第三章 円卓の残滓 ――Sirs Camelot―― 7.バートリー家
「…………ありゃ、白けちゃった?」
そして、アノニマスの援軍は友介の元にもやって来ていた。
「ええと、ええと……涼ちゃんが言うには。サリアはグレゴリオの人を助けないといけないんだけど。……どの人だろ?」
一秒の隙を探る戦いの最中、無防備に芝の上に降り立ったその少女は、可愛らしく頬に人差し指を当てながら、ハイライトの消えた不気味な瞳を、友介、シャーリン、ボニーの三人へと順番に向けていった。
「一人だけ制服着ている人いる……」
コテン、と可愛らしく首を曲げて友介を見つめる。
整った顔立ちが長い前髪に隠され、その合間から不気味な瞳が覗いていた。
紫色の髪は手入れもされておらず、ぼさぼさに荒れていた。歳は十二か十三か……顔立ちにはあどけなさが残っており、身体も凹凸が少なく色気の類は漂っていない。ただし、纏う服はボロボロの短パンと、上着も同じく擦り切れるほど着古したノースリーブのシャツであり、少々きわどい格好だ。
胸のまっ平らなわけではなく、若干のふくらみがシャツの下にあるのが分かる。
「しかも悪そうな顔だし……」
首を傾けたまま、少女は友介を注意深く見つめる。
「むむむ…………あなた、悪者?」
「そうだ」
「むむむむ……でもなぁ、どうしよっかなあ」
首を元に戻し、その場でくるくると回り出す少女。
紫色の髪が舞い上がった。
「そうだ! お兄さん、お名前は?」
「あん? 俺か?」
シャーリンもボニーも、油断なく少女を睨む中、友介だけは平素のまま質問に答えた。
「俺は友介。安堵友介だ。お前は?」
「サリア? サリアはね。サリアだよ! サリア=バートリー。末っ子でひとりっ子なの!」
「何言ってんだお前? つぅーかさっさとここから消えろ。危ねえから」
「ええぇー、でもそれしたら涼ちゃんに怒られるからやだー。サリア怒られたくなーい」
「知るか、危ねえからどっか行けって」
「お待ちなさい」
サリアを部屋の外へと追いやろうと友介が適当にあしらっていると、それまで黙ってサリアを観察していたボニーが不意に声を掛けてきた。
「なんだよ」
「あなたではありません。そこの少女に言っています」
「え、なにー? サリアのこと?」
「はい、バートリー家の末裔」
「……?」
ボニーの呼び方に違和感を覚えたが、友介は構わず話に耳を傾けた。
「あなたに聞きたいことがあります」
「ん、なになにー?」
厳しく見据えるボニーの瞳に、サリアは気圧された様子がない。
ボニーは明らかにサリアに敵意を向けているが、対するサリアは動じていない。敵意そのものに気付いていないのか、明らかに自分よりも大きな人間からの威圧を、少女は全く気にしていない。
「――ここに来るまで、他の騎士たちをどうしたのですか?」
「――、な、」
「たし、かに……」
友介とシャーリンが、今さらながらの疑問に気付き、疑念の恐怖の混じった瞳でサリアに視線を向け、
「え、コレのコト?」
そう言って、服の下からボトリと人の腕を地面に落とした。
「――――ッ、ッッ!」
「……―――ッ」
「おいおい……」
「みんな倒れてたよ?」
少女の声、そして獣に噛み砕かれたかのような切断面を見て。
「シャーリン、構えなさいッッ! あれは紛れもなく国を蝕む蛮族です! 今すぐ排除しますッッ!」
「は、はいッッ!」
ボニーが陽剣を構え、力の限り地面を蹴った。
シャーリンもまたドラゴンに指示を飛ばし少女を圧殺せんと吠えた。
しかし。
「あれれ、サリアもしかして危ない? ねえサリアもしかして危ない?」
口を三日月に引き裂いて、友介の横を抜けて突貫してくるボニー目掛けて全速で駆けた。
「そっかそっかそっかぁ……! アハ、アハハッ! そっか! サリアいま危ないんだ! なら仕方ない、仕方ないよね! 今からサリア戦うね! ぶっ潰しちゃうねっ! でもいいよねえ! もともとドラゴンは壊すつもりだったんだしィッ!」
楽しそうに叫んで、サリアは両腕を大きく左右に広げた。手のひらを極限まで開く。
そうしながら、少女は何事かを囁いていた。
「うん、うんうん。ここでこうしてあの人たちを壊せば、うん。諦めよう、諦めよう」
その意味までは友介には分からなかったが、とにかくサリアと名乗った紫色の髪の少女が、攻勢に出ることだけは分かった。
しかし――
(アホか、あんなもん一人でどうにか出来るわけねえだろ!)
