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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
165/220

第八章  今は語られぬ、赤い涙 ――Holocaust―― 3.胎盤形成

 普遍であり混沌でもある、薄気味悪い男に連れられ、バルトルートとカルラの二人は、奇怪な『孔』を通り、薄暗い空間へと招かれた。

 広大な空間だ。黒と白と灰の色で構成されたマーブル模様。見る人が見れば酔いかねない模様。部屋の中央には円卓があり、これもまた気味の悪いマーブルで彩られていた。

 円卓の向こうには一段高い上座があり、そこに五つの豪奢な椅子があった。一つは部屋と同じマーブル模様で、他四つは銀、紫、黒、白となっている。ただ、マーブル模様の椅子だけが、他四から離れた位置へぽつんと置かれていた。あの椅子に座る者は、他四人に嫌われているのだろうか?


「さあな? まあ、よくあることさ。あまりにも桁の異なる存在は、往々にして排斥されるってだけの話で、即ちこれは、特におかしな話ではないのだよ」

「……っ」

「そう怖い顔をするな少年。……おや、そろそろ私の裏技も使えなくなってきたか。すまない。俺はここで失礼する。後のことは、怖いおじさんが引き受けるゆえ、案ずるな。

 では、さらばだ。ぼくは貴様らに会えて良かったよ」


 そう言って、砂嵐のような男はまるで空気の溶けるようにして消え去った。

 その間際、男がカルラへ奇妙に笑いかけたように見えたが、それを尋ねる前に男は消えてしまった。


「……大丈夫か、カルラ」

「ん」


 煤だらけになってしまった妹の顔を軽く払ってやる。ぼさぼさの髪もある程度整えてやると、服に着いた煤もはたく。


「どうだ、カルラ。怖くないか?」

「怖い?」

「そう、だったな……」


 やはり、彼女の無機質な返答に消沈してしまう。あれだけの地獄を経験し、かつ奇怪な空間に連れてこられてなお、少女は恐怖を感じることが出来ないのだ。

 それでもバルトルートの心は、折れない。


「大丈夫だ、安心して。もう、俺たちはあの地獄から抜け出したんだ」

「うん、そうだね」

「…………っ」


 カルラの返答に、またも痛ましげな表情を浮かべるバルトルート。

 そこへ――




「貴方が、あの街で『彼』に拾われたという騎士の卵かね?」




 言葉よりも先に、身を押し潰すが如き重圧を感じた。局地的な重力変動により、地面へと強制的に叩き付けられるかのような錯覚。ただの言葉に、それほどの力があった。


「ぐ、ぅぶ……っッ?」


 否、否、否だ――。

 これは重圧などではない。真実、この辺り一帯では、理不尽なまでに凄まじい重力変動が発生していた。ただの言葉、挨拶ひとつで、その重みに世界が耐えきれず不可解な物理現象がここに起きたのだ。それは『孔』から漏れ出し人家の街を襲った混沌の泥とはまた異なる法則による現象だろう。

言葉が世界を屈服させたとでもいうべきか。

 強制的に跪かされる。


「ご。ぁ……ッ!」


 重圧に何とか対抗しようとバルトルートが体を持ち上げ、声の聞こえた方向へと視線を向ける。正面。上座であった。


「だれ、だ……ッ」


 顔を上げれば、上座に置かれた四つの椅子――その内の銀色のものに腰かける、優雅に微笑む美丈夫を見た。

 毛先の痛んだ少しくすんだ銀の長髪。物々しい印象を醸し出す眼帯。十五にも満たぬ子供を威圧するには十分な特徴をその身に持った男だったが、しかし――面貌に浮かべられた雅な微笑みが、そうしたマイナス要素を打ち消していた。

 いいや、少し違う。

 これは打ち消しているのではなく、共存しているのだ。

 衆生を慈しみ導く器を持ち、かつ強烈な闘争心をその心底で燻らせている。

 人の心が一つの側面しか持たないということはありえない。人間の心は必ず二面性を……それ以上の側面を持つ。だからこそ、人間とは合理的ではなく、不格好で不便で不完全な生物なのだ。


