第二章 五感拡張計画 4.超然
驚異を排除した安堵友介。だけどその心は暗かった。殺人、その意味とは......。
ではよろしくどうぞですッッ!!!!
顔面を中心にヴァイス=テンプレートの周りに血溜まりが広がっていく。
神話級魔術師と名乗り、友介達を追い回した少年はもう動かない。
当然だ。脳を撃ち抜かれたのだ。生きている方がおかしい。
「杏里達に悪いことしたな……片付けとかないと」
もう命の危険はない。なのに、なぜか満ち足りた気分にはならなかった。それどころか、心にぽっかり孔が空いたように、空虚な気分だけが募っていく。
こんな……こんなものしか得られないのか?
平穏を望んだだけなのに、一人の女の子を守りたかっただけなのに、なぜこんな虚しい気分を味合わなければならないのだ。
「友介、ごめんね。私……」
「いや、良いんだ、気にすんな。お前がいなきゃ殺されてた」
「そうじゃ、なくてさ……」
「あん? どうした?」
てっきり友介にとどめを刺させてしまったことを謝っているのかと思ったが、そうではなかった。彼女は顔を俯けながらポツポツと言葉を吐く。
「……ごめん、私、友介に一つだけ嘘吐いてたんだ……」
「何だ?」
「その、ほんとは知ってたの、この魔術師が友介を襲いに来るっていうの……」
俯く唯可の声は震えていた。
「だから本当は、友介をこの魔術師から守るために来たんだけど……」
結局何も出来なかった。
最後に少しだけ助力しただけで、それ以外はずっと足手まといだった。
いや、そんなことよりも、偶然を装って彼に近付いたことが何よりも悔やまれた。この少年とは、本当の意味で出会いたかった。救う救われるの関係ではなく、ただの少年とただの少女として出会いたかった。
「私はずっと昔から友介のことを知ってたんだ。私達の出会いは偶然なんかじゃなくて、私が仕組んだことだったんだ……ごめんなさい」
友介はどう思っただろうか。
幻滅しただろうか。
失望しただろうか。
それとも——
そもそも最初から、彼にとって唯可の存在は大きなものではないのではないか。だから、全く気にしていないのではないか。
そんな不安が唯可の心に積もっていく。
だが友介はにっこりと笑って、こう言ったのだった。
「何だそんなことかよ。大丈夫だ。気にすんなって。それに、俺はお前と出会えただけで良かったと思ってるからよ。それが偶然だろうと仕組まれたものだろうと、俺にとっては一緒のことなんだ。俺はお前と会えて、そして友達になることができて、本当に嬉しい」
唯可は初めて友介の笑顔を見た気がした。
(あ……)
そして気付いた。
彼の笑顔を見て、空夜唯可は気付いてしまった。
どうしようもないこの気持ちに。
さっきからずっと体の中で、胸の奥で、心臓の中心で暴れ回っている、この衝動の正体に——気付いてしまった。
(そっか……)
そして気付いてしまえば、もう止めることなんて出来なかった。
こんなどうしようもない感情があるだなんて知らなかった。
(そっか。私、友介のことが——)
刹那、腹を何かが貫いた。
「へ?」
間の抜けた声が自分の喉から漏れたが、彼女はそれに気付いている様子はない。
ゆっくりと目線を下に落とすと、銀色の棒のようなものが自分の腹を刺し貫いているのが分かる。
いいや、棒ではない。これは……
「か、たな……か……ッ!?」
答えを、眼前に立つ友介が擦れた声で小さく漏らした。
一本の刀が友介と唯可の二人を一緒に貫いており、刺された箇所を中心に血が滲んでいく。服に広がる血の赤を、友介と唯可は呆然と眺めていた。
友介は刺された箇所にゆっくりと手をやる。
「ぐ……ッ!」
まるで焼きごてを押し付けられたような灼熱の痛みが腹を襲った。
いいや、そんなことよりも——
(そうだ、唯可は! あいつは大丈夫なのか!?)
そんなわけがない。
女の子が刀で腹を刺されて無事なはずがない。
「唯可!? 大丈夫か、おい!!」
「は……、え? 何これ!? 痛い、痛いよ友介!」
そして予想していた通り、唯可は激痛とショックでパニックに陥っていた。
「痛い、どうしよう! ねえ!」
「お、おちつ……がっ! づ……ッ!!」
ついさっきまでの穏やかな雰囲気は消え、二人は混乱の極みに陥った。
(一体何が……? いいやそもそも、誰がこんなことを!!)
友介は唯可を傷付けられた怒りで頭が沸騰しそうだった。
しかし、気持ちとは裏腹に、体に力が入らない。
(まずい……血を流し過ぎた……さっきからボコボコにされたせいか……ッ)
とにかく、後ろを確認しなければならない。
刺した人間が誰なのか。というよりそもそも、敵に背後を見せ続けるのはマズい。
「え、うそ……何で……? 何で君が……何で!?」
逆に、友介の正面に立っている唯可は、彼の後ろにいる人間に気付けたのだろう。背後に立つそいつを見て顔を青くしていた。
(何だ……? 唯可の知り合いか……? クソッ! 次から次へと!!)
