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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
164/220

第八章  今は語られぬ、赤い涙 ――Holocaust―― 2.始まりの地獄Ⅲ

 ここで、カルラとバルトルートの暮らした街について語ろう。


 安堵友介と空夜唯可は『中立の村』と呼ばれる都市で育った。正式名称は陣花市。岐阜県のとある地域にある、科学と魔術が共存を果たした一種の理想郷。法則戦争によって世界が二分された中で、究極に近い答えを出した街。

 風代カルラとバルトルート・オーバーレイも同じ街で暮らしていた。もっとも、住んでいる地域が異なるため、友介と唯可、そしてカルラが顔を合わせたことはない。街中ですれ違ったことなどはあったかもしれないが、しかし――少なくとも、顔を合わせて話したことなど皆無であり、この時点ではまだ三人の物語は交差していない。


 ともかく、この四人は皆同じ街で暮らし。




 そして、同じ地獄を経験した。




 中立の村で発生した悲劇。

 科学圏と魔術圏の軍隊による衝突。

 大気が焼かれ、大地が焦げるあの紅蓮の悲劇。

 まるで示し合わせたかのように両軍が流れ込んできたあの戦争。


 では、その原因は何なのだろう。

 なぜあの大量虐殺が起きてしまったのか。

 なぜ――唐突に戦争は再開したのか。


 一つの理由として、あの年代が、最も戦い激しかったというものが挙げられる。

 次に西日本帝国と東日本国の両国が、陣花市の所有権を虎視眈々と狙っていたという背景も存在しただろう。

 だが、『中立の村』というあだ名から分かる通り、あの街に関しては両国の間で不可侵の条約が結ばれ、仮初とは言え平和を約束されていたのだ。

 陣花市の美しい在り方。科学と魔術の共存というそれは、人々の希望にもなっていたから。

 だから、危うい均衡にあるとはいえ、何かのきっかけ無くては均衡が崩れることはなかったのだ。

 綱渡りのような平和でも、平和に違いはない。

 だから、そこには、理由がある。

 両国が殺し合いをするに足る、巨大な波紋が。


☆ ☆ ☆


「キハハハハッ、やっと見つけましたぞォ? 安堵暮人(くれと)――奴の(せがれ)かァ」

「ふむ……哀れな鬼だな。己が誰の手のひらの上で踊らされているかも分かっていないらしい。しかしまあ、あなたとここで激突することで友介が地獄に落ちるのならば、あのいけ好かない男の策に乗るのも一興か」



 そうして、世界のどこかで心象と心象の激突があった。


☆ ☆ ☆


 その日も、いつもと同じだった。

 風代カルラは兄と共に途中まで下校して、いつもの交差点で別れた。

 笑顔で手を振る兄にカルラが応えてから、無表情のまま反対を向き歩き始める――ちょうどその時だった。


「――これは」


 目の前に、『孔』があった。

 黒と白と灰の色で彩られたマーブル模様の小さな孔。円形のそれは、まるで向こう側にも空間があるように見えて……だからこその、『孔』


「あなだ」


 少女の脳は一瞬にして答えを出した。

 そして。



 目の前で、その孔が急速に膨張を始めた。



 向こう側(・・・・)から漏れ出す、科学にも魔術にも該当しない異界法則。

 炎が地面を(・・・・・)濡らしている(・・・・・・)

 溢れ出した水が(・・)、進路上にあるものを悉く切った(・・・)

 吹き荒ぶ風は(・・)家屋を燃やし(・・・)

 そして、天空へと迸った光は(・・)爆音を発して大気を燃やしていた(・・・・・・・・・)。しかも、爆発のような一瞬の燃焼ではない。閃光の軌跡は、木を燃やす炎のように燃焼を続ける。


 彼女の脳は当然それを危険な現象であると全会一致で理解。合理的の判断の元、恐怖も何も感じず、ただ生命を守るために背を向けて全力疾走した。


 そんな彼女の様子などとは関係なく膨張を続ける混沌の孔。溢れ出す異界法則は、既に世界を侵食しつつある。

 自然法則が塵と化す。

 宇宙が滅茶苦茶な概念に振り回される。

 これを混沌と言わずして何と言うだろう。

 隕石が地下深くから墜ちてくるという現象を、いったいどう受け止めればいいのだろうか。

 被害は徐々に、徐々に広がっていく。


 小さな地獄が、形成されていくも――しかし、五分ほど経つと、その怪現象は収まった。

 特定地域における被害は甚大であったが、被害の範囲そのものは狭い。

 これが2010年代ならば、原因不明のまま大きな事故程度で済まされただろう。それなりの被害を出し、謎が残るとはいえ――所詮は一定地域における火災ということで落ち着いたはずだ。孔の膨張も、ほんの五分程度で収まったのだから。


