第四章 門出 2.これまでのことと、これからのこと。
「行かせないよ」
その瞬間、友介のこめかみがピクリと一度だけ痙攣した。
「――あん?」
少年は怒気を孕んだ声で返す。振り返り、赫怒を隠そうともしない瞳で背後に立つ少年――草加草次を睨みつけた。
穏やかに凪いでいた心が、一瞬にして波立った。
「いま何つった」
「行かせないって言った」
「意味分かって言ってんのか」
「そっちこそ。弱いくせに、一人で立ち向かって勝てると思ってんの?」
そこが、限界だった。
「ふざけんなよテメエ」
頭の中で何かが千切れた音がする。
押さえ込んでいた少年の怒りが、一瞬にして振り切った。
「お前、自分の力が弱いから、俺が奴らに勝てないから。だからあのバカ女を助けに行くのをやめろって――、お前そう言ってんのか? ああ?」
しかし、心中にて煮え滾るマグマのような怒りとは裏腹に、その声音は落ち着いたものだ。
しかしそれも、何とか理性で抑え込んでいる程度のもの。たった一言、彼の神経に触るような言葉があれば爆発することだろう。
そして、その瞬間は簡単に訪れた。
「そうだよ、君一人で助けられるわけないだろ。突っ込んだところで返り討ちに遭うのが落ちでしょ。無駄死にだよ」
「ふざけんなクソがッ! テメエ、脳が腐りやがったか? 頭に膿でも出来たのかよ」
失望した。落胆した。
この少年は。
この少年だけは、こんな下らないことを言わないと思っていたから。
別に、この少年に一緒に助けに行って欲しいわけではない。むしろ逆――関わらないでいてくれた方が良い。
しかし、だが――。
こんな腑抜けたことを。
優しさの欠片もない、馬鹿な言葉を吐かれるとは思っていなかった。
だって、ありえないだろう?
全ての少女の味方だと自称する彼が、なぜカルラを救おうとする友介を引き留める必要があるのか。
「腑抜けやがって……ッ」
故に、友介はその答えをすでに知っている。
「そうかよ、あァ……」
その目を見れば分かる。
その、惑い、揺れながらも友介を慮る瞳を見れば、簡単に分かった。
「心配なんて余計な世話なんだよ」
「……っ」
「どけ。邪魔だ、テメエらに心配されるほどやわじゃねえ。大人しく家帰って寝てろ」
冷たくそう拒絶して、友介は草次に背を向けた。
「なん、で……」
しかし草次は引かない。
「なんで、分かんねえんだよッ!」
叫ぶと、地面を蹴って駆けだした。友介の横を抜け、三メートルほど離れた所で立ち止まり、両手を大きく広げた。
「何のつもりだよ。言っただろ。邪魔だ。どけ」
「知るか」
「分かんねえのか? ……お前のその気遣いが邪魔だっつってんだよッ!」
「友介くんこそ分かんないのか! なんでわざわざ勝率の低い戦いに身を投じるんだッ!」
「勝ちも負けもねえだろうがッ! いいからどけッ! これは俺の問題だッッ! テメエにごちゃごちゃ言われる筋合いはねえッ!」
「こんの――ッ!」
その瞬間、草次も完全にキレた。
どうして分からないのだろう。どうして分かってくれないのだろう。
「ちゃんと話を――」
「話すことなんざねえ。俺のやることは変わらねえんだよ。だからどけ」
「――く、そ……ッ」
その瞬間。
悟った。
「なるほど」
草加草次の言葉は、もうこの少年には届かないのだと。どれほど言葉を尽くそうと、そこに想いを乗せようと、彼は聞き入れないのだと。
「だったら、いいよもう。言っても無駄だし」
彼はつぶやくと、大きく息を吸って――吐いた。
眦を決し、友介を睨む。
絶対道を開けはしないと瞳で語り、通しはしないと大地に足を縫い付ける。
