初めての世界
清い男女交際についてレティンシアと一緒に説教を受け、なぜ叱られたているのか分かっていない彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。
人と接触がなかった所為なのか警戒を解くと男に対しても無防備になってしまうのはよろしくない。うっかり攫われてしまいそうな気もするので街に着いたら特に気を付けておこう。
それにしても、先生の説教は長い。途中から師匠も加わるし流石に疲れたが、そのお陰かレティンシアが大分と師匠と先生に慣れたので良しとしよう。
壁に寄りかかってうつらうつらしていたら師匠に呼ばれた。
「おい、明るいうちに夕飯の材料と焚き火用の枝拾いに行くぞ。」
忘れてた。夕飯の材料はともかく薪は拾ってこないといけないな。
レティンシアにも声を掛ける。
「レティ、夕飯の材料と枝拾いに行くけど一緒に行かないか?」
「?行く。」
首を傾げていたがすぐに駆け寄ってきたので一緒に洞窟の外にでる。
先に薪を集めに行こうとしたが、レティンシアがついてこない。
「レティ?」
振り返るとレティンシアが洞窟を出た位置で立ちつくしていた。もう一度声を掛けようとしたら、突然レティンシアが川に向かって駆けだした。
川の縁に立って川を見ている。何をしているのかと思っていたら川の中に入っていくので慌てて川に向かう。深くはないが、流れはかなり速いのだ、
「レティ!危ないぞ!」
走りながら声を掛けると、振り返ったレティンシアが流れに足を取られたのか川の中で盛大にコケた。
「大丈夫か!?」
急いで川の中からレティンシアを引き上げると、肩を震わせて俯いている。怖くて泣いてるのかと思っていたら、クスクスとした笑い声が聞こえてきた。
「レティ、なにがそんなに可笑しいんだ?」
手を貸して立ち上がらせる、立ち上がるとすぐに手を離してその場でクルリと回る。
「クリーン」
一瞬で服も髪も乾いて元の軽やかさを取り戻した。そしてレティンシアが桜色の唇を開いた。
森の中に歌が響く。高く澄んだ美しい歌声。
レティンシアが歌っていた。
歌っているレティンシアの周りにはいつのまにか動物が集まってきていた。
楽しくて仕方ないというように歌っている姿をみて不意に納得した。
「初めてなのか。色のある外の世界を見たのは。」
産まれてからずっと幽閉され続け、初めて外に出たのは生贄にされた時。
川を見るのも、森を見るのも、動物を見るのも初めてなのだ。
「ルカ、ルカ!これは何?」
唐突に歌声が途切れた。残念な気もするがそれよりもキラキラと目を輝かせながら樹に生っている実を指差しているレティンシアは文句無しに可愛かった。
「それはアプっていう果実。美味しいよ。」
「食べられるの?」
レティンシアが驚いたように樹を見上げていると、赤い実が一つ落ちてきた。危なげなくアプをキャッチしたレティンシアが樹に向かってお礼を言ってから駆け寄ってきた。
誰にお礼を言ってるんだ!?
「どうやって食べるの?」
ニコニコしながら持ってきたレティンシアからアプを受け取り、軽く拭いてからナイフで2つに割り半分をレティンシアに渡す。
「そのまま食べるんだよ。」
もう半分をそのまま食べてみせると、真似をして一口齧る。
「おいしい!」
「だろ?」
美味しそうに食べているレティンシアにふとさっき誰にお礼を言ってたのか聞いてみたら、樹の上に大きな鳥がいてその鳥が実を落としてくれたらしい。…偶然だよな……。
食べ終わったレティンシアを連れて薪を集めに行く。
ずっと『あれはなに?』『これはなに?』と聞いてくるが、初めて見る物ばかりだから仕方ないだろう。俺が分からない物は師匠が教えている。普通に会話が出来るようになってなによりである。
「ルカ、これはなに?」
また何か見つけたのか木の根元にしゃがんでいる。行ってみるとそこにあったのは見るからに毒々しいキノコだった。紫の斑点がある赤いキノコ、誰がみても食べたいとは思えない見目である。
「レティ、これは毒キノコだ。」
「毒キノコ…。どんな毒があるの?」
「たしか幻覚と痺れ。…………触ったら駄目だぞ。」
触ろうとしているレティンシアを見て釘を刺すとすぐに手を引っ込めて立ち上がった。
バツの悪そうな表情を浮かべているレティンシアに何度目かの注意をする。
「レティ、珍しいのは分かるけどむやみに触ったら駄目だ。危険なのもあるんだからな。」
「はい…。」
上目づかいで見上げてくるのは可愛らしい。だが、どこにいたのか小さな蛇(毒蛇だった)を『これは何?』と持ってきて俺と師匠に叱られ、知らないモノはむやみに触らない、近寄らないと約束させてからそんなに時間は経ってない。分かってはいても、どうしても好奇心を抑えられないらしい。
レティンシアを促して枝集めに戻る。レティンシアも少しは落ち着いたらしく大人しく枝を集めている。
しばらく集中して拾っていくと大分と枝も集まった。そろそろ食材調達に移るか。
「師匠、枝は十分集まったのでそろそろ食材調達に移りませんか?」
「そうだな。食い物はどうする、何か狩るか?」
まだ枝を集めているレティンシアを見る。その肩や頭には鳥やリスに似た小動物が乗っていた。
「レティがショックを受けそうですね。」
「魚にするか。」
「そうですね。」
どちらも生き物である事は変わらないのだが、いま戯れている鳥や小動物を捕まえろというのは酷だろう。
「レティー、戻るぞーー!」
枝を抱えて振り返ったレティンシアが、枝をアイテムボックスに収納してから戻ってきた。
「次は食材集めに行くぞ。」
「うん。」
元気一杯に頷くレティンシアと手を繋いで川まで戻る。手を繋いでいるのは気になるモノを見つけると、レティンシアが駆けて行くか、立ち止まってしまうからだ。
そして今もまた手が引っ張られた。案の定レティンシアが立ち止まっている。
「ルカ、あそこに何かいるわ。」
レティンシアの指差す森の奥を目を凝らしてみるが何もいない。気配を探ってもなにも感じない。師匠はどうだろうと思い視線を向けると首を横に振る。師匠も何の気配も感じないらしい。
「何もいないぞ?」
「でも、足が8本もある大きなのがこっちに向かってきてる…。」
耳を澄ましても何の音も気配もしない。
「……思い出した。蜘蛛だ!本物はこんなに大きかったんだね!」
くも?くもって虫の蜘蛛のことか。蜘蛛………まさか!
