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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
151/220

第六章 枢機卿、稼働 ――Cardinal error―― 7.協定と暗躍

 それからも蜜希の指示通り夜のロンドンを駆けた二人は、やがてバッキンガム宮殿に辿り着いた。

 バッキンガム宮殿。

 かつてブリテンが南北に分かれていなかった頃は、外周警護を担当する近衛兵の交代儀式を見ることも出来た観光名所でありながら、女王の公邸と執務の場としての一面も持っていた。しかしそんな歴史ある宮殿は、空襲や魔獣の進撃により半壊していた。在りし日の威光や近寄りがたい格も、全てが踏み躙られてしまっている。


『余談だけれど、かつての王族は「行方不明」となっているらしいわよ』

「戦争で死んだのかな……」

「あるいはどこかへ逃げたのかもしれんな。どちらにせよ、その真実を知ることは不可能だろう」


 そして何より、知る必要もない。王族の行方を突き止めたところで、この絶望的な状況を打破できるわけではないのだから。

 今ここいない誰かに割いていた思考を切り捨てて、草次と千矢、そして一歩離れた位置で二人の背中を眺めていた涼太がゆっくりと門に近づいていく。


「ま。て……」


 巨大な門の前まで来たところで、千矢に背負われた白髪の少年が、弱々しい声で引き留めた。


「扉は、ぼく、が……あける……」

「いや、さすがにその怪我じゃ……」

「いいや、大丈夫、だ……」


 草次の忠告を無視し、騎士服を鮮血で染め上げた痛々しい姿のウィリアムが、荒い息を吐きながら必死に手を伸ばし門を押す。弱々しい力だったが、何らかの魔術的な細工が施されているのだろう――門はひとりでに開いた。軋んだ音を立て、草次たち三人を招き入れた。


「宮殿内部に入れば、僕が、案内を……――」


 必死に意識を手繰り寄せて何かを伝えようとしたウィリアムだったが、言葉の途中で糸が切れたように、再度意識を失った。


「どうする?」

「どうするもこうするも、進むしかないだろう」

『建物内には監視カメラがないらしいから、警戒を強めて。音声だけでは状況を掴めないわ』

「了解……っ」


 つばを飲み込み、敷地内へと足を踏み入れる。

 遮蔽物のない空間をはやあしで渡ると、壊れた壁から内部へ潜入した。

 中は当然もぬけの殻。生活の気配も公務の名残りも、この宮殿には存在しない。

 ひょう、ひょう、と。

 物寂しい風の音が間断なく聞こえてくる。その中に、人の声や息遣い、足音などは混じっていない。ただ三人分の床を叩く音だけが廊下を反響して二人の耳に戻ってくる。

 かつては豪奢であったのであろう半壊した宮殿の中を練り歩く。十分ほど歩き続けて、ふと草次が訝り始めた。


(――誰もいる気配がない。まさか俺たちが一番乗り……?)


 ウィルから聞いた話では、外宮――即ちバッキンガム宮殿――に集まるよう命令したのは、彼ら円卓の騎士の首魁たるディリアス・アークスメント=アーサーであるとのことだ。

 それから約三十分ほどが経過した現在。指定された集合場所に誰も到着していないなど、ありえるだろうか。


 ――何かの罠か? それとも既にブリテンの最高戦力は楽園教会に蹂躙された後なのか……?