安堵友介は破滅の道を行く。その先に無残な結末しか存在しないと分かっていても、少年は進むことをやめはしない。
「話を聞いてくれなくてもいい。何が何でもどかないから」
「そうか」
すると彼は少し寂しげに瞳を伏せて。
「なら、ここから俺たちは他人だ。お前を薙ぎ倒してでも、俺は進む」
故に、そう。
ここに袂は分かたれた。
決定的な決別。
一つの対立線が引かれていく。
「やってみろ」
ここから先は殺し合い。
全身全霊を賭けた死闘が開く。
誰かを疎む気持ちも、誰かを憎む思いもなかったのに、かつて彼らを繋いでいた橋はばらばらに壊れてしまった。
修復など叶わない。どうあっても彼らは離れ離れになってしまう。
誰かが誰かを救いたいと思った。そういう感情が各々を動かしていた。
みんながみんな、近くにいた誰かのことを守りたい、助けたいと思っていた。
だけど、その結果は決別と別れ。
誰かを守りたいという願いが、彼らの絆を引き裂いたのだ。
友介はそれを悲しいと感じながらも、しかし絶対に止まりはしない。
なぜなら、もう二度と、失ったままでいることは嫌だから。
失った後に気付くのはたくさんだったから。
「覚悟はできてるんだろうな」
「うん。だって言っても分からないんだろ?」
二人の結末が悲劇になろうとも、安堵友介は止まらない。
その、つもりだった。
だが――。
「だから、拳で分からせる」
違った。
草加草次は、まだ、諦めていなかった。
「どうしたの? まさか武器を使わないと勝てないとか、そういう下らないこと言わないよね」
拳を突きつけ、少年は不敵に笑う。
背負っていたギグケースを脇に投げ捨て、彼は突き付けた拳をさらに強く握る。強く、強く。
まるで己の思いの全てを込めているかのように、岩のように握り締める。
笑う口元とは対照的に、その瞳は、普段のチャラ付いた印象からは想像も出来ないほど真摯な光を宿していた。そこに、燃え滾る炎を幻視するほどに真っ直ぐな瞳だ。
「俺は絶対に諦めないよ、友介くん。絶対だ。絶対君を分からせる。俺達がどうしたいのか、どうしてほしいのか。その全てを、お前の体に叩き込んでやるッ!」
対して。
安堵友介は。
「――吠えたな」
その安い挑発に乗り、ベルトに差していた拳銃を投げ捨てた。代わりに拳を握り、殺意のこもった視線で草次を射抜く。
「だったら俺は、テメエのその気持ちの全部を叩き折ってあのバカを救いに行く。誰だろうと、邪魔もんはぶっ潰してやる。たとえ、お前でもな」
それを聞いた草次の口元が小さな笑みの形を作った。
友介に気付かれぬ内にそれを引っ込めると、再度大きく息を吸い、吐く。
相対する黙示録の処刑人は、しかし今はギロチンを捨てて拳を握った。
打倒の決意を胸に抱き、二人の男は、まるで示し合わせたかのように一歩前へ進む。
そして。
そこから、言葉はなかった。
ゆっくりと二歩目を踏み出し――、そして三歩目。
爆発したかのように駆け出した。
向かい合う彼らの中点。
「ォ、ぉォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
男と男が、激突した。
☆ ☆ ☆
互いの拳が、相手の頬にめり込んだ。
頬を中心に衝撃が顔面に伝播し、二人の体幹が大きくぐらつく。
「――ァアッ!」
よろめき重心が後方へ逸れた己の身体を、友介は腹筋を使い無理やりに起こすと、勢いを殺すことなく前へ身体を倒した。鈍重だが重い一撃が草次の頬を再度打ち据える。
「が……ゥ――」
しかし、茶髪の男は倒れない。バランスを崩しながらも右足で大地をギチリと掴み、大きく身体を捻らせると、独楽のように身体をぶん回して拳を飛ばした。
