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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第五編 楽園侵食
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第三章 宴 2.請来

 光鳥感那の根城は数多存在する。

 それはとある電波塔であったり、秘密の地下通路の死角に掘られた小さな空洞であったり、あるいは何人も近付くことの叶わない深海を漂う潜水艇。


『彼女』はそれらの内、最も特異かつ奇異な空間に立っていた。色や音、臭い、そして味や感触すら――それら全て、この空間においては意味をなさない。


 そこは、真実の彼女の居場所。

 あらゆる情景は捻じれて輪を成し、全く異なる空間へと繋がっている。マーブル模様の世界は見るものに生理的な嫌悪感を押し付けるがため、この空間において正気を保つことなど不可能だ。

 しかし――


「いい感じに暇だったんだけど」


 彼女にその様子はない。色彩と法則の入り乱れた場所にいながら、女の表情に狂気の色は皆無であった。

 ここは難攻不落の混沌の城。『彼』に与えられた最初で最後の贈り物であった。


「さてさて、僕はこうして人間には直接干渉せず、今は歪んだ夢の世界で漂っているつもりだったのにさあ」


 彼女の〝長髪〟がふわりと花が咲くかの如く広がる。さらりとした黒い髪は、風もないこの空間においてさえ関係なくたなびいているようであった。

 否、髪だけではない。

 実り膨らんだ胸に実った果実、適度な肉を備えつつも無駄な肉の存在しない煽情的なふともも。切れ長の両目に淡い笑みの形を作る口元。そして彼女の美貌をこれでもかと引き立てる十二単の意匠――それら全て、彼女の全身が、この混沌の法を受け付けてはいなかった。


「ここは僕の家だよ? 部外者が立ち入ることは禁止したはずなんだけどなあ」


 この世界において、呼吸は窒素を吸って酸素を吐き出す行為であり、燃焼とは物質に水を濡らすことによって発生する現象であり、死とは生きることだ。道理も理論も遍く無意味。現世における法則は、この空間においては塵にも届かぬ価値しか持たぬ。


「だっていうのに――」


 その混沌の世界、光鳥感那の楽園の中に異物が混じっていた。

 招かれざる客。来訪者。異邦人。

 元来干渉不可能なこの空間に、その男は姿を現していた。


「どうして君がいるんだい? ――魔神」


 平素の飄々とした彼女の様子からは考えられぬほど剣呑なその眼差しと声を受け、しかしなお秩序の覇王は笑っていた。


「これは手厳しい。俺は何か嫌われる行為をしたかな?」


 くすんだ銀髪は腰の辺りでカールを巻かれており、顔立ちは美麗そのもの。しかし、右眼を隠す眼帯が美しさの中に禍々しさ、あるいは猛威を宿しており、王たる風格をさらに底上げしていた。

