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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
141/220

第五章 再開と離別 ――The Outbreak of War―― 2.終末の始動

 同日同刻、日本、東京渋谷。


 一限目を終えた休み時間、その派手な茶髪が特徴的な、制服を大胆に改造した少女は、いらだった様子でスマホの画面を眺めていた。


「…………」


 机に行儀悪く足を乗せながら、スマホを持っていない方の手で腕をトントンと小刻みに叩いている。誰がどう見ても機嫌が悪い。


「……あいつ」


 クルクルの可愛らしいロールにセットした長い髪を指で巻いては解き、巻いては解く。


「リン、ちょっとリンてば!」

「あの、ほら! カズが呼んでるよー」


 クラスメイトであり、いつも一緒に行動している友人に声を掛けられても、まるで気付いていない様子でスマホをじっと睨んでいる。


 補足すると、先に声を掛けた黒髪の少女が伊藤ヒカリ。髪こそ染めていないものの、耳にはピアスを開けており、制服はしっかり改造している。ネイルもばっちりだ。学校では恋愛マスターと呼ばれ慕われている。だが処女である。


 そしてもう一人が甘屋(あまや)美夏(みか)。金髪が特徴的なザ・ギャルである。凛ですら羨望を向けるほどに煽情的な体型の持ち主であり、露出したふとももは肉付きが良く男子の視線を釘付けにする。最近彼氏と別れたばかりで、現在はフリーである。


 そして呼ばれている凛はといえば、無料通話アプリを開いてある少年にメッセージを送るかどうか迷っていた。


(うー……こ、これ。あたしがメッセ送ったらうざいって思われるかなー……でもあいつ全然学校来ないし……てかマジで何やってんの! ていうか、ていうか……! 何であいつ、あたしにメッセ送んないの? 馬鹿じゃないの? もう、送れよ、もう……もう!)

「ちょ、リン? カズくん無視しちゃって大丈夫?」

(でも、ちょっとあたし、ちょっとムリっていうか、そろそろあいつと、そのー……うう、寂しい……会いたい……)


 真っ赤な顔で恥ずかしい言葉を心の中で並び立て続ける凛だが、当然誰にも聞かれていない。

 先ほどからずっとヒカリが控えめな様子で呼びかけているのだが、やはりスマホの画面に集中し、ある少年のことを思い続ける少女には全く届いていなかった。


「むむむむ……っ」

「ちょっとリンてばっ! 無視マジNGっしょ!」

「にょわっ!」


 目の前でパン! と手を叩かれようやく我に返る茶髪の少女。一人の世界からサルベージされた少女は、近くでむくれている美夏と、呆れたように嘆息するヒカリへと視線を向けた。


「どうしたん?」

「どうしたんじゃないって。さっきからカズくんが呼んでるから早く行ったげなよー」


 と、ヒカリ。


「ったく。サッカー部の次期エースを無視するって、リンそれいつ刺されてもおかしくないっしょ。カズってば、ほんとにモテるし」


 と、美夏。


「ああー……うん、分かった、とりあえず行くわ」


 友人二人にジト目で睨まれて、凛は渋々スマホをポケットに入れ席を立った。

 凛の席である廊下側の窓際、その反対側――すなわち運動場に面した窓際で、彼女を読んだ少年は、友人と談笑していた、ネクタイを緩め、爽やかな笑顔を浮かべる少年の元へと向かう。


「リンちゃん、こっちこっち」

「なにー」


 気だるげな様子で向かう凛。あまり気乗りしないが、学校では友達付き合いを疎かにすると痛い目に遭ってしまう。


「どうしたん、カズ」

「今週の日曜日、俺ら練習休みだしさ、ヒカリや美夏も読んで一緒に遊ばないか? ユウもフジもゴリラも空いてるって言うし」

「いつ聞いてもゴリラってあだ名酷いよね。まあゴリラだけど」


 新谷(あらや)蹴人(しゅうと)。一年生ながら既に試合に出ているストライカーで、女子からの人気がすこぶる高い少年だ。誰にでも愛想がよく、友人も多い。整った顔立ちが女の子のように可憐でありながら、試合中は泥臭いプレーをするということで、そのギャップから人気が高い。女からの視線と男からの憎悪を一身に受ける罪な男である。ちなみにこれは余計な情報だが、ゴリラとは、ラグビー部に所属している少年のことだ。別にラグビーは上手くない。