彼女がこの城の兵士に何をしたのかは不明だ。先の腕を見るに兵士を蹴散らす際に残忍な行為をしただろうことは容易に想像が付くが……
(あんなガキが一人で……?)
友介のその懸念は、しかしすぐさま吹き飛ばされた。
少女の肩甲骨を起点に、皮膚が開いた。
比喩ではない。真実、現象として少女の背の皮膚が左右に開き、その奥から機械の体が覗いたのだ。
「な……ロボット――いや、サイボーグか……ッ」
サイボーグ。人体を改造し、機械の体を埋め込んだ人間。
サリア=バートリーは、機械化人間であった。
「アハハハ! ハハッ! ハッ、ハハハハハっッ! 驚いてるね、お姉さんたちィアアアッ!」
皮膚はおそらく合成樹脂か――そう予想していたが、違った。
それは、金属であった。
合金。僅かな力で形の変異する特殊な合金である。
それが、サリアの意志によって操作され、左右に広げた両腕へとまとわりついた。少女の腕が二回りも大きくなり、手のひらは凶悪な爪が装着された獣のそれとなっていた。例えるならば、ドラゴンのそれと酷似している。
そして、開いた背中にも変化があった。
合金の皮膚の下に収納されていた機械の翼が展開された。スラスターを内蔵するその翼は、おそらく見掛け倒しの物ではないはずだ。さらに加えて、翼の下に隠されていた数多の銃器の銃身がその身を衆目に晒す。
「魔導兵装展開――『重場暴虐嵐装腕』」
顕現するは、無数の銃器をその身に纏った機械の天使。
「お兄さん、確か安堵友介さんだよね! だったら味方だぁ! サリアは味方ァっ! 味方だから、サリアはお兄さんを助けるね!」
何が楽しいのか、サリアは弾けるような笑顔で友介に語り掛けた。
「うりゃぁあああああああああああああああ!」
耳に響く高い声を上げ、迫りくるボニーへと強靭な爪を振り下ろした。
ボニーは避けるまでもないと剣で弾こうとするが――
「な、にが……ッ!」
剣が爪と接触した瞬間、これまでのどの斬撃よりも重い衝撃が剣を通して腕に伝わってきた。
それこそ、足元の地面が砕け散るほどの衝撃。
草木が揺れ、芝が飛び、大地が割れる。土埃が舞い、二人の姿が隠れてしまう。
「アハハハ、アハハ。もうーダメじゃーん。サリア言ったでしょー? 魔導兵装って。これ、ちゃーんと魔術使ってるんだから!」
合金の爪と陽剣が鎬を削る最中に叫ぶと同時、背に展開された銃器が火を噴く。連射速度そのものは並のアサルトライフルと変わりなく、威力も騎士を討ち取れるほどではないだろう。特に、日中三倍の逸話を持つガウェインの名を冠するならば、耐久力も他の騎士の追随を許さぬはずだ。
しかし、数が異常過ぎる。
数えることすら億劫なほどの銃器がその背には展開されており、それら全ての弾を受ければ、たとえボニーといえどただでは済まない。
女騎士は遺憾であることを隠しもせず、悔しそうな表情で背後へ下がった。
「さて、お兄さん」
「なんだ」
「行ってください」
少女の問いかけに、友介は厳しい声で返す。
この少女が自分に味方してくれるとは言っても、彼女はこの城の兵士を傷付けた。もっともそれは友介とて変わらず、ここでそれを責める気はない。
戦いならば、四肢が飛ぼうと仕方ないと思う気持ちも持っている。もちろんに無いに越したことはないが、しかし、戦いに身を置く以上それは当然のリスクである。
だが、それとは別にこの少女は危険だ。
行動が読めぬし、目を離した隙に地獄が広がれば友介も後味が悪い。
何よりも。
「ガキ一人に任せて先になんか行けるか。どけチビ。お前は引っ込んでろ。俺に援軍はいらねえんだよ」
まだ十年とちょっとしか生きていない少女に全てを丸投げにするほど、友介の性根は腐っていない。
故に、友介もまたこの危険な少女と肩を並べようとしたのだが。
「何言ってるの? 良いから行ってよ。お願いだから。あんまり顔を見ないようにしたいの」
なぜか頑なに否定された。
とはいえ友介にも意地がある。
たとえカルラを迎えに行くためだとしても、道中女の子を一人置いてきたなどと知られれば、怒られてしまうに違いない。
そうした自分本位の理由から共闘を再度持ちかけようとしたのだが、
「もう……ねえ、お兄さん。死にたくないでしょ?」
ぞっとするほどに禍々しい瞳で睨まれ、二の句を告げなくなってしまった。
「私ね、人殺したくないの。ね? だから行って?」
コテン、と首を直角に曲げてハイライトの消えた瞳で友介を眺める。
ほんの少しだけ殺意の滲んだその瞳に睨まれて、
(なんだ、こいつ……?)