 纏う衣装は純白の軍服に金の刺繍が施された豪奢なものだが、そこに装飾過多な印象や、成金趣味のような卑しい趣は感じられない。


 あくまで王。人間の根幹として男の在り方は王であり、覇者。絶対にして唯一無二の主神であった。

統神(ライブラモナルカ)』コールタール=ゼルフォースであった。


「俺はあくまで要件があってここに足を運んだだけだよ」

「どうでも良いよ。ここは僕と『彼』の唯一の絆の証なんだ。君のような部外者に土足で上がられると我慢ならない」

「しかし仕方ないだろう? 伝えたいことがあるのならば直接会って話すが道理。影武者に言伝を頼むわけにはいくまい」

「僕はそれで良かったよ。僕は君が嫌いだから会いたくない。何より――気持ち悪い」

「これはまた厳しい」


 隻眼の統神は淡く笑って、


「しかしそうは言ってもいられまい。なぜならこれから俺が行うは宣戦布告。コールタール=ゼルフォースから光鳥感那へ送る真意の告白に他ならぬのだから」

「――――っ、戦争を起こす気か」

「まさか。まだその時期ではないよ。しかし『ピース』が揃った今、何も悠長に待っている暇もあるまい。新世界創生へ向け、俺は歩み始めるよ」

「それを僕が許すと思うか? ――『彼』は誰にも渡さない。『彼』を殺して良いのは僕だけだ」

「重々承知しているとも。だがね、俺も俺で使命がある。何より俺は、背負いたい」

「――英雄、が……」

「その言葉は俺には似合わない。俺は銀であっても白ではない。穢れ一つのない純なる者にこそその称号はふさわしい。王は英雄にはなれないのだよ、残念ながらね」

「馬鹿か? ――お前がこの世界で最も英雄だよ。本当に吐き気が催すくらいにね」


 光鳥感那にとって最大級の侮蔑を込めた単語でもって統神(ライブラモナルカ)を糾弾するも、男にそれを気にする様子はない。

 それどころか、なお淡く品の高い笑みを浮かべていた。


「要件も済ませたことだし、俺は行くとするよ。あまり人の家に長居する気もない」

「そうかい。早く行け。目障りだ。まあ、今殺してやってもいいけど」

「冗談はよしたまえ。世界を滅ぼす気か?」

「それも一興だね」


 光鳥感那はどこまでも本気だ。彼女は女の意地に掛けて、この男を抹殺せんと猛っている。

 対して統神(ライブラモナルカ)はどこまでも余裕。女の殺気さえ楽しげに受け流し、男は笑みを深めていく。


「ではね。再び会いまみえる事があれば、その時は命の限り戦争をしよう」

「そうだね。君を蹂躙してやるよ」

「そうか」


 楽しみにしているよ。――そんな言葉を吐いて、秩序の覇王は背を向けた。そして空気に溶けるように消えかかろうとしたその直前。

 彼は次のように残した。



「――――では、戦争の始まり、その景気付けとして軽い花火を上げようか。

 使徒天翔。標的は鏖殺の騎士。彼女を捕縛し連れて来い。我が宝石よ、今こそ光を仰ぐのだ」



 開戦の号砲が放たれた。

 空に弾ける花火が、己が色で地上を地獄に染め上げる。


☆ ☆ ☆


 多界虐殺・地獄請来。

 この日、東京は未曽有の地獄となる。

 あらゆる命は散華し赤く咲き誇る。偽神の前に、物皆全て塵と化す。

 鏖殺の宴が四つの地にて開かれる。肉を肴に血の酒を呑め。お前ら全て供物だと、使徒は狂喜し命を喰う。




 あるビルの頂上に、着物を来た陰気な青年が煙管を咥えて座っていた。眼下では大量の人々が両手で喉を押さえて苦痛に喘いでいた。やがて一人、二人と犠牲者が続き、悲鳴と苦悶の声が合唱となる。人々がよだれを垂らし、空気を求めて絶命していくその様は、ドミノ倒しのように放射状に連鎖していく。青年の立つ位置を中心に、死体の円が領域を広げていった。

 その口元には嘲りに満ちた酷薄な笑みを張り付いており、彼が殺人に対して何ら頓着を持たないことを如実に示していた。


「我は楽園教会が十の支柱たる枢機卿。死を振り撒く黄泉の代弁者。伊弉冉(イザナミ)の使い。

 第五神父シンクエ・カルディナーレ八百万夜行(やおよろずやこう)』土御門率也(りつや)

 生者はいらない。お前ら全員、黄泉を懸想し坂を下りて息絶えろ」


 黄泉の瘴気が下界を襲う。逃げられる者など、この世のどこにも存在しない。




 とある路上にて行われていた小さなゲリラライブは、今やある種の礼拝場となっていた。

 美しい金色の髪を靡かせる緑眼の少女は、どこか悲しげに表情を曇らせながらも、皆を魅了するため詠を歌う。


「〝どうして私の声は響かない。誰もが魔性に引きずられ、不幸の坂を落ちていく〟」


 魔的なその声を聞いた若者たちの瞳から一斉に自我の色が消えた。


「〝世界は私を肯定する。望まぬ力に、女は嘆き詠うのだ。ああ、悲しみよ。私はあなたを迎えたい〟」


 詠唱というものがある。

 往々にしてこの概念は、己のイメージを強めより鮮明に魔術を行使するためのものだ。端的に述べてしまえばそれは自己暗示の一種でしかなく、それにより他者へ影響を与えることなど不可能である。

 しかし、金髪の少女が口(ずさ)む歌は、明らかに他者を操っていた。


「〝誰か教えてくれまいか。どうして私の歌は魅了する。どうして、私は声を届けられぬのだろうか〟」


 詠唱を続ける少女の周りに、無数の人が集まっていく。彼らは皆、その瞳に意志を浮かべていない。一心不乱に少女を見つめ、跪いて女神の恩寵を授からんと手を伸ばす。愛をくれ、愛をくれと乞食のように手を伸ばす。家畜であってもこれほどまでに醜くないだろう。


「〝栄光など不要。誰か私を見てほしい。物言わぬ私を犯し、この魂に熱を灯したまえ〟」


 それは軍隊。

 一人の女を女神と崇め祀り上げる狂信者たちの軍勢であった。


「〝私は歌を愛しているの。だからお願い、誰も傷つけたくはないから〟」


 そうして完成する十字軍。

 オルレアンが騎士の如く、聖女がために身命を捧げる無謬の兵隊。

主神に勝利をもたらす不死身の軍隊(エインフェリヤ)


「〝どうか魔法よ、消えてほしい。さあ進め。ここが我らの墓場なり〟」


 そうして少女は名乗りを上げる。


「我は楽園教会が十の支柱たる枢機卿。光を仰ぐ歌姫なり。戦乙女を自称する者。

 第四神父クワトロ・カルディナーレ追光の歌姫(ブリュンヒルデ)』春日井・ハノーバー・アリア。

 魔法はいらない。どうかお願い、誰か私の歌を聞いて欲しい」




 あるいは、兵が密集する軍事基地の中心で、紅髪金眼の少年が焦熱地獄を生み出していた。

 叫喚など無意味。この獄卒の前では、戦争に加担する者総て悪であり、物皆全て炎にくべる。


 災禍をここに教えよう。貴様達が生み出した物総て、我が悉く返上してやる感謝しろ。


 紅蓮の少年の襲撃に、しかし訓練された兵たちは何もできない。爆撃を行おうにも、着弾する前にさらなる炎がそれを喰う。

 また、銃撃狙撃も効果を成していなかった。死角から無数の弾丸を叩き込むも、少年の皮膚に触れる寸前、まるでその衝撃を全て炎に変換したが如き爆発が巻き起こり、あらゆる攻撃が通らない。