 彼はいつものように愛らしい笑みを浮かべながら「どう?」と訊いてくる。


「うーん……パスで。ちょっとあたし、今忙しいし」

「そうなんだ。それは残念だな」

「ごめんごめん。てかそんだけ? 呼ぶ意味あった?」

「僕が人集めが好きなことを凛も知ってるだろう?」


 問いへの返答に、凛は「ああ」と納得を示す。そういえばこの少年は、遊びに誘うという行為をとりわけ強く好いていた。何でも、人を誘うという行為は、『遊び』という非日常への準備であり、彼はその非日常へのワクワク感を愛しているという。凛には意味不明だが、本人が幸せそうなのであまり深くは踏み込まなかった。


「あーね。んじゃ、日曜日楽しんできてね。誘ってくれてアリガト」

「いやいや、いいよ。また今度誘うよ」

「よろー」


 そっけなく言って、凛は席へ戻って行く。

 椅子に座ると、美夏とヒカリが不満そうに呟いた。


「付き合いわりーよリ~ン~」

「さーびーしーいー」

「だあああああああうるさいっての。また今度遊ぶから」


 ひらひらと手を振り面倒だと言わんばかりにあしらう。

 その態度が、どこかあのぶっきらぼうな少年と似てきていることには気づかずに、少女は再びスマホを出した。

 どうせメッセが来ることはないので、暇つぶしにSNSアプリを開く。

 そして、こんなつぶやきを見つけた。


「ん? 何これ。『サウスブリテン皇国、崩壊の危機』……? なんこれ」


 投稿者のアイコンは卵アイコン――いわゆる捨て垢というやつだろうか。つぶやきには動画が添付されていた。

 それは、監視カメラの映像と思しきものであった。なぜ監視カメラの映像がSNSに漏れ出したのかは不明だが、とにかく動画を開いていみる。


「ちょ、これ……」


☆ ☆ ☆


「平和ねー」

「ほんとに。一生こうして入院していたい」

「ちょっとあざねん? 帰ったら勉強が……ってなにそれ!?」


 先日の土御門狩真の凶行によって重傷を負った彼の姉土御門字音と、彼によって『生成り』の呪いを受けた河合杏里の二人が、隣り合って病院のベッドの上で会話を交わしていた。

 字音はベッドに備え付けられた机の上に様々な占星術の書物を並べ、どうやら研究をしているようであった。彼女は眼鏡を掛けて凄まじい勢いで書物に何やら難解な漢字を書き込んでおり、それらをノートにまとめていた。


「その、最近は涼太のこととか狩真のことがあったから、色々忙しくて勉強できなかったけど、そろそろ落ち着いてきたしまた修業したいなって」

「ああ、そう……あたしにはよく分かんないわ。ていうか、あざねんってちゃんと勉強するんだ……」


 杏里が大きな胸の下で腕を組む。すると、豊かな双丘がたゆんと押し上げられ、腕は下乳へと沈んで行った。薄手のパジャマなので危うい。


「それ、安堵くんの前でやるとレイプされると思う」

「さすがに友介もそこまで鬼畜じゃないと……思う。信じたい」

「あの子変態だから」

「確かに否定できない」


 知らない所で散々な言われようである。

 杏里は苦笑いのままスマホを取り出す。


(今頃は、カルラちゃんのために必死に頑張ってる頃かな……)


