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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
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第六章 枢機卿、稼働 ――Cardinal error―― 3.狼煙

 安堵友介が染色を発動した直後、シャーリンは光り輝く粒子に全身を包まれた。視界が白で埋め尽くされ、やがて視界が開けた時には、それまで見ていた焦熱地獄とは全く異なる景色が広がっていた。

 建物の屋上のようで、西北西の方角には城壁が奇怪なマーブル模様に変色したキャメロット城まで見える。その隣に建っていたはずの『塔』は既に消えていた。

 キャメロット城を中心に大量の黒い犬が方々に散っていくのが見えた。途中、出会った人間を食い殺して行き、ブリテンの街を侵食していく。


「こんな、こと……」


 そして、その地獄に変わったブリテンを眺める背中があった。

 ディリアス・アークスメント=アーサー。

 この国の最高権限者にして、最強の騎士。

 彼は屋上の縁に立って、その光景を眺めていた。


「閣下……」

「ディアならばいない。おそらく異なる場所へ飛ばされたのだろう」


 シャーリンからはディリアスの背中しか見えず、その表情までは掴めない。彼はまっすぐにブリテンの街を、そしてキャメロット城を睨みながら、静かにこう切り出した。


「これは、私が生み出した悲劇であり、地獄だ」


 その責任から逃れるつもりは全くない。

 安堵友介と手を組むことを拒み、己の力のみでこの戦いに勝利すると宣言したのは、他ならぬディリアス・アークスメント=アーサーである。


「私は、仲間の存在を忘れていた。剣を教え、技を与えた。弟子のように扱ってきた大切な仲間を三人、失っていることのみ気付かなかった」


 ローエン・リアル=ベディヴィエルは、とても真っ直ぐな男だった。常にディリアスの戦いを間近で観察し、少しでも技を盗もうとしていた。人の教えを真正面から受け入れられる、そんな男だった。眩いばかりに輝く瞳の中には、ディリアスの背中が映っていたことを、彼は知っていた。


 ニア・ダンテス=ガレスは、口数が少ないながらも仲間を大切に想える優しい女だった。同期のリアがよく絡んでいたが、あれはあれで波長が合っていたのかもしれない。


 ジョージ・ファルカナ=アグラヴェインは、陰気ながらも頭の切れる男だった。『天下布武』と呼ばれる武士――日本における騎士の呼び名――の組織との戦いでは、敵戦力を分断した上で各個撃破の形へと戦況を操ったおかげで、連携を得意とするかの組織に勝利できた。


 そして、皆が皆、ディリアス・アークスメント=アーサーという一人の男の背中に付いて来てくれた。彼が秘したものを一度として問い詰めるようなこともせず、ただ黙って付いて来てくれた。


「貴殿は彼らを思い出せたかね?」

「はい……」


 問われたシャーリンは、悄然とした調子で告げる。


「皆さんに、本当に何度も助けてくださって……でも……」

「きっと今頃、ルーカスもボニーも思い出している頃だろう。ウィルも、あまり接点がなかったとはいえ、それでも同じ円卓に名を連ねたものの存在を忘れていたことを思い出せば、多少なりとも己を責めるかもしれんな」

「あの……ディアは?」


 一人だけ名前の出なかった彼の名を出す。息子の名前を聞いても、その背中はこゆるぎもしなかった。


「あれは大丈夫だ。ウィルと同じく彼らと接点が少なかったということだけでなく、その気質もあり心配していない。あれは仲間を何よりも大切にし、重んじてはいるが……だからこそ、もう二度とそうならないように前を向く男だ。馬鹿だが、愚かではない」


 それは息子への信頼だろう。

 彼は一つ息を吐くと、話を戻す。


「悲劇が起き、私は出遅れた。他者から見れば信念とも意地とも分からぬこだわり故に、民は恐怖に晒されている。枢機卿とやらに出し抜かれ、仲間を三人も失った。魔獣がロンドンを襲撃し、人が食い荒らされている」


