第三章 地獄に救い 1.記憶
今回は売店プレさんの活躍少なめです......。
終盤ではヘイト溜めていくつもりなんで、期待していて下さい!
ではお願いします!
少女が生まれたのは兵庫県にある、大して栄えてもいない町だった。
兄弟はおらず、両親と少女の三人で平凡で幸せな生活を送っていた。父は魔術師とは無縁な普通の職業についていたし、母はいつも少女が学校から帰ってくるのを家で待ってくれていた。
しかし八歳くらいになったある日、父の仕事の都合で少女はその町から引っ越すことになった。友達がたくさんいて毎日に不満なんてなかったからこそ、少女にとってその引っ越しは辛いものだった。
とは言え、父の仕事の都合ならば仕方がない。少女はそう考え、泣いて友達との別れを惜しみながらも父と母と共に慣れ親しんだ町を離れた。
そして、少女はそれから半年に一回の割合で引っ越すようになった。引っ越しをするのだから、当然何度も転校することになるわけで、彼女に何年来の友達のような者はできなかった。
しかしそれでも、少女はそのことについて母や父に不平不満を言ったりすることはなかった。彼らが自分に申し訳なく思っていることなんて知っていたし、引っ越しも全て自分に楽な暮らしをさせるためのものだと分かっていたからだ。
そうして何度目かの引っ越しを終えて、少女が十歳になった時、ある街にやってきた。
科学圏にも魔術圏にも属さない、唯一残っている『日本』という国の一部。
何も知らない少女は。
そこで地獄を経験することになる。
——否。
地獄を引き起こすことになる。
「ぅ、みゅ……」
そんな可愛らしい声と共に、黒髪の少女——空夜唯可は目を覚ました。
手を突くと冷たく硬い感触が返ってきた。どうやら地面かなにかで寝ていたらしい。体を起こして軽く身を捻ると、全身の至る所からバキバキという小気味の良い音が鳴っていた。
「いったーっ」
硬い地面で寝ていたためか体中痛んだ。
彼女は適当に周りを見渡して自分がどこにいるのかを適当に把握しておくことにする。
「どこかの建物の屋上? 私なんでこんな所に……」
それなりの高さがある屋上のようだ。ただ、六本木へルズや東京スカイトゥリーのような類の建物ではないだろう。そこまでの高さがあるわけではない。
(ていうか……)
そもそも、自分はなんでこんな所で寝ているのだ?
まるで記憶に靄がかかったようにぼやけていた。
「えっと……確か学校で友介に出会って……」
彼の顔を思い出した瞬間、顔がちょっとだけ熱くなった気がするが、それを無視して記憶の糸をたぐり続ける。
「それからは……」
「おや、お目覚めですかな? 姫」
「——!?」
突然聞こえた声に驚いてバッと振り返ると、そこに一人の少年が立っていた。
「ヴァイス=テンプレート……!」
「おやあ、私の名前を覚えて下さっていたのですねえ。これはこれは、身に余る光栄ですぞ」
思ってもいないことをさらりと口に出して、唯可を小馬鹿にするヴァイス=テンプレート。
彼は顔を笑みの形に引き裂きながら、ゆっくりと唯可に右手を近づけた。
「近寄らないでっ」
パシン、とその手を払いのけて、唯可はヴァイスをキッと睨んだ。
「ほほお……なるほど。あなた、安堵友介のことが心底好きらしいですなあ。彼を痛めつけた私は、触れることすら許されないと。ぞっこんといった感じでしょうか」
「……ッ」
途端、唯可は好きな人を言い当てられた恥ずかしさと、こんなクズ野郎にその想いを遊ばれた怒りで顔を真っ赤にした。
視線に込める思いを剣呑なものに変えて、彼女はヴァイスにある問いを投げた。
「あなた、どうしてそこまで友介に構うの? 友介があなたに何かしたの?」
「いえ」
責めるような口調で投げられた唯可の質問に、しかしヴァイスは大して気にした素振りもなく返した。
「彼自身は何もしていませんよ」
「じゃあ何でっ!」
そしてその答えを聞いた瞬間、少女の頭の中が怒りで沸騰した。
「何であんなことするの!? 何もしてないんだったら、何で友介をあんな風にするの!! どうしてあんな風に痛めつけられなきゃいけないのッ!?」
脳裏に、ヴァイスの謎の攻撃によって身悶える友介が浮かんだ。
「あの子は本当に優しい子だった! 何かを背負って苦しんでたけど……それでも腐って人生に希望を持たなくなったような人とは違った! この学校にやって来たばかりの怪しい私を、ちょっと怪しいとは思ってたかもだけど……それでも私があの学校で不自由なく暮らせるようにしてくれた。私が友達を作れるように気を使ってくれた。一人でお昼ご飯食べなきゃいけなくなるのに、そんなの気にしてる素振り見せなかった!」