 だが、時代が悪かった。

 問題はその後に発生したのだ。

 街の一角で光の柱が空へと昇り、火事が起きている――

 両国がそれを侵攻の合図だと勘違いしたとして、いったいどうして責められようか。

 たとえあの街が消し炭になろうとも、ここを失えば劣勢に立たされるだろうことは両国とも理解していたから。


 そうして地獄が始まった。

 叫喚がひび割れる。空は炎に焼き焦がされた。大地に血が滲み、人々の絶叫は留まることを知らない。

 助けて、助けて。誰か私を助けてください。

 謳い上げられる絶叫賛歌。悲鳴は合唱となって空気を震わせ、冥府の歌劇を演出する。

 死の際に奏でられる悔恨が天に届くことはない。


 安堵友介、空夜唯可、風代カルラ。

 三人の運命がこの時交錯する。


 悲劇によって物語ははじまる。

 未だ邂逅の時は遠いが、しかし――確かに運命は駆動を始めたのだ。

 真なる理不尽、混沌から始まった悲劇が三人を襲う。

 そして、これより語られるは第三の道。

 陣花における最後の悲劇を語るとしよう。


☆ ☆ ☆


「カルラっ!」


 膨張する『孔』からの闘争は成功したカルラを次に襲うのは、魔術師と無人兵器、そして友介たちが被害を受けた場所では存在しなかった機械化兵士――即ちサイボーグとの戦闘だった。

 逃げ惑うカルラは、彼女を探していたバルトルートと合流すると、彼に手を引かれ建物と建物の間を隠れながら進んで行く。未だ火の手が絶望的なまでに広がっていないのが不幸中の幸いだった。

 とはいえ立ち止まっていればすぐにでも二人へ火の手が迫り、彼らを瞬く間に炭へと変えることだろうは想像に難くなかった。


「……ふざけるなよ……ッ」


 カルラの手を引くバルトルートの喉から、普段の優しく温厚な彼からは想像も出来ぬほどドス黒い怨嗟の声が漏れ出した。


「カルラ。絶対に生き延びよう。俺が守るから。まずは母さんのとこへ行こう! ここから近い! 助けないと!」


 そして、走って。

 走って。

 走って。

 走って。

 そして――――


「ぁ……――」


 バルトルートは、それを見てしまった。

 燃え盛る我が家。これまで母と暮らしてきた小さなハイツ。小さいながらも、とても居心地の良かったそれは、今や火だるまと化していた。

 だが、彼にとってはそんな事すらもどうでも良かった。

 玄関の前で丸焦げになった二つの焼死体。

 それが――ああ、それが誰だか分かってしまって。

 だから、そう……



「お兄ちゃん。あれ、ママとパパ」



 ああ。妹はこんな悲劇にも、心を痛められないのか。


「――――……ッ――ッ!」


 この地獄の中に来てようやく、バルトルートは己の妹が根本的に欠けていることを思い知った。淡々と述べられた事実が痛い。両親が塵のように炭となって打ち捨てられているのに、彼女は何も思わないのか。悲しくないのか。


「お兄ちゃん、逃げよう。ここはもう、危ない」

「……ッ、ああ……」


 その紅蓮を目に焼き付ける。火だるまになった我が家、そしてその前で死んでいる両親。きっと父は母を助けるために家の中に入って、そして……守れなかったのだろう。まるで寄り添い合うように、死の間際になってようやくもう一度同じ時間を過ごせたのが、唯一のささやかな幸福だったのかもしれない。

 少年はたった一人の家族となってしまった妹を守るために、両親から背を向けた。


「付いて来て」

「うん」


 手を引かれて、そして走った。

 目に焼き付く、紅蓮、紅蓮、紅蓮。

 ああ、炎がどんどん強まっていく。まるで昼のように明るい。

 逃げ場なんてあるのだろうか。分からないが、逃げるしかない。

 この子だけは失えない。この子だけは守る。

 たとえ心がなかろうと、それでも、唯一残されたただ一人の家族であることに変わりはないのだから。

 悲鳴が木魂する。


 ――この炎を、許してはならない。


 銃撃音が炸裂する。


 ――戦争を、根絶やしにせねばならない。


 魔術が発動し、広範囲が焼き尽くされた。


 ――いとも簡単に人を殺すことのできる、こんな時代は終わるべきだ。


「クソ、くそくそ……くそ……!」


 怖い、迫る炎が怖くて仕方ない。

 怖いからこそ、こんな炎を根絶やしにしたい。


「カルラ、こっちだ……!」


 たとえ、何を犠牲にしてでも(・・・・・・・・・)