 人類では勝てない存在があると、この時彼らは思い知った。


「我は楽園教会が十の支柱たる枢機卿。紅蓮を呪う巨人なり。焦熱地獄の復讐者。

 第十神父ディエーチ・カルディナーレ紅蓮焦熱王(スルト)』バルトルート・オーバーレイ。

 嘆きはいらない。地獄に呑まれろ。――紅蓮の中で散華(さんげ)しろ」




 そして、彼がいる場所こそが最も激しい戦場であった。


「おらァァッ! どうしたどうしたァッ! お前らそれでも最先端の兵器かよ。人工知能なんだろ? 人間サマより賢いんだろうが。だったら俺一人くらい苦もなく潰してみろやァッ!」


 白い髪と緑の瞳。凶悪な目つきと頬に刻んだ刺青が、彼の気性の荒さを十二分に分に示していた。

 彼の戦場は地上にあらず。全身から電気を迸らせながら、少年を付け狙う無人ヘリの軍隊相手に、空中にて大立ち回りを演じていた。

 金属で出来たヘリに強力な電場をぶつけることで磁場を生み出し、次から次へと跳躍しながら素手で合金のフレームを殴りつけ破壊していく。


「うはははははははははははッッ! おらおらおらァ! まだまだいけるだろォッッ? 遥々科学圏までやってきたンだ。お前らみたいな叩き潰したことのねえ相手と死合うのが楽しみだったんだからよ、お前らもっと昂ぶれやァッッ!」


 握り締めた拳が強固な装甲を次々ぶち抜いていく。人体では成し得ない荒業を、彼は力に任せて行っていた。

 条理に反したその光景は、あるいは黄泉の瘴気や光の軍隊、紅蓮の地獄よりもなお鮮烈に人の心に恐怖を刻み付けていく。何の異能も使わぬまま、膂力のみを用いた破壊は、想像をしやすく、現実感を伴うのだ。


 魔術師ではないのでは、と。

 もはや根本から構造が異なる生物なのではという荒唐無稽な想像が積もっていく。


「ハッハァッ! オラオラどうしたァ? お前ら、たかが人間にやられてどうするよ。あァッ? AIなんだろ? とんでもねえ火力を持ってんだろ? だったら使えや本気を出せやッ! お前ら、俺ら人間よりもスペックが高えんだからよ――」


 白貌の悪魔が、サーカスが如く空を自由に跳躍する。張り付いたヘリへ片っ端から拳や蹴りを叩き込み、ものの一発で木っ端微塵に爆破する。

 その妙技、決して膂力のみによってなせる業にあらず。ヘリの構造を分析し、最も効率的に破壊できる箇所を叩くことにより爆発を引き起こしているのだ。


 磁力を利用することで糸に引かれるが如く華麗に空を舞い、次々と禍々しい花火を生み出す拳闘士。もはや幻想的とすら言える光景を東京の空に生み出しながら、彼は大声一喝、己が名を叫びあげる。


「我は楽園教会が十の支柱たる枢機卿ォッ! 頂を目指す漢なりッ! 最強を目指す者!

 第七神父セッテ・カルディナーレ雷闘神(トール)』ジークハイル=グルースだァッッ!

 雑魚はいらねえ。我こそは最強という者がいるなら名乗りを上げろッッ! 俺が完膚なきまでに叩き潰してやらァアッッ!」


☆ ☆ ☆


「やってくれたね……ッ。この借りは高くつくよ」

「楽しみにしている」


 そうしてコールタールは今度こそその姿を霞が如く消した。

 後に残ったのは光鳥感那ただ一人。彼女は口惜(くや)しそうに歯ぎしりしたが、やがてその表情が常の飄々とした――しかしどこか残酷な色を滲ませた笑みを(かたど)った。


「おい、影武者。今すぐアノニマスを動かせ。狩真を出所させてもいい。どうせ涼太も記憶を取り戻したところだろ。すぐに出動させろ。暴風チビもだ。寝てるなら叩き起こせ、ナノマシンと『耳』はいい」


『法則戦争』とはあるいは、今この時に初めて起きたのかもしれない。


宣戦布告(ケンカ)は買った。あとはこっちが潰せばいい」


『魔術圏西日本帝国帝王』コールタール=ゼルフォースと『科学圏東日本国総帥』光鳥感那が雌雄を決した。


 各々が直轄の組織を率いて相対する。これより始まる前哨戦。

 小さな火種が投げられた。やがて火薬に着火し爆発散華する、小さな火種が。


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