だからか……?」


 草次と千矢の疑問に答える声はない。

 カルラもバルトルートも、極限の集中の中にいるため、周囲に気を配っている暇などないのだ。


 まだだ――まだ。


 カルラは瞳をさらに鋭く。

 これでは終わらない。さらに攻める手を増やし、一気呵成に畳みかける。反撃の糸口すら掴ませないまま、滅多打ちにする。


「ァァァァぁぁぁぁああああああああああああああ、――ッ!? ぐぅあッっ!」


 魂を爆発させたその絶叫はしかし、苦しげな声と共に途切れた。

 体をくの字に曲げて後ずさる。視線を下げれば、燃やすのではなく、皮膚を焼くために炎を纏わされた拳が、赤髪の小さな少女の腹を捉えている。

 じゅぅぅううううううううううううううううううううううううううううう! と熱したフライパンに水をぶち込んだような嫌な音を鳴らす拳。服が溶け落ち、少女の体へ痛々しい火傷を刻み込む。拳一つで体を支えられ、風代カルラの足が宙を彷徨い、少女の体は釣り上げられた。


「がはっ、ァ! ぐぅぅううあああああああああああああああああああああああああっ!?」

「いい攻めだったな。殺しを続けているうちに格上との戦いにも慣れたか?」

「ぎ、ふぁ……!」


 喉の奥からせり上がってくる血を止められない。生暖かい粘液じみた液体が、濁流のように暴れ狂いながら、食道を穢して外へあふれ出す。


「ま。だ……」

「これ以上、まだやるのか」

「あたりまえ、よ……っ。こんな、こんなところで――。今私が死ねば、アンタたちを止める人間がいなくなる。だから、だから!」


 激痛が腹を中心に全身へと広がっていくが、そんなものは知らないとばかりに拳を振りかぶった。

 自身を釣り上げていた腕を払いのけ、バルトルートの顔面を殴り付ける。

 しかし、それはあえなく回避され、ゴミ袋を投げ捨てるようにぞんざいに払われた右腕によって地面を転がされる。


 苦しげな咳と共に吐き出される血が床を汚す。

 力の差を知り折れそうになる心。それを必死に奮い立たせて、崩れ落ちようとする体を無理やり起き上がらせた。長刀を杖のようにしてゆっくりと起き上がりながら、冷たい瞳でこちらを見下ろす紅蓮の王を真っ向から睨み上げた。


「負け、ない……ッッ!」


 腹の激痛を無視してさらに駆け出す。床を踏み抜き風を切って加速する。

 負けられない、負けられない、負けられない。

 気力を振り絞れ、心を奮い立たせて前を向け。己の身一つで目の前の紅蓮の王を打ち倒さねばならないのだ。

 放たれる火球を疾走しながら全て避け、先の焼き直しの如くバルトルートの懐へと潜り込もうとして――


「諸共死ね。――『炎神の咢(フィアンマメント)』」


 バルトルートの左右から三十メートル近い長さを誇る火柱が、床と水平に斜め方向へ伸びた。火柱はさらに変成し、内側に『牙』のような鋭利な突起が形成される。

 それは――口を横にした化け物の顎であった。中に収めたものを業火で焼いて咀嚼する、炎の巨人の口。


 カルラたちには知る由もないが、この技はバルトルートが敬する男、ライアン・イェソド・ジブリルフォードが空夜唯可に使用した技『海神の咢(エーギルメント)』を模した技だった。

カルラはもちろん、草次や千矢、サリアをもその射程に収めた。これが閉じられれば、ここにいる全員が原形どころか形すら留めていない大量の灰に変えられてしまうだろう。


「――――させる、もんかァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 絶叫し、悲鳴を上げる体をさらに鞭打ち速度を上げる。あれが閉じるよりも早く討つ。意識を刈り取り、この街を焼く染色も、彼らを焼き喰わんとする顎も霧散させなければならない。


 しかし――遠い。

 あまりに遠い。まだ長刀の間合いには到底届かず、打ち倒すにはまだ数歩分の距離が離れている。


 どうする――?

 このまま何もかもを諦めて業火に焼かれるか?

 己だけは身をかがめ、炎の咀嚼をやり過ごすか?

 泣いて謝り、許しを乞うか?


