第二章 騎士と蛮族 ――Reunion and Arrest―― 2.戦況変化
キャメロット城の自室にて職務に取り組んでいたディリアスは、ノックの音を聞くと作業を止めた。
「なんだ」
「報告であります、閣下! たった今ガウェイン卿より蛮族を捕らえたとの一報が入りました。無傷で捕らえたとのことです!」
「そうか。報告ご苦労。では至急キャメロット城に運び込み、牢屋で鎖に繋いでおくよう伝えてくれ」
「はっ!」
「改めてご苦労だったな。もう下がって良いぞ。ゆっくりと休みたまえ」
「はっ! お気遣いいただきありがとうございます!」
心地の良い返事と共に扉の向こうの気配が消える。熱のこもった返事に満足し、止めていた職務を再開させた。
「では彼女が来るまでに今の仕事を終わらせるとしよう」
そう言うと、彼はまたペンを手に取り文字を走らせる。黙々とサインを続ける救国の英雄は、その顔に疲労の色一つ滲ませない。鉄の精神――などというものですらなく、彼はこうして働き続けることが当たり前なのだ。
間食も取らず、休憩も取らずにただひたすら仕事に打ち込む姿は、端から見れば機械のそれとしか思えぬだろう。
「今日もお仕事頑張っていますね、閣下殿」
「――――殿下か」
その彼の自室へ、不遜にも足を踏み入れる者がいた。
金色の髪と緑色の瞳を持つ、可愛らしい容姿の少女――春日井・ハノーバー・アリアである。
虚空から現れた彼女は、嗜好品の一つも存在しない味気のない部屋をつまらなさそうに見渡しながら、うろうろと歩き回った。
「それにしてもどうでした? 私の働きは」
「ええ、まさか会議の時に全く話し合いに参加しなかったあなたが、突然賊の身柄を確保したと聞いた時は耳を疑いましたが……」
「ふふ、こう見えても私は頭の切れる働き者なのです!」
「そうでしたか。それで、こちらへは何の用で?」
「ああ、少しお願いをしに来たんですよ。捕らえた賊、あまり痛みつけたりしないでくださいね? 一応知り合いなので、拷問とかに掛けられた姿は見たくないので……」
「…………」
「あれ、どうしたんですか? 急に黙り込んで」
「いえ。ただ、不敬を覚悟で言うのですが――」
そう言いながらも、ディリアスの顔色に申し訳なさそうな感情はなかった。あるのはただ、疑問だけ。
「――殿下、その在り方は些か狂しているかと」
それは、あまりに歪な在り方であるように思えた。
春日井アリアは真実、心の底から安堵友介という蛮族を知人の一人、あるいは軽い友人程度には見ており、少年の傷付いた姿を見たくないというその言葉に嘘はない。
しかし、だからこそ歪んでいる。
彼を友達だと言いながら、しかし友介の身柄を確保したことをディリアスには躊躇なく伝え、それを後悔している節もない。
すぐ近くで円卓の騎士に袋叩きにされている間も、友介を速やかに移送する手はずを整えていたほどだ。
ライブ良かったですよ――と。
彼女にとって何よりも価値があるかもしれない、そんな言葉を告げてくれた少年を売った。
ディリアスは感情を見せない瞳でアリアを睨む。悪魔すら殺しかねないその眼力に晒されるアリアはしかし、
「――、ふふ」
その顔に浮かぶのは笑みであった。そこに残忍な色はない。楽しいことを楽しいと受け入れただけの、可愛らしいもの。
「それ、あなたが言うんですか?」
「……? 私が狂っていると?」
「いえいえ、まあ、あなたのことはこの際置いておきましょう。えっと、私の話、ですよね? まあ、どうでしょうか……他人から見ればおかしいのかもしれませんね。知り合いを売って、けれど売った彼を傷付けるな、というのは」
少女は少し寂しそうに顔を俯けると、さらにこう吐き出した。
「けれどね、これは優先順位の問題なんです……いつの日か、必ず手に入れたいものがあるから。そのために、ね……」
「これはね、ただの優先順位の問題です」
「優先順位……?」
「ええ。まあ、簡単に行ってしまえば、私は本当にどこまでも凡人でしかないということですよ」
淡い笑み。どこか虚しさを感じさせる表情をほんの一瞬だけ浮かべ――すぐに消した。
「そうですか」