 それが指し示すもの。

 この、最悪の事態、サウスブリテンが始まって以来の未曽有の危機。

 これを何と言うか、彼は知っている。


「私は、敗北した」

「――――」

「楽園教会の枢機卿、そして葬禍王を名乗る者達の手のひらで踊らされた愚かな敗者だ」


 敗北宣言。

 その言葉に、シャーリンが目を閉じて悔しそうに拳を握った。小さな拳に、ぎゅっと力が込められる。


「だが」


 しかし、振り向くと同時に放たれたその言葉には、力があった。

「まだ敗北しただけだ。まだ何も終わっていない。まだ戦いは続いている。まだ国は死んでいない、まだ民は絶えていない」

「――――っ」


 シャーリンを見据えるその瞳は、どこまでも真っ直ぐであった。

 彼の根底、彼の心象、彼の諦観。つい先ほど彼の真実を知ったシャーリンだが、それでもなお、得体の知れない恐怖を抱くほどに強く真っ直ぐで光に満ちた瞳。

 なるほど――行き過ぎた光は、毒なのだ。

 たとえその根底にどれだけ人間臭いものを抱えていようとも、圧倒的な光はそれらを塗り潰し見えなくする。


「私は、死んでいない。ここに生きて立っている」


 まだ戦いは終わっていない。

 負けて終わりではない。敗北したからと言ってエンドロールが流れるわけでもない。

 まだ戦える。一度の負けは許容しよう。しかしだからと言って、リベンジが許されていないわけではない。


 国を荒らされた。――ああ敗北だ、認めよう。

 仲間を殺された。――ああ敗北だ、認めよう。

 記憶を操作され、愚かな道化として踊らされた。――それも敗北、認めよう。


 だからどうした?


 負けた、殺された、騙された。

 しかしそれが止まる理由になるだろうか。

 否、否、否である。

 彼は英雄。

 救国の英雄にして、理想を求める国の奴隷。

 彼は止まらない。

 そうだ、止まらない。

 そもそも、彼の染色とはそういうものではないか。

 仲間を失うのは辛い、苦しいし泣いてしまう。心を殺そうと、その死の痛みを忘れることはできなかった。

 だが、それでもなお進む。

 それがディリアス・アークスメント=アーサーの真実。

 反省も後悔もある。

 だからこそ、進む。

 今さらその在り方を変える気はない。


「ユーウェイン卿。頼みがある」

「……いったい、何を……」

「円卓の騎士へ伝えよ。枢機卿どもを全て私の元へ集めるよう誘導するのだ。奴らが虫如く集まったところで、私が一網打尽にする」

「お、お待ちください!」


 ディリアスのあまりにも無謀な策に、シャーリンは抗議の声を上げていた。


「無茶です閣下! いくら閣下が万夫不当の英雄であろうとも、今回の敵はこれまでとは異なります! 先ほど戦った炎の枢機卿は、ディアと安堵友介という二人の描画師をたった一人で相手にしながら、傷一つ負わず平然としているような化け物でした……! 彼らならば、おそらく単騎で天下布武を落とすことすら容易いでしょう。我々が策を巡らしてようやく打倒したあの狡猾な組織を、彼らならば単純な力で押し流してしまうでしょう。誇張ではなく、私はそう感じました」


 シャーリンは先に感じた恐怖と戦慄を表情から隠しもせず、冷や汗を滲ませながら続ける。


「不敬を承知で言わせていただきます。閣下一人で勝利を手にすることは――」

「不可能か?」

「うっ――」


 ゾッとするほど真っ直ぐな瞳で問われて、シャーリンは答えに窮する。一も二もなく首を縦に振るべき場面だが、目の前の男の放つ光に気圧され、彼女は返答できない。


「ユーウェイン卿。私は、彼我の戦力差など当然理解している。単騎で奴らに挑むことの無謀さも、勝算が絶無の果てにあることも」


 だが――


「だからと言って、動かぬわけにはいかんだろう。この国の問題はこの国で解決する。……という段階はすでに過ぎてはいるが、しかし事実として奴らに対抗できる存在は私一人だ。それに、勝算がないわけでもない」