 そこで彼は気付く。

 そうした二面性を持たぬ、あらゆる行動が自明であり、合理の塊たる知性体としてこの世に生を受けた最愛の妹の存在を。

 そして。

 眼前の男が、己を放ってその妹へと関心を寄せていることに。


 ――やめろ、妹に手を出すな。


 そう警告しようとしたバルトルートだったが、しかし喉がピクリとも動かない。恐怖が糸となって声帯に絡みつき、まるで動けば殺すと言わんばかりに締め付けていた。妹を守ろうとする行為を、根底に存在する死への恐怖が、身体に埋め込まれた本能そのものが、拒絶する。いくら理性を振り絞り、妹の前に立とうとしたところで無駄なこと。心ではなく魂が、全てを背負う銀の秩序に屈服したのだ。

 指先一つ動かない。彼の使命感とは裏腹に、脳はあれの意識から外れろと、具体性の存在しない命令を下し続けている。


「そうか」


 厳かでありながらどこか親近感が湧いてしまう声に、やはり彼は身震いする。見上げることすら出来ぬほど超越的でありながら、しかしなぜかその声に甘えたくなってしまう。


「貴方はそうした機能を持っていないのだったか。これはまたどうしたものか」


 困ったな、などと凡人のようなセリフを吐く秩序の化身。

 そこへ、別の声がかかる。


「ククク……きひっ、アハハハ、おいおい、統神(ライブラモナルカ)様ともあろうお方が、子供のお守り一つできやしねえってのかい? カカカカカッ、こいつァ滑稽だねえ。いやいや、まるでコメディ映画でも見てる気分だよ」


 空間を引き裂いて現れたのは、軽薄な笑みを浮かべる金髪の男。銀髪の男と同じデザインの、紺の軍服を着ているが、趣味の悪い成金のような服装や口元に浮かべられた嘲笑が、彼の人間性の卑しさをどこまでも物語っていた。


 直感で悟る。

 あいつは、根っからの『悪』だ。毒々しくも包み込むような銀の光を持つ眼前の男とは大きく異なる。毒々しい紫色を連想させる。

 そうだ、毒――

 こいつは、世界の毒だ。

 存在するだけで他者を苦しめる。呼吸をするだけで、身じろぎ一つで人の人生は簡単に狂わされて終わってしまう。

 奴は生まれてきてはならなかった存在なのだろう。


 そんなバルトルートの心中の非難など知らぬとばかりに、紫の椅子に座る男は、銀の椅子に座る男と言葉を交わす。


「まあそう言うな、デモニア。俺自身思うところがあるのだ。あまり傷口を抉ってくれるな」

「カカッ、そいつは悪かった。どうも俺様は、自分より強い奴とか上の奴が何かできないことがあると喜んじまう小物らしいからな」

「貴方は人格さえまともであれば欠点などないだろうに」

「ハッ、欠点のない人間なんざいねえよ。ただ俺様の場合は、ちょっと致命的なだけだよ。ギハハハッ!」

「まあ何でも良い。――それで、デモニア。彼女を任せても良いのかな?」

「おうよ。任せろ任せろ。イイ女に仕上げてやる」


 そう言って、デモニアと呼ばれた男はカルラへと向き直る。

 見つめられたカルラは、やはり反応を返さない。


 一連の会話からその人間性を看破しつつも、ただ自明に全てを判断し、合理と効率を突き詰めた脳は、何を変えることも出来ない。

 あれに連れられてしまえば、確実に悲劇の底へと叩き落とされる。

 悲惨という言葉すらも生ぬるく、地獄(シュオル)という表現すら生易しい、隔絶した奈落(ゲヘナ)へと。

 それは自明であるというのに。


「来い」


 向けられた邪悪な笑みを眺め、さらに一歩奥の真理へ至る。

 これに逆らえば、より残酷な末路が少女を襲うだろう。これはそういう類の邪悪だ。己以外の全てを玩具としか思っていないため、玩具が自分の思惑を超えて動くことを想定していない。