しかし友介は、少しずれた感想を抱いた。
(なんか寂しそうだな)
ただ、ここまで言われてしまえば退くしかないだろう。ここで命を落としてカルラを救えない未来などと比べれば、まだ怒られた方がマシだ。
加え、このサリアという少女、飛び抜けて強い。
あのボニーと打ち合って拮抗し、さらには後退させるほどの実力を持つのだ。
それに――
(ディア)
彼もまた気がかりだ。
強い意思を尊重し、たとえ彼が後悔しようとも先に行かせることを選んだ友介だが、その背中を押した責任は取らなければならない。
「分かった」
結局、友介はサリアの提案を引き受けた。
「ここは任せる。でも、危なくなったら逃げろ。たかが仕事だ。俺のためにお前が命を使うことは、」
「うるさいから早く行って! 殺すよ!」
友介に最後まで言わさず、罵倒で返して先に行かせる。
ただし――
「行かせると、思う?」
未だ涙を流し続けるシャーリンとその召喚獣たるドラゴンキメラが行く手を阻んだ。
「邪魔だ」
「――――ッ、うるさい、邪魔はあなたよ!」
常の冷静で、年下のディアとウィリアムを気遣う優しい姉の姿とはかけ離れた、ただの弱い女の子として、シャーリン・ルオール=ユーウェインが立ちはだかった。
「絶対に、許さないんだから……ッ!」
「どけ」
「どかない!」
「そうか」
――すまない。
友介を親の仇のように睨むシャーリンに、友介は心の中で詫びた。
親の仇、以上だろう。
弟を、大切にしていた男の子を、奪われたに等しいのだ。
彼女はディアに向かってずっと『幸せになって欲しいだけ』と言っていた。その言葉に嘘はなかったはずだ。
親と子で殺し合うなど、幸せの形であるはずがない。
けれど、ディアは――
幸せになるよりも、険しく辛い道を歩くことを選んだ。
大切な姉の願いを聞くよりも、自らの意地を通すことを選んだ。
そして安堵友介は、その選択の後押しをした。
彼は、自分の判断が絶対的に正しいとは思っていない。むしろ、間違ったことだと思っている。
それでも、友介は男で、同じ男であるディアの気持ちが分かったから、あんな選択をした。
そして、その責任は取らなければいけない。
何よりも、一つの幸せの形を壊した自分は、今も泣くこの少女に償いをしなければならないだろう。
きっと、友介が背中を押したことは、ディアにとって救いになっただろう。
だけど。
友介のその選択は、シャーリンと言う少女を酷く傷つけてしまった。
涙を、流させてしまった。
誰かを救えば誰かが傷付く。
何かを救えば何かが損なわれる。
救われた者がいる陰で、光を失う者がいる。
救済と絶望は、表裏一体だ。
救われた人がいる一方で、必ず涙を流す人がいる。
それは、安堵友介が望んだ結末ではなかった。
全ての人間が幸せになるような結末こそを、求めていた。
でも、だけど。
そんな結末などないと、言われているような気がした。
安堵友介は今この瞬間。
彼が最も憎んだ理不尽や不条理そのものとなっているのだと、気付いた。
「……お前も、来い」
これは、償いなどではない。それは、上へ登ってから彼が行うべきものだ。
故にこれは。
「……どういう、つもり」
「責任だ。背中を押した人間としてのな」
「…………っ」
その言葉をどう受け取ったのだろうか。
少女は逡巡して。
「戻って」
自らの召喚獣を異界に戻し、少年を強く睨む。
「連れて行って」
サリアと戦うボニーが、シャーリンのその様子をちらと横目で見た。