 ディリアスの染色は固有度の高いものであるため、身体能力や戦闘センスというものが直接的な戦力の向上に繋がる。戦場における彼の判断力や戦術が冴え渡れば、あるいは勝てる可能性もあるわけだ。

 だが、シャーリンはディリアスの主張を理解できても、納得することはできなかった。

 まるで分らない。どうして、あそこまで真っ直ぐ前を向いていられるのか。これはシャーリンがただ弱いだけなのか、あるいはディリアスがそういう歪さを抱えているだけなのか、あるいは男というものが全てこうなのか……

 そんなことを考えているうちに、彼女が提案しようと考えていた、よりシンプルな作戦を話す機会を逸してしまう。思案するシャーリンから、不意にディリアスが視線を外した。


「そうか。ならばしばし待っていてくれ。少し時間はかかるだろうが、ブリテン中を駆け、一人ずつ屠るとしよう」


 そう告げて、ディリアスが背を向けた。腰に佩いた西洋剣の柄に手を掛けたて去ろうとする。

 行かせてはならないと直感で察したシャーリンは、咄嗟に声を投げていた。


「――お待ち、ください!」


 戦闘へと脳の思考回路をシフトしていた英雄だったが、その声を聞くと再度振り向いた。そこに、戦いを拒絶した者への非難など欠片もない。ただ、疑問に答えようという真摯な瞳だけがある。

 シャーリンは先よりも幾分見やすくなったディリアスの瞳を見返し、こう問うた。


「閣下、あなたは……ディアを、愛していますか?」


 的外れのような質問だった。これまで話していたこととは趣旨が全く異なる類の質問。だが、彼女にとっては絶対に聞いておかなければならない質問であった。

 そんな質問をしている場合でないことは理解している。だが、彼女には退けない問いかけだったのだ。

 彼女は未だに、ディアとディリアスの戦いに納得などしていない。親子で争うことは間違っていると思う。

 男と男の意地だとか、そんなものは知らない。

 彼女は今でも、あの選択が正しいとは思えない。

 たとえ親子二人が納得していたとしても、だ。

 シャーリンには、――そう大層なものではないが――とある一つの案を持っていた。

 ただ、それを提案する前に、答えを聞かなければならないと思った。

 意地だの信念だのは知ったことではない。

 ただ、そこに愛があったのか、それを聞かなければならない。

 部下の強い瞳を真っ直ぐに見返し、英雄はその問いに応える。



「無論だ。だから、先の戦いは……とても楽しかった」



 ふっ――と。

 これまで見せたことのない表情を。

 柔らかな笑顔を、浮かべた。


「あれは心躍った。染色にまで至るとは、やはり私の息子なだけはある。願うならばもう一度戦ってもみたいが……」

「や、えっと……」

「剣筋も良い。宝剣を持っていないというのに、あそこまで私とやり合うとはな。もともと直感が良い方だとは思っていたが、それをあそこまで進化させるとは予想していなかった」


 突然早口になったディリアスに、シャーリンは困惑を隠しきれない。

 彼は、ディアとの戦いを楽しんでいたらしい。だが、そうなると疑問が残る。


「え、じゃあ、どうして彼に宝剣を持たせなかったのです……? てっきり戦いから遠ざけようとしていたのかと……」


 そう、円卓の騎士は皆、ディリアスがディアに宝剣を持たせていないのは彼を前線から遠ざけるためだと考えていた。とはいえ、ディアはディリアスの命令に背いて敵陣の真ん中に突っ込むので、そんな気遣いは無駄では……? と思っていたのだが。