 優しい笑みを浮かべながら遠くにいる兄のことを思う。


「うん? あれ、なにこれ……」


 だから、その動画を見つけたのは偶然だった。

 暴れ回る黒い犬と、逃げ惑う人々。

『サウスブリテン皇国、崩壊の危機』というつぶやきとともに拡散されていく。


「これ、ちょっと……まずいよ」


 内容は、はっきり言って見れたものではなかった。SNS上に拡散されるべきでない凄惨な映像。黒く巨大な犬が人肉を喰らい、我欲に溺れ腹を満たす様は、ダイレクトにグロテスクな衝撃を少女たちに与えた。


「ぐ……っ」


 噴水が如く上がる血潮に、トラウマを重ねた杏里が口元を抑えた。こうした『闇』に耐性のある字音が、優しく彼女の背をさすってやる。数分して、吐き気を落ち着かせた少女は言う。


「……大丈夫、だよね……」


 合成映像には到底見えぬ、紛れもない本物の地獄が液晶に映っていた。地獄の渦中にいるであろう、最愛の兄とその相棒を案じる言葉に、しかし気休めの声はかからない。字音もまた、彼女と同じように二人の恩人を案じているから。

 待たされる少女たちは、ただ歯がゆさに歯を噛むしかなかった。


☆ ☆ ☆


 それは、噴火だった。

 爆発などという卑小な現象などではない。人間が生み出せる物理現象如きの枠には収まらない、正真正銘、紛うことなき完全なる天災が顕現した。


 ディリアスが修業の場としていた極寒の銀世界。一人の男が反逆者たる息子や、蛮族として現れた処刑人たる安堵友介としのぎを削った雪の世界。

 如何な魔術か雪を降らせ続ける極寒地獄が、雪の下――床から噴き出した地獄の炎によって全てが蒸発させられた。

 この地面の全てが火口であったかのように、鉄すら溶かしかねない禍々しい紅蓮の獄炎が噴き上がり、大気や壁を焦がしていく。残っていた雪は瞬時に超高温で蒸発したため、チームすらも生じない。

 そもそも霧や雲、スチームなどのいわゆる『水蒸気』と呼ばれるものの状態は、科学的に論じれば気体ではなく液体の状態にあり、真の意味での水蒸気とは気体であり無色である。


 広大な部屋を埋め尽くす大量の氷が、一瞬の内に気体へと状態変化してしまうほどの熱量。

 ただこれだけの事実で、バルトルート・オーバーレイの染色が、如何に規格外であるかが分かる。


「――ッ!」


 とっさにカルラやディア達を背後に庇い、染色を発動して第一波――即ち噴火を堰き止めた彼は、連続して二撃目の染色を発動。続く超高温水蒸気のスチームヒートから仲間を守った。

 超急速な加熱により雪を構成する水分が一気に蒸発。沸点など優に振り切って摂氏二千度近くまで水分が加熱された。友介はそれらによって蒸し焼きにされぬよう、染色による直接的な防御と〝揺り戻し〟によって空気の流れを操作することで不意打ちにも似たバルトルートの染色の発動の『余波』を乗り切ったのだ。


 そう、余波。


 この時の彼はただ命を繋ぎ止めることで精一杯だったため知る由もないが、バルトルート・オーバーレイの染色とは、大規模爆発程度のものではない。

 それはまだ、染色の起こりでしかないのだ。

 ただ発動しただけ。ただ己が心象を謳い上げただけ。ただそれだけに過ぎない。


 そもそも、ほんの一瞬しか展開されない――否、『発動』しかされない安堵友介の染色が特異、あるいは不完全なだけだ。

 染色とは本来『展開』されるものである。固有度や侵食度による変化、展開可能時間などの細かな縛りはあるものの、基本的には発動されてから染色は『持続』される。あのディアの染色でさえ、瞬きの間だけではあるものの確かに『展開』されているのだ。