 全てノーだ。

 ありえない、断じて許容できない。

 奴を打ち倒して人々を守る。そのために命を燃やす。魂を駆動させて兄だった者を討つ。

 だが、現実としてカルラはバルトルートに届かない。


「だったら――」


 届かないのなら――


「こうしてやるッッ!」


 気合と共に彼女が取った行動は、右腕を大きく振って長刀を投げつけるというものだった。

 ほんの僅かな回転を得て投げ放たれた長刀は、峰側からバルトルートの顔面へと突っ込んでいく。当たれば僥倖、当たらずとも注意を逸らし稼いだその僅かな間にバルトルートへ肉薄し、その顔面に全体重を乗せた拳を入れる腹積もりだ。

 バルトルートは焦った様子もなく身をかがめ、奇襲じみた投擲に対し冷静に対処する。しかし、閉じようとしていた『炎神の咢』の制御は止めざるを得ない。暴発を恐れたのか、召喚させたそれを霧散させた。


「取った――ッ」


 そして、その間にカルラはバルトルートを拳の射程圏に収めている。握り締め、振りかぶった右の拳が熱い。どこかの誰かと同じように、理不尽な運命に抗うために握られた拳が、矢のように放たれた。

 ゴッ――! と鈍い音が鳴り響き。


 風代カルラの体が真横へ飛んだ。


☆ ☆ ☆


「え――?」


 ミシミシと脇腹が軋みを上げていた。固い何かが横っ腹にめり込んで、少女の体を横に押す。

 視線を下げれば、そこにはカルラが投げ捨てたはずの長刀の峰が、少女自身の脇腹にめり込んでいた。刀の柄を握る手から腕、そして顔へと視線を移して――そこに少女の兄の顔があることに対し疑問を抱き、意識が一瞬空白に塗り潰された。


 直後、刀が振り抜かれると共にカルラの体が木っ端のように吹っ飛んだ。


 ごろごろと床を転がり、壁に激突してようやく止まる。凄まじい勢いで背中から激突したことで体内から空気が押し出され、呼吸がままならない。

 立ち上がろうと両手を地面に押し付けるも、まともに力が入らずまた地面に倒れ伏す。芋虫のようにもぞもぞともがく様は、滑稽ですらあった。


 何があった――? 血反吐を撒き散らしながら地面をのたうち回る少女の脳内は、そんな疑問で埋め尽くされていた。

 投げ放った長刀を避けられたのは予想内。反撃を受けたとしても、想像の範疇にあったはず。しかし、その投げ放った長刀で反撃を受けた意味が全く分からない。


「知れたこと」


 そんなカルラの疑問を感じ取ったのか、バルトルートは冷たく言い放つ。


「俺も貴様の仲間と同じ『眼』を持っている。投げられた刀の一瞬先の未来を見ることができる。ならば後は簡単だ――柄が来るところへ手を置いておけば、刀は勝手に俺の手の中に納まる。もっとも、その未来も確定した未来ではないのだから、リスクがゼロなわけではないが」

(――なによ、それ……ッ!)


 理論上は可能だろう。だが、だからといって実行するか? しかもその上、成功させていると来た。

 規格外にもほどがある。

 人外。

 これは人の姿をした化け物だ。


「終わりだな」


 無造作に刀が投げ捨てられて、からん、と甲高い音がカルラの耳元で響いた。その柄に手を掛け、握ろうとして失敗。今になって腹の激痛が再来するなどし、全身を痛めつけられた少女は手を握り締めることすらままならない。


「気力を振り絞れば勝てると思ったか? 心のを奮い立たせれば都合よく勝利できると信じていたか? 残念だが、世界はそこまで甘くない」


 床を踏む靴音が近付いてくる。カルラのすぐ手前で立ち止まったバルトルートの感情の読めない冷たい声が、少女に敗北を突き付けていた。


「奇跡は起きない。劇的な勝利は存在しない。弱者は弱者だ。殻を破れもしない凡夫が成せることなど僅か。それが、分からなかったらしいな」


 もがく。

 身を苛む痛みの嵐や、心を蝕む敗北感を押しやり、ギチギチと壊れた歯車を無理やり動かすようにして軋んだ体を起き上がらせる。長刀の柄を掴み――力を込められず、零れ落ちる。もう自分の手で握ることは不可能だと悟った彼女は、コートの袖を刀で切ると、柄を握る手に巻き、強く縛って固定した。