とにかく敵の姿を視認しようと肩越しに背後を振り返る。
「————」
絶句した。
呼吸が止まる。脊髄に氷水を流し込まれたかのような悪寒が総身を駆け巡った。嫌な汗が止まらない。ゾワゾワと背筋が粟立つ感覚。毛穴という毛穴から冷や汗が溢れ出てくるのを自覚できた。
「お前……何で……?」
「はい?」
そいつはあくまで普通に、いつもの調子で、さっきと同じような調子で問い返した。
「お前はさっき死んだだろうがッ!! 何でそこに生きて立ってんだよ、ヴァイス=テンプレート!!」
「自分で考えてはどうですか? おバカさん」
赤い目。小さな体躯。圧倒的なまでに黒い、その存在感。
戦慄する友介とは対照的に、無傷のヴァイス=テンプレートはあくまで楽しそうに笑っていた。
彼は刀を握る右手に僅かに力を込めている。
(マズい……マズいマズいマズい!!)
魔術師が何をしようとしているのかを悟って、友介は目の前で痛みに喘ぐ唯可をとっさに蹴り跳ばした。
「あが……ッ!!」
唯可が苦悶の声を上げたのを聞いて心の中で謝罪をしている間に、ヴァイスは行動に移った。
「お優しいですねえ」
彼は刀をグラグラと動かしたのだ。友介の腹に刀を差したまま。
比喩ではなく実際に腹の中を掻き回される激痛が友介の脳髄を突き貫いた。
「……ッ!! ぁ————ッ————! …………っ!」
声にならない悲鳴が喉から溢れ出た。
「ひひっひははは! ひっ! ひゃはははッ!!」
「ゆうすけ……ゆうすけぇ! 逃げてえッ!!」
唯可の悲鳴も耳に入ってこない。
痛覚が友介の感覚全てを支配する。一秒を十倍にも百倍にも引き延ばされているような錯覚に陥るほどの激痛。
「いいぞ、いいぞぉ! 最高だ……。もっとだ……もっと苦しめえ!!」
「ギ、いぃっ!!」
刀を揺らす勢いがさらに増す。貫通した孔がさらに大きくなる。ドボドボと血が流れ落ちる。まだ内蔵が溢れ落ちないだけマシだ——そんな的外れな感想を抱くほどに、友介の脳は機能を徐々に低下させていく。
「なんで! 何でこんなことするのッ!?」
唯可が憤怒の表情をヴァイスに向けた。
ここまでする必要があるのか?
こんな、必要以上にいたぶって、彼の苦痛の表情を見て笑って……、
「一体何があるの……友介は何か悪いことでもしたの……?」
彼女はこれまでの人生で感じたこともないほどの憤りを覚えた。
彼が唯可を見捨てようとしなかったから。
彼が唯可を助けようとしてくれたから。
彼が自分の家族を心配することが出来るから。
彼が人を殺すことに嫌悪感を覚えることが出来るから。
彼がそういう、優しい人間だから。だから彼が不当に傷付けられることが許せない————唯可が憤っているのは、そんなことが理由ではない。
(私が。……私が……)
彼女は全てをかなぐり捨てて走り出した。
突っ込めば殺されるかもしれない。
あるいは、死よりも酷い苦しみを受けるかもしれない。
でも、そんなことは関係が無かった。
(私が好きになった人を、これ以上傷付けるな!!)
「来るなァ!!」
だが、突然響いた怒鳴り声に身を竦ませた唯可は、数歩進んだ所で止まってしまった。
「え……?」
「おま、えは……もうにげ、ろ……ここからは……づ!……はあ……おれ、の、問題、だ……」
それに対する答えなんて最初から決まっていた。
(そんなこと、出来るわけない……)
好きな人を置いて逃げろだと?
ようやく出会えたんだ。
(私がどれだけ友介のことが好きかも知らないで……)
「勝手なこと言わないでよ……」
「なにが、だ……! おまえこそ、勝手なこと言ってん——が、ああああああああッ!?」
「友介!」
ほら見ろ。
友介はあんなにも苦しんでいる。
そして苦しんでいる友介を見ている自分もまた、心臓を握りつぶされるほど苦しかった。泣きたくなって、まともに呼吸も出来ない。
(今……助ける……ッ!)