「まだ、心は鍛える必要がありますね……」
弟子の泣き顔を見ながら、今日は許すと心で呟いて、目の前の敵へと再度注意を向ける。
「行くぞ」
友介が歩き出し、その後をシャーリンが付いて行った。
きっとこの先にあるものは、シャーリンにとっては正視に堪えないものであろう。
少女にもそれは分かっている。
それでもシャーリンは、自ら進んで弟の元へと向かう。
☆ ☆ ☆
無人の廊下を歩き、ディリアスが待つという『雪の間』へと続く階段の前に辿り着くまで、河合の一つもなかった。その沈黙を、意外なことにシャーリンが破った。
「ねえ、ディアは……彼は、お父様の事、なんて?」
彼女は、ディアが自分のことをどう思っているかよりも、彼が父親のことをどう思っているのかの方が聞きたいようだった。
「あの子は、その……どうして閣下を倒したいと、言ってましたか……?」
「そうだな」
友介はしばらく考え込み、
「どうして、とかは聞いてねえ。ただ、俺が倒すって……あいつは俺の獲物だって言ってたな」
「そう……」
それきり、黙ってしまう。
友介は扉を開け、巨大な階段へと一歩足を掛けた。だが、隣に立つシャーリンは動く気配がない。
友介は溜息を吐きながらも、立ち止まって振り返った。
「来ないのか」
「……いえ、行きます」
勇気を出して一歩踏み出す。しっかりと足が会談についていることを確認してもう一歩。
それを見た友介が、もう大丈夫だと判断し、正面を向いて再び歩き出した。
先ほどまでは逆上していたため言葉が乱れていたのだろうか、普段の彼女は丁寧な言葉遣いをするらしい。
一歩一歩階段を踏みしめながら、ディアとディリアスの戦いの場へと行く。
「あのね、ディアはもともと、とてもいい子だったんです」
「……別に聞いてねえよ」
「けど、お母様が死んじゃって……」
どうやら友介に拒否権はないらしい。
シャーリンは彼に構わず、大切な弟のことを話した。
かつて自分が姉だったこと。
ウィルという親友がいたこと。
優しかった母が死んだこと。
父であるディリアスのやってしまったこと。
それから、疎遠になったこと。
全部を聞いて、それから――
「そういえば」
彼は、ディアがこんなことを言っていたのを思い出した。
「あいつは、自分が裏切ってもお前ら円卓の騎士は大丈夫だって言ってたぞ。俺一人裏切ったところで動揺するタマじゃねえし、悲しまないって。つまり、なんだ、その……あれだ。あいつはお前らの事、ちゃんと信頼してた」
こんな事を言ったところで、彼がディリアスと戦う道を選んだという事実がなくなるわけでも、彼が当たり前の幸せな生活を送ることが出来るわけでもない。
ただそれでも。
「そう、ですか……」
シャーリンという一人の姉は、救われたようだった。
きっと、剣を向けられたことが悲しかったのだろう。大切にしてきたディアに切っ先を突きつけられたことがよほどショックだったのだろう。
また少し涙を浮かべた。ただ、その顔は少し笑っていた。
「ただ、気を付けろよ。この先に待ってるのは、お前が最も回避したかった光景だ。錯乱してディアに迷惑をかけるようなことだけはやめろ。もう、あいつは選択した。なら――」
「……はい。そう、ですよね。分かりました。……きっと、堪えてみせます。あの子も、男の子ですもんね」
最後の扉。二人が戦う部屋への入り口。その正面に立って、シャーリン自ら扉を開けた。
そして、そこに広がっていた光景は――――