「――らァッ!」
肉と骨を叩く感触が返ってくる。不快感と爽快感が混ざり合った感触があった。それを無視して、茶髪の少年は腰を最後まで回しきる。
スパァンッ! と気持ちの良い音が鳴り響き、黒髪の少年の身体が大きくよろめく。脳が揺れたのか、足元がふらりと揺れた。
その機を逃さぬと、草加草次がさらに距離を詰め、引き絞った左拳を相手の顎に見舞った。
今度こそ完璧に脳を揺さぶられ、安堵友介は軽い脳震盪を起こす。視界がブラックアウトし、意識が刹那の間だけ彼方へ飛んだ。
「どうよ、効くだろ友介くんッ!」
顎が浮き、無防備な顔面へさらに拳を叩き込む。
しかし。
「き、く……か、ボケェッ!」
飛来する拳を首の動きだけで避けると、顔の至近にある腕を右手で掴み、無理やり引き寄せた。
草次はバランスを崩し、たたらを踏んで友介の方へと倒れてくる。
「パンチってのは、こうやって打つんだよバカがっッッ!」
岩のよう握り締められた左の拳が、引き寄せられる草次の鼻っ柱へ突き刺さった。そのダメージは先までのそれらとは比較にならない。止まっている物体に別の物体をぶつけた時の衝撃よりも、互いに向かい合うように進む物体同士が衝突したことによって発生する衝撃の方が大きいからだ。
豪快な音が炸裂し、草次の身体が後ろへ傾いだ。
すかさず追撃。
「お……ッラぁッ!」
襟を掴み、思い切り引き寄せてヘッドバッドをかました。鈍い音が鳴り、視界に火花が散る。
この勢いに任せて袋叩きにする――そう決め、拳を握ってさらに前へ。
「さっさと寝とけェ!」
拳を振りかぶり、矢のように突き出した。
拳がめり込み、草次の身体が後ろへ傾く。
「ったくよ、お前いい加減目障りなんだよ。うるせえわ、おどけるわ、馬鹿なまねしてすぐ場を乱しやがる。何なんだテメエ……挙句に馴れ馴れしいしよ。俺がいつお前に名前を呼んで良いなんか言った? あァッッ?」
出会った時からうるさくて、うざい奴だと思っていた。
フランクに接しているつもりなのか、ずかずかと無遠慮に距離を詰めてくる草次を、友介は鬱陶しく思っていた。
「挙句の果てに仲間面か? 厚かましいんだよ鬱陶しいッ!」
言葉と共に、不満と共に、力の限り拳撃を繰り出す。
しかし、顔の中心を狙ったその拳は、寸での所で敵の左手に阻まれた。バチィイン! と皮膚と皮膚がぶつかる子気味の良い音が鳴り、刹那の膠着が生まれる。
そこへ。
「仲間面って……まだそんな事言ってんのかよこの馬鹿ッ!」
殴り合いが始まって初めて、草次が言葉らしい言葉を発した。
彼は反撃の拳を繰り出しながら、彼に不満をぶちまける。
「さっきから聞いてたら、ペラペラペラペラ……口先だけの言葉をよくもまあそこまで思い切り吐けるもんだよッ!」
「何が……言いてえんだよッ!」
互いの拳が互いの頬を打ち合う。既に同じことが七度起きているが、彼らがそれを自覚している様子はなかった。
「なァ、お前なんか勘違いしてるだろ。ちょっと五人でふざけ合ったから? ちょっと力を合わせたから? だから俺らは友達、仲間だ? ――馬鹿馬鹿しい! そんな簡単に仲間が出来るならいじめも戦争も起きてねえんだよッ! 絆なんて大層なもんが、そんな簡単に生まれて堪るかアホらしいッ!」
学校で互いを友達と呼び合う彼らは、どれほど相手のことを想っているのだろうか。
学校では常に顔を突き合わせて他愛もない話をして、文化祭や体育祭のような特殊な環境で力を合わせた彼らは、お互いを友達だと考えていることだろう。
自分たちの間には絆というものがあって、これはとても尊いものなのだと思っていることだろう。