 つまり、だ。

 バルトルートの染色には、『この先』がある。

『この先』こそが、大本命。


 即ち。

 業火の地獄(ムスペルヘイム)が、この大広間に落ちてきた。

 吹き荒れる炎の竜巻に、燃え上がる紅蓮の池。地面からは絶えず怨嗟のように炎が揺らめき噴き上がっている。赤熱した大地の割れ目からは煌々と流れる溶岩が覗いていた。


「さあ、戦争の走狗。平和を乱す悪辣な塵屑共、ここからは魂の格を上げるとしよう。

 貴様のいる場所はまだ浅い。散らせてやる、描画師。

 紅の蓮のように、この業火と共に咲き乱れろ」


☆ ☆ ☆


 ロンドンを中心にサウスブリテン皇国で楽園教会による大規模テロ事件が発生していたちょうどその時、城壁を超えた向こうにあるノースブリテンからは、南で炎が上がっているのが見えていた。

 まるでこの世の終わりがすぐそこにまで近づいているその光景に、国民たちが恐怖に竦み上がる。


「ママ……英雄様は負けちゃうの? 僕たち、死んじゃうの……?」


 ある場所で、窓からその様子を見ていた親子が言葉を交わしていた。頼りなさそうに右手にある英雄に似せたフィギュアを持った少年が、泣きそうな声で母に尋ねる。


「ううん、大丈夫よ? 今までだってそうだったでしょ? 今はあっちにいるけど、アークスメント閣下は私たちのために、いつだって戦ってくれるわ。あなただって、パパだって、あの人に助けてもらったんだから」


 隣国の危機を受けて緊急招集された軍人の夫を心の底で心配しながらも、女性はそれを表情に出さず、ただ自らの息子を安心させようとその頭を撫でていた。

 あるいは、他の場所ではこんな一幕があった。


「あーあー、こりゃあアレやな。明日は店開けられねえわな。逃げる準備、か……」


 妙になまった英語を話す八百屋の男が、ぽりぽりと頭を掻いていた。


「……仕方ねえよな」


 そう言えば先日やって来た日本人の観光客たちは大丈夫かなと、そんな益体もないことを考えながら男は帰路に着く。必要な荷物だけでもまとめておこうと、男は冷静に逃げる準備をする。

 そして――




「カ、は……ごぶっ、ぅ、ぁ……!」


 壁一つ隔てた向こうの国で何かを想うのは、何も非力な一般人だけではなかった。


「ガはッ! あ、ぐ、ぅ……ァアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………っッ!」


 都市から遠く離れた森の奥。

 月の光以外に光源のない暗闇に包まれた場所で、一人の女が血反吐を吐いて地面でのたうち回っていた。


「が、ぐぅううああああああ! おの、れ……教会の使徒共……ッ!」


 必死に歯を食いしばり、激痛に耐えようとするその歯の間から、「殺しきれなかった」と怨嗟のような声が漏れ出た。

 艶やかな十二単を土に汚す長髪の女は光鳥感那。ホログラムなどではなく、つい先ほどブリテンに地獄を落とした張本人であった。

 爪の間に土が入り込むのも構わず土を力の限りに握り、獣のように叫んで握ったそれを知覚の気に投げつけた。楽園教会の枢機卿や葬禍王すら敵ではないと不遜に告げていた先までとは打って変わり、まるで子供の八つ当たりのように手当たり次第に土を投げつける。


 彼女はやがて仰向けになり、僅かだけ首を上げて南の地から上がっている橙色の光や黒煙を眺めていた。

 あれの半分以上は、光鳥感那が生み出したものだ。

 とはいえ女にそれを悪びれている様子はない。


「……頼むよ……っ」


 自らの仕事を果たしたと言わんばかりの表情で呟く。やがて痛みも少しずつ引いて行き、立ち上がれる程度まで回復した。全身の激痛が消えたわけではないが、この程度ならば慣れている。


