第三章 地獄に救い 6.思い
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パソコン買ったらもっと更新速度上げるのでちょっと待って下さい。ごめんなさい。
「……」
次に目を開けた時、安堵友介は元の時代に立っていた。すなわち、あの地獄から四年後の二〇四四年に。
技術省の屋上から眺める景色は数瞬前となんら変わっておらず、安堵友介は、空夜唯可をヴァイス=テンプレートから守るような構図で立っていた。
ただし、安堵友介の中に渦巻いている感情は、つい先ほどまでのものとはまるで変わってしまっていた。
(俺は……)
友介は思ってしまう。数秒前なら、こんなこと考えもしなかっただろう。
(本当に唯可を助けるべきなのか……?)
ドッ! と心臓の鼓動が速く、重くなった。
「あなたの家族は、今あなたが守ろうとしている人間によって殺されました」
そうだ。
直接手を下したのは唯可ではない。
あんな状況では仕方がなかったのかもしれない。
他に選択なんて取りようがなくて。
自分の母か、赤の他人どちらを救うのかと問われれば、誰だって前者を取ってしまうだろう。
あの映像を見る限り、あの場での諸悪の根源は間違いなく目の前に立つ男、ヴァイス=テンプレートだ。
けれど。
彼女には選択肢があったはずだ。
友介の家族を助けることが出来る位置に立っていたはずなのだ。安堵友介には出来なかったことが、空夜唯可には出来たはずなのだ。
唯可に怒りを覚えることがお門違いだなんてことは分かっている。
この憤りが理不尽なものであるのも承知済だ。
彼女は——空夜唯可はあくまで被害者でしかなく、抗えない運命の元で翻弄されていたに過ぎなかった。強大な力を前に何も出来なかっただけだ。むしろ彼女のその選択は、間違ってなんていなかった。
最後の最後まで悩んだ。
己の母が死に瀕し、ようやく決断するまで、彼女は悩み続けた。
(でも……)
結局彼女が選んだのは、『友介の家族を殺す』という選択だったのだ。
それを——
「それを……その理不尽を許していいのですかな? 彼女のその罪を。何の償いもしようとしていないくせに、あなたに守ろうとだけはしてもらっているそこの魔女を、あなたは許しても良いのですかなあ?」
悪魔の囁きが聞こえる。
本来なら耳を貸すべきではない。
けれど今は、その声がいやに心地よかった。
「俺は……」
「あなたはどうするべきなのでしょうかねえ? 私を殺すのは、まあ確定でしょう。しかしその前に、あなたの後ろにいる魔女の罪。そちらを先に裁くべきではないのでしょうか?」
「お前が見せた映像が、真実だとは……思えない」
「本当に?」
「……っ」
「本当にあれが、私が作り出しただけの幻術だとお思いですか?」
「……ッ!」
「ならば確かめてみれば良いじゃないですか。あなたの目は特別なんでしょう? ならば、私をしっかり観察して、今のが嘘なのかどうか確かめればいい」
そんなこと、言われるまでもなかった。現実に戻ってきた瞬間にすでに終わらせていた。
結果は……友介が望んだものではなかった。
「確かに私は幻影魔術……つまり幻を見せる魔術は得意です。朝のあれも、それの一種ですし。けれど、そんなものを見せて何になるのです。あなたは嘘を見抜く。ならば、ただの幻を見せても無駄でしょう?」
そうだ。
友介の右眼があれば、嘘の映像を見せられた所で、術者の表情を見ればそれを看破することは可能だ。
ヴァイス=テンプレートは先の戦いから友介の眼が特別な物であることを知っていた。ならば、そんな無駄なことはしないだろう。彼は人類の中でも最低の部類の人間だが、頭が悪いわけではない。
だから。
あれは全て真実。
紛れも無い事実で、本当にあった過去で、空夜唯可の犯した罪だ。
安堵友介の家族が殺された原因は、空夜唯可にある。
彼の全ての不幸が唯可のせいでないことは分かっている。
「そうら。振り向け。そこにお前の敵がいる」
耳を貸すな。
あいつは敵だ。
友介の祖母を殺した張本人で、友介の後ろにいる唯可を殺そうとした悪党だ。
では唯可は? 彼女は悪党ではないのか? 排除すべき邪悪ではないのか?
「く、そぉ!! クソッ! 意味分かんねえよッ! 何なんだよ一体っ!!」
頭の中がグチャグチャになる。
まともな判断が出来ない。
混乱でおかしな気分になった。
誰が敵で、誰を殺すべきで、誰を守るべきなのか——その全てがリセットされたような気がした。
「だから簡単な話でしょう? 空夜唯可とヴァイス=テンプレートが敵で、あなたが守るべきなのは自分自身。この事件は、最初からそういう話だったのですよ」
友介は、吸い寄せられるように体を唯可に向けた。
自分の体なのに、誰かに操られているような感覚だった。じゃないと、
唯可に銃口を向けたりなんかしないはずだ。
「そう。それでいい」
今の友介には唯可の表情が見えていない。彼女を意識の外に弾き出してしまっている。彼女が何も喋らないのが原因だろうか。あるいは、ヴァイスの言葉に操られてしまっているのか。
自分のことが分からない。
結局自分はどうしたいのだ?
何がしたいのだ?
何がしたかったんだ?