 それで男の逆鱗に触れるのならば、まだ救いはある。

 しかし、彼はおそらく、そうした玩具の身勝手をこそ愛している。


 何故なら、その方が壊した時が面白いから。

 何故なら、人間とはそういうものだからだ。


 自我を持ち、意志を持ち、心を持つ人間は、絶望を目の前にすれば必ず抵抗し、思わぬ行動に出る。デモニアは、これまでの経験から、人間のそうした行動を知り尽くしているのだろう。

 そしてそれを、歓迎する。

 それでこそ人間、それでこそ知性体。

 ゆえにここで、この男に逆らうという行為だけはしてはならない。

 男の嗜虐心を刺激すれば、この先に待っているのは地獄ではなく破滅。終わり以外の何物でもないから。


 全てを理解し……そして当然の如く、彼女は人類最悪の男の後ろを付いて行く。

 当たり前だ。彼女は全てが自明で、それ故に葛藤も選択もない。ただ、あるがままに行動し、あるがままに生きる。そして死ぬだけだ。

 椅子から立ち、カルラを連れて部屋の出口へと向かうデモニア。


「あまり無碍に扱うな」

「承知。だが、荒療治も必要だろう? そのための俺様だからなァ。あんたにできないことは、しゃーねえから俺が担ってやるよ」

「……ああ、期待しているぞ。嫌な役を押し付けている自覚はあるよ。申し訳がないと、心底からそう思っているよ」

「カカカッ、おいおいやめろ。別に俺がやりてえからやってんだよ。これは適性の問題だ。テメエが苦手で俺様が得意。これはただそれだけの話だ。効率的に行こうや」


 デモニアがそう言葉を結び、二人は部屋を後にする。

 部屋に、秩序と紅蓮、二人の王たる男を残して。


☆ ☆ ☆


「さて――」


 カルラへ向けていた注意をバルトルートへ向けて、コールタールは歌うように言葉を紡ぐ。


「貴方がバルトルート・オーバーレイ。我が怨敵曰く、『紅蓮焦熱王(スルト)』と言うらしいな?」

「――――ぐ、ぁ……っ。あ……ッ」


 対してバルトルートは、呼吸すらままならなかった。

 視線を向けられただけで、体重の何倍もの重力がその矮躯を圧迫された。ただ見られただけだというのに、その行為に世界法則が屈服したのだ。


「苦しいだろうが、しばしそのままでいてくれ。俺はまだまだ未熟でな。己の力の制御がままならんのだ。力を制御するその力すらも封印されているがゆえ、こうして相手に不自由を強いねばならん」

「何を、言って……ッ」

「気にせずとも良い」


 秩序の覇王は己を強い眼差しで見上げる少年に深い関心と興味を惹かれていた。

 コールタール・ゼルフォースを前にして身も心も潰されず、原形と自我を保ったまま、あまつさえこちらを睨み上げるその胆力に、感嘆の念を抱かずにはいられない。

 生まれてから十年と少しを生きた程度の少年が、秩序の覇王の圧に屈していない。

 戦意を滾らせていたため漏れ出す圧の桁が違っているが、かの水底の海神(ジブリルフォード)ですらも、染色を展開することでようやく対等に会話できるようになったことを思えば、バルトルートを支える芯の強さが伺えるというものだろう。

 素材としては十二分――これは育つな。

 態度には出さないまま、銀髪の男は己を睨み上げる少年をそう評した。


「――それで、だ。貴方にはいくつか聞きたいことがある」

「だま、れ……ッ」

「ほう――」


 覇王の両眼が興味深そうに細められた。

 続けてくれ、貴方の胆力の底を知りたいと――どこまでも傲慢に観察する。


「カルラを……ッ、解放しろ。俺たちは貴様らのような外道に屈服しない」

「外道と来たか」


 何が可笑しいのか、罵倒されたというのに男はくつくつと笑っていた。

 口元の手をやり、上品な笑みを零す。


「それで? ならばどうする。ここは我らが城。端的に言って、貴方は敵地の中心にいる。加え、目の前には組織の長がいる。……さて、貴方は」

「貴様ら全員を焼き焦がして、妹とここを出るだけだ」


 目の前の存在に対する赫怒と恐怖が具現化し、手のひらに業火が形成される。

 地獄と化した戦場で、兵士を殺した爆炎の反射膜を全身に纏う。陽炎のように揺らめくそれは恐怖の象徴。炎を、武力を、戦争を恐れているからこそそれら全てを跳ね除ける炎魔の鏡。