「づ……ッ」


 口元を抑えてゆっくりと歩き出す。


「……はあ、ぁ、……ッ、彼を匿う指示は、出し、た……ってことは、次は、首相、というよりも、あの子、か……」


 楽園教会の企みを阻止する――そのために、まだやるべきことが残っている。

 よろよろと重篤患者のような足取りで進む感那。

 ゆっくり、ゆっくりと歩を進めて行き、森の出口が見えてきたところで――



『――やあ、久しぶりだ、光鳥感那』



 何の変哲もない、どこにでもあるような声が。

 平々凡々、何一つ特徴のない平坦な声が光鳥感那の耳朶を打った。


「――――――――ッ!」


 瞬間、それまでの緩慢とした様子など忘れたかのような勢いで女は振り返った。

 ぞっとするほどに個性が欠落した声。まるで自己という概念が消失したかのようなおかしな音階。

 それは個人の声ではなく、あくまでも群衆のざわめきとして統合され、それを平均として算出したかのような、そんな奇怪な声。

 だから、その声が記憶に残ることはない。

 当たり前だ。都心の喧騒のざわめきを、誰が一つの声として認識し、記憶することができようか。


「どこ、だ……」


 だが。

 彼女は、その声を知っていた。

 今、心臓を激しく脈動させ、浅い息を繰り返す。

 そんなわけがない。だけど、絶対に彼だという確信がある。

 だって、彼女が彼の声を間違えることなど、ありえないのだから。


「――――ッ」


 首が回り切らんとばかりに、勢いよく首を振った感那の視線の先――しかしそこには、誰もいない。


『そう(はや)るなよ。久しぶりの再会を喜び合おうではないか』

「――――ッ。そう、か……思念だけが、ここに飛んで、いるのか……?」

『秘密だ。企業秘密。今は少しだけのぞき見をしている最中でね……俺の部下が書いた戯曲が如何な結末を辿るか、少し気になったので覗き見ているのだよ』

 小さな落胆を垣間見せる声に、ざわめきが如き声が応えた。

 軽薄な口調かと思えば、突然重々しく古臭い言い回しになるなど、無個性な声とは対照的に、その言葉遣いは奇妙であった。

 一定しない、不安定。あるいは、決まっていなくて支離滅裂。


 だが、感那は覚えていた。

『彼』はこうなのだ。


 彼女が殺すべき者――その中でも特大の異形は、こういう『呪い』に蝕まれている。


『私としては今すぐ君の目の前に現れ、そこで雌雄を決するのも良いのだが……如何せんこのような身の上だ。一騎打ちどころか君の前に姿を現すことすらできない』

「御託は良い」


 しかし、謎の声の論を、光鳥感那は切れ切れの声で短く切って捨てた。


「そんなものはただの演出だろう? 君はルールを破れるはずだ。そんなで君を抑えられるものか。たかが世界の法則如きが、君の行動を縛れるはずがないだろう。それが出来ないから、こちらは困っているんだからな」

『買いかぶり過ぎではないかね? 私はただの観客だ。左様な反則を実行できる道理はない』


 くつくつと愉快そうに笑う声。ただしそれはデモニアのような下品な笑みではなく、むしろ荘厳かつ高潔な、しかしそれでいて悪趣味で退廃的な――そんな栄光と破滅を内包したかのような、そんな矛盾した笑いであった。

 そんな笑いを、やはり感那は一瞬で切り捨てた。


「いつまでも傍観者気取ってんじゃないよって言ってんだよ」


 そうして、その名が明かされる。






















安堵(あんど)陽気(はるき)






















「ふ」


 声が。


「ふは、は」


 大気を震わせた。


「ハハ」


 脳に直接語り掛けられる思念ではない。


「ははははは」


 確かに、ここに。

 一つの物理現象として、声が響いたのだ。




「ハハハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ! ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっッッ!」