少し辛そうに話すアリアとは対照的に、ディリアスの表情には何らの揺らぎもない。ただ、疑問が少し解けただけという、冷めたもの。
「少し踏み込み過ぎたようだ。申し訳ない。――それと捕虜の扱いですが、保証しかねる。彼の者が素直に残りの賊を吐いてくれればそれまでだが、真実の全てを詳らかにするには、やはり拷問は効率的な手だ」
「そうですか……」
若干の悲しみが含まれた声だったが、しかしそれも「仕方ないか」と口の中で呟くと、もとの可愛らしい表情に戻った。
「では、そのように。くれぐれも不覚は取らないようにお願いしますねっ」
そう言って、彼女はディリアスの前から消えた。
来た時と同じように、虚空へ溶けるようにして。
☆ ☆ ☆
友介が捕らえられたとの情報は、衛星を介してその様子を見ていた蜜希から、草次と千矢へとすぐさま伝えられた。
国境付近での戦闘からガウェイン卿を名乗る女騎士との戦闘、そしてその後彼が十数人の兵士位によってどこかへと運ばれようとしていることを。
現在、魔力の温存のため隠密の魔術を発動していない千矢と草次は、声を落として目立たぬように蜜希と連絡を取り合う。
「まじか……」
「いくら馬鹿でも、それなりに戦えると思っていたのだがな」
『う、うん……私、でも、何もできなかった……』
「いや、今回は蜜希ちゃんのせいじゃないっしょ。敵が、思ったよりも強くて賢かったってだけだ」
「そうだな。……それで痣波、奴はどこに運ばれようとしている?」
『え、えええと、えと……ちょっと待ってね……』
千矢の問いを受けてスピーカーの向こうからカタカタとキーボードを打つ音が聞こえてきて、一分ほど経つと……
『ルート、予測できた……う、そ……』
「どこだ」
絶望的な物でも見たかのように震える声を上げる蜜希に千矢が問うと、ほんの少しの間を空けて答えがきた。
『きゃ、キャメロット城……』
「ちっ……」
小さく舌打ちをして、苛立たしげにさらにこう吐き捨てた。
「早すぎる……」
実際の所、千矢と草次もカルラ救出の鍵はキャメロット城にあると踏んでおり、今は城のあるロンドンまで空飛ぶ絨毯や箒を使った交通機関でもって向かっていた。ただ、ロンドン入りしてからしばらくは情報収集に専念するつもりで、元々は円卓の残滓との全面対決は避けるつもりであったのだ。
しかし、このような状況でもはや悠長なことを言っていられない。
敵に捕らえられた友介がどんな仕打ちを受けるのか分からない以上、カルラ救出と並行して彼の身柄の安全も確保する必要ある。
それに加え、友介が草次たちのことを話せば、追手が迫ることだろう。
「どちらにせよ、もはや全面対決は避けられないか……」
「まあ、仕方ないっしょ。……ちょっとヤバいけどね」
「とは言え、こうなった以上は覚悟を決めてやるしかあるまい。……あの男に付いて行くと決めた時に、苦労は絶えないのだろうと俺は覚悟していたよ」
そう言って、千矢は仏頂面を淡く崩してふっと苦笑した。
それは、今までの千矢ならば見られなかった表情だが、隣で見ていた草次はあえて何も言わなかった。
そして――
「なら、助けるしかねないかー。仕方ない、世話の焼けるリーダーだぜ」
「あいつがリーダーなのか?」
「うん? 不満? なんか俺の中では、四人を引っ張って行くのって友介くんだと思ってたんだけど」
「いや、まあ。どうだろうな。あいつはそういうのは面倒くさがりそうだしな。……さて、そうと決まればさっさと城へ行くとしよう。幸い俺の魔術は隠密に長けている」
「おっけー。じゃあそれまでは魔力を溜めといて。何かあったら俺が何とかするわ!」
「そうか、まあ……頼んだ。首都に入り次第また魔術を発動するから、それまでの辛抱だ」
そうして二人が歩く背後、物陰に隠れて歩く二人を観察している者がいた。
「…………」
灰色の髪とぶかぶかの祭服をまとった少年。無感情な瞳には、人間に対する敬意が何一つ込められていない。
「……ダメだよ。あれは、まだ餌じゃないから」
そう言って、傍らでよだれを垂らす子犬の頭を撫でた。
次の瞬間の彼の頭には、草次と千矢のことなど露ほども存在していなかった。