「…………ッ」
友介の喉から、擦れ、震える呼気が漏れ出ている。
恐怖からか、混乱からか、悲しみからか、怒りからか、喜びからか。
意味の分からない感情が息と共に吐き出されていく。
引き金に添えた人差し指に、僅かだけ力を込めた。まだ弾丸は発射されない。けれど、これをあと数センチでも動かせば、それだけで唯可の脳天に小さな孔が穿たれるだろう。
引き金を引く直前、友介は一度だけ唯可の顔を見た。
「————ッ」
そして——。
乾いた音が鳴った。
硝煙の臭いが友介の鼻についた。
引き金は目一杯引かれ、弾丸は確かに射出された。
友介は死んだような目で唯可を眺めて、ヴァイス=テンプレートへ語りかける。
「………………い、だろ」
ギリ……ッ、と静かに歯を噛みながら、友介は声にならない声で呟く。
呟きはやがて、多大な怒りと共に絶叫として吐き出されていった。
「出来るわけないだろうがァ!!」
唯可のすぐ近くの地面に小さな孔が穿たれていた。煙が上がり、その煙の合間から唯可の顔が見え隠れする。
結局友介は唯可を撃てなかった。彼女を殺すことが出来なかった。
でも、仕方ないだろう。
だって。
だって彼女は、泣いていたんだから。
大声を上げるでもなく、すすり泣くのでもなく、命乞いもせず、謝罪するわけでもない。
ただ、両目から涙を流していた。
静かに——本当に静かに泣いていた。
口を小さく開け、友介を見上げながら。
つー……、と。機械のように涙を流し続けていたのだ。
その顔を見て。もうどこにも自分の味方はいないのだと悟ったような顔をした唯可を見て。
殺せるわけがなかった。
そんなこと、安堵友介の心は許してはくれなかった。
「なぜ」
ヴァイスが短く問うた。
「なぜ殺さない?」
「……分からねえよ」
「なに?」
「分からねえって言ってんだよッ! 俺でも分からねえよ! 普通なら殺すんだろうよ。引き金を引いて、家族の仇を討つんだろうよ。でも出来なかった……出来なかったんだよ……!!」
友介は血が滲むほど強く拳銃を握る。
「こいつの顔を見た瞬間に、殺したくないって思っちまったんだ。理屈じゃない。何でか知らねえけど、思っちまったんだ」
「……おかしいでしょう。その顔を、見れば見るほど殺したくなるでしょうに」
「ああ、きっと俺はおかしいよ」
でも——と。
彼はとても辛そうな——泣きそうな顔で続けた。
「しょうがないだろ……殺したくないんだよ……。唯可の選択に納得したわけじゃねえ。唯可の選択が俺の家族を殺したわけじゃないと、そんな風に考えることなんて出来ない。あの選択は間違いなく俺を不幸にした」
でも。
だけど。
「だからってこいつを殺せるかどうかは別の話なんだよッッ! 例えばここで、唯可を憎み切ることが出来ればどんなに楽だったか!! こいつに怒りと殺意をぶつけることが出来ればどんなに幸せだったか!! 衝動のまま引き金を引いて唯可を殺すことが出来ればどんなに救われたか!! こいつの選択を悪と断じ、罰だと称してこいつを殺せたなら、俺はこんな風に悩まなかっただろうよ。苦しむこともなかっただろうよッ!!」
でも。出来なかった。
楽な道に逃げることなんていくらでも出来たはずなのに。
それをしても、誰も責めはしないはずなのに。
友介はそれをしなかった。いや、したくなかった。
空夜唯可を殺したくなかった。
「簡単じゃないんだよ……。お前が思ってるほど、俺の心は単純じゃないんだよ」
人の心にはたくさんの面がある。
それは、一人の人間に対して抱く感情にしても同じだ。
どんな人間も、誰かに対して怒りや憎しみなどというただ一つの感情しか持たないわけではない。ふとした時にその人の良い面を見て、穏やかな感情を覚えたりすることもあるだろう。
ただ悪いだけの人間がおらず、ただ良いだけの人間がいないのと同じように。
一人の人間に悪感情だけを抱く人間というのは存在しない。
世のカップル達が喧嘩をするように、親しい仲の人間だって仲違いをすることだってあるのだ。
そして、それは友介も同じだった。
確かに彼女の選択には納得がいかない。
憎しみだって無いわけではない。怒りが湧いてこないのかと言われれば、それは違う。
でも、それよりも。
彼女を守りたい。
彼女を助けたい。
彼女を救いたい。
何よりも。
彼女と一緒にいたい。
これからの人生を、彼女と共に過ごしたい。一緒に生きて、楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、嫌なことも——そういった当たり前のことを共有していきたい。そう思う気持ちが、唯可に対する怒りよりも、何倍も、何十倍も、何百倍も強い。ただそれだけの話だった。
「俺は唯可が好きだ」
己に叩き付けるように。
唯可への気持ちを正直に告白した。
「怒りはある。憎しみも存在する。でもそれ以上に、俺はお前が好きだ」
いつしか、友介の心の中から魔術師のことなど消えていた。
今この場には、安堵友介と、空夜唯可しかいない。
己の命を脅かす存在が背後に立っていることなど、今はどうでも良かった。
どうせすぐに消える。
「ちょっと待ってろ」
「あ……」
唯可が何かを言いかけたが、友介はそれを振り切って背後に立つ魔術師に向き直る。
「今からお前を助けてやる。……けど、それはお前のためじゃない——」
少年は唯可に向けていた拳銃を、目の前に立つ魔術師に向ける。
そうして挑みかかるように、彼は宣言した。
己の、戦う理由を。
「——唯可を失いたくない俺自身のために、持てる力の全てをぶつけるッッ!!」
一雫。
少女の片目から、流したことのない色の涙が零れた。
次からようやくバトルです。