 その声は、正義でも邪悪でも中立でもなかった。

 その存在は、光でも闇でも無でもなかった。


 其は、混沌。


 空間が揺らめいて、まるで水面に絵の具を一滴たらしたかのように一人の男がこの世界へと滲み出た。


 黒髪――特徴はない。

 黒瞳――特徴はない。

 顔立ち――東洋人に見えなくもないが、西洋人のように見えなくもない。というよりも、人種の特定は不可能。

 服装――まるで黒いぼろ布を適当に縫い合わせてローブのように拵えただけの貧相なもの。

 総じて――普通。普遍、平凡、平坦、ありきたりで平均的などこにでもいるような凡人。

 足には何も身に着けておらず、口元には胡散臭い笑みが貼り付けられている。


「確かに、そろそろ胡散臭い『声』で止まっている段階も終わったのかもしれないな。ヴァイス・テンプレートにこの時代の媒体を破壊されたことにより術式が破損し、現存世界への干渉実験は失敗。今や『観測』しか出来ないはずだったのだがね……。とはいえしかし、少し反則をして権能を五千も使えばこの通り。不安定ではあるものの、私はこの時代にも顕現出来るって寸法なんだよ」

「口調が定まらないの、は……昔から変わらずか。……づっ……! 病気は、治らないまま……。いい加減、そこも定めたらどうだい?」

「それは流石に時期尚早だよ。ここであまりぼくが出しゃばり過ぎると、演者が全滅しかねない。それはぼくの望むところではねえ」


 そう言って笑う男の姿は、一秒――否、刹那ごとにその姿が変質していた。ある一瞬では死にかけた枯れた老人の姿に、しかしまたある時には優しげな青年の姿に、あるいはある時には小さな子供の姿、そしてある時は壮年の姿に、ある時は思春期真っただ中の少年の姿に――とにかく、安堵陽気という男は、定まっていなかった。


 存在が不確定。証明不可能にして、理解不能の解析不能。

 前例皆無の異形の存在。

 否――存在しているかすら定かではない何か。

 それが、安堵陽気と定義付けられるブラックボックスであった。


 ジジじジざザ、ジジジジザザじじじジじジジざザザジジザザざザザザざザザザザ。

 砂嵐の如き音と共に、男の輪郭は移り行く。ホログラムのように、その姿が霞んでいる。

 もともとの特徴のなさに加え、そのような奇奇怪怪な現象が襲っていることも災いし、安堵陽気という名の何かの本質は、混沌の海に呑まれて消え去っていた。


 安堵陽気の返答を受けた光鳥感那は近くの木に体を預けながら指を鳴らし、地面に隠していたAIを搭載した兵器に発砲の命令を送る。完全なる死角――男のすぐ足元の地面から無数の銃身が芽吹くように現れると、それら全ての銃口が安堵陽気に向いた。それはまるで、安堵陽気を中心に据えた一つの花のようにも見えた。


「蜂の巣にして」


 マズルフラッシュが瞬き、無数の銃弾が一人の『何か』目掛けて殺到した。発砲の勢いにより銃身が僅かな振動を地面に伝えた。無数の微細な振動が地面に伝導した結果、それは大きな衝撃となって二人の立つ地面を揺らした。衝撃が二度、三度と立て続けに発生。森の隅々にまで伝播したことにより、鳥たちが一斉に飛び立った。

 強力な閃光によって遮られた感那の視線の先には、体中に穴をあけた安堵陽気の死骸が転がっているはずだ。


 だが――


 そこには、確かに体に穴を空けられた安堵陽気がいた。ただし、死んでいない。そもそも倒れてすらいなかった。

 その身体は水墨画のようにゆらゆらと空気に漂っているのみ。そこに、生の息吹や魂の痕跡は皆無なり。


「ああ、良い攻撃だが……残念だ。今の私は本体ではない。これは『実像』――即ち世界というレンズを通して私の姿を投影しただけの――例えてしまえば映像のようなものでしかない。ならばお前が俺に傷を付けられる道理はないとは思わんかね?」