「まさか。若いうちから宝剣を与えてしまえば、戦闘がそれに頼りきりになる可能性がある。それはディアの選択肢を減らすことに繋がりかねない」

「そう、ですか……というか、閣下。ディアが何故あなたに怒っていたか知っているんですか?」

「無論だ」


 その瞳に悲しい色を乗せて、しかしそれでも、彼は止まらない。


「私は彼女と約束した。この国を救うと。たとえどのような苦難が待っていようとも、たとえ最愛の息子から疎まれようとも」


 しかし、それでも。

 不謹慎かもしれない。彼の怒りを思えば、あの戦いに楽しみを見出すことは間違っている。

 だがそれでも、魂を剥き出しにした息子の一撃は。

 あのぶつかり合いは、とても良いものだった。

 なぜなら。


「そういう、ことですか……」


 ああ、何て悲しい男なのだろうか。

 彼は。

 ディリアス・アークスメント=アーサーは。

 こんな方法でしか、息子と触れ合うことができないのだ。

 息子から母親を奪った父親は、その頭を撫でることすら許されない。


「すまない、少し長く話し過ぎた。私は行く」


 ディリアスが背を向ける。

そうだ。

彼は英雄だが、しかし人間だ。

家族を犠牲にしてでも国を救おうとする一方で、息子の成長を誰よりも喜んでいた。


「待ってください」


 シャーリンは今度こそ、しっかりとした口調で呼びかけた。

 ディリアスが立ち止まり、その背中に声を掛ける。


「閣下。やはりあなた一人に任せるわけにはいきません」


 そう言うと、シャーリンは騎士服の中へ手を突っ込み、そこから古びたスマートフォンを取り出した。ただしそれは、二十年ほど前のモデルであり、機能は悉く死んでいる。


「我々円卓の騎士も戦います。我らが国に仇なす逆賊を許すわけにはいかない」

「しかし、染色へ至っていない貴殿らでは、」

「勝てないですか? いいえ、閣下。あなたの願いはブリテンが一つになること、そして国民の皆が英雄のように立ち上がれること……そう語られました」


 言葉を切ったシャーリンは、恐怖が多分に混じった表情に精一杯に強がりを乗せて、


「お忘れですか? 我々円卓の騎士は、誰よりもあなたの背中を近くで見ていたのです。ならば、今こそ我々の成長をあなたに見せようと思います」


 そう言って、取り出したスマートフォンをディリアスに渡す。


「これを」

「通信霊装か」


 先も述べた通り、この端末は既に死んでいる。しかし、通信魔術を利用する際の『記号』としては非常に便利な代物だ。魔術の本質とは妄想の具現化。つまり、遠くにいる仲間と連絡を取るためにイメージを強化するには、このガラクタはこれ以上ないほどに適している。


「これで仲間に連絡を。ディアに通じるかは不明ですが、ウィルや師匠とはコンタクトが取れるはずです。――閣下、我々もまた英雄に連なるものであることをお忘れなく。これより円卓の残滓(サーズ・キャメロット)は、あなたの剣になります!」


 そう言うと、シャーリンは背筋を正し、拳を胸の前で握った。

 そこに、強大な枢機卿を前にして足を竦ませる非力な少女はいなかった。

 ただ、眩し過ぎる光を恐れつつも、その中に垣間見えた人間性を信じる……己が騎士道を貫く騎士の姿があった。

 ディリアスはそれを受け取ると、魔力を流し込んで起動させた。

 そして、大きく息を吸うと――――



「全ッ軍に告げるッッ――――――――ッ!」



 ロンドンの街を震わせるのではと言うほどに巨大な声が、大気を振動させた。近くで聞いていたシャーリンは顔を引き攣らせ、鼓膜が破れると言わんばかりに耳を両手で塞いでいた。



「これより我ら円卓の残滓(サーズ・キャメロット)はッッッ――――!」



 それは、三つの邪悪と戦う湖の騎士の元へ届いていた。

 それは、魔導兵装を操る少女と戦う太陽の騎士の元へと届いていた。

 それは、倒れ伏す最も穢れ無き騎士の元へと届いていた。



「国賊、楽園教会を殲滅するッッッ!

 外宮にて集え、反撃の狼煙を上げる時だっッッッ!」



 敵は強大なる力を持つ楽園教会の枢機卿六名。

 国を守るための戦いが。

 円卓の残滓(サーズ・キャメロット)史上最大規模の戦いが、始まる。


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