旅立ち
「いやあ!!!!」
レティンシアの悲痛な声が聖堂に響いた。
私を目覚めさせてくれた人。
両親以外で初めて手を差し伸べてくれた人。
一緒に連れて行ってくれると約束してくれた人。
失いたくない、私はこの人を、ルーカスを、失いたくない!
強い思いがレティンシアの本来の力を呼び覚ます。
ガツンッ!
振り下ろした前足が何かに阻まれた。苛立たしげに更に力を込めて振り下ろすがそれも阻まれる。
後ろ足で立ち上がり両前足を勢いよく叩きつけても、その攻撃がルーカスに届く事は無かった。
ブラックオックスの血のような赤い目が、己の攻撃を阻んでいるのであろう少女を睨む。
放出している魔力で白銀の髪と服を靡かせて立っている少女、その唇は引き結ばれ、白銀の瞳は強い意思で輝いている。
「ルカは私に手を差し伸べて護ってくれた。だから私もルカを護る。絶対に。」
ルーカスを包む透明な障壁の中に光が生まれ、ルーカスの体に吸い込まれる。
すると、先の戦闘で負っていた傷が一瞬で癒えた。擦り傷や噛み傷はおろか、腹部の刺し傷すら完全に癒えていた。
障壁に護られることなく生身の体を己の眼前に晒している少女に近づく。術を行使している為に動けないのであろう忌々しい力を持つ小さな少女に向かって足を振り下ろした。
ザシュッ
風が無数の鋭い刃となり、ブラックオックスの右前脚を斬り飛ばした。斬り飛ばされた脚はさらに切り刻まれて落ちて行く。
パキンッ
その異常さに後ろに下がろうとした時には残りの脚は全て凍りついていた。
ピシッピシピシピシッッ
凍りついた脚に細かなヒビが入っていく。
パリン
澄んだ音を立てて脚が砕け散り巨体が床に叩きつけられる直前に、地面から生えた鋭い5本の槍がブラックオックスを貫く。凄まじい激痛に口を開くとそこに火の玉が飛びこみ、喉を、口内を焼く。
その様を眉ひとつ動かすことなくレティンシアは見ていた。
そして、小さな唇が終わりを告げた。
「死になさい。」
呟いた直後、風と水の刃がブラックオックスの首を切断し切断面を瞬時に炎が焼く。首が宙を飛び重い音を立てて地面に転がると、地面から生えていた槍も無くなり、首の無い巨体が地面に転がった。
辺りを見渡したが生きている魔物はいない。聖堂内を埋め尽くす大量の魔物の死体を眺め、首を傾げなにやら思案しているようだ。だが彼女の答えが出る前に、風が黒焦げや炭化していない魔物の死体を彼女の側に運び、その他の死体を炎が飲み込んでいく。
あっというまに出来た魔物の山を驚いたように見ていたが、腰に着けていたポーチの口を開けて近づけた次の瞬間そこには何も無かった。
そして残った魔物の死体も全て炎が飲み込み、水と風が聖堂とレティンシア、ルーカスを清める。
こうして全てが終わった時、聖堂内にいるのはレティンシアとルーカスの二人だけだった。
ゆっくりとレティンシアがルーカスの側に行く。
レティンシアが手を伸ばすとルーカスを護っていた障壁が消える。うつ伏せになっているのを仰向けにすると胸に耳を当てる。命を刻む力強い音に安心したように微笑んで瞳を閉じた。
レティンシアの体から力が抜けて、唇からは穏やかな寝息が零れる。
冷たい風が吹き込む聖堂内で疲労から意識を失ってしまった銀の髪の少女と傷は癒えたとはいえ大怪我により大量の血を失って意識を失った金の髪の少年が折り重なるようにして眠っている。
少女の手は少年の服を絶対に離さないというように握り締めている。そして、柔らかな温もりを離すものかと少年の腕が少女を抱きしめる。
そして、全てを凍てつかせる冷たい冷気から護るように風が二人を包みこみ、炎がその周囲を囲む。
これで冷気は完全に遮断され、魔物も近寄れない。
少年と少女の眠りを邪魔する者は現れることなく、二人は静かに眠り続けた。
ルーカスの瞼が震える。
その瞳が開く直前、二人を包んでいた風と周囲を囲っていた炎が消えた。
顔に直接当たる日差しの眩しさで目が覚めた。目を細めぼんやりと見上げると、天井に空いた穴からきれいな青空が見えた。
(俺、どうしてこんなとこに寝てるんだ?)