「灰も残さず焼け焦げろッ」

「ククッ――面白い。ならば俺も少しばかり遊ぶとしよう」


 玉座にて迎え撃つ――秩序の覇王は愉しげにそう結び、殺意を撒き散らす紅蓮の王の卵へと微笑を向ける。

 余裕を張り付けたその顔面に、小さな拳が叩き込む。

 しかし、拳が皮膚に触れるその直前、天から莫大な圧が掛かり、伸ばした腕が()し折れた。


「ギ、ィ……ッ」


 人生で経験したことがない激痛と衝撃を受けて、少年の瞳から強制的に涙がこぼれた。噛みしめた歯の奥から、悲鳴にもならなかった軋んだ音が漏れ出した。

 拳を握り引き絞る。まるでそこに弦が存在するかのように、男の腕は射られる時を今か今かと待ち焦がれている。


「さて――では少し痛むぞ?」


 そして――それは矢のように空気を裂いてバルトルートの水月へと叩き込まれた。

 だがそれは悪手。バルトルートが纏う反射膜は、あらゆる物理的なエネルギーを爆炎へと変換して反射するというものだ。

 どれほどに凄絶な拳であろうと――否、その拳の完成度が高ければ高いほど、反射する爆炎が内包するエネルギーは上昇する。


「馬鹿、がァ……ッ! 焼けろッ!」


 直後、――爆破。

 業火が男の拳を焼き焦がす。人体を破壊するに十二分な威力を内包する爆炎をその拳に受けて――


「面白い」


 今なお業火に焼かれ、爆炎に押し返されている拳を無理やり叩き込んだ。


「なッ、――は?」


 爆炎を纏った拳は少年の反射膜をいとも容易く引き裂き、今度こそ水月に拳が入った。

 じゅぅぅぅぅぅうううううううううううううううううううううううう! と。

 焼きごてを押し付けられたかのような異音が自分の腹から響いてくる。

 全身から空気を無理やり押し出され呼吸困難になる。

 内臓がいくつか破裂したのか、喉から血液が大量に溢れ出した。ごぽごぽと泡と共に致命的な量の赤い粘液が吐き出されて――



「痛かったであろう? 今日はもう休むといい」



 次の瞬間には、拳を受けたことによって被った損傷が全て消え去っていた。

 まるで先の一幕が夢であったかのように、腹の火傷も息苦しさも潰れた内臓も、全てが元通りになっていた。

 ただ、床や服には夥しい量の血が残っていることから、幻術の中にいたわけではないとは分かるが……


「今日はこの辺りでやめておこう。またいつでも来るといい――存分に語り合おう。俺は貴方を気に入った」


 艶やかに微笑んで、男はそう結び玉座へと再度腰かけた。


「……ッ!」


 呆然としてほんの数秒自失していたバルトルートだったが、やがて自身が見逃されたことを理解するや、一気に後ろへ下がり距離を取る。

 そしてようやく、認識が現実に追い付き始めた。


 ――見逃された。


 一度殺されかけて、一瞬の内に身に受けた損傷を修復されて……

 全てを理解した瞬間、濃密な死の実感が胸の中心を襲い、全身から冷たい汗がぶわりと吹き出した。


「ぁ……ッ。あ……」


 恐怖――否、畏怖。

 目の前の存在が、まるで人間を超えた高尚な存在であるかのように錯覚してしまう。

 心が折れる、屈服しそうになる。


「ふざ、けるな……ッ」

「――――、」


 相変わらず愉しそうに微笑む男へ、紅蓮を纏う少年は真っ向から対峙した。


「必ず、その首を取ってやる……。ここで、貴様なんぞに屈服しない」

「期待させてもらう。俺も貴方も、存分に己が矜持をぶつけ合おう」


 それから、先と同じような応酬が何十度と続いた。


☆ ☆ ☆


 兄であるバルトルートが血反吐を何度も撒き散らしながら、楽園教会の首領たるコールタールへ戦いを挑んでいるその傍ら、風代カルラはデモニア・ブリージアの後ろを無感動について回っていた。

