第三章 地獄に救い 4.事実
冗談みたいに吹っ飛んだヴァイスの体がさらに転がっていく。顔を地面に打ちつけ、そのまま何メートルも突き進む。
地面を転がるヴァイスは、その勢いを殺さないまま立ち上がり、眼前にいるであろう少年を睨みつけた。
————が。
「どこ、だ……!?」
いない。
「ここだよ、ノロマ」
「なっ」
声は懐から。
見れば銃口がこちらを向いている。闇の奥に鉛玉が見える。
「チィッ!」
ヴァイスはとっさに首を振った。
だが。
「知ってたっての」
腹を中心に衝撃が走った。
(ぐっ……! 狙いは始めから……!)
「お、ぉォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオっっっ!」
ドッ、ドドドッ! ドドドドンッ!! と連続して火薬の爆発音が響いた。
友介は時間の許す限り引き金を引き続ける。
ゼロ距離から音速超過の速度で射出される弾丸を腹に受けたヴァイスは、一瞬体をくの字に曲げた。
その一瞬を、安堵友介は逃がさなかった。
銃口の向きを腹から喉へ。
引き金を引き、必殺の銃弾が発射された。
鉛玉はジャイロ回転をしながら、正確な軌道を描いてヴァイス=テンプレートの喉元へ飛んで行く。
だが、赤い血液が舞うことはなかった。
それどころか、いつの間にかヴァイス=テンプレートは友介の目の前から忽然と消えていた。避けられたのだ。
「……っ! どこだ!?」
声は答えない。だが、少なくとも友介の目に見える範囲にはいない。つまりヴァイスは気配を消す魔術を使っているか、友介の死角にいるということだ。
(そしておそらく、あいつは気配を消す魔術なんて使わない。つまり……)
友介は黒目だけを動かして懐をチラリと見た。いない。
次に彼は前へ転がりながら拳銃を真後ろへ回して引き金を引いた。
何かに弾丸が命中した手応えがあった。
だが同時に、友介の背中を高速で何かが擦った。それだけで、背中の肉が僅かに削がれた。
「が……ッ!」
友介は背中に走る激痛も無視して振り返る。
友介は荒い息を吐きながらゆっくりと姿勢を正した。
目の前では、ヴァイス=テンプレートが腹と左肩から血をドクドクと流しながら笑っていた。やはりいつ見ても、不快感しか与えてこない笑みだ。
しばらく両者の間に沈黙が流れた。
油断なく睨み合う。敵の一挙手一投足を逃すまいと最大限の注意を向ける。脳が焼き切れるほどの集中。神経が切れそうになるような緊張。
そんな状態が数秒続き……やがて口を開いたのはヴァイス=テンプレートだった。
「安堵友介。あなた、どうやってあの竜巻を突破してきたのですかな? あれは、根性だけでどうにななるようなものではないでしょう」
「そうだな。でも見切ることは出来た」
ヴァイスの眉が僅かにひそめられた。言っている意味が分からなかったのだろう。
「忘れたのか。俺の右目は特別だ。一瞬先の未来さえ見通すことが可能だなんだぜ? 一瞬一瞬の未来を確実に見極めることができ、かつそれら全ての状況において完璧な対応が取れれば、あの竜巻の包囲網を抜けることくらい雑作もねえよ」
「……ッ」
実際はそうでもなかった。一か八かの賭けだったし、成功するとは思ってもいなかった。
けれど、成功した。結果は完璧だった。
「なるほど」
対してヴァイス=テンプレートは、僅かに顔面を引き攣らせて笑っていた。
恐怖からではない——
「本ッッ当に、忌々しいなァ……安堵ォ!」
その顔をどす黒い激情で塗りつぶしていた。
「……ッ」
その表情に、友介は本能から恐怖を覚える。般若のような形相。表情だけで人を殺せそうだと思った。実際、友介の心臓は一瞬止まりかけた。
「……まあ、いいです……」
長く細い息を吐いて、ヴァイス=テンプレートが俯いた。怒りを鎮めるように。感情を抑えるように。放たれた言葉からはどんな感情も読み取れなかった。
一転、彼が纏っていた雰囲気が変わる。
続く台詞に喜びのそれが込められる。
「あなたに良いことを教えてあげましょう」
「良いことだと?」
「ええ」
ヴァイスは短く答える。
対して友介は、あらぬ所に話が飛んでしまったことで混乱してしまった。