徐々に鮮明になっていく意識の中で、唐突に思い出したのは貫かれた腹部の痛みと振り上げられた脚、そして悲痛な声で名を呼ぶレティンシアの声だった。
一気に意識が覚醒した。
「俺、生きてるのか?レティは!?」
そして自分の胸の上に乗っている何かを抱きしめている事に気付いた。
柔らかくて温かい、ついでに自分の胸に柔らかいなにかが押し付けられている。
恐る恐る上に乗っている物を見ると、きれいな銀色が目に入る。そっと触れてみると、さらさらとした手触りが伝わってくる。
(レティンシア、だよな。)
顔は見えないが、この髪と抱き心地は間違いなくレティンシアだ。
胸に押し付けられている柔らかな何かについては考えない。
それよりもどうしてこうなった。
辺りを見渡しても、建物が壊れている以外に聖堂内に異常はない。あれ程大量にあった魔物の死骸もなにも無くなっている。
確かに貫かれたはずの腹部に触れても何もない。穴は空いているから貫かれた事に間違いは無いのだろう。俺が意識を失ったあと、なにがあった?
思考に没頭していると突然胸を強く叩かれた。驚いて腕の中に視線を向けるとレティンシアが目を覚ましていた。
潤んだ銀の瞳と上気して赤く染まる頬、薄く開いた小さな唇からは熱い吐息が零れ、胸には柔らかな膨らみが押し付けられている、いろいろ勘違いしそうなシチュエーションだ。
「はぁっ、ん、ルカ、、苦しい、私、、もう……、」
本当にいろいろ誤解を招きそうだが、断じて俺はレティンシアに如何わしい事はしていない。
動揺して思わず腕に力が篭ってしまった。
「あっ、やっ、ルカ、、駄目、、」
俺の方がいろいろ駄目になりそうだ。レティンシアが弱弱しく俺の胸を叩く。
「苦しい、ルカ、、腕、」
そこでようやく、レティンシアを抱いている腕にかなりの力を込めている事に気付いた。
確かにこれは苦しかっただろう。可哀そうな事をしてしまった。
「ゴメン、考え事してた。」
腕の力を緩めるとレティンシアが大きく息を吸った。
「本当に苦しかったんだから!何度も腕を緩めててって言ってるのにどんどん強くなるんだもの。」
プクリと頬を膨らませてレティンシアが怒る。
「本当にゴメン。」
「……次からは気を付けてくれる?」
「分かった、次からは絶対に気を付ける。」
「じゃあ、今回は許してあげる。」
許してくれたのは嬉しいが次があるのか、これ?