玉座の間から出て数分、人類最悪の人間に連れられて、少女は数多ある部屋のうちの一つの前まで来ていた。


 通されたのは、無骨な部屋。一辺二十メートルほどの、一人でいるには大きすぎる部屋であった。

 デモニアは空間を裂き、生じた穴へと右手を突っ込むと、一本の長大な刀を取り出した。全長で150センチほどの、少女の身の丈を超える長さを持つ無骨な日本刀。


「これ持って入れ」


 乱暴に投げられたそれを、少女は無表情のまま掴んだ。

 意志も感情も心もないがゆえ、刃物を恐ろしいと思うこともない。これからさせられることへの不安も、これから重ねる罪への恐怖も、その果ての罰にも、何ら興味などない。興味を持つ心が無い。

 部屋の中は模様一つない、純白の空間。そこへ、やはり少女は迷いなく足を踏み入れる。背後で扉が閉まる音が聞こえても、やはり関心は向かない、


『んじゃあ、これより鏖殺の騎士計画……ああいや、騎士団計画か? まあどっちでもいいわ。とにかく実験を始めるぞ』


 細かい注意点などは聞かなかった。意味がない。意味が分からない。

 両手で持つ長刀を出したり入れたりしながら、適当にアナウンスを聞き流す。

 ただ、やるべきことだけは少女の耳に残っていた。

 すなわち。



『――殺せ。殺して殺して殺し尽くせ』



「はい」


 少女の返答は、透き通るように透明だった。


☆ ☆ ☆


 純白の大部屋の扉付近に立つカルラは、無感情な瞳で前を見ていた。やがて部屋の中でブザーが鳴り響き、中央付近で床が左右に割れる。

 現れたのは、カルラと同じ年くらいの女の子。黒い髪と黒い瞳は彼女が純正な日本人であることを示している。

 ただ彼女の瞳にも、カルラと同じく感情の色が宿っておらず、欠落しているのか、あるいは極めて薄い反応しか示さないのか……どこか機械のような印象を与えてくる。


「…………」


 フリフリのドレスを着た姿は、おとぎ話の中のお姫様のようで可愛らしい。機械のような印象も相まって、どこか浮世絵離れした、あるいは作り物めいた美しさを内包している。

 人によっては人形が歩いているようにも見えるかもしれない。本能的に拒否反応を示してしまう人もあらわれるかもしない。とにかく、奇妙な少女だった。

 視線を下げれば、可愛らしいお姫様には似つかわしくない無骨なナイフを右手に握っている。明らかに無理やり持たされたそれを見て、カルラは反射的に右手の剣を構えた。


 これは殺し合いだと、すぐさま理解した。

 疑問も迷いも葛藤も何もなく、ただあるがままを受け入れ、これより惨劇を起こす。

 拙い構えであるものの、恐怖がないため力みや緊張は見受けられない。

 少女はナイフを手に持ったまま動く気配がない。対してカルラは自分の命を守るため、己の体よりも長い刀をふらふらと危なげに構える。

 奇妙な緊張状態が続く中で、ふと少女はこんなことを聞いてきた。


「あなたって……だれ?」

「……? 風代カルラよ」


 日本語が若干変な質問に、少女は一瞬答えに窮したが、ひとまず相手が求めているであろう返答をした。

 そして――

 タンっ、と駆け出す少女。ナイフを振り上げる小さな女の子は、しかし――


「ん」


 長剣によって一刀のもとに斬り伏せられる。共に殺しに関して素人であるため、間合いの差がそのまま生死の差に繋がることは特におかしなことでもなかったのだ。

 華奢な体からは想像も付かぬほど大量の血を零しながら倒れる黒髪の少女。手からナイフが零れ落ち、からんっ、と甲高い音を立てた。横たわる少女の腹を中心に、床に赤い染みが広がっていく。血だまりの中に沈む少女は、己を見下ろす赤い少女を見上げて、小さく口を動かした。