「レティ、その蜘蛛どれぐらいの大きさだ?」
「?アンドリューさんの2倍ぐらいかな。大きいね!」
俺と師匠は剣を抜いて戦闘態勢を整える。人間より大きな蜘蛛が普通の蜘蛛なわけない。魔物だ。
「レティ、それは魔物のアラクネだ。どこから来る?」
「ルカの正面……危ない!」
レティンシアが俺の前に飛び出した直後、レティンシアの体に糸が巻き付いた。
「きゃっ!?」
奥に引きずり込まれかけたレティンシアの体を抱き寄せて茂みの奥から伸びている糸を叩き斬る。
「無茶するな。」
体に巻きついた糸も斬って取り払うと背に庇う。
アラクネはどこに隠れているのか姿は見えないし気配も掴めない。
「レティ、どこに…」
「ウィンドカッター。」
『どこにいるかわかるか?』という問いはレティンシアの魔法に遮られた。
「あっ…。」
ポツリと零れた声に、レティンシアが魔法を放った上空を見上げると何かが落ちてくる。
あれは…!?
「師匠!」
師匠に声を掛けて、レティンシアの腕を掴むと思い切り後ろに飛んだ。
「グレイブ」
魔法が発動し地面から勢いよく槍が生えてなぜか上空から落ちてきたアラクネを貫いた。
「気持ち悪い……。」
レティンシアの視線の先ではアラクネが槍に貫かれてジタバタしている。
「レティ、誰の所為でこうなってる。」
「…私……かな?」
「レティ………。」
「だって、だって上を見たらキラキラしたのが沢山あったから…気になったんだもん。」
なぜ、アラクネが上から落ちてきたのか、犯人はレティンシアだった。
ふと見上げたら上空にキラキラしたモノ(アラクネの糸だった)を見つけてなんとなく風魔法のウィンドカッターを放ったら、そこに丁度アラクネがやってきた。(レティンシアが『あっ…。』と呟いたのはこのタイミングだったらしい。)そしてレティンシアの魔法が糸を切断。支えを失ったアラクネは地面に落下。落ちてくるアラクネを見て思い出したのは落とし穴の作り方。そして落とし穴を作った時は中に先の尖った物を仕込むと俺が言っていたので、先の尖ったモノが出てくる土魔法のグレイブを使ってみたら、アラクネが刺さったらしい。
どんな思考回路をしているんだ!?
気になるモノがあったからウィンドカッター使ってみたとか!?
どうして落ちてくるアラクネを見て落とし穴を思い出した!?
先の尖った物でなんでグレイブをチョイスしたんだよ!?
「ごめんなさい。」
迂闊だった事は分かっているらしい。
それにしてもレティンシアには驚かされてばかりだな。
「戻ったら先生からの説教も覚悟しておくんだな。」
情けなく眉を下げて見上げてくるが、間違いなく先生には叱られるぞ。
「諦めろ。」
しょんぼりと項垂れたレティンシアの手を引いて洞窟に戻る。
アラクネは俺がレティンシアの話を聞いている間に止めを刺して、解体と剥ぎ取りは終わらしてある。
足取り重く戻った洞窟でレティンシアは先生に膝を突き合わせて叱られていた。
その後俺もレティンシアに庇われるとはなんという体たらくだと師匠と先生に叱られて、ペナルティーの筋力トレーニングを課せられた。
レティンシアは初めて外の世界を見たのなら仕方ないという事で免除。次からは気を付けるようにとの注意で締めくくられていた。
なんだか納得がいかない気がするのは俺だけだろうか?
ありがとうございます!