 嫌な想像が脳を侵食し、全身を悪寒が貫いた。根拠のない不安が鎌首をもたげる。

 その矢先のことであった。


「君たちは――」

「――ッ」


 草次が息を呑み、千矢もまた警戒を露わにして声のした方向を見た。涼太が静かに糸を構え、インカムの向こうでは蜜希が警戒心を引き上げる。

 声は正面から。暗闇の向こうから溶け出すように、その男は現れた。

 紫紺の邪剣を腰に提げた、麗しい壮年の騎士。


「先ほど戦った少年たちか」


 ルーカス・オーフェウス=ガラハッド。

 つい数時間前に対峙し、命を懸けた殺し合いを演じたばかりの相手。今は状況が変わっているとはいえ、心底から湧いてくる恐怖や警戒を抑えることはできなかった。

 対するルーカスは、ウィルの酷い状況にほんの一瞬苦く重々しい表情を浮かべ、そしてそのすぐ後には油断なく三人を見つめいていた。


「なぜここへ来た……? まさか、この機に乗じて我々を討つ気か?」


 ざわりと全身から闘気を放ち、腰に下げた紫紺の剣の柄に手を掛ける。


「――――ッ」


 常人なら気絶しかねないほどの圧を与えられ、草次と涼太、二人の体が反射的に動く。草次は右手をギグケースへ、涼太は気付かれぬように糸を展開しようと指を微動させ、


「待て」


 ただ一人冷静なままでいた千矢が一歩前に出た。片手で味方を制した千矢は、敵意や害意を何ら感じさせないような落ち着いた声音で目の前の騎士に語りかけた。


「すまない。後ろの二人は極限状態で冷静さを欠いているが、俺たちはここに戦いに来たのではない。お前たちの仲間――俺が背負っているこの少年を運んできた」

「……そうか。すまない。そうとは思ってはいたが、一応確認を取らせてもらった」


 謝罪とともに手を剣から離し、殺気を霧散させた。

 それを受け草次と涼太もまた警戒を解き、中途半端に宙を泳いでいた手を下した。

 自身の仲間が交戦の意志を収めたことを察すると、千矢は会話を再開させさらに話を膨らませていく。


「構わない。この状況ならば当然の判断だろう。ただ、ここに来たのはそれだけが目的ではない。あなたたちに提案があるんだ」

「提案……? なんだそれは」

「この騎士が先ほど、俺たちに共闘を申し込んだ。この国を守るために、共に奴ら――楽園教会を倒してほしいと」

「そうか。それで……君たちはその申し入れを受けるつもりでここへ?」

「その通りだ。改めて俺からも頼む。奴らを叩き潰すために力を貸してくれ。後ろの二人は知らないが、俺はこう見えて限界が近い。今すぐにでも奴ら全員をぶちのめし、その死体を引きずりまわしたい気分なんだ」


 我を失った草次をなだめ、唐突に始まった枢機卿同士の戦いから逃げるようにここへ来た。本来ならば激昂して真正面から爆弾を投げつけ殺したかったが、彼は勝算がないことを理解していた。故に、彼は冷静であるよう努め、敗北や全滅を避けるために憎悪を押し殺して行動していたのだ。

 だがそれも、既に限界に近い。

 千矢は楽園教会に対し並々ならぬ憎悪を抱いている。彼の妹を非人道的な実験に利用され、その絆は引き裂かれた。

 許すわけにはいかない。必ず殺すと誓った。

 それほどの憎悪を抑えつけて、彼は今ここに立っている。

 ルーカスは千矢の瞳の奥にある燃えるような劇場を垣間見ると、納得し――


「閣下が待っている。あの方が君たちを受け入れるかは微妙ではあるが、ひとまず案内するとしよう」


 ルーカスは上司であり幼馴染でもある男の難儀な性格を思い出し、憂鬱に息を吐いて歩き出した。


☆ ☆ ☆


 ルーカスに案内され、草次たちは宮殿の地下へと繋がる通路を歩いていた。

 とある部屋の本棚の裏に隠されているというベタな造りではあったが、本棚が動いて隠し扉があらわになるそのギミックは、草次の笑顔を引き出すには十分であった。


 一定間隔に並ぶランプに照らされた薄暗い通路を、三人は無言で歩いて行く。緩やかにカーブを描いて下方へと延びるその通路は、おそらく螺旋状の造りをしているのだろう。

 二十分ほど歩き、ようやく扉が現れる。

 扉自体は簡素なものだ。両開きの木製の扉で、特に頑強な印象を与えてこない。

 とはいえ、見た目通りのおんぼろではないだろう。草次も千矢も、そう警戒していたのだが、


「入るぞ」

「ああ」


 ギチギチと嫌な音を立てながら扉が開かれる。中の光が漏れ出し、その奥で――



「ようこそ、『円卓の残滓(サーズ・キャメロット)』第二拠点へ。

 私は現最高権限者にして指揮官、アーサー王の名を賜りしディリアス・アークスメント=アーサーだ」



 白い円卓の上座に座る金髪の男。

 純白の騎士服を血で染め上げたボロボロの風体。しかし、刃物を連想させる鋭い瞳や、腰に差した一振りの黄金剣、そして英雄に類する者だけが発する、凄まじいまでの純粋な覇気が、その傷や着衣の破れすらも迫力へと変えていた。