唯可は友介のことをほとんど知らない。
それでも、彼は優しいと思うのだ。
「あなたが私達を襲ってきたときもそうだよ! 私を守るために、友介は何度も何度も傷付いた。本当は私が守らなきゃならなかったのに!」
そういえば、その事実を告げた時、彼は穏やかにこう言ったのだった。
『だから気にすんなって。それに、俺はお前と出会えただけで良かったと思ってるからよ』
「友介はあなたなんかに虐められていい人じゃない! あなたみたいな外道に殺されなきゃいけない理由はないッ! もしあなたがこれ以上私の大切な人に危害を加え続けるというのなら——」
彼女は一旦言葉を切って立ち上がると、
「魔女の力を存分に振るって、全身全霊であなたを叩き潰す!!」
直後、唯可の右手に長い杖が現れた。
ヴァイスが面を取り出すのと同じ魔術。
魔術媒介の取り出し。
「ほほお」
ヴァイスの感心するような声と共に、ビュウと風が建物の屋上を吹き抜けた。硝煙の臭いの乗った風が唯可の髪を揺らす。
そこで唯可はようやく気付いた。
眼下に広がる東京のあちこちから爆炎と粉塵が上がり、悲鳴と怒号がこんな所まで届いていることに。
「あなた……どうしてここまで……!」
「ふははは。素晴らしいでしょう。完全にあの日の再現になっているでしょう?」
「悪趣味だよ。……でも」
彼女はヴァイスを睨みながら、
「私はあれを乗り越えた。だから無意味だよ」
「ええ、あなたにはね」
直後、二人は同時に駆け出した。
譲れないもののために、二人の魔術師が激突する。
☆ ☆ ☆
あの地獄はどうして起きてしまったのだろうか?
この四年間、あの地獄の夢は数えるのも面倒なほど見てきたが、その始まりについては全くと言って良いほど知らない。
まるで、途中から録画した番組を見るような感覚。
いつも、あの夢の始まりは喉に孔が空いた祖父を起こそうとする場面だった。
今見ている地獄の夢も例外ではない。
祖父の死を認め、祖母と逃げようとした所で祖母が脳天を貫かれる。
恐怖で何も考えられなくなった友介はただただ走り続け——そしてあの少年が自分の足首を掴むのだ。
少年の顔面を蹴飛ばして足首のその戒めを解き、そしていつもあの台詞が友介の耳の中で反響し続けるのだ。
『タスケテ』
もう聞きたくなくなかった。
その言葉を聞く度に、友介は身がすくむような恐怖と、自分を殺したくなるくらいの罪悪感に襲われるのだ。
どうしてあの時彼を助けなかった?
彼は救えた命ではないのか?
けれど。
彼はこうも思うのだ。
そもそも、誰があんな地獄を始めたのだ?
あの地獄が起こりさえしなければ、誰も不幸にはならなかったはずだ。
友介は家族を失うこともなかったし、罪悪感にまみれた人生を送ることもなかったはずだ。
あの少年だって今頃幸せに生きていただろうに。
もしかすれば、二人は友達になれていたかもしれない。
(けれど結局、そんな仮定には意味はないんだろうな)
友介は漠然とそう思う。
あの地獄は起こってしまったことだし、それはもう変えようのない事実なのだ。
タイムスリップをして過去に飛び、あの地獄の原因を解明して事前に対処することができれば話は大きく変わるかもしれないが、そんなことは不可能だ。
科学圏ではタイムマシンは未だ理論すら分かっていない夢物語であり、魔術圏においても時間操作に関する魔術は存在しないことが分かっている。
だからあの出来事をなかったことには出来ない。なかったことにしてはいけない。
地獄から抜け出すために走り続ける十歳の自分の後ろ姿を眺めながら、彼は漠然とそう思った。
そして。
景色がゆっくりと変わっていった。
地獄の風景が、見慣れた我が家の風景へと——
「あ、起きた」
安堵友介が夢から覚めて聞いた第一声は、聞き慣れた妹の声だった。
「ままー。友介起きたー!」
「ホントに? 良かったわあ……!」
大げさに喜ぶ母に呆れながら、彼女は甲斐甲斐しく友介を抱き起こした。
「お前、やっぱり生きてたか……。地下シェルターに隠れてたのか?」
「うん、そうよ」
河合家……というか、東日本国のほぼ全ての家には、地下に隠れるためのシェルターが設置されている。科学圏の技術をふんだんに用いられたシェルターは、一軒家のそれよりもさらに強い耐久度を持っている。
「ほら、さっさと起きる。応急処置は済んでるし、もうすでに救急車は呼んであるから大丈夫よ。あんたはあの地獄を生き残ったの」
心底安心し切った声で友介にそう言い聞かせる杏里。