「ぐぅう……ッ! ま、だ…………ッ」

「風代、もうやめろ……っ!」

「ぐ、ぅ……カルラちゃん! これ以上はもう……!」


 千矢が制止を促した。バルトルートの染色を前に絶望し、呆然としていた草次もまた、カルラの奮闘を目にして我を取り戻し、苦しげに声を上げた。

 その声が――

 守るべき人たちの声が、風代カルラに力を与えた。

 ふらふらと幽霊のように揺れる体を前へ。


「づ……っ!」


 何もない空っぽの少女は、今この場で成さねばならぬことを成すために足を動かす。

 自罰も贖罪も関係ない。

 ただ己の胸の裡より湧き上がる正義心に従って、彼女は彼女の正義を貫いている。

 心は死んでいない。魂は燃えている。

 だが――


「きゃぁああっ!」


 振るった刀は容易くそらされ、代わりに胸の中心へ重い拳を受ける。先のように高熱を伴ったものではないものの、高い身体能力を有する描画師の拳は当然重く、肺に重い一撃を受けたせいでまともに呼吸ができず膝を折りそうになる。


「――づぅ!」


 それでも、折れない。


 鷹のように鋭く強靭な眼光で自分よりも遥かに大きい男を睨み返す。

 だけど……心だけでは、想いだけでは枢機卿(バルトルート)には届かない。


 現実は厳しい。勝てないものには絶対に勝てない。都合の良い奇跡が起きて、反則じみた勝利を手にすることもできない。

 枢機卿とは、そうした低い次元に存在する類の種族ではないのだ。


「どけ」

「うぅっ――ッ」


 無造作に払われ、カルラは吹き飛ばされて地面を転がった。ただでさえ汚れた赤い髪がさらに埃まみれになってしまう。服もまともではない。煤や汚れはもちろん、ところどころが焼けており、腹の部分は溶けている。さっき袖を切ったせいで、左右の袖の長さがバラバラだ。


「貴様はそこで見ていろ。かつての仲間たちが、無為に死んでいく様を眺めていろ」

「させ、ない……っ!」


 だが、女の子だというのに自分の格好なんてどうでもいいと言わんばかりに、各上相手に無謀に突っ込んでいく。

 そしてまた殴られ、蹴られ、投げ捨てられる。

 それでも折れない。負けていない。


「嫌だ……認めない……! まだ、死んでない、私はまだ……ッ!」


 そうだ。


「諦めたりしないッ! 力が強いだけの奴に、私は屈したりしないッッ! もう二度と、自分の弱さで誰かを死なせたり殺したりなんて、絶対にしないッッ!」


 諦めない。絶対に諦めてたまるか。

 今はもう顔も名前も忘れて、いたかどうかも定かじゃない『あいつ』の力強い目を覚えている。

 弱々しく、絶望に直面するたびにすぐ立ち止まり、……けれど最後には、必ずそれら無数の悲劇も地獄も奈落も踏破する、強く優しく凛々しい目を。

 誰よりも前を見据え、世界という巨大な概念にすら刃向かうどこかの馬鹿を、少女はその胸に刻み込んでいたから。


「だって、あいつ(・・・)なら絶対に折れないッ! あいつなら、こんな理不尽を前にして膝を折ってそれで終わりだなんて、そんなの絶対に認めないからッ! だから私も諦めないッ! たとえ四肢が千切れて体を焼かれて首だけになっても、噛み付いてでも止めてやるッッ!」


 今度こそ腕を振り下ろさんとした兄の脇腹に、全力の体当たりをぶちかます。柄尻で脇腹を殴ろうとしたところで、手を固定させていた布が(ほど)けて得物が零れ落ちる。刀が床に落ちる固い音を耳にしながら、ならばとカルラは弱々しい拳で脇腹を殴る。