レティンシアが何を考えているのか全く分からないが、深くは突っ込まない方がいいだろう。
それより俺が意識を失ったあと何があったのかを聞くか。
「レティ、俺が刺されたあとどうなったんだ?」
寒いのか俺の隣に寄り添うように座っているレティンシアに何があったのか訊くと困ったように眉が下がる。
「ごめんなさい。私もよく覚えてないの。」
「覚えてないってどういうことだ?」
「ルカが刺されて、あの魔物がルカの頭に脚を振り降ろしたところまでははっきりと覚えてる。でもその後のことは、ルカの傷を癒した事とあの魔物が死んだ事、魔物の死骸を片付けた事しか覚えてないわ。」
本当に困ったような表情を浮かべているので、覚えていないというのは嘘ではないのだろう。でも俺のあの傷はかなりひどい、というか致命傷に近かったと思うんだけど、それを癒すって凄すぎだろう。
「ルカ、本当にごめんなさい。」
レティンシアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「覚えてないなら仕方ない。それにレティは命の恩人だ。遅くなったけど、俺の命を救ってくれてありがとう。」
だがレティンシアは勢いよく首を横に振って否定する。
「違うわ。私がもっと早くに本当の事を言ってればこんな事にならなかった。魔物達が襲ってくる前に、転移陣が壊される前に、王都に行けたわ。」
聖堂はあのブラックオックスの攻撃でかなり破壊されてしまった。地下への入り口も塞がってるからあの隠し部屋に戻る事ももう出来ない。そして、転移陣があった場所も崩れてしまっていた。
「ごめんなさい。ルカ、ごめんなさい。」
とうとう泣きだしてしまったレティンシアを抱きしめて背中を撫でてやる。
「俺は元々王都まで歩いて行くつもりだったんだから問題ない。でもレティには辛くて苦しい旅になると思う。王都までずっと野宿だし、夜だって交代で休まないといけないから慣れないうちは大変だろうし、寒いし、危険な事もある。それでも、俺と一緒に行ってくれるか?」
レティンシアが涙に濡れた顔を上げる。
「私きっと足手まといになる。それでも一緒に連れて行ってくれる?」
「当り前だろう。それにあれだけ魔法が使えるんならむしろ一緒に来てほしいくらいだ。」
涙を拭いてやりながらそう答える。
「………大陸に戻ったらルカはルカの目的の為に旅に続けるんでしょう?その旅に私も一緒に連れて行ってくれる?」
「言っただろう、むしろ一緒に来てほしいって。男3人パーティーだけどいいか?」
「うん。連れて行って、ルカ。」
躊躇いなくレティンシアが頷く。
レティンシアの能力はかなり高い気がする。俺と同じ4属性持ちでうち一つは光属性、初めて魔法を使ったにも関わらず、完璧に発動させる事ができるという事はそれだけ適性が高いという事だろう。もし、神殿の奴らに知られたら間違いなく誘拐される。
産まれてから自由を奪われ続けた揚句に殺されかけたんだ。これ以上誰かに利用されるような目には合わせたくない。
「よし、腹も減ったし朝御飯食べよう。食べ終わったら出発だぞ。」
「はい!」
朝御飯といってもレティンシアが作ってくれた肉の燻製を軽く炙っただけの質素なものだったが、腹は膨れる。食べ終わると、荷物を持って立ち上がった。
一緒に聖堂を出たところでレティンシアが足を止めて振り返った。
「行ってきます。お父様、お母様。愛しています。」
聖堂を見上げてそう囁く。
そして少し離れた場所で待っているルーカスの元に駆けて行った。
レティンシアが追い付くと、二人は並んで王都に向かって去って行く。
その後ろ姿を笑って愛おしそうに見守る影が2つあった。
『いってらっしゃい、レティンシア。可愛い私の娘、愛しているわ。』
『行ってこい、レティンシア、俺の大切な娘、愛してる。』
『『生きて幸せになりなさい。』』
歩いていたレティンシアが弾かれたように神殿を振り返るが、そこには何の影もなかった。
「どうした?レティ。」
「…声が聞こえたような気がしたの。お父様とお母様の声が……。」
「なんて言ってたんだ?」
「愛してるって、生きて幸せになりなさいって……。」
ルーカスも神殿を振り返る。
レティンシアの話を聞く限り、彼女の両親は間違いなく彼女を愛していて、死んだ後も彼女をずっと見守っていたのかもしれない。
「そうか、なら頑張って生きて幸せにならないとな。」
「うん。」
レティンシアは一瞬目を見張ったが、すぐに笑って頷いた。
俺達は再び歩き始める。王都への旅は始まったばかりだ。
いずれ、レティンシア視点、レティンシアの両親視点のお話も書きたいと思います。
ありがとうございました。