「どう、して……」


 身体から熱が消え去って行き、瞳孔が開く。やがて微かに脈打っていた胸の動きも浅くなる。ただ疑問に満ちた瞳が少女を捉える。

 だが、やはり……


「危ない」


 風代カルラの瞳には、罪悪感は愚か、目の前で死にゆく少女への憐憫すら微塵も持ち合わせていなかった。

 少女はそれ以降、肉塊と化した少女だったものに、一瞥もくれず部屋を後にした。


☆ ☆ ☆


 実験が終わりデモニアに部屋を宛がわれたカルラは、ベッドでお行儀よく座っていた。

 現在彼女は料理を待っている。何でもデモニアが飛び切りの料理を用意してやると言っていたが、少女は特に期待もしていない。

 ぼうーっとした表情のまま天井を眺めていると、入り口から慌ただしく誰かが入ってくる気配があった。


「カルラっ!」

「はい」


 心底からの焦燥で塗りたくられた声。今にも泣き出しかねない表情で、兄が転がり込むように部屋に入って来た。靴を脱いでバランスを崩しながら駆け寄る。

 涙を浮かべる双眸が少女の瞳を射抜く。赤髪の少年は今にも砕かんばかりの力で少女の肩を掴むと、縋りつくようにして疑問を投げた。


「カルラ、なあ……おまえ、お前一体何をやらされたんだ? なあ。あの男は、お前に何をさせて……ッ」

「人を殺してる」

「…………っ」


 逡巡無く即答した妹に、バルトルートは絶句した。


「おまえ、は……」


 言葉を絞り出そうにも、何を言っていいか分からない。

 頭の中で繰り返される疑問の数々。

 こんなにも、狂っていたのか?

 意志も自我も感情もないというのは、こんなにも悲惨なことなのだろうか。


 意志を持たず、全てが自明であるというのは、つまり与えられた状況において。最適な行動を迷いなく執行できるということ。

 日常生活を営むだけならば、少し不便な程度で済んだのだろう。自分たち家族が彼女を支え、ゆくゆくはいつか現れるはずだった彼女の想い人が彼女を支える。


 だが、風代カルラという少女が生まれ持ってしまった――否、持つことのできなかったがゆえに、極限状態において彼女は凶行を平然と行ってしまうようになった。人を殺そうとも何も思わない。殺すことに躊躇はなく、殺した者を振り返らない。