 カルラには、当然兄の心の機微など分からない。そもそも心を持たない彼女に、人の心が分かるはずがない。

 だから彼女は、手を引かれるがまま走っていく。


「こっちだ!」

「……」

「頑張れ! 絶対に逃げられるから!」

「……」

「隠れてて!」

「……」


 カルラを物陰に隠し、行く手を阻んでいる兵士へ向かって兄が立ち向かって行った。敵の装備を奪い取り、奪った銃器で脳天をぶち抜いた。

 返り血で顔が真っ赤になったが気にしない。人を殺した感覚に吐き気がしたが、それ以上のものが胸の奥深くから湧きあがって来るのを彼は感じていた。


「ほら、もう大丈夫だカルラ! 来てくれ!」

「うん」


 兄の奮闘がどれほど過酷なものなのかも分からないまま、カルラが後ろに付いて行く。

 途中で、何度も何度も人を殺して、そして――


「ぐ……っ! くそ!」


 小学生でしかないバルトルートでは限界があった。

 七人目の兵士との戦いで、不意を打って銃を奪い殺すという作戦は失敗した。これまでの彼の戦い方を見られていたため、対策を取られていたのだ。わざと騙されたフリをして、小細工を弄する少年をおびき寄せた。

読み合いは相手の勝ち。そして、奇襲が失敗すれば、あとはただの敗北だけが待っている。

 彼の命運はここで尽きた。


「調子に乗りやがって! このガキ! ぶっ殺してやる! 見えてねえフリをしたら、ものの見事に騙されやがった! やっぱガキだな!」

「黙れよぉ!」

「お前を殺した後は、隠れてるガキだ!」

「……ッ!」

「知ってるんだぜえ? その物陰にチビの女が紛れ込んでることくらいよお。お前をぶち殺したら、顔の真ん中に鉛玉ぶち込んで、綺麗な花を咲かせてやるよ!」

「お前ェ! ぶっ殺してやる!」


 かつての妹思いの少年から、どんどんと変わっていく。ゲラゲラと笑う下品な兵士に感化されるように、少年の優しかった部分が削ぎ落とされていき、憎悪が心を塗り潰す。

 カルラはそれを、何の感慨もなく見ることしか出来ない。

 優しかった兄が失われていくことに苦しみを覚えることも、たった今死の淵に立つ兄を助けようとも思えない。

 少年の怒号が右から左へと抜けていく。少女の心は動じない。


「ハハ! ははははは! 死ねよガキィ! 社会の……この戦争の、厳しさを知れええええええええええええええええええッ!」


 死ねない、死ねない死ねない。

 こんな所で死んではならない。

 こんな塵屑共を、許してはならない。

 憎い。憎く憎く恨めしい。

 どこまで行っても度し難い。

 銃口が少年の口へ押し込められる。引き金に手を掛ける音を聞き、少年の心が恐怖に震える。


「リューをやったのがお前だってことは知ってんだ! 絶対殺してやるからな。出来得る限りの絶望を与えてなあ!」


 兵士の絶叫を聞き、ようやく少年は気付いた。こうして死の間際に立ち、先まで殺した六人が、同じ恐怖に晒されていたことに。

 彼はきっと、バルトルートが殺した六人の内の誰かの仲間か、あるいは友だったのだろう。仲間がバルトルートに殺されるところを目撃し、そして怒りを抱いた。たかが一人の子供を殺すために、策を弄するほどには激昂していた。