 少年は体幹をぐらりと揺らすも、しかしすぐさま立て直す。へばりついた妹を無造作に引き剥がし、地面に叩き付けた。


「まだ、だァあっ!」

「……ッ」


 それでもまだ、絶対に折れない。

 その異常とも呼べる執念とあきらめの悪さに、バルトルートの表情が不快げに歪んだ。己が妹の蛮勇に、心を痛めつつも怒りが募る。

 貴様もそうなのか、と僅かに口元が動いたことに、カルラは当然気付いている。


「諦めないッ! 私は、まだやれる! これ以上、これ以上私の前で誰かが死ぬのは、もうッ……、もうたくさんなのよッ。だから、アンタもここで止めてやるッ!」


 何度地面に叩き伏せられようと、ゾンビのように立ち上がる。

 十、二十と。倒れては立ち上がりを繰り返した。


 決して負けない、やらせない。

 胸の奥が叫ぶままに全身を奮い立たせて紅蓮の王へと立ち向かう。

 何度殴られようと、叩きのめされようと、地を舐めさせられようと。

 それでも少女は諦めなかった。


 だって、そういう馬鹿(ひと)を知っているから。

 あいつの背中がその目に焼き付いているから。


 だけど、限界はすぐにやってきた。


「あ、れ……?」


 ずるり、と奈落の孔へと落ちるように膝が崩れ落ち、右半身から地面に叩き付けられた。

全身のどこにも力が入らない。熱された床の上で、死にかけた虫のようにつたなく手足を動かし、立ち上がろうともがく。


「なん、で……?」

「限界が来たか。まあ、どれだけ思いを奮い立たせようと、体が追い付かなければ終わりだ」

「……っ、ま、だ……」

「諦めろ。せいぜいそこで、仲間が灰となる瞬間に立ち会い絶望していろ。そうすれば、おまえ(・・・)は多分、楽になるから」

「絶対に、い、や……ッ」


 それ以上は取り合わず、紅蓮の王はカルラから視線を切った。力なく横たわる紫色の髪を持つ少女や、隙をついて爆炎を叩き込もうとしていた眼鏡の少年、そして先ほど徹底的に痛めつけた茶髪の少年。

 バルトルートは邪魔者を灰にするために、ゆっくりとそちらへ体を向けた。


「だめ、だめ……ッ。させ、ない……ッ」


 カルラの目の前で、絶望的なまでにつつがなく事態が進行していく。

 やめて、お願い。させるものか。絶対止める。

 そう心を燃やしたところで、体が動かなければ意味がない。

 思いだけが空回る。

 決意に肉体が追い付かない。

 少女の目の前で、バルトルートの右腕が煌々と光る焔を纏った。煌炎を纏うその腕が、天へと掲げられる。


「ぐ、ぅあ……ッ」


 傷つきボロボロになった体を無理やりに起こそうとするも、指先一つ動かない。


「やめ、て……その人は、きっと……きっと、私の仲間だった人なのよ……ッ」

「…………」

「やめろ……っ!」

「――――」

「やめろって、言ってるのよ……ッ!」


 カルラは全身に力を込めて立ち上がろうと必死にもがいているのに、やはり体は一ミリたりとも動いてくれない。


「言い残したことは?」


 バルトルートの質問に答える者はいなかった。圧倒的な絶望を前に体が動かない。心は折れていないし、抵抗する気持ちも、この悪辣外道を打ち倒してブリテンの人たちを守らないといけないとも理解しているのに、脳が停止してしまって、ただ紅蓮を纏う右手を眺めるしかできない。

 ――やめて。


「絶望で言葉も出ないか。哀れだな」


 誰一人として口を開くこともできず、ただ紅蓮の王から告げられる死刑宣告を黙って聞くことしかできない。


 ――私の目の前で、これ以上誰も死なせない。


「――目障りだ。()せろ」


 隠蔽の魔術を使い、バルトルートへの死角へ回り込み爆札を叩き込もうとかけていた千矢が、その企みごと爆炎に吹き飛ばされた。


 ――お願い、その人達はきっと、私の大切な人たちなの。


「今さら足掻くな。大人しくしていろ」


 蹲りながらも憎しみのこもった瞳を向けてくる千矢に一瞥をくれた後、再度草次へ向き直る。

 ――今は眠っている私が、何に変えても守りたいものなの。


「では――」


 ――だから。


「死ね」

「ああ、ああああああああ……っ。あああああああああああああああああああああ! ぐ、ぅううう……動けッ、動け……ッ」


 ――だから、絶対に、絶対に死なせない。絶対に、私が止めてみせるんだッ!


「ァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ! 動けええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!」


 そして、

 動いて、しまった。

 長刀を地面に突き立て、オールのように使って自分の体を前に出す。バルトルートのすぐ目の前に割り込むと、両手を広げて立ち塞がった。


 同時、バルトルートの魔手が振り下ろされる。

 もう止まらない。紅蓮の王の右手は確実にカルラを火だるまにし、少女は焦がれた誰かを思い出すこともなく、灰となって消える。


「ぁ――」


 間の抜けた声が喉の奥から漏れた。


 今度こそ終わり。


 幸運の割り込む余地などなく。


 奇跡は必然の前に膝を屈して。


 正義は邪悪によって焼き焦がされる。


 都合よく少女が染色に至り、この場を切り抜けるという王道も存在しない。


 ただ理不尽に、ただ不条理に、ただ不幸なまま。


 少女の奮闘は何の身も結ばず、ここに予定調和の悲劇が晒される。


 ――ああ、結局……私は、何も守れなかったな。


「ごめん……私は、」


 そんな諦観が心を覆った直後のことだ。


 ――嫌だ。


 ――こんな結末は認めたくない。


 ――また失うのも、彼の慟哭を見るのもごめんだ。



 そんな前向きな、しかしどこか昏い渇望が胸を満たして。











 ――『そうね、それは私も同感だ。だったらあなたに、少し力を貸すのも悪くないか』――











 いつか聞いたような少女の声が、頭の奥から語り掛けてきて、














「なに似合わねえ声出してんだよ、バカ女」














 響いた声は、悲劇を引き裂く希望の福音だった。





「――――ぇ?」





 カルラに語り掛けていた気配は安心したように霧散して、


 同時、彼女の喉から小さな困惑の声が漏れた。


 視線の先は、紅蓮の王のすぐ隣。



 ビキィィィイイイイイイッ――――――――ッッッッ! と。



 それは、硝子に亀裂が走るように。


 世界が絶叫を上げ、激痛を訴えているかのように。


 生じた亀裂、そこに見える無の空間から、一本の手が突き出ていた。







「お前が時間を稼いでくれなかったら、間に合わなかった」







 虚空より飛び出した左手に腕を掴まれた紅蓮の王の表情が(かげ)る。







「お前がいたから、仲間(みんな)を守れる」







 優しくあたたかな声が少女へかけられた直後――









「――処刑の時間だ、クソ野郎」









 冷たい声と共に、砕かれる世界。


 ガラスが爆砕するが如き轟音が、ブリテンの隅々にまで響き渡る。


 亀裂を広げ、宇宙を割って世界雲の彼方より処刑人が再来する。







「好き勝手やってくれたな楽園教会」







 可能性の海を飛び越え、世界を破壊し虚空より()ずるは黒髪の少年。

 不機嫌に歪められた両眼が、処刑(おわり)を言い渡すべく枢機卿(被告人)を見据えた。

 左眼の禍々しい反転目(はんてんもく)が、ギロチンの如く妖しく光る。






 今この瞬間、全ての中心が奪われた。


 あらゆる悲劇は此処で終わる。


 楽園教会が作り上げた恐怖劇に幕が下りる。


 終焉の弾丸は、その全てを撃ち砕くだろう。







「お前らの筋書き(じかん)はここで終わりだ」







 禍々しき破壊者(ヒーロー)が舞台に立つ。


 この地に滲みわたる、全ての悲劇を砕くために。


 たった一人で、無明の底で涙を流す少女を救うために。


 英雄譚(デウス・エクス・マキナ)の幕が上がる。







「そして、ここから先は俺の舞台(じかん)







 ぼさぼさの黒髪。


 ズタボロになった黒い衣服。


 全身に傷を負った少年が、ゆっくりと口を開いた。







「――『染色(アウローラ)』――」








 厳かに紡がれた祝詞は、処刑開始の合図となった。


 ここに、世界雲の彼方にて編み上げた、新たなる力を現出させる。


 枢機卿によって創造された地獄に、終焉を突き付けるための力を。







「――――『崩呪の黙示録(フェイト・オブ・アポカリプス)絶拳(ディエストラ)』――――」







 砕けんばかりに握った拳が業火の障壁を破り去り、バルトルート・オーバーレイの頬に突き刺さった。


 無敵を誇っていた少年が地面に叩き付けられる。


 無様に転がる紅蓮の王を見下ろして、その少年は凪いだ声音で静かに言い渡す。











「行くぞ、枢機卿――――」











 黙示録の処刑人、その帰還。


 ここに不条理は正される。


 あらゆる悲劇は否定され、世界は光を取り戻す。


















「――その紅蓮(地獄)、この黙示録(終焉)をもって撃ち砕く」






















 安堵友介が、帰ってきた。




☆ ☆ ☆




第九章 決戦 ――Decisive Aurora―― 2.砕かれた想い、



――――――――そして、回り始める英雄譚。


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