 そして、彼女が想い人に出会うこともない。

 心も感情も持たないのだから、人を好きになれるはずもない。


「……っ」


 するり、と。

 少年の腕から力が抜けて、妹の肩から流れ落ちた。

 小さく首を横に振りながら一歩、二歩と下がる。

 そうしてようやく気が付いた。

 地獄を駆け抜けて煤だらけになっていた服が、夥しい量の赤い液体で汚されていた。よく見れば肌にも赤い液体が斑のように付着しており……


「……ほんとうに、やったんだな……っっ」


 震える声を止められなかった。

 カルラを守り切れなかった。


「ごめん……ッ。カルラ……俺が、守らないとけないのに――」




「おーいっ、騎士ちゃァん。――飯持ってきてやったぞ。カカカカッ」




 邪悪の声が響き渡った。

 開けっ放しになったままの扉から入って来たのは、紫色の軍服を趣味の悪い成金のようにゴテゴテに装飾した金髪の男。

 喉の奥から、人の神経を直接引っ掻いて不快にさせるような笑い声を漏らしながら、そいつは二人の前に現れた。

 男は何やら手のひらサイズの容器を可愛らしい布で包んだ者を右手で掲げていた。

 発する異音に反して、相貌に刻まれた笑みは爽やかな青年のようで、それが余計に気持ち悪い。


「これからは一緒にいる時間が長くなるんだ。少しでも中を深めないといけねえからなァ。呵々」

「貴様は……ッ」

「おっ、これはこれは……バルトルート・オーバーレイくんか。こんな所で何してる?」


 とぼけたように手を振るデモニアに、バルトルートの怒りのメーターは簡単に振り切れた。


「それはこっちの台詞だァッ! 貴様、カルラに何をさせたァ!」

「カカカッ、そういきり立つなって。別にそいつを殴っても犯してもねえよ。安心しろ。お前の妹は汚れてない」

「――ッッ。よくもまあ、そんな戯言を吐けたものだ……ッ!」

「ヒャヒャヒャヒャ! そんなに小さいのに難しい言葉を遣えるんだねェ、ぼくゥ?」

「殺す……ッ」


 右手に紅蓮を纏いデモニアへ突貫する。灼炎が尾を引いた。

 目の前の男を灰にするために、業火が(あぎと)を開いて唸りを上げる。

 狭い部屋で使えば己もろとも吹き飛ぶだろうに、そんなことすら頭の中から抜け落ちていた。

 貫き手のように指を揃え、デモニアの喉笛目がけて槍の如く射出した。

 しかし――


「ガキは火遊びすんじゃねェよ、ばァーか」


 動作そのものは簡単だった。

 男が腕を振った――ただそれだけで、腕から赫怒の炎が消え去った。


「な……っ」


 纏った業火が消えてしまえば、後に残るのは小学生の細い腕だけ。

 弱々しい拳を横にずれるだけで避けられ、バランスを崩したバルトルートは無様に床を転がる羽目になる。

 壁に背をぶつけて息が詰まっているところへ、デモニアが声をかけた。


「カカカッ、間抜けな顔晒してんじゃねえっての。そもそも俺様はテメエの妹に飯を届けに来てやっただけだ。いちいちキレんじゃねえよ。礼ぐらい言ったらどうだよ? カカカッ」


 愉悦にまみれたその声は、羽虫の群れが羽を擦り合わせているかのように不快だ。

 生理的に嫌悪感を抱かざるを得ないような、聞く者全てに負の感情を思い起こさせるような、そんな声。


 バルトルートは立ち上がると再度拳を握り直し、目の前の巨大な邪悪へ立ち向かわんとする。

 しかし、それを遮るように男が手のひらをかざし、


「おいおい待てよ。俺様にゃァガキをいたぶる趣味はねえ。さっさと退けって」

「白々しい……ッ。カルラを虐めているのは貴様だろうッ!」

「カカカッ、まァそれもそうだがよ。だがまあ、それよりもお前には、他に戦わねえとならねえ敵がいんじゃねえのか?」

「――――ッ」

 デモニアの言葉に、バルトルートの動きがほんの一瞬静止した。

 生まれた意識の空白へ、男はさらに言葉を捻じ込む。


「分かってんだろ? 俺様は結局元凶じゃねえって。その女を真に守るなら、そこから掬い上げるなら、俺様みてえな小物じゃなくて、もっとデケエ存在を叩かねえといけねえことなんてよお」

「……コールタール・ゼルフォース」

「正解正解、ご名答! あいつはお前のことを気に入っているはずだぜ? あの後どんな会話をしたのか知らねえが、まだまだ互いの正義を語り合い切れてるとは思えねえんだがなあ」


 そう言うと男は刻んだ笑みをさらに邪悪に深めて、


「ってなわけで――邪魔だ」


 パチン、と軽く指を鳴らした直後、バルトルートの体が何かのスイッチを切り替えたかのように、一瞬にしてその場から消え去った。

 飛ばした先はコールタールの死角。

 どうせ先も仲良く殺し合っていたのだろうしちょうどいいだろう。

共に崇高な目的を持った者同士、存分に殺し合っていればいい。あの少年を枢機卿に迎え入れるには、こうするのが一番手っ取り早い。

 数年も同じことを続けていれば、そのうちにあの男も『楽園』に対して理解を示し、共に歩むことになるのだろうから。


「呵々、カカカカ……ぎははははははははははははははははははははッ! 結局あいつも、最終的には殺しに走るわけだ。……いやまあ、もともと資質はあったかァ」


 ゲラゲラと下品に笑いながら、男は手に持った手にひらサイズの物体を掲げてカルラへと近づいた。

 不思議そうに見上げるカルラの膝に、布に(くる)まれたそれを置いてやる。


「そら、今日の晩飯を弁当にして届けに来てやったぜ? そして聞いて驚くなよ。こいつァ俺様の手作りだ。ああ、別に礼とかは良いからな。俺様がやりたくてやってんだ。これから仲良くするんだし、これくらいはさせてくれ」