だが、彼らが卒業した後も、その関係は続いて行くのだろうか。
お互いを友達だと感じている彼らが『学校』という場所から羽ばたき、それぞれの進路で新たな出会いを経験して――そうして時間が経った時、彼らの絆はどうなっているだろうか。
「なあ……お前は俺を仲間だとか思ってんだろうけどよ」
その結末は、既に知っている。
例えば中学から高校に上がった彼らがどうしているかを見れば、答えは自明だ。
「俺はお前をそんな風に思ったことは一回もねえよッ!」
突き放すような一言と共にパンチを放つ。言葉と拳が、草次の脳を揺さぶった。
「だからしゃしゃり出てくんな。お前は別にお呼びじゃねえッ!」
「――う、そ……ついてんじゃねェッッ!」
だが、直後に、お返しとばかりに、反撃の一撃が友介を襲った。
「だったら何でこんな殴り合いに付き合ってんだッッ? ほんとにどうでも良いなら殺せばいいじゃないかッ! 銃で撃つなり、染色を使うなりして俺を八つ裂きにすればいいッ!」
「それは俺の主義に反してるだけだ。俺は、誰も殺せねえだけだよ。何を愉快な勘違いしてんだ恥ずかしい奴だなッ!」
「恥ずかしいのはどっちだよッ!」
肉を叩く音が。
骨を砕く音が。
深夜の都心の真ん中で鳴り響いていた。
「俺達に弱みを見せたくないとか思ってんの? それとも何だよ……自分から友達だと認めるのが恥ずかしいとか思ってんのかよ」
「誰がそんなこと言ったよ。お前らは他人だ、道具だ。唯可を救うためにあの女狐が寄越した、考えて動く駒だよ」
「ハッ」
侮蔑と拒絶を多分に含んだその言葉を、しかし草次は鼻で笑い飛ばした。
「その悪ぶる癖もダッサイよね、友介くん。なにそれ、クールぶってんの? ――今どき寒いんだよッ、そういうのはよォッ!」
突き出された力強い一撃が何度目とも分からぬクリーンヒットになった。まぶたの上が切れ、視界が狭まったところへさらに一撃。ふらつき朦朧とする意識は、三度目の衝撃によって覚醒した。
「がふ、ぁ……ッ、知る、かよ……俺は事実を言ってるだけだけっつぅーの。なに必死になってんだ。ダセェのはどっちだよ、友達だと思ってたけどそうじゃないって言われて悲しんでんのか?」
「そんな訳ないじゃん。だって俺ら、友達だし」
「ほざいてんじゃねェよッ! 何度も言わせんじゃねえクソがッ!」
激昂する友介が、さらに繰り出される拳撃を躱した。がら空きになった水月へ、すかさずパンチを突き刺す。
「ごふ……っ!」
「俺らが友達なわけねえだろ。いい加減目ェ覚ませや。お前と俺は他人なんだよ。ただの協力関係。下んねえ幻想はさっさと捨てちまえこのアホがッ! ――だからッ!」
「だから、俺を心配すんのはやめろって? 余計なお世話だって?」
「――――ッ、んなこと言ってねえッ!」
「そうだね、だから……俺が代わりに言ってやったんだろっッ!」
どれだけ彼から罵倒を浴びせられようと。
どれだけ彼から拒絶を突き付けられようと。
草加草次は歩み寄ることを絶対にやめない。
「何回も言わせんな! カッコ付けて孤独になろうとしてんじゃねえッッ! 悲劇のヒーローも、一人で戦う英雄も、そんなもん時代遅れで寒いんだよ。出来もしないことをやろうとしてんじゃねえよアホらしい!」
「出来る出来ないじゃねえッ! ――やらなきゃダメなんだよッ!」
そして、だからこそ、彼はようやく一つを引きずり出した。彼の本音の一端を、草加草次はあらわにしていく。
「いい加減にしやがれッ! さっきから憶測で人を量りやがって殺すぞクソ野郎っ!」
それによる一瞬の脱力の隙を突かれ、草次の腹に膝が叩き込まれた。空気が無理矢理押し出され、さらなる隙を晒してしまう。