 ここにきてようやく、彼は真実に至る。


〝誰かを守ろうとする行為は殺し合いすらも生み、それ故に戦争はなくならない〟


 そうして悟った。

 これが、間違ってしまった者の最期。

 ありきたりな優しさに囚われてしまった、終わり。

 ああ、そうか。


「これが、報い、か」


 少年はそう気づき、そして……




「――――ふざけるな」




 赫怒の炎が、その全身から迸った。

 同時、引き金が絞られ弾丸が射出されるが――

 恐怖は死すらも拒絶した。

 弾丸は少年の口の中に突如として生まれた反射膜によって阻まれ、その運動エネルギーを丸ごと爆発へと変えて男を襲う。


「ぎびッ、ぎぃ、いぎぎぎっぎぎっぎぎぎぎっぎぎ……ぎゃあああぁァァああああああああああああああああああッ!? なんだ、これ? なんだこれ何だこれ何だこれええええッッ? い、いたい。いでぇえええ! あづ、いぎゃ、いぎゃぎゃぎゃぎゃッ!?」

「そんな道理が、まかり通ってなるものか」


 黄金色(こがねいろ)の瞳が光る。そこにかつての優しい色はどこにもない。ただ、焼き焦がし燃やし尽くすという強烈なる覚悟だけが覗いていた。

 穏やかに妹を見守る面貌はもはや紅蓮の業火のその向こう。


 憎悪を薪にし、怨嗟を燃やす永久機関がここで産声を上げた。

 未だ生まれたての赤子のような心象でしかないものの、彼はこの時、覚醒したのだ。

 心に芽生えた感情の正体を理解する。

 激怒に赫怒、憤怒に瞋恚(しんい)。もはやその根底は、真っ赤な炎で焼き尽くされた。

 心象世界に映す景色は燃え盛る陣花の街。奥に巣食う深層心理は天地を焦がす地獄の窯と化している。


 それでもなお、彼は未だ妹を守るという覚悟を忘れたわけではない。

 しかし、その彼女の顔が徐々に徐々に――

 この炎への怒りと恐怖によって燃やされていく。

 だが少年はそれで構わないと思っていた。

 今は、ただ――


貴様(・・)は死ね。俺が貴様の代わりに、戦争の存在しない新世界を生み出してやる。だから、安心して逝けよ。

 紅蓮の中で散華しろ(・・・・・・・・・)


 命乞いなど聞く気はない。

 こいつらは戦争の走狗。こいつらを殺し尽くして世界を救おう。この恐怖を分かち合うことで、戦争の恐ろしさを全人類に教えてやる。


「ぁぁっぁぁぁああああ! ぎ、いや、たすけ――――」


 小さな少年の右手から溢れだした業火が男を包み、消し炭にした。


「は、ァ……ッ。この世界に、平和を……」


 いつか。


「いつか、カルラが安心して暮らせるように。そして、俺達家族が味わったような悲劇を生み出さないために……ッ! 滅ぼす殺す。焼いて燃やして焦がしてやる。この戦争ごと、灰にしてやる……ッ!」