償いも、信念も、関係ない。
好きな人を助けたい。
そんな単純な思いだけが彼女を突き動かした。
「やめろって言ってるのに……!」
だから、もう聞く気はなかった。
痛む腹も無視して駆け出した——その、直後。
小さな竜巻が唯可を襲った。
「————あ」
悲鳴を上げる間もなく天井に叩き付けられる。そのまま落下し、体を床に強打して息を詰まらせた。
「かはっ……! う、うあああああああああああああああああああっ!」
唯可が罠にはまったのを見て、亀の面の奥でヴァイスが愉快そうに笑った。
「貴様ぁ!!」
友介が歯を剥くがどこ吹く風。
彼は友介を刺し貫いている刀から手を離し、ゆっくりとした足取りで床をのたうち回る唯可に近付いた。
「あなたバカでしょう? そんな直情馬鹿のままでは血気盛んな魔術師共を抑えるなんて出来ませんぞ?」
「ぅ……?」
「あなたを王座に据えようという動きがもうすでに西日本では始まっています。あなたは知らないでしょうが、近いうちに使者があなたを迎えにくるでしょう」
そんなことよりも、友介はどうなったのだろうか。闇が視界を覆っていき、とうとう意識を手放してしまう。
「大丈夫ですよ。あいつはまだ殺さない。今はあなたです、姫——否、空夜唯可さん」
「て、めえ……何をする気だ……」
「いえ、別に」
友介の問いに、ヴァイスは適当な調子で答えた。
「あなたにとってこの女の子は特別らしいのでね。四年前に仕掛けておいた、あなたに絶望を与えるための布石も上手く作用しそうですし」
「四年前、だと……っ」
「はい。あなたの愉快な思い出ですよ」
嫌な予感がする。
いいや、そんなことよりも——
「おい待て、お前……何してる。なんでそいつを担いでんだ。そいつをどこに連れて行く気だ!!」
「そう怒鳴らないで下さい。ちゃんと行き先は教えますから」
「待てっつってんだろうがァ!!」
しかし、ヴァイスは聞く耳を持たない。ただ、面の奥で愉快そうに唇を歪めると、
「千代田区にある『技術省』で待ちますよ。早く来ないと大勢の人が死にます。いいや、それだけでなく、この愛しの姫様も無惨な死体になっているかもしれませんねえ」
「な、待て……」
「日付が変わるまでに技術省の屋上に来なさい」
ただし、と付け加えると、彼は亀の面を取り外して、代わりに真っ白な面を被った。模様も柄も何もない、本当に真っ白な面だ。
そして、その面を付けた状態で、ヴァイスが一言「やれ」とだけ呟いた。
瞬間。
友介の全身を無数の蟲が喰い尽くしているかのような激痛が襲った。肌が出ている部分はもちろん、下着の中にまで蟲が侵蝕してきて、体中の肌という肌をゆっくりと、じっくりと、じんわりと、少しずつ喰われているような感覚があった。
(何だこれ……こんなの……っ!)
「か……っ! かふっ、あびゅ、べ……ッ!! ぃ、え——ッ!」
いつの間にか、口の中にまで入り込んできたような気がした。
「どうですか? 頭がおかしくなりでしょう。こんな苦しみを受けるくらいなら死んだほうがマシでしょう?」
「ぎ、ぃいああああああああああああああああああああああああああああああああッ!! ——あ?」
絶叫を上げる友介だったが、ふっ——と。
突然、激痛が止んだ。
「かはっ! げぇえ……ッ!」
吐き気が込み上げてくる。
それをなんとか耐え抜いて、友介は荒い息を吐きながらヴァイス=テンプレートを見やった。
「今の苦しみを、あちらに着いた瞬間、姫に与え続けます」
「な……っ!」
ヴァイスの魔術や唯可のランチャーによって、友介の家の屋根はすでに吹っ飛んでいる。他にも、壁が無くなっていたり、床が抜けていたりと酷い有様だ。ヴァイスは仮面を外して、そんな部屋から星の出始めた空を見上げた。
「もうすでに日は沈んでいますし、今から……そうですね。八時にはあちらに着くでしょう。それから四時間、姫は、あなたが受けたその苦しみを受け続ける」
彼は真っ赤に充血した目で友介を射抜いた。
「あなたがやってくる頃にどうなっているか、とても見物です。何よりも、壊れた姫を見つけたときのあなたの表情がどんなものなのか……今から楽しみで仕方がありませんよ」
「や、めてくれ……」
「それでは。良い夢を」
言葉と共に七つの水塊が友介へ殺到した。ヴァイスはそれを下らなそうに一瞥するといずこかへと立ち去ってしまった。
「やめろ……」
ボロボロになり意識もまばらな友介はそれを見送ることしか出来ない。
「クッソォぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
視界が狭まり、頭の中に靄がかかったかのようだ。思考をまとめることが出来ない。
まるで重石を乗せられているかのように体が動かず、やがて友介の意識は底なしの泥沼へと沈んでいく。
意識を失う直前、怒りのせいか、視界がモノクロに染め上げられた景色に変化した。
その白と黒の世界の中で、昼休みにも見た、闇を噴き出すあの黒点が現れた。友介の意識はその黒点に引きつけられて。
激痛を訴える左目も無視して、彼は無意識にその黒点を引っ掻き——直後に視界が暗転した。
うへぇ、刀グチャグチャ痛そう......