当然友介がその隙を逃すわけもない。
前のめりになった草次の顔へ、全霊を込めた拳を打ち出す。
快感にも似た異様な感覚が背筋に走り、追撃のモチベーションへと変わった。
「お前らはカスなんだよ。取るに足りねえどうでもいい奴。もう一回言ってやる。他人だよお前らは」
「この、分からず屋が……ッ!」
だが、目の前の少年はまだ折れない。
「だったら――」
何故なら、彼は知っているから。
「カルラちゃんはどうなんだッッ?」
「――――っッ」
この少年が、誰かを思いやることの出来るとても優しい人だということを。
自分なんかよりも、知らない他人を、近くの友達を大切だと思っていることを。
「なあ。なら、そうなんだな? カルラちゃんもどうでもいい他人なんだな」
「――ッ、そ。そう、」
「取るに足らないどうでもいい女で、どこでどう野垂れ死のうが知ったことじゃないと? そう言うんだなッッ! あんな奴は他人で、クソ下らない奴だったと! 望んでもないのに、勘違いして勝手に友介くんや俺らを庇って、それで教会の奴らに連れて行かれただけのアホだって。哀れで馬鹿な女だって、そう言うんだなッ! あの風代カルラって女の子は、頭の軽い下らない女でしかないってことなんだよなァッッ!」
「――違うっッ!」
一度肯定しようとしたその問いに、とうとう彼の心の壁が壊された。
「違う。あいつは、あいつはどうでも良くなんかねえッ!」
そうだ。彼女は救ってくれたのだ。
優しいと言ってくれた。
綺麗だと、カッコイイと言ってくれた。
肯定してくれた。彼の想いを、信念を、掲げた夢を。
応援してくれた、大切な少女なのだ。
それを、それを――ッ!
「テメエ、今すぐそれを取り消せッ! 全部だッ! あいつを下らねえ奴だと言ったことも、あいつを馬鹿女だと言ったことも、全部、全部今すぐ取り消せェェエえええええええッッ!」
それは、拳の応酬が始まってから初めての、彼の本気の怒りであった。その怒声に先までの余裕はない。本心を隠すカモフラージュではなかった。正真正銘、赫怒の絶叫。
「たとえお前でも、あいつを馬鹿にすることだけは許さねえッ!」
彼は気付いていない。今、言外に、草次もまた彼にとって大切な存在であると告げていたことも。
草次はそれに気付いていながら、しかしあえて無視して殴撃を続けた。
「ああ、取り消すよ。あの子はとっても優しい子だよね」
穏やかに告げて、しかし直後に。
「でも、じゃあ」
その声に、炎が灯る。
「そんな大切な子を助けるのに、なんで全力を尽くさないんだよッッ!」
「――――な、ぁ……?」
その瞬間。
止まった。
同時、凄まじい衝撃が顔面を襲い、友介はもんどりうって後方へ吹っ飛ばされた。
「救いたいんだろ? 助けたいんだろ? だったら俺らを使えよッ! 俺らを頼れよッ!」
「が、ぁ――っ」
意識が飛ぶ。戦況が傾く。互角の鬩ぎ合いに、とうとう亀裂が走った。
「だったら俺達みたいな他人を利用すればいいだろッ! 大切なら、なりふり構ってんじゃねえ! 全部使え、全部試せよ。巻き込みたくない、自分の責任? ――甘ったれんなッ! そんなぬるい覚悟であの子を救えると思ってんのかッッ?」
「黙って、聞いてりゃテメエ……ッ」
「違うのかよ? なあ、その通りだろ? お前はさあ、中途半端なんだよッ!」
さらに拳が顔面にめり込む。
「本気で救う気があるのか? 真剣に考えて、少しでも確率を上げようとしたのか? 確かな作戦があって一人で進むことを選んだのか? なあ、答えろよッ!」
「それ、は――っ」