 彼らは現状、敗北という状況にいるはず。しかし三人から見て、禍の英雄から敗戦者特有の匂いは感じられなかった。

 ただただ、圧倒的。

 草次はその姿に、人の皮を被った巨人を幻視し、他二人も同様であった。


「円卓には三人分の席が空いている。ウィルをそこに寝かせて好きな場所へ座りたまえ」


 ディリアスが視線を向けた先に、簡易的なベッドがあった。


円卓の残滓(サーズ・キャメロット)』第二拠点。ここは何らかの異常が発生し、キャメロット城に円卓の騎士たちが集えなくなった際に集合することとなっている、通称『外宮』である。

 本拠地であるキャメロット城を失った際に、作戦会議や休息などの戦いに必要な準備を整えるための臨時的な拠点となる場所である。

 草次と千矢、そして涼太が席に着き、ルーカスがディリアスの背後に控える。場の準備が整ったところで、救国の英雄は厳かに切り出した。

 その声を聞いただけで、二人の全身が引き締まったかのような錯覚があった。


「まずは仲間を救ってくれたこと、感謝する」


 鉄のような声だった。

 鋼鉄のような声音には、責任感と信念の二つだけがあった。


「それで、閣下。どういたしましょう。此度もまた、我々だけの力で国賊を討つおつもりで?」


 次いで口を開いたのは、赤髪の女性。騎士服をきっちりと着こなした固い印象を与えてくる女だ。腰に佩いた西洋剣を優しく撫でながら、彼女は敬愛の眼差しをディリアスへと向けていた。


「――……」


 問われたディリアスはしかし、即答しなかった。

 黙考したまま、彼はふと視線をベッドで浅い寝息を立てるウィルへと向けた。白髪の少年は年若い可愛らしい少女に看病されており、目を開ける様子がない。


「その前に質問がある」


 きっかり一分経ち、英雄はようやく口を開いた。


「聞くが、貴殿らは安堵友介と共に我が国へと不法入国した賊で間違いないか」

「え、そ、それは……――」

「その通りだ」


 向けられた視線に焦りを見せる草次に黙るよう視線を向け、千矢がよどみなく答えた。


「俺たちは仲間を助けるためにここに来た。あなたたち円卓の騎士との戦闘は副次的なものでしかない。楽園教会に連れ去られた風代カルラという女を取り返すためにこの国へ入った」

「なぜここへ?」

「ここに奴らが潜伏している可能性が高かったからだ」


 実際その予想は当たっていた。カルラもそのほかの枢機卿も、そしてデモニア・ブリージアという名の邪悪すらも、この国の見えないところで絶望の手引きを整えていた。


「そこであなたに提案がある。もっとも、これはあなたの部下からの申し出なのだが――」


 千矢は一度言葉を切ると、ゆっくりと息を吐いて、


「力を合わせて奴らをともに叩き潰しましょう」


 胸の奥底から溢れ出す憎しみをひたすらに抑え付け、極めて落ち着いた声音で続けていく。


「アーサー王の名を賜りし騎士、ディリアス・アークスメント=アーサー殿。あなたの噂は聞いている。国を守るためであろうと、他国の協力を拒否すると聞く。昨年起きた、二本由来の騎士団『天下布武』との戦争においても、あなたはその協力を拒んだらしいな。何でも魔術圏統合同盟――通称『九界の調停局(エニエスグラム・オピニオン)』――からの応援要請すらも切り捨てただとか」


 一部の者からは狂人扱いされる為政者、それが俺の知るあなただ――と千矢は付け加える。

 千矢の言葉に、ボニーが咎めるような視線を向けるも、ディリアスがそれを手で制する。


「本来ならばあなたにこんな提案など意味がないのだが、今は別だろう?」


 ディリアスは現在全身に傷を負った重症の状態であり、その中でも最も目立つのが脇腹の切り傷だ。とは言えその傷もすでに塞がっている。完治には程遠いが、これ以上の出血や悪化などはありえないだろう。固有度の高い染色を持つ彼は、肉体の再生能力が侵食度の高い染色を発現した描画師よりも肉体の機能が上等であるのだ。

 だが、千矢が目を付けた傷はそちらではない。肩に刻まれた銃創。あれが何を意味するのか、それが分からないほど彼は愚かではなかった。


「あなたは既に安堵と戦闘になったはずだ。奴がキャメロット城に囚われていたことは俺たちも把握していた。そして、あの男が牢屋に入れられて大人しくしているタマとも思えない。スカしているように見せて、その実奴は単純で熱血な馬鹿だからな」