「ぐ……っ」

「それと何度も言わせるな。感那、染色を使うな」

「お断りだね」


 青い顔をしかめ、必死に気絶しまいと意識を繋ぎ止める感那を見て、安堵陽気は何を思ったのか、「ふむ」と一つ息をつくと、


「まあ良い。今日は退く。気まぐれで会ってやったが、そもそも私の〝計画〟に君の存在はあろうがなかろうがどうでも良い。邪魔をしてきたところで私が頭を押さえればいいだけなのだから、そう気にすることでもねえな」

「ま。て……っ」

「心にもないことを言うなよ。今のお前の目的は分かっているんだ。あの男の視線を君自身に引き付ける。そのためには君がさらに大きなアクションを取り、あの男の注意を奪わなければならない。それに乗ってやる。お前の目論見に協力してやるんだから引き留めるな」

「――――っ、そうじゃ、」

「それに――」


 感那が何かを言いかけたが、安堵陽気はそれを遮ってこう続けた。


「手負いとは言え『神秘堕し』だとか『神の否定者』だとか言われている君とこれ以上戦えば、永劫この場を離れられん。そうなれば――――」


 平坦な声が紡ごうとした言葉は、次の瞬間。

 不可視の隕石という形で安堵陽気の頭上へと殺到した。



 光も音も何もかもが、衝撃に叩き潰されたかのような一撃があった。



 天から目にも留まらぬ速度で安堵陽気へと墜落したその一撃により、光鳥感那の体が後方へ吹っ飛んだ。

 岩盤がめくれ上がり、木々が文字通り根こそぎ吹き飛ばされる。比喩抜きで大地がそのまま跳ね上がり、大量の土が二十メートルほど舞い上がった。地面が丸ごと浮き上がったのだ。

 感那は空へと打ち上げられ、しかし空中で難なく制動を取ってバランスを立て直す。脳から信号を送り、懐に隠していた風を噴き出すナノマシンを制御。気流を操作して空中に浮いた。