「そうじゃないだろ、ふざけんなッ! 友介くんは――」
そして、彼は決定的な一言を突きつけた。
「カルラちゃんを守れなかった自分に、罰を課したいだけだッ! やるべきことだけはやったっていう証明を手にしたいだけ。自分を嫌いになりたくないから、死地に乗り込もうとしてるだけだろッ!」
「んなわけ――ッ」
「だったら何で救うために全力を尽くさないっッ? 本気で助けたいなら、死に物狂いで足掻き抜けよ。知らない他人に助けを乞えよ。百人、千人に足蹴にされながら、それでも足掻くくらいの覚悟と気概を見せろよッ!」
一人で全てを解決することが出来るのは、お伽話に出てくる英雄だけだ。
この世界には、一人では叶えられない夢などいくらでも存在する。
そんな時、人は何かに頼らなければならない。
英雄であろうとも、この現実に生きる以上、誰かと共に立たなければ越えられない壁があるのだ。
たとえ、その結果頼った人を死なすことになったとしても。
避けては通れぬ道ならば、その死を呑み込んででも前へ進まなければならないのだ。
その結果の死の責任を負うことを覚悟して。
「そんで――ッ」
そして、拳と拳の議論は、ここに結末を迎える。
「もしも他人を頼れないなら、その時こそ『仲間』の出番だろうがッッッ!」
その言葉は、これまで受けたどの拳よりも、深く、深く、少年の心を優しく貫いた。
「――――ぁ、」
そして。
最後の一撃がその顔面を捉えた。
これまでで最も重い拳を受けた友介は。ごろごろと地面を転がると、震える瞳で草次を見つめた。
「何回言っても聞かないなら、何千回でも言ってやるッ!」
「ちがう、ちが……ッ」
「俺達は仲間だッ! もう君は、一人じゃないんだよッッ!」
それは、彼が恐れているもの。
「その命は君ひとりのものじゃないッ!」
瞼は切れて、片目しか開いていない。
顔を赤い血で覆われ、全身を青く変色させた友介の『仲間』が、彼をどこまでも追い詰めていく。
「君の夢は、君の願いは、もう――君ひとりが背負ってるものじゃないんだよ!」
認めたくなかった。だって認めてしまえば、背負いたいものが増えてしまう。
「そして、君が救いたいと思う人は、俺達も救いたいと思ってるんだよ」
一緒に立ちたいと。彼らの願いや信念、そして夢を叶えてやりたいと、そんな馬鹿なことを想ってしまう。
「君が俺らに死んで欲しくないと思ってるくらいに、俺らも君に死んで欲しくないと思ってるんだよ」
そういう余計な荷物を、彼らと一緒に持ちたいと思ってしまう。
「だって」
だって。
「仲間だから!」
仲間だから。
認めた。
気付いた。
好きになった。
もう、他人ではいられない。
大切な人が増えてしまった。
死なせたくないと思う人が増えてしまった。
「もう一回聞くぞ。友介くん、どこに行くんだよ」
「……カルラを、助けに……」
言った。
「一人で行く気?」
「そう、だよ……」
でも。
「でも、でも……俺は、俺一人じゃ……っ」
嗚咽が漏れる。言葉にならない。言葉に出来ない。
その先を言いたくない。言えば、彼らを巻き込んでしまうから。
彼が、どう答えるのか。
彼らが、どう言うのか。
安堵友介は、分かるから。
それでも――。
「でも、俺一人、じゃ……ひどりじゃ、何も……なにもでぎないッ! カルラをだすげられないッッ!」
それでも、言った。
血濡れた顔を涙でぼろぼろにして、子供みたいに鼻水を垂らしながら、くしゃくしゃな泣き顔でこう言った。
「だから、だから頼む……助けてくれ……ッ、手を貸してくれ! 頼む! カルラを助けたいんだッ!」
彼らの関係はとても単純だ。