 そうなれば、あの傷は十中八九友介が刻んだ傷だ。先日のジブリルフォードとの戦いからも分かる通り、描画師と対抗できる者など、描画師以外にありえぬのだから。状況的に見て、あの傷をつけたのは友介と見て間違いないだろう。


「貴殿は、私が彼を殺したとは思わぬのか?」

「そうだとすればあなたは俺たちをここに招き入れないだろうし、その態度からあなたと奴は和解とはいかないまでも、双方納得のいく決着を付けたと見える」

「…………」


 千矢の鋭い指摘に何も答えないまま、ディリアスは先を促した。


「それで心変りがあったのか、あるいは単純に理想を掲げている場合ではなくなったからなのかはわからない。ただ、あなたが俺たちをここに招き入れている時点で、既にある程度俺たちへ心を許していることは容易に想像できた」

「何が言いたい」

「とぼけるな。初めから俺たちを受け入れるつもりなんだろう?」


 納得したようにうなずく涼太に対し、草次は何も分かっていないかのようなまぬけな表情を浮かべている。が、千矢はそれらを無視してディリアスだけを見ていた。

 対する英雄は小さく息を吐き、何かを思い起こすように静かに目を閉じた。


「貴殿が先ほど言った通り、私は国外からの支援を断ってきた。それは、単に私の夢――即ち独りよがりなこだわり故の行動だ」


 そして、その決定によって失われる必要のない命が、決して少なくはないと知っている。

 もっとも――彼はそれを反省はしても、悔いたことなど一度もないが。

 あらゆる全ての失敗や犠牲は、進むために乗り越える。

 見知らぬ民の犠牲も、肩を並べた友の喪失も、愛した妻の死も、大切な息子との決別も。

 それら全て、彼は乗り越えてきた。ここk炉の奥底の無意識がそれを拒絶していようとも、乗り越えたと己に言い聞かせて進んできた。


「この国を救うため、その方針を変えることは今後も絶対に来ないだろう」


 断言。

 その『絶対』という言葉に、妥協も見栄も、覚悟すらもない。

 あるのはただ、事実だけだった。


「だが――」


 重々しい逆説の単語をはくと共に、その青色の(まなこ)が開かれる。刃物のように鋭い目が、川上千矢と草加草次、そして安倍涼太の瞳へと突き刺さる。まだ成人もしていない少年たちは、それだけで寒気が全身を襲う。


「この戦争は、些か度が過ぎている。戦争などという、国家レベルの話など大きく逸脱してしまった。おそらく世界中の誰もまだ理解していないであろうが、この『宵闇』は世界という枠組みの崩壊の始まりになると、私は予感している」


 これがこの国だけの危機ならば、ディリアスはこれまで通り円卓の騎士の力だけで立ち向かっていたことだろう。

 だが、ディリアスはそれを否と断じた。

 これは、世界を巻き込みかねない悲劇の始まりであると、そう確信しているのだ。


「国ではなく世界の危機ならば、そのこだわりを適用する必要はないと?」

「不本意であることには変わりないがな」


 彼のこだわりの本質は『国民が己の足で立ち、己を信じられるように彼らを導く』という部分にある。故に、世界的危機であろうと国家の危機であろうと、他の力を借りることは不本意なのだ。