「良いことです。あなたが知りたがっているであろうこと。あなたを苦しめている記憶の元凶を」
「記憶……元凶?」
何だ。一体何のことだ……。
なぜか、心臓が早鐘を打っていた。まるでこの先のことは聞くなと警告しているように。
「あの日の地獄のことですよお」
ヴァイスはもったいぶるように一度言葉を切り、そして友介のトラウマに軽々と踏み込んできた。
「『中立の村』での地獄です」
「……っ!」
ドクンッ、と。
心臓が大きく跳ねた。整えたばかりの呼吸がまた荒くなる。
「なん、だ……。どういうことだ。お前……一体何を知ってる?」
友介の問いに、しかしヴァイスは答えない。
「おい、答えろ……おいッ!! 魔術師ッッッ!」
「カハハ」
「笑ってねえで答えろッ!」
ヴァイスは答えない。動揺する友介を見てニヤニヤと笑っているだけだ。
「何だと思います? あの地獄が、何が原因で引き起こされたか知っていますか? ほら、少しは考えて下さい。誰かに頼ろうとするのは最近の若い者の悪い所ですよ?」
「いいから答えろって言ってんだ、クソガキィ!」
「だったら後ろにいる、愛しい愛しい唯可ちゃんに聞けば良いではないですか」
「は?」
「なんと言ったって」
ダメだ。これ以上聞いてはダメだ。聞いてしまえば、覚悟が揺らいでしまう。
頭では分かっている。
けれど、それは出来なかった。自分を苛んでいる記憶の正体を知らなければ。あの日の真実を確かめなければ。友介にはその義務があるのだ。あの地獄を生き抜いた末の義務が。
そして。
決定的な答えが告げられた。
「あなたの後ろで縮こまっている魔女。彼女があの街にいたから、地獄が起きたのですよ」
脳を直接叩き付けられたかのように意識が揺れた。
☆ ☆ ☆
————地獄を引き起こした。
そう表現したものの、別に彼女が街を火の海に変えたわけではない。
彼女はやはり被害者でしかなかった。何の罪も犯していないのに災禍に巻き込まれた被害者だった。
それどころか彼女は、裏の世界で『その事実』が発覚してからの二年間、そしてあの地獄から抜け出してからの四年間——つまり計六年の間——下らない理由で魔術師達に付け回された哀れな子供でしかない。
しかも彼女は、あの地獄を抜け出してから『その事実』を知るまで、自分が付け回されている理由も——そもそも、付け回されていると言う事実すら知らなかった。
だから彼女は、本当に悪くなんてなかった。
あの地獄も、彼女の知らない所で計画されたことであり、汚い魔術師が私欲のために起こしたものでしかなかった。
なのに、あの地獄が終わった後、誰も彼もがこう言った。
『お前があの地獄を引き起こした』
『お前の無知があの地獄を作り出した』
『ちゃんと自分の正体に気付いたのなら、首を切って自殺するか、公衆の面前で処刑されるのが筋だろう』
『お前は、生きていてはいけない存在なんだ』
すでに自我が形成され、『自分』を持っている少女には、そんな大人達の声が憎くて、恨めしくて——全員死ねば良いのにとさえ思った。
けれど、少女の心の中ではこんな声もあった。
——でも、無知があの地獄を引き起こしたというのは事実だろう?
そう。
確かに彼女は被害者だったのかもしれない。
巻き込まれただけの、哀れな子供だったのかもしれない。
だが同時に、少女の存在が多くの人間の人生を狂わせてしまったのもまた事実なのだ。
『そっか。私はただ可哀想なだけの人とは違うんだ。あそこで私のせいで不幸になった人たちとは違うんだ』
そこへ至った瞬間、少女は自分がひどく醜い人間に思えてしまった。
無知によって大勢の人々を殺したから、ではない。
自分も彼らと同じ哀れな被害者で、不幸に見舞われただけだと勘違いしていた。真実から目を逸らし、一時とは言え、正論を述べる大人達に憎しみさえ抱いた自分に対して嫌悪感を抱いたこともあった。己の人間性の在り方に苛立ちも覚えた。
でも。
でも。
でも……、
「ち、がう……」
技術省の屋上で、少女——空夜唯可の口から、擦れた声が漏れた。
目を見開き、頬が変に蠢いていた。顔は地面に向けられており、焦点が合っていない。
何で?
どうして?