 口調が変わる。陣花市を焼く炎に対する憎悪と恐怖によって、優しい彼はいなくなる。

 ただ、それでも――


「……逃げるぞ、カルラ」

「お兄ちゃん、終わったの?」

「ああ。もう安心しろ。大丈夫だ。カルラは、俺が守るから……」

「そっか。分かった」


 どこまでも悲しい少女。彼女は、兄が変わってしまったことを嘆くことも出来ない。彼の変化に気付けても、彼の変化を悲しいとは思えない。

 もう、優しかった彼には会えないというのに。

 これからもケーキを譲ってくれたり、彼女の面倒を見てくれたり、弁当の美味しいおかずを分けてくれたりしてくれることに変わりはないだろう。

 ただ、きっと、もう――そこにかつての暖かさはない。

 そしていつかは、なくなるのだ。


 母と父は死んだ。

 そして彼はこれから変わっていく。全てを燃やす復讐の巨人に。

 でも妹は、そんな兄を慮ることも出来ない。ただ自明に、合理的かつ効率的に生きていくだけ。

 変わらなかった妹は、変わったことにも気付けない。

 優しい日常は帰らない。

 あの誕生日のパーティは、ただバルトルートを苦しめるだけの記憶へと堕した。

 窓に四角く切り取られた夏の空は、炎の向こうへ投げられた。

 お弁当なんてきっと、二度と食べることはないだろう。

 頭を撫でてくれた両親はもういない。優しく穏やかに、妹のために我慢できる少年は、平和のために戦争屋を殺す復讐者と化した。

 ありきたりな日常にヒビが走り、木っ端微塵に砕け散った。

 それが、少年には酷く苦しく悲しく虚しい事実で。


「く……っ、う、うぅっ、うぁああ……ッ!」


 守り切った妹の前で、胸を抑えて膝から崩れ落ちた。

 もう戻らない――それがどうしようもなく実感できてしまったから。

 不愛想でも変わらず愛しい少女。

 そう、変わらない目の前の妹。彼女の存在が、どうしてもかつての思い出を刺激して、だからこそ、失われた日常の尊さを知った。


「なんで、なんでなんで……っ」


 己の邪悪さに絶望する少年に、しかし……彼の希望はどこまでも合理的で、冷酷だった。


「お兄ちゃん。ここは危ないから、早く立って。走ろう(・・・)」

「ぁ――――」


 その的確な判断が、どこまでも苦しい。

 慮っているわけでもなく、ただ事実として命の危険が迫っているから、逃げようと。

 甘えも逃避も許さぬその在り方。

 ああ、ああ……どうして世界はこんなに残酷なのだろうか。

 どうして、どうしてこんなにも理不尽なのだろうか。

 不条理が渦巻いていて、不幸は突然やって来る。

 もう無理だ、耐えられない。

 俺ではこんな世界に勝てない。運命なんてものを、燃やすなんてできそうにない。

 だから、ああ。どうか。


 頼む、誰でも良い。

 お願いします。

 俺はこの戦争を止めるから。

 何が何でも、この世界の悲劇の一つを消し去って見せるから。

 人を守るために、人を殺す――そんな矛盾は、俺が止めるから。俺が最後の矛盾になるから、だから頼む。お願いだ。



 誰か、この世の理不尽を、不条理を、不幸を。




 世界と運命を、木っ端微塵に破壊してください。




 もしもヒーローがいるなら、人類(おれたち)を救ってくれよ。




 世界と運命に負けない、この世の悲劇や地獄の悉くを撃ち砕く、最強の英雄(ヒーロー)






 今はまだ会うことのない破壊者(ヒーロー)に、少年はそう願う他なかった。


☆ ☆ ☆


 バルトルートは再度妹の手を引き、走った。

 カルラに、バルトルートの心で燃える憎悪の炎は分からない。

 どこまで行っても平行線。決してまじわることのない、兄妹の絆。

 つまるところ、少女は愛情というものを未だ知らなかった。


「――久しぶり、二人とも」


 そんな時だった。


「少年、一つ聞かせたまえ。君は、この地獄が憎いか?」


 目の前に、そいつが現れたのは。


「どうだよ、答えろよガキ。お前は、今この地獄に落とされて、どう思ったんだい? 憎いと、そして怖いと……そう思わなかったのかな?」


 絶えず口調が変わり続け、全身から砂嵐のような音を立てている男。どこまでも平均でありきたりで、普通で普遍で特殊性の欠片もない、どこにでもいるような平凡な男。

 ああ、それ故に異常性が際立つ。平凡過ぎて個性がない。ありきたり過ぎて、まるで群衆を人型に押し込めたような……そんな奇妙な存在が立っていた。


 顔は今でも思い出せない。カルラもバルトルートも、その男のことを、一ミリたりとも覚えていない。それ故に、記憶の中の男の容姿は、テレビの砂嵐のようなアンノウンとして描かれていた。まるでそこだけ、世界にぽっかりと穴が空いたように。


「答えないか。まあいい、仕方ない。俺自身、胡散臭いという自覚はある。何せ、このように刹那刹那で口調が変わるのだ。これほど信用の出来ない者もいまい」


 故に、と男は付け加え、


「用件だけを述べよう。


 君たちを、助けよう」



 少年は頷く。

 この男は信用ならないが、それでも……今この場での安全だけは保障されていると、そう確信したが故に。


「――俺は、この地獄が憎い」


 その礼として、少年は答え損ねた問いに返答した。

 男が笑う。



「寿ごう。俺はおまえたちを歓迎する。

 楽園を目指し、共に行こうじゃないか。

 貴様の憎悪を我が怨敵の矛としろ。

 さすれば、願いは叶えられるだろうよ。

 ――君の妹も、私が全力をもって保護してやる」



 それは新たなる地獄のはじまりであったが、転機であることに違いはなかった。

 秩序の覇王の夢のため、彼に着いていくことになる少年にとっては、この出会いは紛れもなく光明であったことに違いはない。

 だが――逆に。

 風代カルラにとっては、この時こそが、絶望の幕開け。

 そう、ここまでは兄妹の話。兄に視点を寄せた、悲劇の幕開け。その序幕。

 地獄は、悲劇は、ここからだ。

 さあ、では。これより――風代カルラ『誕生』の話をしよう。


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