少し五人でふざけ合って、少し五人で力を合わせただけ。
でも、たったそれだけで。
そんな簡単なことで、人と人は、友達になれるのだ。
「そっか、やっと言ってくれたね」
子供のように泣きじゃくる友介に、草次が優しく微笑みかけた。
そして、ふっと瞳を閉じると、傷だらけの顔を背後に向けて、
「聞いたでしょ? 出て来なよ」
視線の先、瓦礫の陰から見知った少年と少女が顔を出した。
「お前ら……っ」
痣波蜜希と、川上千也だった。
二人は草次の隣に立ち、一度まぶたを閉じて数秒黙っていた。しかしやがてその目を開けると、しっかりと友介を見つめる。
「わ、わわっ、わたし、その、えっと傷ついた、な……?」
「え……?」
「俺もだ。安堵、さすがにあの言いざまは頭にくるぞ」
「えっと……」
少し考えて、しかし友介はすぐに思い至った。
先ほど彼が何を口走ったのか。
絶対に言ってはならないことを言ったことを、思い出した。
「いや、その……さっきはごめん」
だから友介は、素直に謝罪を口にする。
もう、強がって拒絶するふりはやめにしたいと思ったから。
「お前らのことを他人だとか言って、すまなかった」
彼は、自らの想いを口にする。
「それで、その……さっきの今でこんなことを頼むのはおかしいとはわかってんだけどよ――」
自らの願いを、口にする。
「力を、貸してくれ」
そのお願いに、彼らは――
「うーん……じゃあさ、そのさ、一つだけお願いがあるんだけど」
「……? なんだ?」
口を挟んだ草次に友介が不思議そうな声を返すと、彼は少し照れ臭そうに笑って。
「俺達のことも、下の名前で呼んでくれよ。そろそろ、カルラちゃんが羨ましくなってきちゃったし」
「……ああ。なるほど――」
普段の彼ならば、一言で撥ね退けてしまっていただろう。
今までの彼ならば、下らないと一蹴していたことだろう。
でも、今は違う。これからは違う。
「草次、蜜希、千矢――お前らが必要だ。力を貸して欲しい。カルラを――俺達の仲間を助けるために、俺と一緒に戦ってくれ。あのバカを救うために、知恵と力と勇気を俺にくれっ!」
そんな友達の無茶な誘いに、しかし三人は。
「「「当たり前だ!」」」
まるで悪だくみをする子供のような笑みを浮かべながら。
たった一人、座り込んでいた少年に手を差し伸べた。
みんなが腕を掴んでくれる。
そこから色んな力が流れ込んでくるようだった。
「ありがとう……っ、ありがとう……ッ!」
草加草次は、いつもおどけているしチャラチャラしていてふざけた少年だ。小心者で、危機に直面すれば当たり前のように恐怖を抱く。
痣波蜜希は人と話すことすら怖がるし、戦いになど当然慣れていない。世界一の頭脳を持つと言われているが、しかしその性根はどこまでも気弱な少女だ。
川上千也は誰かを蹴落としてまで生きなければならない理由があった。教会に囚われた妹を救わなければならなかった。そしてカルラはその教会の幹部の一員で、彼の憎悪の対象であったはずだった。
だけど――。
みんなが、この手を握ってくれた。
理由なんかない。
友達だから、仲間だから。
誰もが互いの『今』を見ることが出来ていたから。
彼らは、過去や罪には縛られなかった。
未来に離れ離れになることなんか、考えてもいなかった。
「行こう。カルラを救いに」
だって、大切なのは今だから。
「あいつが助けを待っている」
時は来た。
これより紡ぐは英雄譚にあらず。
弱者が強者を噛み砕く逆襲譚に他ならない。
これから先、色んな場所を五人で駆け抜けよう。
ここが五人の始まりだ。
架け橋を作るように手を繋ぎながら。
たった五人の冒険が始まる。