そんな言葉が唯可の頭の中でグルグルと回っていた。
確かに自分は醜い人間だ。己の罪を忘れ、他者からの正論を罵倒と決めつけた愚か者だ。
けれど。
だからこそ。
少女は罪を償うことにした。
自分の手の届く範囲において誰かが不幸に陥りそうになったのなら、必ず助けようと。
たとえ自分がどれだけ傷付いても良い。それで誰かが救われるのなら、いくらでも傷付いてやる。それであの地獄を引き起こした罪を少しでも返済できるのなら、どれだけ罵倒されても良い。
でも。
(こんなのってないよ……)
あるいは、これは罰なのだろうか。
罪人の分際で誰かを好きになった。
罪を清算し切れていないのに恋をしてしまった。
その、罰なのだろうか。
だとしたら、唯可はもうこの世界で生きられそうにはなかった。こんな残酷な世界で生きる気にはなれなかった。
この四年間、唯可は少なくない数の人達を助け、数多くの人生を救済してきたつもりだ。
けれどそんなことはお構いなしだった。
真実は一人の少女を引き裂いた。
何よりも……。
(友介が……、あの地獄の生き残り……?)
頭の中が真っ白になった。友介が暗い顔をしていたのは、唯可の無知が引き起こした地獄が原因だった。守りたいと思った人は、己のせいで不幸になってしまった。
少女の両目から涙が溢れそうになる。ギリギリで踏み止まっているのは、自分には泣く資格はないからと割り切っているからか。
少女が魔女だった。それだけで付け狙われ、彼女の住む街が地獄に変わった。
己が魔女であることを知らず、のうのうと生きていたが故に数多くの人間を死なせてしまった。
やっぱりこの罪は重かった。誰かを助け続けるだけでは清算できるわけがなかった。
いいや。
そういえば、もう一つ罪があったのだったか。
(そっか。あの罪を清算していないんだったら、しょうがないよね)
少女は全てを捨てた。
希望も、夢も、願いも、些細な幸せすらも——。
「もう……いいや」
諦めるべきだ。この恋は、絶対に叶わない。だって唯可は、友介を不幸のどん底に叩き込んだ元凶なのだから。
だから、だから……。
「何が良いんだよ」
声が、聞こえた。
大好きな人の声が。
唯可が人生を狂わせてしまった少年の声が。
「何も良くねえよ。俺はまだ何も聞いてないんだ。あの日の真実を。お前の真実を、俺はまだ何も知らない」
ずっと聞きたかった少年の声。けれど今は、少女を糾弾しているようにしか聞こえない。耳を塞いで自分だけの世界に閉じこもりたい。
「だから、後でゆっくり聞くことにする」
え……、と少女の口から呻きのような言葉が漏れる。
少年はそれが聞こえているのかいないのか、ゆっくりと息を吐きながらこう言ったのだった。
「だからその前にあいつを倒す。お前を助ける」
それまで待ってろ——と。
少年は一歩踏み出しながら告げた。
彼は両の手に拳銃を握り、ゆっくりと魔術師に近付いて行く。
少女からその背が遠くなる。
「おい、魔術師」
少年は小さく告げる。僅かに怒りを滲ませた声で。
「あの程度で俺の覚悟が揺らぐとか思ってんのか?」
「……」
「いい加減お前のやり口にはイライラしてんだよ。一回死んだくらいで終われると思うなよ?」
だが、絶対零度の瞳で睨まれた、十歳程度の少年の容姿を持つ魔術師は、
「ふははははははははは!」
勢い良く噴き出した。
まるで、クイズ番組で見当違いのことを自信満々に答える芸能人を見ているように。愉快で仕方がないと。馬鹿を見ているのは本当に楽しいと。そんな風に思っている人間の笑い方だった。
「何がおかしいんだよ」
「いえ、別に」
ただ……、と付け加えて、
「彼女の罪がそれだけだと思っているのなら、とんだ勘違いですよ?」
「あん?」
「これを見てもあなたは彼女の味方でいられるのですかねえ? 魔女としての罪ではなく、空夜唯可としての罪を犯した彼女を、あなたは許せるのですかねえ?」
「それも含めて、お前を殺した後に話をするつもりだ」
「そうですか」
するとヴァイスは、スッと顔を『中立の村』のある方角へ向け、
「まあ無理でしょうがね」
直後。
視界が暗転した。
すいません、今回は特にこれといってですね......。
次話にご期待下さい。ちょっとした複線を回収させていただきます。