「魔術師は千代田区へと消えていったわ。官庁を落としに行ったんだろうけど……。もうすでに技術省と財務省は落とされてるはずよ。そのせいで日本の株価は大暴落してるし、第二次世界恐慌だとかなんとか言われてるらしいけど……それでもなんとか、私達は生き残った」
友介は妹のその言葉の意味をゆっくりと考え、理解する。
そして。
「……だめ、だ」
友介は、杏里のその言葉受け入れなかった。
「ダメだ。俺が生き残るだけじゃダメなんだ。あいつを……唯可を助けないと」
「ちょっ、どこ行くの!? ダメよ、そんな体で何しに行くのよっ!」
「唯可を助ける」
「ダメだって! そんな傷で何ができるのよ。ていうか唯可って誰!?」
「さあな。でも、ここでじっとしてるなんて出来ない。介抱してくれたことには感謝してる。ありがとう」
「————ッ! ああ知らない! もうどうとでもすれば!? 勝手にどっか行って、勝手に野垂れ死んで来い!! このバーーーーーーーカ!」
そう吐き捨てると、彼女はプリプリと肩を怒らせて部屋を出てしまった。ダアンッ!! とものすごい勢いで扉が閉められた。
「ごめんな、杏里」
聞こえるはずもない謝罪を口に出し、彼はベッドから立ち上がった。
「てか、ここ杏里の部屋か」
あれだけの戦闘でも、ここだけは無事だったらしい。
振り返って彼女のベッドを見てみる。
ベッドは友介の血で汚れていた。これではもう使い物にならないだろう。
「本当にありがとう」
彼は小さく呟くと、扉を開けて外へ出た。
————と。
「あん?」
部屋を出てすぐの所に、友介が愛用する二丁拳銃、弾倉六つ、軍用ナイフ、防弾チョッキ、救急箱、おかゆ、洋服、それと——メッセージカードが置いてあった。
『あんたのことなんか知らないからね、バカ! 勝手にどっか行って死んでろ! あとこれ、店の余りもんだから持って行っとけ。心配なんかしてないから。あと、お茶は冷蔵庫に入ってるから』
「はいはい。もう分かったから」
彼は洋服に着替えると、おかゆを口にかき込み、二丁拳銃、弾倉六つと軍用ナイフをベルトに挿した。救急箱の中を物色してみるが、大して役に立ちそうなものはなかった。
「水分だけ取っとくか」
彼は台所へ行って冷蔵庫の中に置いてある水筒を取り、ごくごくと勢いよく飲んだ。
そういえば、学校でヴァイスに襲われてから何も飲んでいなかったことにようやく気付いたのだ。
「さて、行くか」
お茶を飲み干すと、彼は表情を引き締めて家を出る。
「と、その前に」
家を出る前に、友介は夕子に挨拶をしておくことにする。勝手に出て行けばさすがに驚くだろうと考えたからだ。
「夕子さーん。どこですかー」
友介は家の中を一通り探してみたが、どこにも彼女の姿は見当たらない。
唯一探していない武具店の方へ行ってみると、彼女は入り口で困惑顔を浮かべて立ち尽くしていた。
「夕子さん、どうしたんですか? もう俺は行くつも、り……って、何だこれ?」
そして友介が夕子の隣に並び立ち、武具店となっている部屋の中をその目に収めた瞬間、彼もまた困惑の声を出して立ち尽くしてしまった。
それもそのはず。
その部屋には床がなかったのだから。バラバラに崩れ落ちてしまい、その下にある基礎が完全に露出してしまっていた。
「どうなってるんだ……?」
隣に立つ夕子の存在も忘れて呆然と呟く友介。
ヴァイスに負け、気絶する瞬間には床はあったはずだ。現に、床を引っ掻いた感覚が爪に残っている。
じゃあこれは一体……?
だが、いくら考えても答えが出ない疑問にずっと捕われるのは馬鹿みたいだ。
友介は割り切って夕子に向き直る。
「夕子さん、俺ちょっと出掛けてきます。必ず帰ってくるんで、それまでこの家で大人しくしていて下さい」
「え? あ、ええ。……って、どこ行くの? ちょっと、ゆうちゃん!」
夕子の制止を振り切ってその場を後にした。
痛む腹も無視して、友介は走り出す。
時刻は午後十時半。
「クソッ! もうこんなに時間が経ってるじゃねえか!」
ヴァイスは技術省にいると言っていたか。もうすでにあちらに到着してから二時間は超えていることだろう。
あの、蟲に全身を喰われているかのような感触。
あれが唯可を二時間以上も蝕んでいると考えているだけで全身に怖気が走った。
あんなものを女の子が耐えられるとは思えない。
否、誰にだってあんなものを耐えることは出来ないだろう。
「クソが……あのクズ、絶対に惨めな最期を与えてやる」
そんな小物臭い台詞を吐きながら、友介は駆ける足へさらに力を込めた。
ありがとうございました! 次回からもお願いします!
あ、次話でも天ぷら売店さんがちょっとだけ活躍します。