 感那は俯瞰して状況を確かめよう高度を上げ、先ほどまで安堵陽気がいた場所を観察した。


「次から次へと……」


 友介たちの前で見せるような飄々とした態度からは想像もできないような苛立った声を上げるか彼女は、その目の前でさらに第二撃、三撃が大地を削る様を見た。

 彼女の目の前で起きている現象は、実に単純なものだった。

 隕石が、落ちている。それも大量に、たった一つの地点へ向けて。

 天より落ちる流れ星。墜落する数多の石榑。大気圏を越え、宇宙より飛来したそれら無数の流星矢(メテオ)は、この生命溢れる惑星の大地を壊し、崩し、打ちのめす。


「これじゃあまるで地獄だね――ああ、いや。むしろこういうのは神話に近いか」


 だが、時間と共に体が回復して行き、非現実的過ぎる目の前の光景が逆に光鳥感那を冷静にさせた。先までのような余裕を失った姿は既にない。


「はあ、ぁ……ふぅう……」


 まるで見えないソファに背を預けるように空中で体勢を崩すと、ゆっくりと息を整えた後、目の前で起こる大破壊を睥睨した。

 不可視の隕石は未だ安堵陽気がいたであろう場所へと降り注いでいる。


「僕もまだまだ子供だな。再会しただけでこのザマか」


 自嘲のため息をつきながら終末の縮図が如き死の驟雨を眺めていると、どこからか声が聞こえてきた。

 ――無論、この流星を降らせた張本人だろう。まさか目の前の異常事態が、自然現象であるなどであるはずがない。

 これは、人為的な『攻撃』だ。


『久方ぶりだな。安堵陽気――息災だったかね?』


 声からは、王の格が滲み出ていた。

 秩序の覇王。

世界最強の男、『統神(ライブラモナルカ)』コールタール・ゼルフォースが、まるで旧知の友へ語り掛けるように彼方から声を投げた。

 対して。


「ふむ。たった今、貴様の魔術で死にかけた所だ。再会の挨拶にしては、少し情熱的過ぎるのではないか?」


 その大破壊を受けた安堵陽気は、万事問題なしと言わんばかりに淡い笑みを浮かべて破壊の中心に立っていた。


『これも俺なりの親愛の証だよ。貴方の気配を感じたとあっては、さすがに静観してはおられまい』

「買い被りだよ、コールタール。我は貴様にそのように慕われるに能う者ではない。ただの卑しい凡人だ」

『買い被りなどであるものか。貴方ほどの超越者を、俺は未だ知らぬ。そも、俺が慕う者は俺が決める。貴方が気にすることではない』


 コールタールは森一帯の空気を振動させることで、この場にいる安堵陽気と光鳥感那にのみ声を届けていた。

 やがて死の流星群も収まると、更地となった、かつて森だった場所の中央に、不定形の男はゆらゆらと輪郭を揺らしながら佇んでいた。世界というレンズを通して移された映像でしかない安堵陽気の『端末』は、清々しいほどに純粋な闘気を受けながらも、あくまでも飄々と返す。


「否だよ。真実俺は弱い。貴様は強い。これはただそれだけの話だ」

『そうか。――まあ、良い。今はそれで納得しよう』


 平行線の議論だったが、コールタールはまるでそれを楽しんでいるかのように優雅に笑っているようにだ。それを受け、安堵陽気は恭しく頭を下げた。


「お心遣い感謝いたします。俺としても、今この時貴様と殺し合うことは望んでいない。互いに今は休戦としよう。決着は、最後の仕上げまでお預け。――そういう約束だったはずだろ? 再会を喜ぶのは勝手だが、君は少しその場の感情に流され過ぎる悪癖がある」

『そうだったな。俺も貴方の帰還で少し浮かれてしまっていたらしい。己が未熟さを恥じると共に、深く謝罪しよう』

「気にする必要などない」

「――いい加減、無視はやめてもらっていいかい?」


 薄く笑う安堵陽気に、ぞっとするほど冷たい笑顔を向ける光鳥感那。コールタールは攻撃の手を止めたものの、未だ安堵陽気と光鳥感那がいるこの空間に干渉できる状態にある。


 コールタール・ゼルフォース。


 安堵陽気。


 光鳥感那。


 世界の三つの頂点が、世界の片隅で人知れず睨み合っていた。比喩抜きに、何かの間違いで今すぐ世界が滅ぼうともおかしくない異常事態。

 それから数秒の時間、沈黙が場を支配し――やがて、光鳥感那がふっと緊張を解いた。


「やめだ」


 下らなさそうに手をひらひらと振る十二単の女は、安堵陽気に背を向けた。


「やめやめ。今は時期じゃない。こんな所で感情に任せて君を殺したところで何も生まれないしね」

「――そうか」


 安堵陽気は、ただその一言しか返さなかった。

 感那は指を鳴らして遠方からヘリを呼ぶと、己の横にぴったりと付け機内に乗り込む。が、その直前、再度安堵陽気へと視線だけを向けると、純粋な殺意だけが込められた冷然とした瞳で睨みつけると、こう吐き捨てた。


「じゃあね。決着は必ず付ける。――楽園教会、いつまでもそうやって頂点でふんぞり返っていると良いよ。僕は必ず、その首に逆襲の牙を突き立ててやる」

『楽しみにしている』

「同じく」


 さっと視線を切り、それきり何も告げず、ヘリを操作してその場から離脱した。

 あとに残されたのは安堵陽気だけとなる。


「さて、俺はこれからどうしようか。どちらにせよ自己証明の『確定』の作業が残ってはいるのだが、それまでは――」

『ああ、歓迎しよう』


 安堵陽気の言葉を、コールタールが無断で引き継いだ。



『楽園教会が五つの主柱「葬禍王(そうかおう)」が第零席。「混沌王(ケイオストラベラー)」安堵陽気。混沌に囚われし時の虜囚よ』



☆ ☆ ☆


 どグん……っ


「――――――――――――――――」


 その瞬間、世界のどこかで憎悪が脈打った。


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