 しかし、今は円卓の騎士の内三人戦闘に参加できない上に、その他の一般兵すらも城に残されてしまっている。

 いいや、そうではない。

 言葉を飾り、事実を脚色する愚はやめるべきだ。

 単純な話だ。



 敵が強すぎる。



 楽園教会と円卓の残滓(サーズ・キャメロット)の間には、明らかな格の違いがある。

 円卓の残滓(サーズ・キャメロット)は楽園教会に勝てない。

 奴らは〝異常〟だ。

 ディリアスは内心にあった僅かな虚栄心を捨て、ありのままに告げた。


「私たちだけでは勝てない。だから、貴殿らの力を貸してくれ、グレゴリオとやら」

「……っ」


 静かな――それでいてマグマのように煮えたぎる激情を孕んだ覚悟を告げられ、三人は完全に圧倒されてしまった。


「……ああ」


 だが、彼らも伊達に修羅場を超えてきていない。心を奮い立たせ、力強く首肯した。


「そうか。では頼む」

「だが、良いのか? 俺たちは安堵友介とは比べ物にならないくらい弱いぞ。あいつは描画師だが、俺と安倍涼太はただの魔術師、草加に至っては身体能力が高いだけのアホだ」

「アホは言い過ぎっしょ!?」


 アホの悲痛なツッコミは無視し、千矢は核心を突く。


「となると、痣波か」

「そうだ。が、貴殿らもまた必要な戦力だ。よろしく頼む」


 そう言って、英雄は立ち上がると、千矢の元まで歩き手を差し出した。


「これは?」

「友好の証だ。握手を求める」


 その瞳には、皮肉や虚飾の類の感情はなかった。ただ、共に戦う同志への真っ直ぐな気持ちだけがあった。

 先まで腹を探り合い、その前に至っては友介と殺し合ったというのに、だ。


「なるほど、やはりあなたは紛れもなく英雄だ」


千矢は一人納得して、その手を取った。


☆ ☆ ☆


 二人分の足音が、奇怪な混沌模様の世界の中に響き渡っていた。

 たった二人。

 無窮に広がる黒と白と灰で構成されたその空間を、たった二人だけの男が並んで歩いている。

 物体が何もない、吐き気を催すような色彩が塗りたくられたそこは、宇宙と同じだけの体積を持っている。

 それもそのはず、ここもまた『宇宙』であることに変わりはないのだから。

 星はない。ブラックホールも超新星爆発も。

 それでもここは宇宙だった。

 ただ、一つだけ補足しておくと、ここは世界雲に登録された『可能性世界』でもなかった。


「城が遠くに見えるな。不安だったりするかい?」


 二人の男のうち、常時その姿かたちが変化している方が口を開いた。


「いくらおまえが強かろうと、これから戦う敵は規格外。人外という言葉すら生ぬるい化け物だが、覚悟はありますでしょうか」

「無論」


 答えたのは、傷んだ長い銀髪をなびかせる眼帯の男だ。

 安堵陽気とコールタール・ゼルフォース。

 並んではならない二人が、互いに殺す隙を伺いながら仲睦まじく言葉を交わす。


「もう一刻もなく訪れるであろう己を取り戻す戦いを前に、血が滾って仕方ない」

「劣勢なのに?」

「劣勢だからこそだ。勝てる戦いに興奮が入り込む余地はない。血沸く戦いというのは格上と相対し始めて得られるもの」

「なるほど。道理だ。まあ、ぼくにはさっぱり分からないが」

「ならば貴方(きほう)にもいつか教えてやろう。近いうちに」

「結構だ」

「そう言うな。趣味や娯楽は多ければ多いほど良い。何事にも興味を持ち、そして全力で取り組む。全ての分野で頂点を取る。目に付いたあらゆる全てに関心を向け、そして極めること。案外悪くないものだぞ?」

「またそれか。説教……とは少し違いますね。激励、あるいは覚醒の誘発といったところかね。まあ、俺以外にやってくれたまえ」

「残念だ。では、〝これ〟が終われば、戦いの楽しさを教えるために、一つ殺し合おう」

「断るに決まっているだろう? 戦闘狂はこれだから困る。その封印も、実はあえて受けたのではと疑っておりますよ」

「そうかもしれん」


 小さく笑い、コールタールは目の前にあるマーブル模様の空間を――その先にある、〝敵〟の座す『場』へと思いを馳せ、獰猛な笑みを浮かべた。

 それは、食料を前にした乞食のような笑みにも、血を求める吸血鬼のような笑みにも、血に飢える獣のような笑みにも見えた。


 総じて、飢えている。そして、我慢している。


 目前に迫る決戦が楽しみで仕方がない。

 これより始まる戦争を前にして、滾る戦意を持て余していた。

 口が三日月に割けた。犬歯が血を求めるように光り、隻眼が残忍さと高貴さを滲ませて眇められた。


「さあ、もうすぐだ。どうか俺を圧倒してくれよ? 俺はそれすらも背負ってみせるから」


 あと一度、強力な心象と心象の激突があれば『孔』が空く。

 ゴキリッ……、と無意識に指を鳴らす。


「ふふ……おまえが一番狂っていると、ぼくは思うよ」


 嘲笑交じりのその声も、既にコールタールの耳には届いていない。

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