「はあ……ありがとうございます」


 さして心の込められていない感謝だったが、デモニアがそれに気を悪くした様子はなく、ただ期待に満ちた顔で布を解くように促す。その様は本当にただ弁当を届けに来ただけの親切な男性のようで、つい先ほど小さな女の子に殺人を強要した男と同一人物には到底見えない。

 受け取ったカルラは特に反発もせず、可愛らしく結ばれた布をしゅるりと解く。中にあったのは、やはり目の前の男からは想像もできない、小ぶりな花柄の弁当箱だった。


「これくらいで足りるか? 足りなかったなら今度から増やすことにするわ。何つっても、食料を捨てちまったもんでなァ。カカカッ」

「いえ、これで大丈夫です」


 蓋を開けると、中にはウインナーやハンバーグ、それに卵焼きや白米なども入っていた。

 どこからどう見ても普通の献立だ。

 悪意も邪性も感じられない、ごくごく平凡な料理。


「いただきます」


 味も普通――それどころか、母の手料理と遜色がなく美味と言えるものであった。もちろんカルラはその味に好悪を抱くことはできないが、味だけを比較すれば劣っているわけではない。

 ウインナーやハンバーグは変わった味がしたものの、不味いというほどでもない。


「ごちそうさまでした」


 するすると喉を通っていき、気が付けば食べ終えていた。

 蓋を閉めて律義に布を綺麗に縛るとデモニアに返す。

 金髪の男は満足そうにそれを受け取ると、一瞬の間、その頬に邪悪な笑みを張り付ける。

 しかし、カルラの視線がそちらへ向いていなかったため気付かれることもなく、笑顔から邪性が消えた。カルラの瞳に映ったのは、人の良い笑みを浮かべるデモニアだけ。


「んじゃ、今日はこれくらいで。これからはテメエの反応を見ることもねえし、弁当箱は次の日に返してくれりゃァいいぜ? じゃあぐっすり眠れよ」


 そう言って、人類最悪の男は部屋を後にする。

 やはり、カルラには見えぬよう邪悪な笑みをたたえながら


☆ ☆ ☆


 二日目以降も当然、彼女は人を殺す実験に付き合った。一日中時間があることもあり、一日で殺す人数も五人へと増えた。彼女の体力の問題もあり、一つの実験(さつじん)が終われば長い時間の休憩が取られてはいたが、それが常軌を逸したものであることに変わりはない。十歳程度の少女にさせるものではないし、そもそもこのような非人道的実験が存在していること自体間違っている。


 それともう一つ、この実験には冒涜的な点が存在した。

 少女が殺す相手が、常に同じ少女だったこと。細胞レベルから一致した人間を、少女は殺し続けていた。

 つまりは、クローン人間の製造をも行っていたのだ。

 それも殺されるための素体を作り出し続けていた。人の命を実験の材料程度にしか感じていないその精神性は、はっきり言って異常だった。


 そして、カルラが被検体として進められていたその計画は、一年が経った頃には大きく様変わりしていた。


 カルラが殺害する少女は、より高度な戦闘が可能としていた。おそらく、そういう知識なりプログラムなりを脳に埋め込まれたのだろう。

 そして当然、カルラは殺されるわけにはいかず、彼女たちに呼応するようにして強くなっていく。

 日を追うごとに剣の冴えが磨かれていく。繰り出される一刀は絶死のそれ。必殺の閃きが、無垢な少女たちを切り捨てていく。

 ただ合理的に、ただ効率的に。

 今日のタスクはこれ。今日のノルマは何人。一ヶ月で何人以上殺しましょう。


 淡々と作業をこなす少女に、止まる気配はない。

 耳を打つ絶叫に、眼前で行われる拙き命乞い。

 そうしたものを聞いたとて、少女の瞳に揺らぎはなかった。その相貌に陰りは見えない。迷いはない。

 故に悲劇は続いていく。


 だが。ああ、しかし――

 結局は、彼女は人形に過ぎなかった。

 デモニア・ブリージアの『毒』は、既にカルラに盛られていたのだ。


 そして――その毒は、その四年後に弾けることとなる。


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